幕間2 エリックのとある一日~その日の夜~
陽がすっかりと暮れた頃、ようやくアーネストに課せられた勉強地獄から解放されて帰路に着く。
僅かな街灯に照らされた暗闇に吐き出す息は既に白く、アーネストの話では十日以内だと言われている初雪は、もう今夜にでも降りそうな寒さだ。
雪が降り始めれば、高く積もるのもすぐのことだ。そうしたら、タウゼントの港は凍りついて閉鎖される。長い長いブライトヘイルの冬籠りの始まりだ。
屋敷に着いて馬丁に馬を預けて玄関に向かうと、蹄の音で出て来たらしいジョージが待ち構えていた。その深刻そうな表情に、また自分はなにかやらかしてしまったのだろうか、と一瞬不安になる。
「……ただいま。外まで出迎えなんて珍しいな」
恐々と声をかけると、ジョージは「お戻りをお待ちしておりました」とこれまた深刻そうな声で告げてくる。
中へ、と促されながらも、彼は玄関横の小部屋へとエリックを引き込む。
いったいなんなのだ、と怪訝に思いながら扉を閉めるジョージの様子に注意を向けていると、彼は深々と頭を下げてきた。
「申し訳ございません、旦那様」
「えっ? なんだよ、いきなり……」
「このジョージ、重大なる失態を犯したことを深くお詫び申し上げます」
更に深い角度で頭を下げる家令に、エリックは慌てた。自分がなにかやらかしたわけではないことは理解したが、なにがなんだかわけがわからない。
落ち着け、と頭を上げさせると、彼は静かに「落ち着いております」と答えた。確かに普段どおりの口調なので、取り乱しているとかそういう様子ではない。
客人の従者などの待機場所として使われるこの小部屋には、テーブルと椅子が何脚か置いてある。そこへジョージを連れて行き、座るように言って肩を押して無理矢理座らせ、その正面に椅子を引いて来てエリックも腰を下ろした。
「俺の留守中に、なにかあったのか?」
まずは順を追って説明して欲しい旨を告げると、ジョージは頷き、申し訳なさそうな表情で委細を話し始めた。
「旦那様がお留守の間に、フレデリック様がお越しになりました」
「フレッドが? なにしに?」
「先日の、お姉様方の非礼をお詫びしたいと、奥様を訪ねてお出ででした」
まだ七歳のフレデリックだが、二人の姉が口が達者で騒がしく、我儘もしたい放題な所為なのか、妙に達観して斜に構えている節がある。エリックの前では子供らしい表情を見せもするのだが、姉妹の前では冷静というよりも冷ややかな態度をとることが多い。
そんな彼が、わざわざ姉達の暴挙を詫びに来るなどと、少し意外な思いがした。
そこが問題なのだ、とジョージは言う。
「お詫びというのは建前だったのです。それに気づかず、わたくしは奥様の許へお通ししてしまいました」
まさか今度はフレデリックがミシェットに暴言を吐いたのだろうか。それは大変な問題だ、と思うが、ジョージが口にしたのは別の意味で大問題だった。
「フレデリック様は、奥様に求婚なさりにいらしたご様子でした」
信頼する家令がいったいなにを言っているのか、エリックには理解できなかった。
たっぷり時間をかけて彼の言葉を何度も反芻してから、やっぱり理解できずに首を傾げた。
「――…もう一度、言ってもらえるか?」
「何度でも申し上げます。フレデリック様は、奥様に、求婚なさいました」
本当に意味がわからなかった。ジョージが急に公用語以外の言葉を話し始めたのではないかと思え始める。
しかし、訴えかけてくるジョージの表情は真剣そのもので、嘘を言っているようでもなく、冗談を口にしているわけでもなさそうだった。ますますわけがわからない。
「フレデリックが、ミシェットに?」
「はい」
「結婚してくれ、と?」
「はい」
生来考えることが苦手なエリックは、ここでもうお手上げだった。
「俺は、ミシェットは俺の妻だと、確かに伝えた筈なんだが」
その現場にジョージは居合わせなかったが、帰り際のアシュリーの口振りから、そのことはフレデリックも知っているものと見受けられた。なので、エリックの呟きに頷き返す。
「一目惚れとか、そういうことはわかる。俺だって、すれ違い様にいいと思う女と出会ったことくらいあるし、気持ちはわからなくもない」
「そのご意見にはわたくしも同意致します」
「でも、他人のものを取ろうとか、そういう考えには至ったら駄目だろう」
異国では一夫多妻制で一人の夫が複数の妻を娶ることが許されている国もあるが、ブライトヘイルではそのようなことは許されておらず、重婚も禁止だ。法に定められてないのをいいことに愛人を囲う者もあるが、道徳的に見て恥ずべきことと見做されている。
フレデリックの意図がまったく見えない。子供故に、素直に自分の気持ちに従っただけのことなのだろうか。
頭を抱えながら、エリックはミシェットと出会ったばかりの頃のことを思い出す。
政治的な事情で婚姻関係を結んだ二人であり、ミシェットはまだ幼く、結婚するという意味もあまり深く理解してはいないのではないか、と懸念したのではなかったか。
まだ九歳の新妻は、初恋も未経験なのかも知れない。そんな彼女が十四も年上の夫と添い遂げる覚悟など、本来の意味ではできていないだろう――そう考えたエリックは、もしもミシェットが、一般的に結婚するのに適した十六や十八くらいの年頃になり、同じ年頃の男の子に恋をしたとしたら、自分はその恋を応援するつもりだし、離縁にも応じるつもりでいたのだ。
(フレッドは七歳で、ミシェットは九歳……二歳差か)
エリックがこの縁談を伝えられたとき、真っ先に困惑したのが年の差のことだった。
その年齢差が重要な縁談だったので断ることなくミシェットを妻に迎えたが、本来なら、フレデリックとの方が釣り合いが取れていたのだ。
生まれたときから知っているだけに、フレデリックのことをまだまだ幼児と思って選択肢から除外していたが、年齢的にも二歳差で、血筋的にも王族傍系の嫡子であり、現国王の姉の息子ということで問題なく、本来なら最良の縁談相手はあの甥だったのではなかろうか。
年齢の差が必要となる理由は、幸か不幸か、アイリーンの死を以て排除された。それに因ってミシェットの命が狙われる理由がなくなったのだから、彼女はもういつでもヴァンメール公国に戻れるし、エリックと夫婦でいる必要もない。
ふっと、気が抜けた。
(そうか……)
ずっと慌ただしくしていたし、ミシェットが隣にいることが当たり前になりつつあったので失念していたが、この結婚に意味はなくなっていたのだ。
「――…旦那様?」
黙り込んでぼんやりとした表情になった主人の姿に、ジョージは心配そうな声をかける。
ああ、と頷き、エリックは立ち上がった。
「夕食の時間を少し遅らせてくれ。ミシェットと話をする」
「是非そうなさってください。奥様はお部屋に閉じ籠もられたままなのです」
ジョージは嬉しそうに頷いた。フレデリックが帰ったあとからミシェットは部屋に閉じ籠もり、屋敷の使用人達は皆で心配していたのだ。
部屋を訪ねようかと思ったが、彼女に部屋にはニーナもいることだろうと思い、場所を移すことにした。誰にも口出しされず、ミシェット自身の意見を聞きたい。
温室へ呼び出してくれるように告げ、エリックはその足で先に温室へと向かった。
夜の庭はやはり冷えたが、昼に温まった空気の残っている温室はまだ暖かかった。それでも少し冷えるかと思い、あまり使わない薪ストーブに照明の替わりも兼ねて火を入れ、換気用の小さな窓を半分開けていると、そこにミシェットがやって来た。
ニーナに着せられたのか、大きく温かそうな肩掛けを身体に巻きつけている。
「エリック様……」
小さく名前を呼ぶ声が微かに震えていたので、手招きし、傍へ来るように示した。
「お戻りなさいませ」
「ただいま」
頷きながらついいつもの癖で抱き寄せようとして、思い留まった。持ち上げかけた手を下ろし、長椅子に座るように促す。
言われるままにミシェットが座ったので、エリックもその隣に座った。
ストーブの中で薪が爆ぜる音が静かに響く。炎の揺らめきが淡くミシェットの頬を染め、彼女の瞳がやけに煌めいていることに気づかされる。泣いていたのだろう。
エリックはどう話を切り出すか悩みながら、自分が考えていることをゆっくりと整理していき、静かに口を開いた。
「フレッドのことを、聞きました」
その名前にミシェットがぱっと顔を上げるが、すぐに俯き、小さな頷きだけが残される。
「わたしは難しい話は苦手なので、単刀直入に言います」
膝の上に置いていた両手の指先に、知らずうちに力が籠もる。ぐっと握り締めてしまった拳を意識して解きながら、小さく深呼吸した。
「ミシェットが望むのなら、現在の婚姻関係を解消することも可能です」
その言葉にミシェットは強い衝撃を受けた。長い睫毛に縁取られた大きな瞳が更に大きく見開かれ、愕然とエリックの横顔を映し込む。
「これはもう少しして、あなたが恋をしたりするようになったときにでも伝えようと思っていたことですが、わたしは、あなたが年頃になった頃に、わたし以外の誰かと添い遂げたいと思うような恋をしたのなら、快く離縁に応じようと思っていました。政略結婚で結ばれたわたしが、まだ若いあなたの幸せを邪魔してはいけないと思っていましたから」
エリックの言葉を聞いていたミシェットのふっくらとした薔薇色の愛らしい唇が戦慄き、それを抑えるように噛み締められる。
そんな妻の様子を感じながら、エリックは一呼吸置いて「少し大人の話をしましょう」と告げた。それは婚姻宣誓書に署名をする日の朝、ミシェットの両親の墓前で彼が言ったのと同じ言葉だった。
「わたし達の縁談は、あなたをヴァンメール公国から連れ出す為の理由づけが大きなものでした。その原因となっていたアイリーン公女は、今以て生死不明で、所在も定かではない。幸か不幸か、あなたがヴァンメールを離れる理由はなくなったわけです」
それはミシェットにもわかっている。けれど、それがエリックと離縁する理由になるとは思っていなかった。
「これはわたしも失念していたことで申し訳ないのですが、あなたはもう、故郷を離れる理由はなくなっていたんですよ。ミシェット」
エリックの言葉に、ミシェットは頷くこともなにもなかった。
返事の代わりのように、見開かれた双眸から透明な雫が滴り落ちる。言葉はなく、ぽろぽろと音がしそうな大粒の涙が、瞬きの度にふっくらとした頬の曲線の上を転がり落ちていく。
エリックはどうしようもない気持ちになった。泣かせてしまった、とおろおろする気持ちと、それをどうすればいいのか、と戸惑う気持ちが虚しく溢れ、幼い妻が泣く姿をただ見つめることしかできない。
ミシェットは小さな両手で顔を覆い、俯いた。
「――…私は、……っ」
しゃくり上げながらミシェットは自分の思いを口にしようとするが、言葉が詰まってなかなか出て来ない。エリックはそれを黙って見守った。
ミシェットは悲しくて堪らなかった。エリックがこんな話を持ち出したのは、やっぱりミシェットと結婚などしたくなかったのだということだろうし、早く追い出したいと思っている証拠にも思える。
いつもなら抱き締めてくれるのに、今はなにもしてくれない。そのことも悲しかった。
(指輪をくださると、仰っていたのに……)
怪我をして療養しているときに彼は言った。結婚指輪を用意しようか、と。
彼に上手く気持ちを伝えられたかはわからなかったが、ミシェットはそれが嬉しくて堪らなかった。自分との結婚を疎ましく感じているのではないかと思っていたミシェットに、彼は確かな約束をくれようとしてくれていたので、その気持ちが泣き出したいくらいに嬉しかったのだ。
その約束をした日、ミシェットは初めてエリックとくちづけを交わした。
ありふれた日常の挨拶のような頬や額にではなく、異性と唇が触れあってのくちづけは、ミシェットには初めてのものだった。
ミシェットはエリックと一緒にいられることが嬉しかった。彼と話せると心が温かくなり、抱き締められると安心した。
今日は一日一緒にいられなくて悲しくて寂しかったが、エリックはミシェットと同じ気持ちではなかったのだ。
(お嫁様は私でいいとおっしゃってくださっていたのに……!)
たった今告げられた夫の言葉は、ミシェットの心を酷く傷つけた。
フレデリックから求婚されたとき、ミシェットは戸惑うと同時に、揶揄われていると思って苦笑した。彼は本気だったらしいのだが、ミシェットはフレデリックに対して、エリックに抱くような気持ちは感じなかった。それがミシェットの答えだった。
ミシェットはエリックに対し、幼い恋心を既に抱いている。
出会ってまだひと月しか経たない関係であるので、大人から見てみたら馬鹿らしいと感じられるかも知れないが、ミシェットは確かにこの気持ちは恋だと思っていた。
優しくしてくれるエリックに、彼もミシェットと同じ気持ちでいてくれているのだと思っていたのだが、違っていたのだ。そのことがとても悲しかった。
ミシェットは右手で左手を握り締める。約束の指輪が嵌められる筈だった細い指は、ぷっくりと肉づきよく、先端にある爪は形はいいが小さく、悲しいくらいに幼い。
この幼い手が、大きなエリックの手に釣り合う筈がなかったのだ。
「――…エリック様が、望まれるのなら……」
ミシェットは言葉を絞り出す。
叔母がリドウィニア達に連れ去られたことにより、ミシェットがヴァンメール公国を離れる理由がなくなったのは事実だろう。
彼が望むのなら、自分は故国に帰ろう。まだ九歳の自分が彼に釣り合わないように、二十三歳の彼には釣り合いの取れる人が相応しい。
妻の絞り出した言葉に、エリックは表情を曇らせた。
「ミシェットの気持ちを聞きたいんです」
次に夫が言ったその言葉は残酷だった。
ミシェットは涙に濡れて真っ赤になった双眸を夫に向ける。
「エリック様は、狡いです!」
離縁を望んでいるのはそちらではないのか、とミシェットは思う。それなのに、ミシェットが望んでいるから、と逃げようとしているように思えて、腹が立ってきた。
「私は、エリック様との結婚を、嫌だと思ったことはありません! 私なんかがお嫁様でお嫌なのは、エリック様の方なのでしょう!?」
初めて聞くような幼い妻の苛立った声に、エリックは一瞬怯んだ。
小さな胸の中いっぱいに広がった憤りの持って行き場がなくなり、ミシェットは拳を握り締めると、それをエリックの胸へとぶつけた。厚い筋肉に覆われたそこに痛みはなかったが、小さな拳はそれで勢いを得たのか、ぽかぽかと繰り返し打ち込まれる。
しばらくそうして酷い夫を殴り続けていたミシェットだったが、徐々にその拳に勢いを失くし、倒れ込むようにして凭れ掛かってきた。その小さな身体を慌てて抱き留めると、彼女はうーうー呻きながら涙を零していた。
(どうすればよかったんだ……)
彼女はその小さな身体いっぱいで苦しんでいる。
ヴァンメール公国で幼いミシェットと出会って以来、エリックは悩んでいた。十にならない幼い彼女は、こんなことにならなければ、これから多くの人との出会いや別れなどを含め、豊かな経験をしていただろう。いくら命を狙われていたからとはいえ、彼女が過ごすべきだった青春を奪ってよいものか、と考えていたのだ。
ミシェットが自分のことを好いてくれていることは、なんとなく気づいていた。けれどそれは、決して恋ではないとエリックは思っている。自分を危険から守ってくれる大人に対する敬愛や思慕に他ならない。恋ではない。
エリックもそうだ。ミシェットを妻にすると覚悟を決めたときに、彼女を大切にしようとは思ったが、それは愛情ではあるが恋ではない。
婚姻という契約に縛られる必要がなくなったのならば、エリックは彼女を守る者として、解放してやることも考えてやらなければならなかったのだ。
そのことを失念していた彼に、フレデリックの求婚はいいきっかけになってくれた。
元々エリックには、結婚願望はなかった。王家に連なる血筋であるから、政治的な婚姻を求められれば従うし、命じられれば国の方針に従おうと思っていた。軍属である故に、いつ戦地に赴いて死ぬことになるかも知れないと思うと、残される妻子は憐れだ。だから特定の恋人は作ろうと思わなかったし、積極的に女性と親しくなるつもりもなかった。
そんな自分が妻帯したのはやっぱり政治的な理由からだったし、その相手がこんなにも幼い少女だったので、夫婦となるにはなかなかに障害が大きくも感じていた。先日のアシュリーの指摘はそこを酷く刺激したのだ。
いろいろ考えていた矢先の今日の出来事で、エリックは許容量の少ない自分の頭で必死に考えた結果、妻に離縁を考える可能性を示したのだが――
泣きじゃくる妻の背中にそっと腕を回し、抱き締める。小さな身体が僅かに揺れて緊張したようだが、すぐに縋りつくように彼女も手を伸ばしてきた。
「前にも言いましたが、あなたとの結婚を嫌だとは思っていません」
「嘘っ」
くぐもった声が即座に否定する。大人しいミシェットにしてはなかなか強い口調だ。
「本当です。ただ、これから素敵な女性に成長していくであろうあなたに、わたしのような年上の夫は、邪魔なだけだと思ってはいました」
「そんなこと思いません!」
「それは、今のあなただから思うことです。五年後、十年後のあなたなら……」
「思いません! エリック様がいいです!」
そう叫んでしがみついてくる妻の姿に、エリックは素直に驚いた。いつも控えめなミシェットの強い口調と、はっきりとした意思の主張は、初めてのことではないだろうか。
エリックの胸の奥に温かいものが込み上げてくる。
彼女は今の気持ちを、十年後にも後悔はしないだろうか。
それならば、エリックも覚悟を決めるべきだろう。
「渡したいものがあります」
エリックは立ち上がり、ミシェットを抱き上げる。いつものように片腕に抱えるのではなく、両腕でしっかりと。
温室を出て屋敷の中に戻ると、まっすぐに自分の寝室へ向かう。ミシェットは不思議そうにエリックの横顔を見つめていたが、なにも言わずにそのまま彼に従った。
寝室の扉を開けて中に入ると、暖炉には既に火が入れられ、主が不在だったのにも拘らず過ごしやすい室温になっていた。その暖炉の前にミシェットを降ろすと、エリックは寝台の傍の小間物机の抽斗を開け、中から掌に乗る大きさの小箱を取り出した。
彼はミシェットの前でその箱を開き、中を見せる。
「亡くなった母のものです」
箱の中に納められていたのは、金に繊細な細工の施された指輪だった。
「わたしは植物には詳しくないのですが、それぞれに象徴する言葉というものがあるらしいですね。この模様は木蔦という植物だそうで、花言葉は『結婚』だそうです」
その説明から、この指輪が彼の母親の結婚指輪だったのだと悟る。
エリックは箱から指輪を取り出すと、ミシェットの小さな手を取ってその薬指に嵌める。
箱の中に納められているときは小さく細い指輪に見えたが、やはりミシェットの指にはまだ大きく、隙間があってくるくると回るし、すぐに抜け落ちそうだ。
「この指輪が、あなたの指に丁度よくなる頃、もう一度先程の質問をさせて頂きたいんです」
ミシェットの小さな手を握りながら、エリックは言う。
この婚姻関係を継続させるか否か、改めてもう一度問いたい、と。
「あなたには失礼なことだとは思いますが、わたしは叔父として、甥の幼い初恋の行方を見守ってあげたい気持ちもあるんです」
ミシェットが黙っていると、エリックは苦笑しながら言った。
「本気で嫌だったら拒んでやってください。それで諦めるような奴だったらそこまでです。でも、もし、何年も一途にあなたを思い続けて、あなたもその気持ちに応えてあげたいと思うようになったら……」
「そんなことあり得ません」
被せ気味に夫の言葉を否定し、ミシェットは指輪の嵌った手を握り締める。
「私の旦那様は、エリック様だけです」
ミシェットの決意は固いようだ。エリックは苦笑する。
「わかっています。でも、気持ちは変わることがあります」
「そんなこと」
「ないとは言い切れないんです。だから、ミシェットの為にも、フレデリックの為にも、もちろんわたしの為にも、その指輪が丁度よくなるまで時間をください」
納得のいかないような表情のミシェットの小さな手を取り、そっと口づける。
「その指輪が丁度よくなったときも、あなたが変わらずわたしの妻でいいと思ってくれていたら――本当の夫婦になりましょう」
ミシェットは首を傾げて瞬いた。
二人揃って婚姻宣誓書に署名をしたのだから、もう夫婦の筈だ。それなのに、何故そんなことを言うのだろうか。
けれど、ミシェットは夫の言葉に頷いた。
この指輪が丁度よくなるのが、いつのことかはわからない。一年後か、二年後か、もしかしたらうんと時間がかかって十年後かも知れない。
それでもミシェットには、ずっとエリックを好きでいられる自信があった。




