表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/4

解答編1

■解答編


 霞は食堂の真っ白な光の下、ぐるりと一同を見渡した。緊張した面持ちの男たちが、固唾を飲んで霞の顔を見つめている。

 霞はゆっくりと口を開いた。

「まずは、あの部屋に残されていた遺書が手がかりになります。あの遺書がどうだったか、確かに思い出せる人はいますか? 文面ではありません。あの遺書の紙やインクがどうだったか、思い出せますか」

「確か」三岡が口を開いた。「全体的に紙が波打っていて、インクが滲んでたな」

「はい。そこから、あの遺書の紙が過去に一度水に濡れて、再び乾いたのだということがわかります。あの遺書を書いた人間の手が濡れていたか、もしくは、水溜りや雪の中に落ちたか、そのいずれかだと解ります」

「だから、なんだというんだ?」大泉が霞に問いかける。「そりゃ、この雪だ。濡れることもあったろう」

 大泉の言葉に、あろうことか、霞は不敵に微笑んだ。

「いいえ。本当なら、濡れることはないんです」

「…………どういうことだ?」

 臼田も疑いをあらわにしたが、霞は慌てない。

「もし、あの遺書が乙女さんの自筆だったとしましょう。まあ、あれが自筆なら、わざと壊してわざわざ自殺することもないでしょうから、乙女さんが本当にうっかりをやってしまったと考えられます。

 乙女さんがうっかり絵を壊し、その場で自殺を決意した。そして、その場で手帳の頁を破って遺書を書いたなら、遺書は濡れないんです。あのお屋敷の中で手が濡れるとしたら、厨房かトイレでしょう。しかし、彼は厨房を出るときには出口に下がっているタオルで手を拭う癖がありましたし、トイレにある空のタンクの個数は変わっていませんでした。二階の大泉さんの部屋は空気を入れ替えるために窓を開けていたので、窓が結露することもありません。その上、この屋敷は今断水中です。彼がこの屋敷から出なかった場合、彼の遺書が水に濡れることはなかったのです。

 では、一度外に出たのでしょうか? 彼にこの屋敷の外に用事があったとも思えませんが、一応検討してみましょう。

 彼が一度外に出て、例えばそれが雪の降りだした後だったとして、雪に触れて、戻ってきてから直接大泉さんの部屋に行くとします。そうでもしなければ、この屋敷の中で手が濡れることはありませんし、濡れた手が乾いてしまいますからね。でも、この場合、扉が軋む音は最低二度していなければなりません。一度しか扉が軋んでいないのですから、この場合はありえません。

 つまり、遺書が水に濡れた痕跡を残していることから、この遺書は乙女さんの自筆ではなかった、という事になります」

「ちょっと待ってくれ」

 大泉が弱々しい声で霞の語りを止めた。彼自身、自分がなぜ霞の話を止めたのかもわからないのか、手で空を掻くように妙な動きをすると、途切れ途切れにこう訊いた。

「それはつまり…………、乙女は何者かに殺されたと………………、そういう事でしょうか?」

 顔色一つ変えず、霞は答える。

「はい、その通りです」

 大泉はぐったりと力をなくし、椅子の背にもたれかかった。無言のままだったが、霞の話の続きを促していたのだろう。霞は一つ咳払いをして、続きを始めた。

「乙女さんのご遺体に目立った傷は有りませんでしたから、絞殺か扼殺だったのでしょう。血痕などが残っているわけでもないので、乙女さんがどこで殺されたかは解りません。しかし、おおよその想像はつきますし、別に殺害現場がどこだかわからなくても、犯人は解ります」

 自信たっぷりに言い切る霞を見て、俺はなんだか懐かしい気持ちになった。昔の霞を見ているような気分になったのだ。

「乙女さんは全ての部屋の鍵を、金属のリングに束にして持っていましたね。まずはそれを思い出しておいてください。

 私と佐々木さんと大泉さんで二階に上がった時、大泉さんの部屋の鍵が開け放してあるのは、防犯上問題があるのではないか、という話になって、大泉さんの部屋の鍵を、大泉さん自身が閉めました。この時、絵は壊されてはいませんでした」

「ああ」

 短く大泉は答えた。

「しかし、乙女さんの遺書…………、いや、この言い方だと語弊を招きますね、偽の遺書、とでもしておきましょうか。偽の遺書が大泉さんの部屋で見つかった時、大泉さんの部屋の鍵は閉まっていましたね」

「ああ、私が鍵を開けたので覚えているが、そうだ。ちゃんと鍵がかかっていた」

 大泉の声にはやはり力がない。

「という事は、犯人は大泉氏の部屋の鍵を手に入れる必要があった、という事になります。しかも、です。この屋敷はこれだけ大きいのですから、先ほどもお話ししました通り、こともあろうに乙女さんが肌身離さず持っていた鍵束を、こっそり盗む、あるいは、無理やり奪う、という事は不可能に近いでしょう。人ごみならバレにくいスリでも、人気のない道で物を盗むのは難しいですからね。一番自然なのは、殺した後に奪う、という事ですし、犯人が大泉さんの鍵を手にいれたとしたら、やはりそうやって手に入れるしかないでしょう。

 となれば、私たちが大泉さんの部屋を訪れた時にはまだ絵が無事だったので、事件を起きた順番に並べると、犯人が乙女さんを殺す、犯人が鍵を乙女さんから奪う、犯人が絵を壊す、この順番でしょう。そして、おそらく絵を壊すのと前後して、大泉さんの部屋に入った機会に、偽の遺書を置いたのでしょう。

 では、この偽の遺書はどこで書かれたのか? 食堂と、食堂を通り抜けないと辿り着けない厨房に、乙女さん以外が入っていないことを、それぞれの時間帯で三人以上の人が証言しています。それぞれの証言は一致していますし、真実だと考えていいでしょう。ならば、犯人は偽の遺書を屋外、それも、遺書のインクが滲み、紙が波打っていたのですから、雪が降り出した後で書いたのです。

 おそらく、犯人がこの偽装をしようと思った時、自分の部屋のメモを使うことも一度は考えたでしょう。しかし、それだと、わざわざ手帳を持っている乙女さんが、わざわざ自殺を思い立ってから客人の部屋に入ってメモを取ってきて書置きをしたことになります。これは明らかに不自然です。乙女さんのポケットに入っていたペンを使って書置きを書いたのも、これが理由でしょう。だから、犯人は乙女さんの胸ポケットに入っていた手帳をちぎって、乙女さんの持っていたペンを使って書置きを書いたのでしょう。

 ところで、この屋敷の外壁は高く、とっかかりと呼ぶべき取っ掛かりもありません。また、はしごやその類のものもありませんし、紐状のものは乙女さんを木から吊るしていたホース以外にこの屋敷にはありませんでした。つまり、外壁を登ることはできません。

 どういうことか。つまり、一回だけ軋んだ扉は、犯人が戻ってきた時の音だったのです」

「ちょっと待て」

 俺はすらすらと立て板に水で話していく霞を遮った。

「ちょっと待て、その前に、どんな順番で犯人が動いたか、まとめてくれないか?」

 俺の言葉に、霞は少しあざ笑うような顔を見せた。自信の裏返しの表情だ。俺も同じように霞に笑みを向けてやった。

 霞は嬉しそうに目を輝かせた。

「じゃあ、解らない人もいるでしょうし、まとめてみましょうか。

 単独犯がこの屋敷の中で乙女さんを殺します。もし犯人が乙女さんの遺体と一緒に一階から出たのなら、帰ってきた時もまた扉が軋むはずです。つまり、二回扉が軋むため、これはありえません。

 なら、単独犯が二階のどこかの部屋から、遺体を落としたとともに自分も飛び降りたとしたらどうでしょう? 以前どなたかが二階から酔って飛び降りたのに、無傷だったというお話を聞きました。つまり、飛び降りても怪我はしないんです。これなら、遺体を一階の食堂前を遺体と一緒に通ることも、二階の廊下を通ることも避けられます。このまま乙女さんの遺体を森へ連れて行き、木から吊るし、常に鍵の空いている表の扉から入ってくる。こうすれば、人目につく可能性を犯して、森への行きに一階の扉から出るより、はるかに安全です。おそらく、犯人はこちらの方法をとったのでしょう。これなら、一回しか扉が軋んでいないことにも、辻褄が合います。

 そして、犯人はこの屋敷に戻ってきた後、乙女さんの遺体から奪った鍵で二階の大泉さんの部屋に入り、絵を壊し、偽の遺書を置きます。ならば、犯人であることの必要条件は、扉が軋むのを食堂で聞いていない人であるということです。

 さらに続けましょう。この屋敷の客室は全て内側からも鍵がないと閉まらないという、特別な構造をしていました。ですから、ゲストは皆、閉じられている客室に鍵を使って入り、鍵を使って扉を施錠するのです。

 ここで、亡くなられた乙女さんのポケットに入っていた鍵束に、ちゃんと部屋の数だけの鍵が束ねられていた事を思い出してください。犯人は大泉さんの部屋の鍵を手に入れています。なのに、鍵束にまとめられていた鍵の数は一つも欠けていなかった。

 どういう事でしょうか」

「あ!」広瀬が素っ頓狂な声を上げた。「鍵を交換したんだ!」

 霞は一瞬残念そうな顔をしたが、すぐに取り繕って柔らかく微笑んだ。自分で問いかけておいて、人に答えられると嫌だなんて、本当に小さい頃と変わっていない。良い場面はやはり自分の言葉で演出したかったんだろう。

 霞は言葉を継いだ。

「そうです。鍵の内一本は交換されていたんです。おそらく犯人は、乙女さんの遺体が発見された時に、所持品を調べられてしまうと思ったんでしょう。しかし、犯人はあくまで乙女さんの自殺を装いたかったのです。しかし、鍵束の鍵が一本減っていれば、なぜ乙女さんは自分を殺める直前にわざわざ鍵を一本捨てたのか、と不審がられてしまいます。外見上はどの鍵がどの部屋の鍵なのかわかりませんから、犯人は持っていた自分の部屋の鍵と大泉氏の部屋の鍵を交換したんでしょう。鍵束の鍵にはシールが貼ってありましたから、シールを貼り替えるだけで偽装は簡単に済みます。これで、見た目はもとどおりの鍵束が出来上がります。

 しかし、です。犯人は先ほども述べたように、一度しか外へ出られません。遺書だけをわざわざ外で書くなんて考えられませんから。つまり、犯人はまだ大泉さんの部屋の鍵を持っているのです」

「なんだって⁉︎」

 大泉は半分裏返ったような声を上げ、そしてそれっきり黙ってしまった。

「つまり、今からそれぞれの部屋の鍵を開け閉めできるかどうか、一人ずつ試せば犯人は解るんだな」

 俺の言葉に、霞は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

「でも、よく思い出して。私たちが二階へ行き、あの書置きを見つけた後の事を。

 そうです。臼田さんと三岡さんの部屋には鍵がかかっておらず、広瀬さんと野辺山さんの部屋には鍵がかかっていました。

 私は先ほど、犯人は未だに大泉さんの部屋の鍵を持っているとお話ししました。これは言い換えれば、犯人は自分の部屋の扉を閉めることができないということです。

 つまり、犯人であることの二つ目の条件は、部屋の鍵が閉じられていなかったということです」

 一瞬遅れて理解がやってきた。論理が明けた小さな穴から、朝日が差し込んできたようだった。

 一、犯人は玄関の鍵が軋む音を食堂で聞いていない者。

 一、犯人は、自分の部屋の鍵を閉めていなかった者。

 もう、犯人は明らかだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ