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第六話

 コンコン、とノックが二回あった。


「どうぞ」


 私が許可を出すと、金属の擦れ合う音と共に勇者達が入室した。

 私は自らの命が終わる前に物語を書き上げてしまいたかったので、やって来た勇者を一瞥もせず机に向かっていた。

 勇者もまた、暫しの間口を開かなかった。


「なぁ、あんたが魔王……なんだよな」


「そう呼ばれている」


 私は顔を上げずに返事をした。

 再び、カリカリと私が筆を走らせる音だけが部屋に響く。


「あんたは、俺たち王国の敵なんだよな」


「そう言われている」


「ならさ、俺の敵でもあるんだよな」


「それは分からない」


 私は初めて、勇者と呼ばれる青年の顔を見た。

 金の髪が窓からの陽光を反射し、きらきらと光っている。

 色素の薄い目と、私の目が合う。

 勇者の目には、確かな敵意と、そして、困惑があった。


「なぁ、俺さ、すっごくやりづらいんだけど。王様にはここであんたを殺せって言われてるんだけどさ」


 勇者は鞘から剣を抜き、私に近づいて来た。

 剣は私の前で振り上げられ、そして、私の首に押し当てられた。

 冷たい刃はしかし、私の薄皮を裂いて私に熱を伝えて来た。


「暫し待て。原稿を血で汚したく無い」


 今日は人払いをしていたので、私は自ら立ち上がって箪笥の引き出しに書きかけの原稿を仕舞った。


「魔王様!」


 私の血の匂いを嗅ぎつけて、部下が雪崩れ込もうとしたのを私は「来るな」と止める。


「お前達が来たら、犠牲は私だけでは済まなくなる」


 勇者の連れ合いは皆武器を持ち、部屋の外を向いて構えている。

 流れる血は、私のシャツを濡らし続けた。


「あんた、もしかして死にたいのか?」


「否。私にはやるべき事がある」


 勇者は頭を捻りながら私の顔を見ている。

 私は、勇者に私の考えを伝える前に、勇者が何を思っているかを確認する事とした。


「勇者よ、貴公は私を敵だと思うか?」


「あぁそうだよ。あんたを殺すために旅をしてきたんだからな」


「では、私は何の罪で裁かれると言うのか」


「勇者様! この者に話をさせてはいけません!」


 以前の司教と同じ様な服を纏った女性が、私と勇者の会話を遮った。


「そうだったな。ありがとう、シスター」


 勇者は剣を握る手に力を込めた。

 私はまだ話すべき事があると、せめてもの抵抗として長年連れ添った万年筆で剣を止めようとした。


「勇者、貴公も存じていると思うが、王国の貴族達は軽々しい発言一つで人を簡単に殺める。私はその様な圧政は敷かず、法による統治と対話による相互理解を主としている。貴公はどちらを支持するのか、問おう」


「俺は……確かに貴族達はおかしいと思っている」


「勇者様!」


 勇者の仲間のシスターが口を挟もうとするのを、勇者は手で制した。


「俺がこの場で魔王を殺すのは簡単かもしれない。だけど、それってあの貴族達と同じことをしてしまうことにならないだろうか。君の妹さんだって……」


 シスターは勇者の言葉に黙って、部屋の外にいる私の部下との睨み合いに戻って行った。

 そして、私と勇者との対話が再開された。


「話を戻そう。私がやった事と言えば、本を執筆し、この山奥を切り拓き、領主の真似事をやっている程度だ。勿論ここは王国の所有する地でも無い。確かに私は貴族達が読めば眉を顰める様な本を書いているかも知れない。だが、それは罪に当たるのだろうか」


 勇者は考えている。

 勇者は、この場に王国の人々の付託を受けてやって来た。

 つまり、勇者が認めると言う事は、王国の人々がそれを認める事になってしまう。


「魔王。あんたはどう思うんだ?」


「私は、そうだな……私を殺す為に勇者が王国より派遣されるという事は、私の死を王国が求めているという事になる。だが、勇者という人々の代表が殺す程の者ならば、それは大罪を犯した者に他ならない。勇者よ、質問を質問で返すのは忍びないが、私の行為を貴公は罪と捉えるのか」


「罪?」


 勇者は首を傾げている。

 私は、彼にどこまでの事を何と伝えれば良いのか逡巡した。


「そうだ。罪なき者を殺す者を人々は支持するだろうか。罪なき者を殺した貴公は、そのまま私と同様に魔王の烙印を押され、王国に始末されるのが精々ではないか」


「そんな事はない!」


「本当にそう言い切れるのか?」


 私はそう言って、辺境伯からの手紙の一部を勇者に渡した。

 そこには、要約すると『勇者とは名ばかりの暗殺者の未来ある青年が、また国の犠牲になるのは悲しいねえ』と書かれていた。


「これは、こんなのお前が書いたものじゃないのか?!」


「私の筆跡はこちらだ。不安だったら、背後の騎士にでも確認させると良い」


 勇者は騎士を呼んで私の文字と辺境伯の手紙とを見比べさせていた。


「これは確かに辺境伯の字だ。しかし、なぜここに」


 騎士は不思議がっていたが、勇者は「そうか」と肩を落として再び私に向き直った。


「魔王。俺は捨て駒なのか?」


「私が王の立場であれば、そうするのが一番都合が良い。しかし、勿論貴公と王との約束が守られ、名声や富を手にする可能性も0ではない」


「……」


 勇者は考えている。

 私は、勇者に椅子を出した。


「座ると良い。じっくり考えてからでも遅くは無いのだからな」


 そして、部屋の入り口では双方が睨み合いを続ける中、私と勇者は座りながら対面した。


 私の襟は既に血で重く濡れている。

 私の部下もどこまで抑えが効くかは分からないが、私は敢えて余裕綽々という様子を見せつけていた。


「それでも、俺は……いなくなった仲間のためにも剣を握ってきた。魔王、お前の思想は国を乱す。それで、俺の友達も何人も殺されたし、大人達も惑わされていた。だから、俺は人々の為に剣を取って、お前を殺しに来たんだ。それの何が間違っているんだ?!」


 勇者はいきりたって席を蹴飛ばしながら立ち上がった。


「ああ、間違っているとも。私の本に記されているのは、単なる言葉の定義である。それに感化され、行動を起こすのは個々人であり、それを罰するのは国であり、それで処刑をするのは貴族である。私を恨む前に、そんな窮屈な世を作る王国を糺すのに労力を使ったら如何かな?」


「ッ……!」


 勇者は唇を強く噛んだ。


「だけど、魔王。お前の思想で潰れてしまう人だっている!」


「そうだろう。思想を重荷に思う人々もいるだろう。単に私は王国とは違うルールを敷いているだけであり、取り零す人々の種類が違うだけで、同じ様な機構の上に立っている」


「だったら! 俺が正義だ! 多くの人々の支援を受けて、多くの人々の代表としての勇者が、一番人を救えるんだ!」


 私はその言葉に何も返せなかった。

 結局は少数派のノイズと言われれば、私は否定できない。

 公共の福祉には最大限配慮して来たつもりだったが、いざその否定を突きつけられ、私の論理よりも共感などの形ない感情の価値があると言われれば、私は何も返す言葉は無い。


「そうか。ここまでか。勇者よ、私を殺して信を問え。お前が単なる人殺しだったか、それとも、多くを救う救世主であったかは、歴史が証明する」


 私は筆を置き、歩いて勇者の前に両膝を着いた。


「殺すが良い。だが、選択には後悔がつきものだ。王国の民の代表として、お前が選べ」


 私は、勇者が首を落としやすい様に頭を垂れた。


「魔王様!」


 居ても立っても居られなくなった部下が雪崩れ込もうとするが、勇者の仲間に止められる。


「私の部下は強い。時間はないぞ、勇者よ。私はお前にとっての悪か、否か。その剣に問うと良い」


 勇者は私の言葉に追い詰められるも、「俺は、多くの人々の方を選びたい」と言い、剣を振り下ろした。


 しかし、私の首に剣が当たる事は無かった。


 窓硝子が割れたと思えば、頭上で澄んだ金属音がした。


「やらせません、これは私たちの民意です」


 それは、あの時の少女の声だった。


 勇者は人々の思いが乗せられた一撃を防がれるとは思ってなかったらしく、茫然としている。


「ほら、魔王様。立ってください。あなたの席はあちらでしょ?」


 あの時一輪の花を持って来た少女は、すっかりと大人の女性となり、しかも、我が領地を守る兵と同じ装束を身に纏っている。

 私はしかし、「付託を受けた勇者にこの身を任せたい」と動かない。


 バチン、と叩かれた。


 私は叩かれた事を認識出来ずに、目を白黒とさせた。


「あなた、馬鹿なんですか?! どうして、そうやっていつも論理ばっかりで、頭がガチガチなんですか! 生きたければ、やりたい事があるならば、生きたい。やりたい。それの何がいけないんですか!」


「私は、勇者よりも人々の信を受けてはいない。王国の方が多くの人々を抱えているからだ」


「数の問題じゃありません! それならば、私が、この領地の『勇者』です!」


 そう言って、彼女は私の前に立ち、王国の勇者と対峙した。


「俺の方が強いのは分かってるよな」


「もちろん。でも、ここは魔王様の領地です。それに私は戦いに来た訳ではありません。魔王様がむざむざと殺されない為に、盾となるために来ただけです。どうぞ、対話を続けてください」


 勇者は何も言わずに椅子を直して席に着いた。

 私も、彼女に促されながら席に着いた。


「それで、私は何を話せば良いのだ。既に私から勇者に伝えるべきは話したと思うのだが」


「その結果がこれですか! 魔王様は本当に、本当に……分かりました、私が話します。魔王様がいかに必要なのか、私が証明します」


「本気か」


 私が驚いて聞き直すが、「本気も本気です」と彼女は胸を張った。


「さて、王国の勇者さん。あなたは王国のふわふわとした空気で、ふわふわとした委託を受けて、何となくここまで旅をして、この後のことすら考えていない。そんな空気のようなものであなたは『勇者』として定義された。それは、『魔王』として定義されたこの方と何が違うんですか?」


「何がって……そりゃ、国でちゃんと選ばれたか、それとも、悪魔の様な敵対者と皆が認めたかの違いだろ?」


「でも、魔王様は単に本を書いて売っただけですよ。それで罪になるなら、まずは王国の作家を殺して回ったらいかがですか?」


 彼女は容赦なく勇者を追い詰める。


「い、いや! 魔王と呼ばれるからには、それ相応の危ない書籍を書いているに違いない! 何故ならば、俺の友達だって、学校からいなくなってしまったんだもの」


 私は、その言葉に引っ掛かりを感じて、一人の部下の名前を勇者に伝えた。


「な、なんでお前がその名前を知っているんだ?!」


「その者と、共に来た何人かは我が領地で暮らしている。私が、教師に頼まれて彼等を保護したからだ」


「そんなの嘘だ!」


 勇者はそれを信じたくないとばかりに足を踏み鳴らした。

 私は、「皆の者、彼を連れて来てはくれないか」と戦闘中の部下に話しかけた。

 少しすると、私の部下となった者が、部屋の入り口を恐々と覗いていた。


「お前! 生きていたのか!」


「あ、懐かしいな。お前が勇者だったんだ。へー。じゃ、俺はこれで」


 部下はそのまま面倒事は真っ平だと言わんばかりに去っていった。


「そして、これが魔王様の代表作の辞書です。別に呪われてもいないし、毒も入っていません、ほら」


 彼女が私の書棚から著作を一冊抜き出し、勇者に渡した。

 勇者は恐る恐る私の本の頁を一枚ずつ捲った。


「これ、本当に言葉の定義が書いてあるだけじゃねーか。これで、王国はあんたを魔王扱いして、俺に殺させようとしたってのか?」


「そうだ」


「はぁー……マジか」


 勇者は私の本を彼女に返して、頭を抱えた。


「勇者様、惑わされてはいけません!」


 シスターが勇者の下にやって来た。


「でもさ、お前も見てみろよ。こんな言葉の定義をしているだけのものが、どうして魔王なんてことになるんだよ」


「それが、私たちの社会にとっての劇物だからです」


 シスターは勇者に懇々と説明を始めた。


「もし、あなたの『勇者』という言葉が辞書にあったとします。そうすると、その言葉の意味と実際のあなたがズレていれば、人々は勇者とは認めてくれなくなります。それは、貴族だって、王だってそうです」


「だけと、こいつは魔王として認められてるぞ」


「それはそれ、これはこれです!」


「あっ、そうか。実力もないのにその地位についている奴らにとって都合が悪いってことか!」


「それは、分かっても口に出さないで下さい……」


 シスターにも勇者の手綱は握れていない様だ。

 シスターは、私に向き直った。


「魔王よ、わたくしは、勇者様を殺されたくありません。あなたも、勇者様に殺されたくありません。ここに、利害の一致を見たのですが、いかがでしょうか」


「そうだな」


 私はシスターの言葉に頷いた。


「では、共に考えるとしよう。勇者と魔王の幸せな結末とやらをな」




 かくして、我が領地は一つの国として王国と関係を結ぶ事となった。

 不平はあるが、私が取り得る最大限の利益を取ったつもりだ。


 我が国には武力は無い。

 しかし、王国と血縁関係のある人々は多く住んでいた。

 それは、私が知らずに少しずつ蒔いていた芽が育った結果であった様だ。


「あんたの名前も、もしかしたら魔王とされなくなる日が来るかもな」


「そうだな。それが、私の本当の終焉となるだろう。感謝する、勇者よ」


 勇者は暫く我が領地に滞在した後、シスターに引き摺られる様にして騎士と共に去って行った。


 勇者は、王国に戻るとまずは首都ではなく各都市を巡り、私と共に作った物語を喧伝した。

 内容は、山奥で人々を支配しようとしていた魔王は、実は王国で住みにくくなった人々を受け入れており、勇者は勇気を持って和平交渉に臨んで成功したというものだった。


 重ねて言うが、この世界は認識で形作られる。


 従って、王国の多くの人々にこの物語が受け入れられてしまえば、王国は勇者を勇者として受け入れざるを得なくなる。

 勿論、暗殺などの危険が無くなった訳では無く、勇者は今は辺境伯の領地で平和に過ごしながら他国との睨み合いの材料にされていると言う。

 傍らにはシスターがおり、勇者を勇者たる者に育てていると聞く。


 最初は王国に作られたハリボテの人形であった彼も、いつしか護国の英雄と謳われるのだろう。


 翻って、私は彼女から説教を受けていた。


「魔王様。あなたは馬鹿なんですか」


「私が愚かだとでも?」


「えぇそうですよ! もっと自分の気持ちを大事にしてください!」


「取るに足らない感情がどうした?」


「もう!」


 大きくなった少女は私の頬を引っ張った。


「やめてくれ、元少女よ」


「何ですか、元少女って! 失礼過ぎます! ちゃんと名前で呼んでください!」


「……それは危険だ。私が他の者の名前を呼ぶと、その名前に存在が引っ張られてしまう」


 それは私だけが、という話では無かったが、これまで長きに亘って辞書を編纂して来た私が他人の名前を呼ぶ事は、危険だと感じて避けて来た。

 その名前の意味が、彼等の人格では無い。

 単なる呼称に、私は価値を見出してはいなかった。


「そんなことを気にしてずっと人の名前を呼んでいなかったんですか! 別にあなた一人に呼ばれたところで何も変わりませんよ。私は私なんですから」


 彼女の背後で、風に吹かれた一面の花畑が揺れた。


「こんにちは、魔王様。私の名前はカルミアです」


 小さかった彼女は、綺麗なお辞儀をした。


「こんにちは、カルミア。私は……言語化の魔王と呼ばれて久しい」


「違います、ちゃんと名前を教えてください!」


 カルミアは頬を膨らませた。

 私は暫く思い出してすらいなかった自分の名前を思い出そうとした。


「そうだ、私の名前は……」


 その時、ザァと大きな風が吹いた。

 私の答えに、カルミアは目を見張ってから、ニコリと微笑んだ。


「これからもよろしくお願いします、魔王ヘデラ」


「ああ、宜しく頼むよ、カルミア」




「という訳で、論理で私を救ってくれたあなたに、私は今度は感情の大切さを教えます。あなたが嫌と言ってもやめません!」


「感情なぞ、共有できぬ物に割く時間は無い」


「共有できます! そのための言葉なんでしょ、あなただって、言葉を尽くして人に考えを伝えているじゃないですか! それと同じ方法をやれば良いんですよ」


 カルミアはプンプンと怒りながら、私の手を引いて花畑を進む。


「カルミア、君と共に在る事が得難いと感じる」


「やり直し!」


 私が、魔王と呼ばれなくなる日はまだまだ遠そうである。


おわり。

カルミア(セイヨウシャクナゲ)

花言葉:優美な女性、大きな希望、野心、裏切り


ヘデラ(セイヨウキヅタ)

花言葉:永遠の愛、友情、誠実、不滅、結婚

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