23."森の妖精"
日が傾き、赤みを帯びる。
風に少し冷たさが混じり始めた。
完全に日が落ちるまでにはまだ時間がありそうだが、そろそろ野営の準備をした方が良いかもしれない。
レオは大股で進めていた歩みの速度を少し緩める。
既に半日近く、全く休みなしに早歩きのような状態で歩いてきたが、不思議と疲れはない。
朝食べたあの肉屋の朝食が効いているのだろうか。
そういえば身体もいつもより軽く動く気がする。
とはいえ、暗い中で森の中を歩くのは得策ではない。
魔獣の密集地帯である西の森の南東エリアには既に入っているはずだ。
空気中に漂う魔力を感じる。
しかし、未だに明確な魔獣には遭遇しない。
先ほどのショットボアの件を念頭に置いて、改めてよく観察してみると、魔獣と良く似た攻撃性のない動物はそこかしこに沢山いるのだ。
ただ、それらはレオの気配を察知するとサッと巣穴に隠れたり、直ぐに走り去ってしまったり、何も気にしていないかのように通り過ぎるだけだった。
魔獣であれば、レオの魔力を感知すればすぐに襲いかかって来るはずなのだが、そんな気配はまるでない。
(やっぱりアレが魔獣だって考える方が自然なんだよな)
しかし、今まであれほど大量にいた魔獣が一斉に攻撃性を失うなどと言うことがあるのだろうか。
それともやはり聖女の気配のせいで警戒しているだけなのだろうか。
もちろん、それらが魔獣であったとしても、襲って来ないのであればそれに越したことはない。聖女捜索が楽になるのなら大歓迎だ。
ただ、原因が分からない今、魔獣の攻撃性は全て失われたのだとキッパリ判断することも難しく、レオを悩ませる。
しかしまずは目先の目的を優先することにした。
レオは野営をすべく、一晩休むのに丁度良い場所がないか周囲の探索を開始する。
しばらく周囲を調べながら進むと、少し開けた場所に出た。
その一帯は樹木の本数が少なく、空が広く見えている。
枯葉の積もった地面のあちらこちらに大きめの岩がゴツゴツと飛び出しているのが分かった。
そしてそこは空気が妙に澄んでいた。
神殿のような、冷たく静謐な空気。
そして地中から感じる強く濃い純粋な魔力の気配。
森の他の場所では感じられなかった気配だ。
しかし、それと同時にかなり濁った生臭い空気も混ざっているように感じる。
そのちぐはぐさにレオは違和感を覚えた。
ふと見ると、岩しかないと思っていた地面に、何体かの動物が倒れていることに気づいた。
倒れた動物の上に沢山の枯葉が降り積もり、ほとんど周囲と同化していたのだ。
「死んでる?」
そのうちの一匹にそっと近づいてみると、目は固く閉ざされ、口を半分開けてハァハァと呼吸し、それに合わせて腹が上下していた。
死んではいない。寝ているだけのようだ。
毛深い大きな犬のような外見。
(……これはストームウルフか?)
毛色は先ほどサリ達と居る時に遭った「ストームウルフに良く似た犬」とほぼ同じだ。
レオと同じくらいのサイズの大きな身体と、銀色の体毛。
枯葉に大半を覆われたまま寝ているため、なかなか判別がつかない。
もう少ししっかり観察しようと1歩近づいた時、レオの足がぐじゅっと泥濘に嵌った。
(おっと危ない)
枯葉と腐葉土、そしてその下の土が大量に水を吸っている。
この辺りのどこかで水が湧き、それが地面に広がっているのかもしれない。
泥濘に足を取られないよう踏ん張りながら寝ている犬を観察する。
しかし、少し様子がおかしい。
寝ているだけにしては呼吸が妙に速い。
どうも寝ているというよりは、苦しんでいるように見える。
よく見れば、その周りにいる動物たちも寝ているのではなく、全て同じように苦しげに喘いでいるのだと気づいた。
そして皆、口の周りの毛がべちゃべちゃに濡れている。
(もしかしてこの水を飲んで倒れたのか)
となると、この水には何か毒の成分が含まれているのだろうか。
しかも、こんなに身体に枯葉が積もるまでずっと倒れているのだとすれば、餌も食べておらず、かなり衰弱しているはずだ。
可哀想だが助ける手立てはないだろう。
(いや……試すだけ試してやるか)
レオは鞄の中から金属の蓋がついた緑色の小瓶を1本取り出す。
小指ほどの大きさで、中身は液体の毒消し薬だ。
レオはおもむろにしゃがみ込み、犬の半開きになっている口に手を添えて上向かせ、小瓶の中身を流し込んだ。
犬の喉は突然やってきた液体を素直に飲み込む。
ごくり。
レオは立ち上がり、数歩離れて剣を抜いて、様子を見ることにした。
薬が効いて目覚め、万が一レオに襲いかかってくるようでも、すぐに倒す自信はある。
そもそも本当に毒なのかどうか。
それが知りたい。
レオの持つこの毒消し薬は速効性かつ万能型の物で、大抵の毒素ならすぐに中和してしまう。
これで目が覚めれば水に何らかの毒成分が含まれている可能性が高く、変化がなければその可能性は低いという事だ。
(……97、98、99、100)
レオはゆっくりと100を数えると諦めて剣を納めた。
犬の様子は全く変化がない。
やはり倒れたままハァハァと口を開けて苦しそうに呼吸をしている。
通常は10数えるうちには効いてくるので、これは毒消しが効かなかったと考えて良いだろう。
(コレが効かないんじゃ原因は分かんねぇな)
レオは周りをよく観察し、水が多めに溜まっている所を探した。
空になった瓶の中をその水で2度洗い、3回目に満タンまで水を入れる。
そして、しっかりと蓋を閉め、採集用の薄い布袋に入れてぐるぐる巻きにした。
「さて、可哀想だが置いていくしかないね。じゃあな」
レオは軽くそれらに声をかけ、その場を後にした。
レオは当初の目的通り、野営できそうな平らな場所を探す。
すると犬たちが倒れていた場所のすぐ近くで、ふわふわとした毛の小さな生き物がいるのに気づいた。
後ろ足で立ち上がり、上から落ちてくる落ち葉を追いかけてはじゃれついている。
そしてその生き物の頭が光ったかと思えば、落ち葉が突然破裂した!
(あれは……雷魔法?魔獣か!?)
レオは剣の柄を握り身構える。
しかし。
白黒の斑模様の体毛、外側に垂れたウサギのように長い耳と、その隣にある短い角、そして先だけフサフサと毛の生えた細長い尻尾。
レオは思い至った。
(なるほど、あれがデンキウサギか。初めて見たな)
デンキウサギは非常に強大な魔力を持つが、魔獣ではない。
西の森に昔から住んで森を守る、聖獣の一種だ。
可愛らしい見た目も相俟って"森の妖精"と呼ばれている。
何もしなければ人間や獣人を襲うことはないが、ひとたび攻撃を受けると強い雷撃で相手を一網打尽にする。
大変すばしっこく、普段はどこかに隠れているため、よく森に来る冒険者でも目にすることはほとんどない。
したがって、その姿が分かるのはたまたま遭遇した冒険者の証言とそれを参考に描かれた想像図のみであり、その存在自体を知らない冒険者も多いのだ。
デンキウサギを知らない冒険者が、偶然この"森の妖精"を見かけ、魔獣と間違えて攻撃してしまい、激しい戦闘になることも時々あるという。
しかしデンキウサギが棲む場所は、その魔力の影響で木の実が良く生ると言われており、本来は決して手を出さないのが鉄則だ。
レオが見ているとウサギの方も気づいたらしく、立ち止まって上半身を浮かせたままレオを見つめている。
長い尻尾と長い耳をピクピクさせている。こちらに興味があるようだ。
(なかなかカワイイじゃないか、"森の妖精")
レオは捕まえて撫で回したい衝動に駆られたが、相手は強大な魔力を持つ聖獣だ。下手に構うと命の危険もある。ここはやめておいた方が良さそうだ。
レオは刺激しないようデンキウサギからそっと視線を外し、周辺を探す。
少し歩くと、適度に平らになった場所と虚のある大きな樹を見つけた。
ここならレオ1人くらいなら一晩明かせるだろう。
レオは周辺と大樹の上に危険がないことを確認すると、鞄から目隠しの効果を持つ黒い時空魔法の小さな魔石を3つ取り出した。
以前天才魔導具士のケミックに発注して作って貰った、野営には欠かせない道具だ。
大樹の周りにその3つの魔石を置き大きな三角形を作ると、順に金属の篭手を填めた右手の人差し指の先でコンッと触れ、魔力を送り込んでいく。
すると結界が完成し、大樹の周囲の景色が少し歪む。
魔力を送り込んだ術者から見ると少し歪むだけだが、他の者からはその三角形の中は完全に見えなくなり、無いものとされるのだ。
レオはその中に入り、大樹の根元に若草色の野営シートを広げる。
携帯性を重視しているため、薄く、クッション性も何もないが、使わないよりはマシだ。
ふと周囲を見渡すといつの間にか薄暗くなり、夜になっている。
あのデンキウサギもどこかに行ってしまったようだ。
レオは落ちていた少し太めの木の枝を集めて円錐状に組み、魔法で火をつける。
パチパチと音を立てながら木の枝が燃え、ボゥっと周囲が明るくなった。
「さて、ここまで来たけど、聖女サマの手がかりは何もないな」
聖女どころか人っ子ひとりいない。
出会ったのは最初についてきたサリ達4人組だけだ。
彼女らは今朝初めて国外に出たのだから、国外にいるという聖女であるはずがない。
他は一切無人だ。
もちろん人が多い場所なら他の者が見つけるだろうと判断し、あえて人が少なそうな方に歩いて来たのだから当たり前ではあるのだが、誰かがいたという形跡すら見当たらない。
いたのは倒れて苦しむ動物たち。
あれは何だったのだろうか。
周囲に染みだしていた水は関係あるのか?
レオは篭手と革手袋を外し、大樹の幹に背中を預けて座る。
鞄の中から今朝買った干し肉の袋と、家から持ってきた麦の粉を小さく固めて焼いただけの味気ない携行食をひとつ取り出した。
目の前の焚き火で干し肉を少し炙っては歯で噛み裂き、同時に携行食をポイッと口の中へ入れ、モグモグと一緒に噛み締める。
干し肉は噛むほどに旨みが出てくるため、こうすれば味気ない携行食もそれなりに美味しく食べられるのだ。
レオは食事を取りながら目の前にマップを出し、現在地を確認する。
(もう少し南の方まで行くと確かアレがあったよな。記号が出てくるってことは一応壊れずに残ってはいるのか)
聖女探しに特に今のところ宛てはないが、ついでに昔の思い出を見に行くのも良いかもしれない。
(じゃあ明日はまずそこに向かうか。その後はジグザグに歩いて探してもいいしな)
レオは干し肉を1枚食べ終わると残りの包みを鞄にしまい、それを枕にして野営シートの上にゴロンと寝転がった。
レオとしてはまだ眠るつもりではなかったが、久しぶりの西の森で少し気を張っていたのかもしれない。
次第に鉛のように瞼が重くなる。
少し目を閉じるだけ。
そう念じながらレオはゆっくりと両目を閉じた。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
小さくなってきた焚き火がパチパチと静かな音を立てて揺らめく。
組んだ枝が灰になりガラッと崩れた。
もうすぐその火も消える、という頃。
外からは見えないはずのその結界の方向を、真っ暗な木陰からギラギラと見つめるいくつもの瞳があった。
それらの瞳に浮かぶのは、本能的な殺意。欲望。そして狂気。
レオは深い眠りに落ちたまま。
静かな寝息を立てている。
殺意を秘めた複数の足音は、木陰から姿を現すと、結界の方へヒタヒタと真っ直ぐに、そして静かに歩み寄って行った。




