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蒼海の軍神と真珠  作者: 秋月 菊千代
2章 マルス王国内乱編
32/39

1 ミシェットと秘密の友達



 この日もミシェットは、厩から自分の馬――エリックが『シュバリエ』と名づけてくれた葦毛の牡馬を引き出していた。

 鞍を乗せることはまだ自分の力では出来ないし、背の高い馬の背には一人で乗ることも出来ないし――で、厩番のトムじいさんの手を借りることになるのだが、彼は嫌がりもせずにミシェットの望みを叶えてくれる。


「旦那さんがお帰りにならずに寂しいこってすなぁ」


 屋敷の主人であり、ミシェットの夫でもあるエリックは、嵐月(あらしつき)も半ばを過ぎ、港を覆っていた分厚い氷が割れ始めると、仕事で航海に出てしまったのだ。それからもうひと月が過ぎてしまったところだ。

 今回は、マルス王国海軍とその隣のウルシア王国海軍からの要請で、大規模な海賊退治に駆り出されたのだ。

 元々海賊退治を得意とする指揮官として有名であり、不本意ながら『海賊狩りの王子』と呼ばれるエリックは、南海を二十年以上に渡って荒らし続けていた大海賊ゴッサムを捕縛した功績もあり、二国の連合軍から協力を頼み込まれたということだった。同盟国であり、亡き先代王妃の出身国であるマルス王国からの要請では無碍にも出来ず、国王アーネストも渋々承諾したようだったという話だ。

 マルス王国とは毎日定期運航船も出ているくらいの親しさであり、距離も海が荒れなければ二日半ほどの近さなのだが、すぐに会いに行けない距離はやはり遠い。仕事なのはわかっているので我儘を言うつもりは毛頭ないが、少し寂しかった。


「でも、あと何日かで戻られるそうです」


 二日前に届いていた手紙の文面を思い出しながら、ミシェットは微笑んだ。

 夫婦となってから初めて長期間離れて知ったことだが、エリックはなかなかに筆まめだった。字も丁寧で、まだ難しい言葉の読み書きが覚束ないミシェットにも読みやすい。


「そいつぁ楽しみですなぁ」

「はい」


 トムじいさんの笑顔に同じく笑顔で頷き返しながら、手綱を引いた。


「お戻りはまた夕方頃ですかね?」

「はい。行って来ます」


 見送られながら屋敷を出て、ここのところ毎日向かっているのは、王宮の城壁内の外れにあるクラウディオの屋敷だ。

 訪ねる時間は毎日ほとんど同じなので、玄関先には見慣れた女性の姿があった。


「お早うございます、シャール」

「お早う、マリー」


 玄関先に佇んでミシェットの訪問を待っていたのは、クラウディオの妻シャーロットだ。

 シャーロットは昼食の入った籠をミシェットに手渡し、その後ろにさっと跨る。初めの頃は乗れずに苦労していた彼女も、ひと月近く毎日乗っていると、さすがに慣れてきたようだった。

 きちんと乗ったことを確認すると籠を返し、ミシェットは改めて手綱を引いた。そうして二人で王宮の図書館を目指すのが、ここのところの日課だ。


 社交嫌いで引きこもり気味のシャーロットは、クラウディオの恩師である王立大学の教授の末娘で、読書と思索がなによりも好きという内向的な性格の女性であり、それを見込み、エリックから『エスター王妃の伝承について調べて欲しい』と頼まれたのだ。武勇伝や逸話が多く残されつつも、創作的な意味合いの強い内容の伝承がほとんどで、初代国王夫妻のことは謎に包まれている部分が多い。彼女もそこに以前から興味は持っていたので、二つ返事で受けてくれた。

 しかし、それを面白く思っていないのが、彼女の夫であるクラウディオだった。誰よりも愛する妻が毎日楽しそうに弟嫁と出かけ、自分と過ごす時間が減っていることをとても苦々しく思っているらしく、シャーロットもミシェットも少しだけ困っていた。


 王宮内の厩に着き、すっかり顔馴染みになった馬丁の男に馬を預けていると、クラウディオがやって来るところだった。二人は思わず顔を見合わせたが、逃げるわけにもいかないので平静を装った。


「また図書館なのかな、シャーロット?」

「そっ、そうですけど……なにか、問題でも?」


 目の前にやって来た夫の姿にシャーロットは身構える。

 別に彼女は夫を嫌ってこんな態度をしているわけではない。誰に対しても大抵はこういう態度になってしまうのだ。


「本当に図書館?」

「……はい」

「でも昨日、様子を窺いに行ったときは、いなかったよね?」


 シャーロットはギクリとする。ミシェットも僅かに青褪めたが、二人はしっかりと手を握り合い、打ち合わせていた通りの言葉を口にした。


「奥の閉架書庫にいるときにいらしたのでは?」

「もちろん奥も覗いたよ」

「では、外に息抜きに出ているときではないですか? お天気がよいときは、外でお昼を頂いていますの。ねえ、マリー?」

「そうです」


 ほら、と二人は持参した昼食入りの籠を持ち上げて見せた。

 シャーロットは口下手で、人と話すのはあまり得意ではないが、文章を諳んじるのは得意だ。予め考えておいた受け答えをいくつか記憶しておき、その中から適したものを選んで答えるので自然とスラスラと並べ立てられた。

 しかし、その自然さこそが不自然だった。

 喋るのが苦手なシャーロットがそんなに流暢な受け答えを出来るわけがないし、それがおかしなことだと気づかないクラウディオではない。

 よくも悪くも隠し事の出来ない素直な愛妻と弟嫁の姿に、クラウディオは僅かに双眸を細めるが、すぐにいつものふんわりとした笑みを浮かべた。


「エリックからの頼まれものっていうのは、もう少し時間がかかりそうなのかな?」

「え? あ、あぁ、そうですね。もう少しは……」

「それで、夕食の前までには、いつものようにミシェットが送って来てくれるんだね?」

「はい」


 緊張しながら頷くと、そう、とクラウディオは微笑んで頷くだけで追及をやめた。なんとか納得してくれたようだ。


「僕はこれから外務省に顔を出すんだ。ちょっと面倒事が持ち込まれているから、夕食の時間までには帰れないかも知れない」

「わかりました。お帰りをお待ちしております」

「先に食べてしまってもいいんだよ?」

「いいえ、お待ちしておりますわ」


 シャーロットが笑みを向けると、クラウディオは嬉しそうに頷いた。

 いいなぁ、とミシェットは少し羨ましくなる。エリックが航海に出てしまってからのひと月ばかり、ミシェットの食卓は孤独なのだ。

 クラウディオの立ち話からようやく解放され、二人は市民にも開放されている図書館へと急いだ。こちらもすっかり顔馴染みになった司書の女性が出迎えてくれ、アーネストから借り受けている歴史編纂室の鍵を渡してくれた。


「マリー、早く早く」

「そんなに走っちゃ駄目ですよ、シャール」

「あ、そうね」


 利用者もまだ疎らな図書室内を早歩きで通り抜け、二人は奥の方のいつも人気のない場所へと急ぐ。そうして周囲を気にしながら露台(バルコニー)への窓を開き、そこからこっそりと抜け出した。

 図書館の裏手の庭を通り抜けると、元は鍵がきちんと閉まっていた大きな柵と、その向こうにミシェットの背丈ほどの小さな柵と石段があり、二人は背後を気にしながらそこを降りて行く。雪が解ける前は危なくて躊躇していたが、ここ半月くらいはなんの抵抗もなく降りることが出来るので嬉しい。


 下に着くとそこは砂浜と岩場になっており、城壁の一部が開かれて北海の一部を引き込んでいる。ここは王家の子供達が夏場に水遊びをする為の場所なのだ。

 いつも机代わりに使っている平らな岩の上に昼食入りの籠を乗せ、ミシェットは中から林檎を取り出し、シャーロットは筆記用具を取り出した。

 そうして、ミシェットはドレスの胸許から鎖を手繰り寄せ、いつも身に着けている『碧洋の真珠』を取り出すと、それを海水に浸けた。


「リドウィニアさん。私、ここよ」


 海に向かって呼びかける。

 しばらくすると、城壁の向こう側から銀色に輝く髪の女が顔を覗かせた。


「うふふ。また私を呼んだ? マリー・ミシェット」


 外海との境には鉄格子が嵌まっていて、通り抜けは出来ないようになっているのだが、そのうちの一本を、数日前にシャーロットが冷たい海に浸かりながら引っこ抜いてくれているので、人が通れるくらいの隙間は出来ている。リドウィニアは笑いながらそこを通り抜けて来た。


「私以外も呼べばいいのに。みんな喜ぶわ」


 岩場に肘をつき、上半身を水面から出しながら微笑む。


「他の人のこと、よく知らないもの」


 持って来た林檎を差し出すと、リドウィニアは嬉しそうに虹色の瞳を輝かせ、スーッとその香りを大きく吸い込んだ。


「いい匂い。これ、私大好きよ。エステルもよくくれたの」


 そう言ってひと口齧ると、満足そうに笑みを深くする。


「でも、ミシェットがくれるものの方が、幸せな気分になるの。ふふっ」


 品種改良が進み、香りも味もよいものになってきているのだ、とシャーロットは説明した。リドウィニアはよくわからなかったようだが、林檎を眺めながら「人の子の世は本当に移ろいやすいのね」と呟いた。時代の変化だということは理解しているらしい。


「それで? 今日もマリーナとエステルの話を聞きに来たの?」

「はい、是非」


 シャーロットはペンを握り締め、眼鏡の奥にある鳶色の瞳を輝かせた。


「そんな話を聞いてどうするの? あなた達にとっては、とてもとても昔のことなのでしょう?」


 リドウィニアは目を細め、少し呆れたような口調でそんなことを尋ねるが、虹色の瞳は悪戯っぽく輝いている。


「そういうの、あなた達の言葉で『物好き』って言うんでしょう?」


 確かにそうかも知れないが、エリックが調べるように言っていたので、ミシェットも知りたいと思っていた。

 それに、マリーナ姫はミシェットの先祖だし、エステル妃はエリックの先祖だ。二人とも自分達に関わりのある人なので、知っておいて損はないと思う。

 ふうん、とリドウィニアは退屈そうな返事を零し、それでも話には付き合ってくれるつもりがあるらしく、先を促すようにシャーロットの顔を見つめた。


「それじゃあ、あの、昨日の続きからお伺いしたいです。マリーナ姫が、どうしてヴァンメール公国のジュール――いいえ、ジュリオ公でしたね。その方に嫁がれたのか、教えてください」


 シャーロットの質問にリドウィニアは首を傾げる。どうしてそんなことを訊くのか、と言いたげに虹色の瞳をくるりとさせ、不思議そうに見つめ返してきた。


「それはマリーナじゃなければわからないわ。でも、マリーナはジュリオとつがいになりたかったし、ジュリオもマリーナとつがいになりたいと思ったのは確かよ。変よね」


 林檎をもうひと噛みし、ふうっと溜め息を零す。


「人の子は、恋だの愛だのという言葉が好きなのですってね」


 そうでしょう、と話を振られ、ミシェットは困惑する。答えを求めてシャーロットを見遣ると、彼女は少し躊躇したあと、小さく頷いた。その頬が僅かに赤く染まっている。

 リドウィニアは納得したのかそうではないのか、なんだかとても曖昧な頷きを残し、林檎をもうひと口齧った。


「マリーナはその言葉にとても憧れていたし、エステルはそれを面倒臭いと言っていた。私達はその言葉の意味がよくわからないけれど、マリーナはとても素敵なものだと言っていて、エステルは迷惑だと言っていた。……不思議よね。私達と同じ筈のマリーナはその言葉に憧れて、人の子のエステルは厭わしく思っていたの。何故かしら?」


 今度もシャーロットに答えを求めて視線を向けると、彼女は先程と打って変わって表情を歪め、溜め息を零す。


「あー……そうですね。私も、たまに、面倒臭いです」


 その様子に、リドウィニアはぱちんと手を打った。


「ああ、その顔! エステルにそっくりよ! あの子もよくそんな顔をして、はーって言ってたの」


 ミシェットにはなにがなんだかわからなかったが、リドウィニアは楽しそうにシャーロットの顔を指差した。その言葉をシャーロットは書きつけている。

 リドウィニアとの対話はいつもこんな感じだ。こちらが質問したことに答えているようで答えていないような、そういう曖昧な返答と共に逆に問いかけられ、それにこちらが答えながらまた問いかけ――と繰り返し、少しでも参考になりそうなことを拾っている。それをシャーロットがあとで精査して、丁寧に纏めてくれているらしい。


「人間ではない存在のマリーナ姫が、ヴァンメールの大公と恋に落ちて嫁がれたという御伽話は、史実なのですね」


 ずり下がってきた眼鏡の位置を直しながら、シャーロットは確かめるように呟く。うん、とミシェットも頷いた。

 マリーナはジュリオに恋をした。だからリドウィニア達の許を離れ、人の子の世を生きることにしたのだ。それはヴァンメール公国に伝わる御伽話のとおりだし、エル・ダンテス家に伝わっている話とも合致する。


「リドウィニアさん達は、人魚なのですか?」


 ミシェットは身を乗り出し、リドウィニアの顔を覗き込んだ。彼女は虹色の瞳をぱちくりとさせ、なんともいえない笑みを浮かべた。


「人の子が私達をなんと呼ぶのかは知らないけれど、私達は自分達のことをウィンディーナと称するわ」


 種族としてウィンディーナという呼称があるのだと告げ、リドウィニアはぐいっと岩場へ身体の全部を乗せた。彼女が海水から上がるのは初めてのことだったので、ミシェットもシャーロットも驚いた。

 リドウィニアは真珠のような滑らかな光沢のある肌をしていて、体毛はなく、腕のいい技師の手に因る彫刻のようにも見える美しさの肢体だった。

 美しいが、とても目のやり場に困る。やわらかな曲線を描く乳房も、腰の括れも、すべて一切を隠すことなく晒されているので、どうすればいいのかと二人は赤面して戸惑った。


「――…あ……脚……」


 視線を彷徨わせていたミシェットが、リドウィニアの脚に焦点を合わせる。魅惑的な肉づきの腰の先には、すらりと伸びた二本の脚があった。


「これ?」


 ミシェットの視線と呟きに気づいたリドウィニアは、そのしなやかな筋肉のついた脚を持ち上げ、ミシェットの視線の高さに爪先を伸ばした。


「二本あるわ。あなたと一緒でしょう?」


 リドウィニアは楽しげに笑う。


「水がないところでは、移動するのが不便だもの。二本あると便利なの」


 つまり、陸上では二足歩行をするということなのだろうか。ミシェットが頷く横でシャーロットはペンを走らせる。興味深そうに目がキラキラと輝いていた。


「人魚は、足がお魚の尻尾みたいになっているっていう話なんだけれど」


 脚があるということは、やはり人魚ではないのだろうか、とミシェットが小首を傾げると、リドウィニアはまた笑う。


「海の中では一本よ。そちらの方が速いから」


 そう言ってまた海中に戻ったかと思うと、ほら、とまた脚を見せてきた。しかし、今度は虹色の鱗に覆われた魚の尾鰭にしか見えなかった。ミシェットが驚いて目をまん丸に見開いている隣でシャーロットは興奮気味にペンを走らせる。

 リドウィニアは笑みを浮かべたまま小首を傾げた。


「もしかして、これが見たかったの? ふふっ。おかしな人達ね。あなた達だって同じでしょう?」


 この言葉には急いで首を振る。陸上で二足歩行をするのは同じでも、水中に入れば尾鰭になる脚など持ち合わせてはいないし、そんな人間は聞いたこともない。

 あら、とリドウィニアは意外そうな顔をした。


「マリーナの子なのだから、あなたも私達と同じ筈よ、マリー・ミシェット。海の中ではとても自由。誰よりも、どの種族よりも、速く泳げるの」


 とても気持ちよさそうな顔でうっとりと語られるので、ミシェットは思わず頷きそうになる。しかし、水中で脚が尾鰭に変わったことなど一度としてない。リドウィニアの言葉どおりのことは期待出来そうにもなかった。

 けれど、魚のように自由に泳ぎ回る姿を想像し、それはとても素敵なことだろうな、とは思う。どうやら泳ぐことが苦手らしい自分が、この広い海をそうやって自由に速く泳げたら、どんなに楽しいことだろう。


「私も泳ぐのは苦手です」


 ずり落ちてきた眼鏡の位置を直しながら、シャーロットはぽつりと呟く。海は目と鼻の先だし、親戚の持つ別荘の近くにも大きな湖があったので、夏場は避暑も兼ねて水辺に寄ったものだが、足先を浸けておくことが精々だった。


「あなたが羨ましい」

「そう? 私は泳げないっていうのがわからないわ」


 楽しそうに笑っていたリドウィニアだったが、ふと、なにかに気づいたかのように視線を何処かへと彷徨わせる。その視線を追ってミシェットとシャーロットも背後へと目を向け、ギョッとして双眸を瞠った。

 彼女達の後ろには、アーネストとクラウディオが立っていたのだ。

 二人は真っ青になり、慌てて立ち上がってリドウィニアの姿を隠そうとするが、それはもう既に無意味なことのようだった。


「――…これは驚いたなぁ」


 アーネストはにやりと笑みを浮かべる。


「本当に人魚がいたんだ。初めて見た」


 大きく一歩を踏み出した国王を押し留めようと二人は慌てるが、動転からあわあわとするだけでどうしようもない。


「エステル? いいえ。エリックだったかしら?」

「俺はアーネストだ。エリックの兄」


 アーネストは挙動不審な弟嫁達を押し退けてリドウィニアの前に膝をつくと、動じることもなく笑みを浮かべながら名乗った。


「兄? そう。では、あなたもエステルとエリオットの子の、ずっとずっと先の子供なのね?」

「そういうことになるな。お前は、リドウィニア――だったか? レヴェラント島ではエリック達が世話になったようだな」

「世話? なにかしたかしら?」

「その気がなかったのなら別にいい。ただ、礼だけは言わせてくれ。感謝する」

「うふふ。変な子ね、アーネスト」


 クラウディオは面妖な女と平然と会話する兄の胆力に感心しながら、妻の腕を掴んで逃げられないように引き留める。彼女は困惑よりも怯えたような表情で見つめてきて、静かに項垂れた。


「そういえば、アーネスト。あなたにひとつ忠告を与えねばならないのだったわ」

「忠告?」


 不穏な単語を聞き咎め、アーネストは片眉を持ち上げた。

 そうよ、とリドウィニアは頷く。


「あなた達、エリオットをどうしたの? あれはこの島にとって大事なものよ」

「エリオット……?」


 アーネストは眉根を寄せ、後ろの弟を振り返った。クラウディオにもなんのことかわからず、眉をひそめて首を振ることで兄の疑問に答えた。

 エリオットといえば、初代国王エミリオが即位してから名乗った名である。以来、三十人ほどの王達の中でその名を継いだ者は三人いるが、そういう意味ではないのだろう。


「エリオットというのは、恐らく武具のことです」


 悩んでいるらしい国王兄弟に向けて、シャーロットが声を上げる。


「ブライトヘイル建国以前の五領主時代、領主達はそれぞれにひとつずつの武具を所有していました。聖斧イヴォーン、聖槍ラファイエット、聖弓ガルデルード、聖鎚リュシオン、そして、聖剣エリオットの五つです」


 すらすらと諳んじられた言葉に、ああ、とアーネストは頷いた。言われてみれば、そのような話を随分と昔に歴史の教師から教わった記憶がある。当時の五領主達はその武具の名を冠していたのだ。


「ずっと訊きたかったの。でも、いつの頃からか、あなた達に私達の声が届かなくなってしまって、ずっと心配していたのよ」


 そう言うリドウィニアは本当に心配そうな表情を向けている。

 しかし、アーネストの記憶が正しければ、聖剣エリオットはエミリオ王が何処かに棄てたとされていた筈だ。王宮の宝物庫にもそれらしきものはないし、歴代王の武具が収蔵されている遺物庫にもなかったと記憶している。そういった武具の所蔵物に関しては、幼い頃から遺物庫に入り浸っていたエリックの方が詳しいかも知れない。

 リドウィニアは呆れたように溜め息を零した。


「すぐに見つけるべきね。海神の祝福が失われる前に」

「海神の祝福?」

「そうよ。エステルが授かった祝福」


 頷いたリドウィニアはその言葉を残して海中へ身を沈め、次に顔を出したのは柵の向こうの外海からだった。


「またね、マリー・ミシェット、シャーロット」


 引き留める間もなく海の中に潜られたかと思うと、そのままリドウィニアは帰ってしまったようだった。

 彼女の行動はいつも唐突で、会話もあちらこちらと気の向くままに転がるので混乱する。けれど、今日はいつにも増して話がいろんなところに転がっていた。ミシェットとシャーロットは顔を見合わせ、揃って小さく溜め息を零した。


「さて」


 そんな二人に向かってアーネストが声をかける。


「これはいったいどういうことかな? シャーロット、ミシェット」


 振り返ったアーネストは微笑みを浮かべていたが、その目は笑っていない。何処となく不機嫌そうな雰囲気を感じられた。その様子に二人はハッとして口を噤む。


「確かミシェットは、海には近づかないように、とエリックから言われていたんじゃなかったかな?」


 アーネストは静かにミシェットの顔を覗き込む。確かにそのとおりだった。決して一人で海に近づかないように、と夫から以前言われていた。

 シャーロットと二人だからいいのだ、という屁理屈は通じそうにない。ミシェットは黙って頷き、素直に謝った。


「悪いことをしたとわかっているのなら叱りはしないが、エリックが戻るまでのあと数日、きみ達には謹慎してもらう。三日分の荷物を纏めて、王宮に来なさい」

「わっ、私も、ですか!?」


 驚いて顔を上げたシャーロットに、そうだ、とアーネストは頷く。彼女は助けを求めるように夫を見つめるが、これはクラウディオも了承していたことだったらしく、静かな目で見つめ返すだけだった。

 相嫁達はお互いを見つめ、大きく肩を落とした。




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