第39話 ボッカ直前
リリカとともに帝国の街ボッカへ向かうジン。
波乱の帝国編は、ちょっぴり可笑しなエピソードで始まる。
雪上を猛スピードで駆け抜ける黒い塊がひとつ。
既に真っ黒な帳が落ちた中では、その姿を目視することは出来ない。ザラメの星空は、その輪郭を形作るだけ。
ゆっくり進めば、雪の大海原に雲から覗く星空という壮大な景色を楽しむことが出来ようが、2人にそんな余裕はない。
もっとも、片方は静かに寝息を漏らしてはいるが...。
「んうぅ...」
肩の辺りで寝息が漏れる。
盛り上がりを見せた話も途切れ、夕暮れを迎えたところでうつらうつらとし始めていたリリカは、日が落ちた頃には完全に眠りについていた。途中から落ちないようにと、背中に紐でしばりつけていたため何の心配もないが、さすがに夜になれば自分にも睡魔が来ることを考えれば一刻も早い到着が望ましい。
──既に街の灯りが見えているので、そんな心配は既に消え去ったのだが。
ボッカ。帝国とフェルド半島の付け根に位置する、帝国国境の町。宿が多く、冒険者への待遇が厚いことから「帝国の宿街」と言われるほどに、その評価は高い。特に冬場は冒険者の他に、帝都勤務の人達が休みに来たり、帝国貴族が別荘に来ることもあるので、その賑わいはより顕著に見られることとなる。
──10人の4人は帝都首脳部勤め。ルナは休暇でボッカに来ると言っていたか。
最後に見た、ルナの表情が目に浮かぶ。普段の態度からは想像できない、最初に路地裏で拾った時と同じような──。
やめよう。ただでさえ黄金竜討伐で嫌な予感しかしないのだから、せめて明るいことを考えよう。
例えば。そう、リリカのこじんまりしたクッションが私の背中に──。
やめよう。柄じゃないな。そんな目で見てしまっては彼方のケインに顔向けできない。彼はまだ生きているけどね。
そうだな、ルナとの楽しかった出来事でも思い出してみるか。
そんなことを1人で思ってみたが、相手の使った剣技や魔法以外では、めっぽう記憶力が悪いらしく、あっただろうエピソードも数える程しか思い出せない。
そうだな。そういえばあんなことが──。
「なあ」
「なあに?」
吹いても飛ばないギリギリを攻めたような木造建築の、谷側にある円形の広場。その形状と用途から、「コロシアム」と名付けたその端っこに、私とルナはお互いぐったりと寝っ転がっていた。
短い夏が終わり、冬の知らせを肌で感じながら稽古の熱を冷やす。師匠との1対10を終え、他のみんなが家に戻ったあとで私とリリカだけがする1対1。その疲れは、2人でゆったりと消化する。
ルナには言わないが、至極気持ちのいい時間だった。
ルナは、出会いが出会いだったためか、俺の近くにいることが多い。別に何も困ったことは無いし、1対1も寝っ転がると気持ちいいこの場所もも、彼女から誘ってくれたので、このままでいいかな、なんて思っている。
今は、私たちは普段住まう木造建築のそばで寝っ転がっているため、建物内の音が少しだけ耳に届く。
普段なら、ハルとディランの怒鳴り声が聞こえたり、それを師匠が諌める声が聞こえたり、結局取っ組み合いになってバフルとレオンが押さえつけるような声が聞こえたりする。
そんな賑やかで、喧嘩をしてもちょっぴり楽しげな雰囲気を耳だけで楽しむのが、私たちの稽古後の日課だ。
ただし、今日は違う。
「...ケントたち防音忘れてるよな」
「うん、エッチな声聞こえてくるね」
「もう少し言葉を濁せ...」
私たちに日課があるように、他の人にも日課がある。
例えば、ケントとクレアの場合になると──。
「でも、体を動かした後に性欲が昂るってよくあることみたいだよ」
「ルナって淑女だよな...?」
「15歳のピッチピチの女の子だけど」
「そうだね」
ニワトリが朝鳴くのと同じように喧嘩を始めるハルとディランも、今日に限っては静かだ。まあ、それもそうだろう。
──いつもは防音してくれているはずの、2人の嬌声が聞こえてくるのだから。
『あああああああああああああ!!』
『うおおああああああああああ!!』
突如聞こえてくる叫び声。いつもよりも声量の大きいそれは、必死さと焦りが滲み出たハルとディランの叫び声。
「いつもより元気だね」
「そりゃあな、みんながいる中で聞いたら恥ずかしいだろ」
いつの間にか、他の声も混ざって聞こえてくる。バフルとレオンだろうか。必死だ。
まだジージーとうるさく鳴く蝉の声も、この時だけは聞こえようもなかった。
「...ね。あたしと一緒に聞いても恥ずかしくないの?」
「...恥ずかしくないわけないだろう」
顔を覗き込むようにして問うルナから顔を背け、コロシアムで1番大きな幹を目に入れる。
ああ雄大。雄大すぎて俗世のこと忘れちゃうな。喘ぎ声なんて聞こえないな。
すると、何を思ったのか。ルナは体を乗り出し、両手で私の顔を挟むように手を着く。
心做しかルナの顔が赤い。荒い息遣いがすぐ目の前で聞こえる。
「あたしたちも、シてみない?」
「...」
平静を保っているはずだが、多分私の心臓も顔も呼吸も平常のそれとは違うだろう。さて、そもそもこういう悪ふざけはルナがしたことは無いし、ここで断ることは所謂「男の風上にも置けない」だったか。まあ、街に繰り出すナンパ(レオン)君の言葉だけど。
ルナの顔がゆっくりと落ちてきて、さあどうしようと行ったところ──。
バッ、とルナが飛び退いていつもの位置に寝っ転がる。
どうしたのだろうかと思っていると、なるほど。近づく気配がひとつ。
「...あ。見つけた」
アルフィが建物の奥の角から顔を出す。
いつの間にか絶叫は消えて、それでもまだ嬌声は聞こえる。
「ルナ、防音できるでしょ?あの部屋にかけてくれない?」
「うーん。あたし外からかけるのはしたことないから、上手くいかないかもだけど?」
そう言って立ち上がるルナは、自信なさげながらもアルフィの元へ。急かすようなアルフィは
「やるだけやってみて」
と、角の奥に行ってしまう。
「邪魔したね」
「なっ...!?」
そんな声が聞こえてきた。
──完全にリリカの胸に引っ張られたな。
そんなことを思い出していたおかげで、街の灯りはすぐ目の前まで迫っているが、当人に会うにあたっては思い出してはいけない類の記憶だった気がする。
結局あれ以来、積極的な言葉はなかったものの、やけに距離を近づけてくることが多くなった。私も私で自分の中でも折り合いをつけて、手を出さないことにちゃんと収まったが。
「...ふぁあふ」
耳元で小さなあくびがひとつ。
「...おはようございます」
「もうすぐつく」
「はい」
そういえば、リリカにルナのことを話していない。彼女からも私の過去のことを聞いてこないし、会って問題が起きそうな相手でもない。
会った時に説明するくらいでいいだろう。
ルナは、ボッカにいるだろうか。
ルナは相変わらず元気だろうか。
──再会して、私はどんな感情を覚えるのだろうか。




