プロローグ
「これはまた、面倒なことになりそうだなぁ」
クラウディオが読み上げた書状を受け取り、アーネストは心底面倒臭そうに呟いた。
「けれど、礼を失するわけにはいきません」
気分屋の王の言動を諫めるような言葉を口にしながらも、クラウディオも本心では同意をする。
王が手にした書状は、昔から友好関係にあるマルス王国からのものだ。
マルス王国は一年前に国王が亡くなっている。伝統に倣って、新王践祚は一年の喪が明けたあとに行われることとなり、それがひと月後に行われることになっていた。その即位式典への招待状が届けられたというわけだ。
しかし、この喪の期間というのが実に厄介なものなのだ。
マルス王国の王位は生まれや血筋で受け継がれるのではなく、王家の血が僅かにでも通っていて、継承権を得る為のある条件を満たすことが出来れば、傍流の傍流にも王位を継ぐ資格はある。故に、在位中に次期国王とされる王太子という存在はないし、継承順位というものも存在しない。王家の血が流れていれば誰でも玉座に座ることが出来るのだ。
一年の期間は先王の喪に服す期間であると同時に、王の子や血縁達が王位を奪い合う期間でもある。
それでもやはり、王の直系の子の方があらゆる面で力が強く支持も得やすいようで、大抵は王の子供達の中から次王に即位することになる。
次期王に最有力と目されていたのは、壮健で人望を備えた次男のバシリオス王子と、国王に必要な条件を最も満たしている五女のアイオニア王女だった。
バシリオスと同母弟のラザロス王子も有力視されていたが、彼は兄を支えることを選び、王権争いには参戦しない構えだ。アイオニア王女も同じで、国を率いる者は男性の方がよいだろう、と異母兄を支える意思を見せていたという噂は、以前からこちらにも届いている。故に、次期王はバシリオスでほぼ決まっているようなものだった。
そのバシリオスと真っ向から対峙したのが、先王の六番目の側室でありながら、王妃の死に伴い正室の座を奪ったオリンピアス妃と、その息子イアニスだった。
この一年間、多くの支持を集めるバシリオスと、国王に必要な資質は持っているイアニスが対立し続けて来たわけだが、結局、即位するのはバシリオスとなったらしい。
「オリンピアス妃とイアニス王子への処罰はどうするつもりなんだろうな」
もう一度書状に目を通しながら、アーネストはぽつりと呟く。
オリンピアスが息子を王にしたがっているのは一目瞭然だが、イアニス本人はどういう心境だったのだろうか。彼はまだ十二、三歳だった筈だ。十以上も年上の異母兄に盾突いてまで玉座を求めたりはしていないような気がする。
さあ、とクラウディオも首を捻る。
「オリンピアス妃は先王の正室ですし、今後は王太后という立場で宮廷に残るのが慣例でしょうが、バシリオス殿のご気性でそれは叶うかどうか……。恐らく、何処ぞに幽閉してしまうのが妥当ではないかと思いますね。イアニス王子も同様でしょう」
「可哀想になぁ……」
お家騒動など何処の国にもあるものだ。けれど、幼い子供が自分の意思に反して担ぎ上げられ、反逆の罪に問われて命を奪われるような結末は、聞いているだけでもやはり後味が悪い。出来れば穏便に済ませてやって欲しいものだ、と二人は溜め息を零した。
何故アーネスト達がここまで詳しくマルス王国の内情を知っているかというと、彼等の異母弟であるエリックにも継承権があるからだ。
エリックの母であるリディアは、先代マルス国王の妹に当たる。つまり、エリックとバシリオス達は従兄弟という間柄なのだ。
マルス王国の国王に必要な『ある条件』を満たせば、エリックもマルスの王となる可能性もあったのだが、幸か不幸か、エリックにその素質はほとんど見られなかったという。
それでも、長年海賊の襲撃に悩まされている王国なだけに、海賊討伐を得意とするエリックの存在は魅力的なものらしく、どうにかして引っ張れないかと企んでいるところはあるようだ。先王が亡くなった頃から、度々ラザロスからの書簡が届いている、とエリックからの報告はあった。同じ武人である所為か、エリックとラザロスは昔から気が合うようで、書簡のやり取りは幼い頃からあったのだ。
内容は以前からやり取りのある私的な機嫌伺いらしく、その頻度が増したという程度のことなのだが、時期が時期だけに、クラウディオには気にかかっていた。
エリックはあのとおり人の裏を読むのが苦手な性格故に、ラザロスになにか含みがあっても気づかないようだが、相手はそうではないのは明らかだ。直接関わっていない故によくはわからないが、ラザロスになんらかの思惑があってエリックと親しくしているのは昔からわかっていることで、アーネストとクラウディオは、何処かぼんやりしている面もある末弟がなにかに利用されやしないかと案じている。
そんな事情から、マルス王国の情報は積極的に細かく収集しているのだった。
「失礼致します、陛下」
書状を畳み直していると、ノックと共に宰相のデンゼルが現れた。
「あぁ、デンゼル。丁度よかった。呼びにやろうと思っていたところなんだ」
「それはよかった」
亡父と同い年の宰相は厳めしい髭面を微笑ませ、持って来た書状を頭の高さに持ち上げて見せた。
「エリック殿下――失礼。ラクレア艦長からの報告です。掃討作戦は無事に終了したそうです。これから事後処理に取りかかるそうですよ」
「そうか」
二人はホッとした。
幼い頃からやんちゃな末弟は、昔から怪我が堪えずに心配の種だったが、今は軍属であるが故、更に心配の種は尽きない。ほんの数ヶ月前にも、頭に打撃を受けて意識を失うようなことをしたりしている。案じるこちらの身にもなって欲しいものだ。
そんなエリックは、マルス王国とウルシア王国の連合軍からの要請により、大規模な海賊掃討作戦に協力する為にひと月程前から遠征している。レディ・エスター号を含めた五隻の艦隊での協力戦線だ。
経過報告はきちんと定期的に届けられていたが、終了報告となるとまた違う。じきに戻って来るのだという安心感がある。
「損害報告は?」
アーネストは思わず身を乗り出して尋ねる。クラウディオも同様だ。
デンゼルは国王兄弟に頷き返しつつ、畳んであった報告書を開いて内容を確かめる。
「レディ・エスター号、フランシーヌ号、ポリアンナ号はほぼ問題なく、アリシア号とフェリシア号が少し損傷したようですが、航行には問題がないそうです。修理は帰港し次第行いたいということで、船大工達に要請をしておいて欲しいとのことです」
「わかった。海軍司令部に伝達しておいてくれ」
「承知致しました。損害報告は以上となります。どの乗員にも怪我人はほとんどないようですし……いやはや、さすがは『海賊狩りの王子』であられる」
感心したように零すデンゼルに、アーネストは苦笑した。
「それ、本人の前で言ってやるなよ? あまり好きじゃないみたいなんだ」
「武功を評しての異名のようですがね」
「女海賊の名前を冠した船に乗っているからな。あまり気分がよくないらしい」
「言われてみればそうですな」
なるほど、とデンゼルは頷いた。
エリックは小さい頃から、初代国王とその妃であった女海賊の伝承を聞くのが好きな子供だった。それ故に、エリックに船を与えようと建造が決まったとき、アーネストは迷わずにレディ・エスターの名をつけようと決めたのだ。そのことを告げたとき、エリックは幼い子供のように瞳をキラキラとさせて喜んだことも懐かしい。
その船に乗るようになって既に四年が経ち、エリックとレディ・エスター号の名前は海を隔てた大陸の方まで伝わっていると聞く。ブライトヘイル王国は騎士王の興した武門の国なので、武功で名を馳せるのは喜ばしい限りだ。
しかしそのことに因って、こうして同盟国の戦にも手を貸さねばならないのかと思うと、それも少し考えものだな、とアーネストは悩ましく思ってもいる。
「それが届いたのが今日だろう? そうなると、明日か明後日には発てるだろうから……少なくとも、五日後くらいには帰国するか。なあ、ディオ?」
「そうですね。恐らくそれくらいになるんじゃないですか」
事後処理などは三日か四日もあれば終わる筈なので、逆算すれば今日か明日あたりには終わる筈だ。問題がなければすぐに発つことになるだろうから、やはり五日後くらいには帰国出来る計算になる。
問題がなにもないことを祈りつつ、マルス王国からの書状に目を戻した。
「護衛艦はレディ・エスター号と、フランシーヌ号に任せますか?」
今回の招待を受けているのは、国王であるアーネスト夫妻と、直接の縁戚であるエリック夫妻だ。
友好国の即位式典に参列する為の航海であり、滞在を含めて往復で十日程の日程になるかと思われる。それくらいの日程ならそんなに仰々しい護衛はいらないので、二隻もあれば十分だ。
フランシーヌ号の艦長を務めるアレイスター・マクギーという男は、エリックの予備隊時代からの同期であり、当時から親しくしている様子がある。連携も取りやすいだろうし、編成としては最良と思われる。
クラウディオの提案に、うん、とアーネストは頷く。
「デンゼルはどう思う?」
長く宰相職にあるデンゼルは、こういう場合の対処の経験も豊富だ。そんな彼から意見を聞くのは大事なことだと思われる。
「レディ・エスター号は軍属でも王家所有の船ですし、格を合わせるとなるなら、グリンフォード侯爵が艦長を務めるジョージーナ号が最適だと思われますが……あの御仁とエリック殿下は、少々因縁がございますからなぁ」
グリンフォードからなにか言われても、階級が下であるエリックが静かに引くことで場を治めているようなのだが、そんな状況を目にすればアーネストは黙っていないし、それで指揮系統に乱れが生じては、護衛艦の意味がなくなってしまう。そう考えると、やはりグリンフォードは護衛編成に組み込まないことが正しいように思える。
「幸いにもフランシーヌ号はレディ・エスター号やクイーン・ステラ号に引けを取らない船速の船ですし、それを考慮しても、フランシーヌ号が護衛任務には適していると思えますな」
昨年建造されたばかりのフランシーヌ号は、護衛任務を主とする目的で建造されたこともあり、とても足が速い。海軍内最速を誇るレディ・エスター号の速度を指標として設計されているので、合同任務に就くとなると、この組み合わせが理想的だろう。
問題は、今回の戦闘で、二隻にどれほどの損傷があるか、ということだ。
式典はひと月後であるが、小さくとも手間取る部分の損壊などがあれば、修理が間に合わない可能性もある。その場合、参列するエリックのレディ・エスター号の修理を優先させなければならないし、段取りが違ってくることだろう。
「取り敢えず、遠征部隊が帰国してから話を詰めよう」
船の現状を確認しないことには始まらないし、ここで考えていても仕方がない。
それがよろしいでしょう、とデンゼルはアーネストの判断に頷く。
「留守中はデンゼルに任せる。ディオはどうする? 新外務大臣と誼を結ぶ為にも、共に来ることにするか?」
新王が起つと、重職達も大部分が改められる。今まで付き合いのあった顔触れが変わることは確実だ。
「どうしましょうかね……。あまり好きじゃないんですよ、マルスの気候」
暑さが苦手なクラウディオは、少しうんざりしたような表情をする。即位式典が行われるのは真夏とは言わない時期だが、北国のブライトヘイルの気候に比べれば、真夏の気候とほぼ変わらない。それが嫌なのだ。
「それに最近、ちょっと妻の様子が気にかかるもので……」
そう言いながら表情を僅かに歪める。
クラウディオの妻は非常に内向的な性格で、社交界に顔を出さないどころか、屋敷からすら滅多に出て来ない。その妻が、ここのところ連日外出しているので、気にかかって仕方がないのだ。
ふうん、とアーネストは適当に相槌を打つ。
「まあ、好きにしろ。デンゼルとお前が残るなら国内は安心だし、来るなら外交面が安心だ」
どちらを選ぼうともアーネストには益となる。それくらいに弟のことを信用していた。
それはクラウディオにも嬉しい信頼だった。僅かに笑みを浮かべ、半月以内には決めておく、と伝えた。
「ところで、デンゼル」
用も済んだことだし、自分の仕事がまだ残っているので下がろうとしていた宰相を、アーネストが呼び止める。
「そっちの手に持っているのはなんだ? そっちの、それ」
エリックからの報告書と一緒に持って来たが、読むことをしなかった方の書状を指差す。
デンゼルは少し困ったような顔をしたが、アーネストはじっと見つめている。仕方なく、その書状の表を見せた。
「これは、エリック殿下から、マリー・ミシェット公孫殿下へのお手紙です」
「手紙?」
「はい。いつも報告書と同封されているので、公孫殿下にお渡しさせて頂いています。今日は一緒に持って来てしまったのですが」
キラリ、とアーネストの瞳が悪戯っぽく光る。
「それ、見せてみろ」
「陛下……」
そう言うと思った、とデンゼルは溜め息を零す。だからいつも見せないようにしていたのだが、今日はうっかりしていた。
「やめてあげた方がいいんじゃないですか?」
クラウディオがやんわりと兄を止めるが、強く言う気はないらしい。もしかすると、彼もエリックの手紙を見たいと思っているのかも知れない。
「いいから見せろ。王命だぞ」
アーネストが手を差し出し、さっさと渡せ、と急かす。
デンゼルはエリックに対して心中で詫びながら、国王兄弟へと差し出した。
「えーと、なになに? 愛する妻マリー・ミシェットへ……」
あろうことか音読を始めたアーネストに、デンゼルはますます申し訳ない気持ちになった。けれど、本音のところでは、あのやんちゃな王子が妻に対していったいどんな手紙を書いているのか、ちょっと気になっている気持ちはあった。
「なんだ、エル坊の奴……ちゃんと新婚夫婦らしいこともしているんだな」
『愛する妻、マリー・ミシェットへ
出国してからもうひと月になります。タウゼントの雪は解けた頃でしょうか?
あなたと一緒になってから、こんなにも長く離れたことはありませんでしたね。隣にあなたがいないのが不思議な感じです。
あなたも同じ気持ちでいることでしょうか。そうだと嬉しく思います。
こちらはようやく作戦が終了し、明日からは事後処理を行うことになっています。わたしはこの作業があまり得意ではなく、少し憂鬱な気分でいます。コレット大尉は意気揚々としていますが。
この手紙をミシェットが受け取る頃、その作業もほとんど終えている頃かと思います。
その後、四日ほどで帰国出来ると思います。
早くあなたに会いたいです。 エリックより』
新章開幕となります。
相変わらずの亀更新になりますが、のんびりお付き合いくださると幸いです。




