第五話
「魔王様、お耳に入れたいことがあります」
一人の部下が私の部屋に訪れた。
彼には、王国の間諜の長を頼んでいた。
「どうした」
「最近邪教が活発化しており、我が領地までもその勢力に染まりかねません」
「分かった。邪教の宣教師が来たらここに招け。私が本当に邪教であるのか、判断しよう」
そうして、本当に宣教師はやって来た。
「これは魔王様、ご機嫌麗しゅう」
「御託は良い、本題に入れ」
「貴方様の領地にも、我らが教えを伝えたく」
宣教師は慇懃に礼をし、懐から一つの書簡を取り出した。
「こちらが、我らが教えとなります。ご確認をば」
私は宣教師から紙束を受け取った。
内容は以下の通りであった。
※
一、神は己に在り。己を覗き込む時のみ、神はその姿を現す。神と見える事を欲するならば、己と相対し続けよ。
二、神は、己で非ず。神は書に依らず、記された言葉に神は宿らぬ。神と見える手段とは唯一、対話のみである。
三、一人との対話で己の神と見えられぬ者は、また他の者の下で神と見えられる例もある。修行とは、異なる神に触れる事。そして、異なる神がまた同じ神であると、理解する事。
※
「成程、成程」
私は教義を一読し、その目指す所を理解しようとした。
「幾つか聞いても良いだろうか」
「もちろんでございますとも」
宣教師は恭しく頭を下げた。
「一つ。要約すると神に見えるには、対話しかないとは言うが、実際に神とやらと出会えた者はいるのか」
「そうですね、当代の枢機卿の中にも実際に神と見えたと仰る方はおりますが、私が実際にその姿形を見たかと聞かれれば、否です」
「成程、では、神と見えられないのならば、対話は必要ないと言えるのではないか」
宣教師は少し考えてから言った。
「そんなことはありませんよ。あたしだって、今、あなたの神と分かり合うためにこうして対話をしているのですから」
「そうか」
私はこの方面から話をするのは諦めた。
「では二つ。何故、神は書に依らないのか」
「それは分かりません。ただ人間を理解するためには、目の前の人物と話すことを最優先にすべきとあたしゃ理解してますがね」
「そうか、私は言葉の定義こそがこの認識に依る世界を定義し、己という存在を固定するための手段と考えていたのだが、これについてはどう思う?」
宣教師は「うーん」と悩んでいる。
「では、後回しで良い。答えの前に、三つ。貴公は司教を知っているか」
「司教? 誰ですか?」
役職名では伝わらないかと思い、私は以前出会った司教の名前を宣教師に伝えた。
「あっ! 教祖様ですね! あっ、そうだ、あたし、教祖様が亡くなる前に『魔王と会う時に持って行け』と言われたという手紙を持って来たんでした。でも、あたしじゃ開けないんですよねぇ」
宣教師はそう言って、私に一通の手紙を渡して来た。
私は簡単に封蝋が外せたので、何らかの認識に依る封印でも掛けられていたのか。
そこには、懐かしい司教の言葉が綴られていた。
※
魔王殿、久しいな。
私はあの時、あなたに背中を押されてどれだけ嬉しかったことか。
言葉に、人間に誰よりも真摯に向き合い、悩むあなたに、小生は謝らねばならないことがあります。
小生の理想は歪み、捻れて蔓延りました。
最初は良かったのです。
あなたのご想像通りに教会から破門された小生は、とある街に流れ着きました。
一度夢破れた身、高望みはしないと思っていても、小生を頼ってくれる人々を無碍にはできませんでした。
理想を同じくする者達を集め、使われていない古い教会で、小生は教えを説いてしまったのです。
今考えれば、それが間違いだった。
小生は、欲をかいてはならなかった。
頭の中の林檎は、想像だからこそ美しかったんです。
徹底的な属人化は、個々人の裁量という名の横暴となり。
どうとでと意味を捉えられる教義は、聖職者の都合の良い詭弁として使われ。
懺悔や告解は、弱みを握る個人情報収集として。
序列が生まれ、派閥が生まれ、気がつけば小生は教祖と成り果てた。
全く、お笑い種じゃないか。
小生こそが、あなたに言ったことを、体現してしまったんです。
晩年となり、遺すものの虚しさに、後悔ばかりが先に立つ。
ああ、確かに小生が救った者達は多い。
魔王殿よりも多いかもしれない。
だが、それがどうした。
結局、小生の立ち上げた教団は、教会に目をつけられて邪教としての認識を固定されてしまいました。
中身とて、教会の二番煎じであるからして、二雄はいらないのでしょう。
教祖である小生が最も神を信じていないというのに、下の者達は躍起になって居もしない神の影を探して彷徨う。
告解します。
小生は、人を救いたかった。
物理的にではなく、教えとして迷える子羊達の心を導きたかった。
魔王殿、結局はあなたの方法が近道だったのかもしれない。
それとも、魔王殿ならば、私のように欲をかくことなく、教団を密やかに育て上げることが叶ったのではないかと考えると、あの時口ばかりで背中を押された気になっていた自身が恥ずかしい。
魔王殿、本当に申し訳ないのだが、小生には時間がないのです。
しかし、魔王殿……魔王という名の呪いを受けたあなたならば、可能なのではありませんか。
小生は、教祖で止まったこの身が恨めしい。
しかし、こんな小生にも、プライドがあります。
最後の力で、私が禁忌を犯すことで、我が教えは本当の邪教と成り果てる。
後世にこんなものを残すはずではなかった。
願わくば、あなたの作った世を一目、見てみたかった。
司教
※
「そうか、そうか……」
司教との対話は記憶に新しくとも、時は流れる水の様に掴み所が無く。
あれから、人が死ぬのに十分な時間が経っていたと言うのか。
魔王と呼ばれるこの身は、司教の言う通り、時により朽ちる事も能わず。
只人であった時など、とうに記憶の彼方となった。
私はずっと長い間机に向かっていた事に、漸く気付いた。
「宣教師よ、これから伝える我が言葉をお前の巣に持ち帰るが良い」
私はそこで一息おいた。
宣教師は「何でございましょうか」と愚かにも顔を輝かせて返事を待っている。
「只今より、我が領地であっても、そなた達の教えは排斥対象となる。お前達の信ずる神はこの世にいない」
私はそう告げて、同様の内容を二筆に認め、一通を宣教師に、もう一通を部下に渡し、部下には「これを触れとして出してくれ」と頼んだ。
「ど、どうしてですか?! 何か貴方様の気に障ることが」
「我が友きっての頼みだ。もう話す事は無いだろう。連れて行け」
部下に連れられて踠く宣教師を、私は一瞥した。
彼等もまた、救いを求めて踊らされた者。
人は、何かに縋らなければ生きて行けない訳では無いだろうに、しかし、我が領地にもこうして人は集まる。
「何故、こうなる……何故、私の手は多くを掬えない」
「魔王様に、我々は十分に救われていますとも」
私の独り言に、部下が返事をした。
「違う、お前に気を遣わせたい訳では無い。私は魔王と成り、人の理から外れた。私はとうに人々と寄り添うに能わないのか。私は」
「魔王様。それは我々の存在を蔑ろにしたいのでしょうか」
部下はずいと一歩出た。
「差し出がましいことを言いますが、この地に集まった人間は貴方によって救われた者達です。貴方とて、元は一人の人間であり、魔王なんて不名誉な称号をつけられても尚、貴方は我々を救う為に手を動かし続けてくれたんです」
「あぁ、確かに私の中に基準はある。一貫性もあるはずだ。だが、初めて筆を執った時と現時点の私は、本当に同じ存在であるのか。私は、気付かぬ内に長く生き過ぎたのではないか」
「魔王様……」
部下は二の句が継げない。
私も、ここまで話すつもりは無かったと、「一旦下がってくれ」と指示を出した。
「私は、孤独だ……」
その時、ノックが聞こえた。
「申し訳ないが、一人にしてはくれないか?」
ノックの主は何も言わずに立ち去っていった様だ。
私は、一人で机に向かった。
後に、私が辺境伯に今回の邪教の件を綴った手紙を送ると、返事が来た。
そこには、司教の壮絶な最期の顛末があった。
老いた司教は、わざと教会の異端審問を受けた上で、淡々と自分の教えが邪教であったことを報告したそうだ。
その上で、神の血でもあるワインに毒を混ぜて、神からもらったとされる命を自殺によって消費するという壮絶な最期を遂げたとあった。
私は、どうしてあの時無理矢理にでも彼の手を握らなかったのかと悔やんだ。
そして、我が領地だけでも、彼が立派な人間であった事を記し伝えようと、新たな紙を用意し、物語を記し始めた。
辺境伯からの手紙の最後には、勇者が旅立ったとの報告があった。
私にどれだけの時間が残されているかは分からないが、この長い生の清算をする猶予は残されているのだろうか。




