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2-4 バタフライの羽ばたき



 もう泣きそうだ。

 俺はがっくりと肩を落としていた。


 狩野さんは、情報を整理するように、もう片方の手で、ぽりぽりこめかみをかきながら、


「ふむ……ガーデンパーティとな?」

「はい」


 そっか。そこから話さないと。


「高等部のイベントです。毎年ゴールデンウィーク前にあるんです。学生会主催の恒例行事なんですけど……芝生の広場で、盛大にお茶会をするんです」


 実は、俺もひそかに楽しみにしてた。

 それくらい、高等部のガーデンパーティは、下級生たちの憧れのイベントなんだ。


 修陵院の中央には、赤煉瓦の堂々とした洋館「アイリス館」があり、その前には、「センター広場」という、青々とした手入れのいい芝生の庭が広がっている。

 暖かい春を迎えた四月末には、広場のあちこちに白いテントが張られて、その真ん中に、花で飾り付けた「メイポール」が立てられる。


 女生徒は白いワンピースに、生花のブローチ。

 男子生徒は黒いジャケットにポーラーハット。

 高等部の学生たちは、お揃いのいでたちでメイポールの周りに集う。


 そして学生会長――今年は瑞希兄さんだけど――が、ガーデンパーティの最初に、女子生徒からひとり「春の女王」を選び出す。

 そしてふたりはメイポールの下で祝福を受けて、パーティが始まるという手順だ。


 あざやかなグリーンに、ひるがえる真っ白な裾、行き交うポーラーハット。

 楽しげな談笑とともに本格的なアフタヌーンティが供されるガーデンパーティの光景は、異国の景色のようで、とても大人びて見えた。

 高等部に入ったら、自分もあの中に加わるんだ。

 と、中等部や初等部の生徒たちは、遠目に眺めて胸をふくらませる。

 俺も例外じゃなかった。


「……でも、ガーデンパーティは、最初のイベントの舞台だったんです。問題は……」


 俺は溜息をついた。


「……〈春の女王〉なんです」


 と、いうのも。


 例年、〈春の女王〉に選ばれるのは、学生会長が投げた花束をキャッチした女子生徒だ。


 でも瑞希兄さんのシナリオではちがう。

 瑞希兄さんは皆の前で、ヒロインをメイポールの下へ招く。

〈春の女王〉を引き受けてほしい。

 そう言って花束を差し出す。会場は盛り上がる。ヒロインは、尊敬する従兄弟に恥をかかせまいとして、花束を受け取り、〈春の女王〉になる。


 ところが、それには重大な意味があった。

 学生会長から〈春の女王〉に選ばれるというのは、愛の告白ってことだったんだ。

 瑞希兄さんは、厳原家との縁談でヒロインが窮地に立っているのを察し、冬志さんを牽制してくれてたんだ。


 こうして、瑞希兄さんとヒロインは周知の仲となり、恋の第一歩が始まる……。


 もちろんそのあとも色々な胸キュンイベントが用意されてるんだけど、いちばん最初の重大なフラグはこのガーデンパーティだと言ってもいい。つまり、ここを避けることさえできれば、あとのシナリオは回避できるはずだ。


「……ガーデンパーティには参加したかったですけど、でも……フラグを折るためですから、しょうがないです」


 俺は自分に言い聞かせた。


「見方を変えれば、よかったんですよね、いま思い出せて。もし、のこのこパーティに行ってたら、俺は花束を受け取って、フラグ立てちゃったかもしれないんですから」

「お主ならそうじゃろのう。頼まれると断われんから。いや待て、頼まれ方によっては、わかってても花束を受け取るのではないか?」


 狩野さんはからかうように日本酒のコップを揺らして見せた。透明なしずくがハネてチェストに落ち、俺はティッシュを四つにたたんで拭き取りながら、


「もう。さすがに、わかってれば受け取ったりしないです」

「どうかのう~」


 狩野さんは首を横に振る。酔いが回ってきたのか、軽妙な節まで付いた。子どもの姿の死神はあくまで機嫌よく、コップ酒片手に手帳をめくり、


「おっ? こっちのメモはなんじゃ? 佳史叔父さんがカツラ? 冬志さんは――」

「だ、だめです、それはだめです!」


 慌てて俺は手帳をひったくって立ち上がり、机の引き出しの定位置にしまいこんだ。

 ……見られてしまった。

 佳史叔父さんに「誰にも言わないでくれ」って言われて、十年も隠してたのに……。


「よいではないか、なんじゃ、えーとその……恐喝用備忘録みたいなのは」

「違います!」


 狩野さんの前に戻りながら、俺はほっぺたをふくらませた。


「そんな変なメモじゃないです。前世の記憶とくらべたら、設定が細かかったり、違ってるところがあるなと思って、書き出してみたんです」


 佳史おじさんは、瑞希兄さんのお父さんだ。

 大きな法事があって、檀家のお寺で顔を合せたときのことだった。

 おじさんは廊下で転んで、俺の前で髪の毛を落とした。

 髪の毛は生き物のように廊下に転がり、あらわれたおじさんの頭は、まるで橋の欄干の珠みたいに輝いていた。

 そのころ俺は、年齢にして幼稚園生くらいだっただろうか。

 まだカツラというものを知らなかったから、俺はほんとに、おじさんの頭が飛んだのかと思って、呆然と立ちすくんでしまった。

 長い廊下には俺とおじさんだけだった。

 おじさんはそそくさと髪の毛を拾い上げて装着し、俺の手にお小遣いを押し込んで、「誰にも言わないでくれ」と独り言のようにつぶやいて立ち去ったのだった。


「……でも、そんな細かい設定、ゲームにはなかったなって思ったんです」

「そりゃそうじゃろ。どこの乙女ゲームが、攻略対象の父親の隠し設定として、ハゲ設定をつけるんじゃ」

「ほかにもあるんです。ゲームでは冬志さんと俺は幼なじみじゃなかったですし……そうそう、冬志さんは三人兄弟の真ん中なんですけど、ゲームではそんな話もなかった気がします。不思議だなと思ったんです、どこまでゲームと一緒で、どこまで違うんだろうって」

「まあそうじゃな……ひとつには、プレイするときに影響ないデータは、シナリオ中ではわざわざ説明しないのじゃろうな。佳史おじさんがハゲでも、冬志が三人兄弟でも、どうでもいいと言えばいいからのう。じゃからお主が知らなかっただけで、もともとそういう設定はあったのかもしれん。

 じゃが、冬志と幼なじみ、というような設定に関しては……」


 狩野さんは考えるように目を細めた。 


「バタフライ効果じゃろうな」


 初めて聞く言葉だ。

 バタフライ。蝶のことだろうか。


「バタフライ効果……って、なんですか?」

「うむ。蝶が羽ばたきするじゃろう。すると風が起きる」


 狩野さんは、顔の前で蝶の羽のように、てのひらをぱたぱたして見せた。

 俺も真似してみる。

 ほっぺたに淡い風が触れた。


「もちろん、その程度の風は小さすぎる。まだ大きな影響は生まれない。

 じゃが、その風が小さな影響を起こし、さらにそれが影響し……とつながっていくと、いずれ大きくなった風は、台風も呼び起こすことになるのじゃ。

 世の中は因果応報。すべてのできごとには、原因があって結果がある。

 『結果』が連鎖すれば、大きな変化にもつながるかもしれない……という話じゃ。ま、風が吹けば桶屋がもうかる、ってやつじゃな。お主が男としてうまれた、その一点で、〈はなこい〉の世界に小さな小さな変化が生じつつあるのかもしれん」


 俺は腕組みして目をつぶって考えてみた。


 小さな蝶のはばたきがかすかな風を起こす。

 その風がもう少し大きな風を呼んで、それが連鎖していき、やがて嵐になる。

 そんな光景。

 

 なんだか、不思議に胸おどる話だ。


 目に見えなくても気流はかき乱され、変化し、その変化が次の変化を生む。

 それと同じように、俺が嵐の焦点になるなんて、あるんだろうか。

 〈世界〉なんて言われると、壮大すぎて、なんだか信じられない。


 でも確かに、いま俺がしようとしてることって、ある意味そういうことなんだよな。小さな決断を変えることで、次の展開を変えようとしてるんだから。


(……できるのかな)


 俺はいつのまにか、祈るように心臓の上で手を握りしめていた。


「……それがほんとなら、俺の未来も変えられるはず……そういうことですよね……?」


 俺は祈るような気持ちでつぶやき、狩野さんに明るい目を向けた――狩野さんは夢中で肉じゃがを食べていた。 


「うまい……! このイモ、ダシがしみこんどる~、ほっぺたが落ちそうじゃ~!」


 うっとりとほっぺたに手を当てている。


「……もう! 俺、真面目な話をしてたんですよ!」

「すまんすまん、うますぎた。えーと……何の話じゃったかな。佳史のカツラか」

「それはもういいです……」

「じゃったら……そうか、フラグの話じゃったな。そのシナリオじゃったら、確かにガーデンパーティに行かないというのが最善手じゃな。それでそやつのフラグが折れるじゃろ」

「はい……」

「ん? この話でもなかったか? 釈然としとらんようじゃな」


 俺はどきっとして顔を撫でた。

 隠す理由はない。ためいきをつく。


「……瑞希兄さんのことです」

「ふうむ」

「急にこんなことになって、嫌だなって。兄さんは、家族以外の春花一族では、俺に優しくしてくれた、ほぼ唯一の人だったんです。高等部から修陵院に入ってきて、それ以来よく遊んでもらって……本当のお兄さんみたいに思ってたから……。なのに、瑞希兄さんからは好かれてなくて、俺のほうも距離を置かないといけないなんて……」

「本音としては瑞希から好かれたいわけじゃな」

「……それは、そうです」


 狩野さんはにまっとした。


「やばいのう」

「えっ?」

「おぬし、未来を変えるなら気をしっかり持て。そこが隙になって、瑞希によろめくやもしれんぞ」


 急に言われて俺は失笑してしまった。


「まさか……そんなことないです。今も言ったとおり、俺にとってはほんとのお兄さんみたいな人なんですから」


 子どものころ、俺は身体が弱かった。


 少し寒くなれば咳。

 食べ過ぎれば腹痛。

 運動しすぎれば熱。

 しかも必ずこじらせる。


 自分で自分が情けなくて、はがゆかった。


 その上、男の子だ。一族のしきたりに従えば、仮の跡取りにしかなれない。

 ひ弱な子でも、直系の息子というだけで、いずれは皆を束ねて本家を統括する。こんな子でいいのか、成人するまで生きられるのか、そんな力があるのか。

 そんな目でだいぶ見られたらしい。

 両親はだいぶ親族内で肩身狭い思いをしていたみたいだった。

 もちろん、俺にはそんなこと一言も言わずに、いつだって可愛がってくれたけど。

 でも俺に対する大人たちの目を見ていれば、はっきりとじゃなくても、うすうすわかるものだ。


 悪いのは俺だ。

 俺は人から好かれない子なんだ、という気持ちは静かに降り積もっていった。


 瑞希兄さんからは、そんな影を一切感じなかった。

 一族の中でも、瑞希兄さんだけは俺を好きでいてくれる、って、嬉しかったのに……。


「……それには責任を感じないでもない」


 しみじみとした狩野さんの声に俺は顔を上げた。


「え?」

「お主の身体が弱かったのは、転生を急ぎすぎて、身体の性別が急激に変化してしもうたせいじゃから」

「ええと……」


 俺は腕組みして考えてみた。

 とにかく必死で、そのへんちゃんと考えたことなかったけど……そう言われてみれば、そうなんだよな。それだけじゃなくて、


「前世の俺が早く死んだのも、ここに転生したのも、男になったのも、身体が弱かったのも……狩野さんのせい……なんですよね……?」

「う……うむ……」

「……お酒と肉じゃが、返してください」 

「待て! 待て待て待て! ちゃんとお詫びを考えておる!! すごい手じゃぞ!!! じゃから取り上げんでくれ!!」

「え?」


 肉じゃがの小鉢に指をかけたところで、俺はきょとんとして狩野さんを見た。

 狩野さんはすごい形相でコップを脇に隠しながら、


「うまくいくかわからんから、今はこれ以上は言えん。じゃが、成功すれば、確実におまえの現状は好転する。約束する。じきにわかる。楽しみにしておけ」

「はあ……」


 あまりの勢いに、結局俺はいつものようにうなずいてしまったのだった。

 それから、狩野さんは酔っ払って上機嫌になり、一踊り披露してくれた。阿波踊りみたいな踊りで、結構上手だった。俺は手拍子しながらにこにこしてしまった。

 俺は飲んでないけど、狩野さんの御機嫌が移ったみたいだ。

 きっとうまくいく。


(頑張ろ……!)






「……聞いてるのか?」


 不機嫌な声に、俺は我に返った。

 お弁当を食べるいつものサンルームだ。

 並んだ観葉植物を透かして、ガラス張りの上の空は青い。春真っ盛りだ。近くで談笑している学生たちの声も浮き立つようだ。


 打って変わって静かなパキラの影では、白いロココ調のテーブルの向こうで、冬志さんが眉をひそめて俺を見ている。俺は反射的に背筋を伸ばした。

 しまった。

 つい考え事してた。


 狩野さんに聞きそびれた文言があったのを思い出したんだ。

「ドエス」って言葉なんだけど……。

 瑞希兄さんの設定。

 実はドエス。らしい。シナリオの記憶と一緒に思い出した。

 でも単語の意味がわからない。「ドエス」。前の世界の言葉なのかな。

 だいたい、何語だろう。ドストエフスキーと関係ある?  

 

(……まあ、そのうちわかるかな?)


 と、自分に言い聞かせつつ、なぜか沸き起こってくる不吉な予感を打ち消すことができなかった。


 昨夜は前向きになれてたのに……。

 なぜ「ドエス」という響きで、こんなに胸騒ぎがするんだろう。

「ドエス」とは、いったい……?


 気が付いたら考えに沈んで、冬志さんを完全に無視していたらしい。


 俺はうろたえて、口をぱくぱくさせてしまった。


「あっ、えっ、あっ、すみません……あの……?」

「いちいち怯えるな」


 ますます冬志さんの眉間のしわが増えた。俺は縮こまってしまう。


「いつも考え事だな。俺と手を組んだことを後悔しているところか?」


 くちびるの片側を引き上げるようにして、冬志さんは皮肉たっぷりだ。

 ああ……今日もとげとげしい空気……。


 俺はそっとみぞおちのあたりを押えながら、頭を下げた。


「すみません、ちょっとぼんやりしてて……ええと……何のお話ですか?」


 とりあえず笑ってみたけど、顔が硬い。

 冬志さんは黙り込んだ。

 ブリの照り焼きにかけられた箸を見るともなしに眺めていると、ブリを挟んだまま口まで運ぶでもなく、放すでもなく、弁当箱の上空をしばし逍遙していたけど、不意にカタンとブリを元の位置に落とし込んだ。

 冬志さんは咳払いした。


「……ガーデンパーティのことだが」


 ぎくり。

 思考を読まれたみたいなタイミングだった。


 俺は椅子の上でぴょこんとした。




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