信じるために差し出されたのは1
驚きのあまり、私は思わず息を止める。
そうしている間に、フレイさんは私と自分の頬を触れ合わせた。
頭の中が真っ白になりそうな気持ちの中、フレイさんの体温だけを頬に感じる。
……暖かい。
フレイさんがなだめてくれているのがわかる。
「大丈夫、もうあなたを害する人はいない」
そう言って背中を撫でてくれた。……もう、大丈夫。そうあれは過去のことだ。
「ユラ、生きてる」
「ほらもう平気」
また精霊の声がして、今度はふわっと肩の力が抜ける気がした。
そうして私が、むやみに息を吸い込もうとするのをやめたからだろう、フレイさんはすぐに顔を離して私に言った。
「大丈夫かい、ユラさん」
ぼうぜんとした私に呼びかける表情は、とても真剣なものだった。
数秒して、私は自分の呼吸が落ち着いたことにようやく気づく。
たぶん今のフレイさんの行動で、私はパニックになりかけていたところを、落ち着かせてもらえたのだ。
フレイさんはまだ私の背中を撫でてくれている。まだ落ち着ききっていないと思ったのかもしれない。
私も頭がまだくらくらしていて、すぐにどうこうできない。
酸欠というより、これは空気を吸い過ぎたんだろう。
「場所を移動しましょう。思い出すようなものの側にいるのは良くなさそうだからね」
そのうちにフレイさんが私を抱え上げて、池の側から離れた。
火竜さんも「ふーっ、人とは面倒なものよ……」と言いながらも、飛んでついてくる。
私はなされるがまま、緑が残る場所の倒木の上に座らせられる。
まだめまいも酸欠状態だったような感じもまだ残っているけれど、少し落ち着いた。
「人は驚き過ぎたり、苦しい記憶を思い出すようなことがあると、混乱して息を吸い過ぎることがあるからね。それで死ぬことだってある。だから今日一日は、ゆっくりした方がいい」
「はい……あの、ありがとうございます」
ようやく答えを返したことで、フレイさんはほっとしたように私の隣に座った。
まだ背中に力を入れてしゃんと座っていられないから、フレイさんに抱えられるようにされると、とても楽でありがたい。
たぶんフレイさんも、そのつもりでしているんだろう。
「ユラさんは……敵が、自害したのを見たのが衝撃だったのかい?」
尋ねられて、私はうなずく。
「私、精霊融合の禁術を使われる直前のことを、思い出して……。術の前に、剣で胸を刺されて……」
あ、だめだ。また思い出しそうになる。
と思ったらゴブリン精霊が飛んで来て、私の頬にぺったりとくっついた。
「俺の真似かな」
フレイさんが言う。
ああ、そうかもしれない。私は笑おうとして、でもフレイさんとあんなことになったのを思い出して恥ずかしくなった後で……気づいた。
「フレイさん、精霊が見え……」
顔を見上げようとする。でも抱えられているから、顎しかちゃんと見えない。
どんな表情をしているのかはわからないけれど、フレイさんは答えた。
「そうだ。俺は元から、精霊が見えるんだ……ユラさん」
フレイさんの口から聞いても、私はまだ信じられない気持ちだった。
そんなまさか。今まで精霊は見えないような行動をしていたのに。見えていたからって悪いことじゃないはずなのに、どうして?
尋ねる前に、フレイさんが話し始めた。
「長い話を、聞いてくれるかい?」
私がうなずくと、フレイさんはゆっくりと語る。
「俺はもともと、イドリシア王国の出身なんだ。あそこは王国と言っても山間の小さな国で。けれど精霊の聖地もあって精霊の数が多く、鉱物の産出もあって、のどかなのにそこそこ豊かな場所だった。人々も、精霊が見え、精霊術が使える者も多い」
懐かしむような声音に、フレイさんがイドリシア王国のことをとても愛していたんだとわかる。
「なんぞ。貴様は我と同郷か」
火竜さんはフレイさんの足下にいて、その足先を蹴る。ブーツに覆われているので、フレイさんは痛くはないだろうけれど。
そうか火竜さんのお家は、イドリシアにあるんだ。
「俺は公爵家の生まれなんだ。王弟だった父が臣籍に下って作られた公爵家で……だから、あの時」
フレイさんが一瞬、言いよどんだ。
「イドリシアが隣国タナストラに侵略された時、小さな国なので王宮へ潜入していた者によって、王族は殺された。王族は精霊術が扱える者ばかりだとわかっていたから、暗殺して最初に潰そうとしたんだろう。俺は生き残った王位継承者の一人として、母親と逃げなくてはならなかった」
フレイさんや他の王族の縁者達は、精霊のおかげでいち早く逃げ出せたと思った。
けれどそれでは遅かったのだ。
イドリシアの国境は、既にタナストラによって固められていた。
フレイさん達は避難する人々と一緒に、戦ってその包囲を抜けたのだけど。
「沢山の人が死んだ。他の傍系王族も年長者から亡くなっていって、もう俺しか残っていないという状態になった。だからどうしても、俺は生き延びさせようと、母も犠牲になった」
そうして沢山の犠牲を払って、フレイさんとイドリシアの人々のいくらかは、ここアーレンダール王国へ逃げ延びたらしい。
「さっき君を攻撃しようとしたのは、イドリシアの人間だ」
「……だから、ですか」
フレイさんを様付けで呼んでいたのも。フレイさんのことを知っているようだったのも。
そこでふと、フレイさんはどうなんだろうと思った。
「どうして、イドリシアの人が……。あの人達は、魔女を作ろうとしたんですよね? フレイさんは……フレイさんもですか?」
全部知っていて、魔女を作ることに協力していたのだろうか。みんなにとって、最後に残った王家の人だというのなら、知らないはずがない。
そんな疑いが心の中に生まれ、少しフレイさんのことが怖くなった。
でもさっきは、私のことを助けようとしてくれた。だから違うと思いたいけれど。
「言い訳になるけれど、俺は、後からそのことを知ったんだ。君が喫茶店を開くようになった後のことだ。イドリシアの人間が接触してきて……」
フレイさんは一度言いよどんだ後で、支えるような体勢から、私をぎゅっと抱きしめる。
「君は、俺の故郷の人々のせいで、魔女にされてしまったんだ。すまない……」
「…………!」
え、フレイさん。まさか……。
「わ、わたし」
「火竜と戦ったあの時、他の魔女に奪われないように、君が魔力を取り込んだのはわかっていたんだ。そんなことができるのは、魔女しかいない。それに……前から、わかっていたんだ」




