あとがき・作者解説
全十九篇となる作品となりましたが、ここに本作品もめでたく完結を迎えました。ここまで読み進めていただいた方に感謝の意を申し上げますとともに、僭越ながら以下に解説をまとめたいと思います。よろしくどうぞお付き合いください。
龐涓と孫臏について
「史記・孫子呉子列伝」などにも示されているように、ふたりは同門の士であることが明らかとなっております。本作ではその師を「鬼谷子」としたわけですが、これは中国内での通俗小説にそのような設定があったからであり、実際にそうであったとは、実のところ確認できておりません。というか、もはやそれについては確認不可能な問題であり、そうである以上自由に設定させていただいた方がいいだろうという判断のもとに、そのようにさせていただいた次第です。
しかしながら単にそう設定したというだけでなく、やはり例えば龐涓がどのような教えを受け、その後にどうその教えを生かしたか、というところまで示してあげた方が小説として深みが増すと考えました。これは孫臏についても同様で、学生時代は非常に優秀だったという彼が、鬼谷子による授業をどのような気分で聞いていたのか、そのようなことを考えながら書かせていただきました(主に反発する形で)。
結果的には書物「鬼谷子」の原文などを載せたりと、我ながらちょっとやり過ぎのような演出があったわけですが、それも実はそのような展開にしたいと考えた末でのことなのです。つまり、おもに龐涓が昔に受けた鬼谷先生の言葉を思い出すような雰囲気を演出できればと思ったわけで、そうするには原文で乗せた方がより演出の効果が高まると考えたのです。しかし後半になって龐涓が退場してしまうと、当然のことながらその手法がとれなくなり、我ながら前半と後半とで趣が変わってしまった感は否めません。このあたりは、どうか前半と後半で分けて考えていただけたら、と思います。
ところで実際の史書に残る内容では、どれも孫臏が主役で龐涓がやられ役のような立ち位置です。ひねくれ者のわたくしとしては、この関係性を逆転させてやりたいと考えてしまいました。史書の記述では孫臏の臏刑にまつわる逸話は「龐涓の嫉妬」「恐れ」「未来への布石」というような書かれ方で、「学業優秀だった孫臏」が将来自分の出世の邪魔になるので、龐涓は悪意を持ってそうした、と結論づけています。
まず最初にこの前提を覆すことから本作は始まっておりますので、「臏刑を受けたのは孫臏自身のせい」、「悪いのは孫臏」、「龐涓は基本的にいい人」、という設定を軸とさせていただきました。
公叔痤や鄒忌・あるいは田忌などの登場人物について
まず最初に断っておきたいことは、これらはすべて実在した人物であるということで、基本的に作品上における地位や役割なども、すべて史書に則って表現させていただいている、ということです。
しかしながらこれらの人物における史書の記述は実に内容が薄く、特に公叔痤については場面によって公孫痤と名前が変わったりしていて、本当に同一人物についての記述なのかと疑問を持ったりすることもしばしばでした。またそれぞれの人物における記述自体もやはり内容が薄く、結果として登場人物として性格付けに苦労した覚えがあります。
これらの人物について確定している事実は以下に挙げるものくらいしか、実のところありません。
・公叔痤は魏国内から呉起を追放している(しかも滑稽な手法で)
・公叔は衛鞅を魏罃に推挙したが、魏罃は用いず、公叔のことを耄碌しているのではないか、と揶揄した
・田忌と鄒忌は実際に仲が悪い。田忌は主戦派で孫臏の上役・鄒忌は非戦派で琴の名手
・鄒忌は実際に国内で一、二を争う美男子であった
・田忌は孫臏を伴い、威王を弑することを前提にクーデターを起こしたが、なぜかのちに許されて龐涓と馬陵で戦う
こんなところです。これらの人物についてはもっと話の軸に据えていければ物語が深まるとは思っていたのですが、あまり史実と異なる設定もしたくはないというのが本音ですので、史実ではあるものの、本筋に関係ない逸話を持ってきたりして場を凌いだ、というのが実情です(言い訳)。
全体の時系列について
これも実に難しいところでした。「史記」は編年体ではなく紀伝体ですので、各人物あるいは各王朝・諸侯国の伝記が記述の軸となっています。このためたとえば魏の伝記では○○年、となっているところが趙の伝記では××年となっていて、一致しない場面が非常に多く見受けられます。また本文中でもわずかに言及しましたが、孫臏の残した「孫臏兵法」なる書物の内容も他の史書とは大きく異なる場面が多々あり、困惑するばかりでした。このため作中の出来事はすべて私自身の解釈であり、あくまで物語として楽しんでいただければそれでよし、としています。
ですが当然のことながら大筋では時系列通りですので、物語を読み進めていく際には問題なくお楽しみいただけるものと思います。ただ、特に魏が趙の邯鄲を包囲する前に宋国の黄池を攻めたり、衛の濮陽を包囲したりする場面は、なぜそのような展開になったのか、どれほどの期間をおいてそのような作戦を連続して行ったのかが史書からまったく読み取れず、自分自身で解釈してみたものの、はたして読者の皆さまに説得力を持って説明できたかどうかは不安が残ります。
また、先述もしましたが田忌のクーデターの場面……鄒忌の絡みも含めて何が正解なのか史書からはまったく解読することができぬまま、勝手に物語化したという経緯があります。このあたりはツッコミどころ満載かもしれませんが、あるいは史書の記述に誤りがあって、まったくそういった事実はなかった、それとも事実はあったが全然違う人物の仕業だった、ということもあり得るのです。そういったわけですので、もしかしたら読者の中にすごく事情に詳しい人がいたとしても、どうかそっとしておいてください。
如公主娟と恵施、趙良、白圭について
大方の読者の方はご想像がつくと思いますが、如公主娟については作者である私による空想上の人物です。ですがはっきり言って如公主娟はこの物語の主役です。いろいろな史実を折り合わせて書かせていただきましたが、主題としては「両親もなく」「父親代わりの人物を失い」「親しいと思われた人物には裏切られ」さらには「夫に先立たれた」女性が最後に「ささやかな幸福をつかむ」物語を書かせていただいたつもりです。
そもそもこの時代の女性というものは、家柄がよいほど不幸な傾向があります。人生の役目として「家同士を繋ぐために望んでもいない相手と結婚しなければならない」「結婚したなら男児を産んで跡継ぎを作らねばならない」「年老いてきたら夫は若い相手を見つけて側室にする」「その後は見向きもされない」……経済的には恵まれるかもしれませんが、それと引き換えに自分の気持ちそのものを犠牲にしなければならない、そういう存在です。
過去にそういった女性を主人公に据えて物語を作ろうとしたことが何度かあったのですが、やはり当時の女性に関する資料が少なく、参考にできるネタも見つからなかったというのが実情です。今回はどうにか最終回までこぎ着けましたが、そういうわけで公主娟には派手な活躍をあえてさせず、主に話の聞き相手として、ときには反論することで社会全体がどのように動いているか読者の方にわかりやすくする目的で登場させました。ですが私の中では、やはり主役なのです。
恵施については字を旦という形にしましたが、実を言うとこれは創作です。恵施とは宋の生まれでのちに魏の宰相となり、名家の祖として名を残した存在ですが、残念なことに司馬遷による「史記」には登場しません。政治的には目立った痕跡がない、ということなのかもしれませんね。いっぽう「戦国策」などには記述が見られますが、やはりその記述は時系列的に曖昧であり、結果的に多くの場面を創作によって展開した形となりました。龐涓と如公主娟の養子であるという設定は完全に創作ですが、そういうこともありうると信じ、自分なりに丁寧な形にして書かせていただいたつもりです。なお孫臏の最期についても史実では不明ですので、恵施が彼を襄陽で倒したという場面も創作なのです。
恵施の活躍は主に「荘子」に記されています。しかしながらやはり政治的・軍事的な活躍は記されておらず、主に論客として登場します。そもそも書物としての「荘子」は架空の人物に哲学的なことを語らせ、それを荘周が賞賛したり、批判したり、という展開が多くなされていますので、これによって恵施が架空の人物である可能性も否定できないのです。ですが先述したとおり「戦国策」などに記述がございますので、実在したと私の中では認定しています。
なぜこのように創作部分を自らばらしてしまうのかというと、あとあと嘘つき呼ばわりされたくないからです(笑)。この物語はあくまでフィクションであり、史料ではないことを今さらながら主張しておきたいと思います。
しかしながら趙良も実在した人物です。彼が史料に登場する場面は秦国の大良造となった商鞅に諫言したところのみなのですが(史記・商君列伝より)、史記にはその部分が長々と、彼の言葉が一字一句丁寧に記述されており、そこに彼の勇気と豪胆さが記されているのです。しかもその言葉づかいは丁寧で、暴力的な、威圧的な言動は見受けられません。正直なところ、私にとってこういう人物は理想であり、それがゆえ最終的に娟と結ばれる展開とさせていただきました。
白圭も商人として名を残した実在の人物です。周の生まれですが、それ以外の素性はあまりはっきりしません。ただ、史料のなかに魏の文侯の時代に活躍した「李克」という人物と白圭を比較する文章がありましたので、きっとそれより少しあとの時代に生きた人物に違いない、と結論づけて登場させました。武人や政治家ばかりでなく、商人を登場させたことは我ながら良い判断だった、と自負しております。
ですが私としてはもっともっと多くの人物を登場させ、群像劇のような作品に仕立てたいと思っていたのです。が、その実力が伴わずこのような形に収まってしまいました。読者の方々には満足した方もいれば、拍子抜けした方もいらっしゃることと思いますが、どちらにしても長い目で見ていただき、今後もご支援いただけたらと思います。
最後になりますが、皆さまご愛読ありがとうございました。




