あらゆる透明な…… その十一
志空は両手で頭骨を包み込み、胸に押しつけた。
がくがく震える膝を立てて、どうにかこうにか正座になった。
「愛子ぉぉ――! 教授ぅぅ―――! 来てくれぇぇ―――!」
叫ぶと同時に志空の髪の毛が爆発的に伸び始めた。その長さに比例して心身に澱んでいた瘴気がみるみる消化されていく。
志空の周りがたたみ六畳ほど黒く染めたところで髪は成長を止めた。
そこに愛子達が駆けつけた。猛雄と忠が居ないのを見ると、忠は寝ている猛雄に付き添うようにでも言いつけられたのだろう。
最初に博生が声を上げた。
「なんだ、こりゃあ!」
「えっ? 何これ、すっごいロング!」
と言う愛子の隣で、仁美がムカデでも見るような目を向けてくる。
「長髪の悟成さんって……、かなり気持ち悪いですねぇ」
「これは面白い! お疲れのところ悪いんだけどねぇ悟成君、ちょっと説明してくれないかい?」
続く巧からも勝手な事をまくし立てられた志空はげんなりした。
「あの、皆さんさっきの状況は見てたんですよね?」
「あんなのうちの会社にとっては日常茶飯事だ」
博生にさも当然といった顔で言われる――その横で愛子も無言でうなづいている。
「傍から見れば、あれはただの喜劇でしたよ」
仁美からはこの上なく御無体な寸評をされた。
そして、焦れた巧が両手を振ってだだをこね始める。
「なんでもいいから早く説明してくれ!」
「……ちょっと待って下さい」
志空はポケットのハンカチを取り出して左頬の内側にあてがった。さっきまで存命危機にさらされて、痛みが麻痺していた傷だが、段々じくじくと痛み込み上げてきた。
「簡単に説明しますよ。まず山凌の無光体と、あちこちから集めて団子になってた複合無光体の奴らを、すべて俺の中に押し込みました。
つまり、無光子に搭載された連中の鬱屈を、俺の身体で発散させてやったんです。
結局のところ、感情の爆発なんて許容ができさえすれば幾ら受け取っても無害にする事ができます。
それから、話の通じない無光体や浄化された無光子の残りは、俺の中で粒子の種類を変換した後、こういった形で体外に放出したんですよ」
言いながら志空は、おとぎ話みたく伸び上がった髪をつかんで軽く引っ張ってみせる。
「余談ですが、きっと『エクソシスト』のカラス神父は、これができなかったから悪魔に負けたんですよ」
巧が得心の笑みになって顎を引いた。
「なるほど、無光子を髪の毛に昇華したのか、一昔前にあった髪の伸びる人形の応用だね」
「ただ問題がありまして、この異常成長の際に発生する熱エネルギーの処理なんですが――」
「あれっ? そう言えば悟成さん、なんか顔赤過ぎませんか? 夕陽でわかりにくいですけど」
「だから、説明するってば! 時間が無いの!」
「余談を付け加えた口で何を言ってるんですか?」
仁美の突っ込みに噛み付いてから、さらに突っ込まれた志空は少々焦りながら並べ立てる。
「ただでさえ感情作用による発熱があるのに。これだけの早さで成長させたら、たかが髪と言ってもその成長にともなう発熱は結構なモノになります。
だから、俺が熱中症でぶっ倒れる前に山凌を治さなきゃいけません」
「治すってどうやってだ? 保羅のヤツはお前の髪の毛になっちまったんだろ?」
そう博生に訊かれ、志空はつい嘲りを含めて笑った。
「そんなヘマしませんよ。あいつとはそれなりに関わったんですから」
志空は自分の胸の辺りを小突いてみせる。
「ここに居ます」
小突いた箇所から痛みの波が広がって、志空は少し悶絶した。
それから、さらに説明を重ねる。
「愛子は人の身体から無光体を取り出す事ができるし、山凌の頭骨もここにあります。ですが、あれだけ暴れた山凌にまた同じ安全地帯は使えないかと思うんです……」
志空はここで頭痛に襲われて頭を押さえた。心配して寄り添おうする愛子を手で制し、大きく深呼吸をして続ける。
「ですから、別の形にするしかないと思って、前持って準備をしておきました。教授、出して下さい」
「ああ、うん分かった」
巧は持っていた大きな紙筒の封を解いて広げた。
途端に仁美が素っ頓狂な声で言う。
「えっ? これって?」
「巧がよくに惚気てた」
博生が訝りに眉を歪ませる隣で、愛子は広げられた一枚絵に釘付けになっていた。
「綺麗……」
広がった紙の上に保羅の頭骨を置き、その上に志空が左手を添えた。そして愛子に振り向く。
「それじゃあ愛子、保羅を取り出してくれ」
「うん、分かった。でも、何する気なの?」
志空は手の平に感じる保羅の頭骨の手触りを確かめながら、何百年も前を見ているような目をした。
「俺は、山凌との約束を守りたいんだ。それだけだよ」
「よく分かんないけど、約束は守らなきゃね」
「ああ、至極当然だ」
愛子が志空の胸に手を溶け込ませた。
仁美と博生は驚嘆を上げる。
すぐに保羅の頭が出てきて、ぐったりした顔を覗かせた。
それを見て巧が屈み込んできた。
「かなり弱ってるね。集めてきた無光体に自分の無光子を大分持っていかれたらしい」
「ある意味で神経剥き出しの身体のくせに無茶するからだ」
そう溜め息を吐いていると、愛子が心配そうな目で見てきた。
「助かる?」
志空はしっかりとうなづく。
すると、愛子は安心しきった顔で保羅を引き出した。
「山凌をそのままこの上に乗せて」
愛子は言われた通りに紙の上に保羅を横たえる。
「私には山凌さんの姿が見えないので残念です。まあ、何やってるのかは分かりますけど」
「私も想像で補うしかないな」
仁美と博生の奇妙な意気投合に巧が割って入る。
「僕の研究成果から言わせれば、君たちは普通の人よりREIには頻繁に関わってるんだから、実際にはもう見えるはずだよ。心のどこかで拒絶してるんじゃないかい?」
巧の講説に仁美と博生は揃ってばつの悪い顔をする。
志空は愛子に次の指示を出した。
「それじゃあ、次は俺の手に愛子の左手を重ねて」
「えっ! でも私、身体がそんなに頑丈じゃ無いから」
「だからいいんだ。文字通りに重ねてくれたらいい。大丈夫、絶対に痛くしない」
愛子はおずおずと左手を胸元で庇う。
「でも、ちょっと怖い……」
志空は愛子の目を真っ直ぐ見つめた。
「ごめん……。俺を信じてくれ、としか言えないんだ」
志空の言葉に、愛子は決心した様子で頷いた。
愛子の左手が添えられる。
「教授、ここからはまだ論文に書いてないところです。見所ですよ」
「そうか! じゃあ、聴こう。教え子の講義ほど価値のある授業は無い」
巧が興味津々と相槌を打った。
「俺の卒業論文のテーマは、簡単に言えば〝究極の相互理解〟です。
その本質はおそらく〝傷の付け合い〟。
つまり他者を理解したければ、他者と同様の傷を負う覚悟をしなければならない。身を削るくらいの覚悟の上で臨まなければ、相互理解は得られません」
どこかで聞いた事のある言葉を豪語した志空は、最後にこう付け足した。
「だが、それをできるヤツはおそらく早死にします。なぜなら、そんなのこの世界では綺麗すぎる。この世ではすぐに汚されてしまって生きていけません。
そして、俺はどうせなら一回くらいそんな綺麗な馬鹿野郎になってみたいです。今からそれを体現します」
そこから志空は黙って、愛子にだけ話し掛けた。
『もっとしっかり重ねて』
『えっ?』
『完全に俺の手に溶け込ませて。一つの手の平になるように』
『うん』
志空の手に添えられていた愛子の手が、一段下がって志空の手と完全に同化した。
瞬間――。
愛子の記憶が。志空の中に流れ込んだ。同時に志空の思いも愛子に流れ込む。
『よし、分かった』
志空は真剣な顔になった。
『愛子、今から俺の言う通りにやってみて』
『分かってるよ。今、解ったよ』
そう響かせて、愛子がうなづく。
『今までは、辛そうにしている誰かの手を取って、その場所から逃がしてあげたてたみたいだけど、これからは辛そうにしている誰かと手を繋いで一緒に歩いて行こうって考えに変えてくれ』
『うん、解ってる』
うなずく愛子に、志空はなおも諭すように続ける。
『お前は山凌を迎えに行くって言っただろ? 怒って辛い思いをしているから逃がしてあげるんじゃなくて、迎えに行くって』
『うん、友達だもん』
『そう思えるなら大丈夫だ。さぁ、山凌を連れて帰ろう』
志空は愛子と繋いだ手を、包み込んだ頭骨と一緒に保羅の無光体の内に滑り込ませてた。
『いいか、何か新しい事をやろうとするんじゃ無くて、思い出そうとしてみてくれ。自分が自分に成る前の事を。解るよな?』
『うん』
『何をやるべきかも定まらなかった。一切をあるがままに受け入れる事ができた。あの自我の閾値に達しなかった透明な頃を思い出すんだ。解るな?』
『うん、解ってる』
志空は、気付いた時には口に出して言っていた。
その声は自分でも驚くほど穏やかに響いた。
「俺達は元々できた事を忘れてるだけだ。だったら思い出せばいい」
すると、保羅が白と透明のまだら模様に輝きだした。保羅の内に入っている志空と愛子が繋いだ手も一緒に輝く。
志空の長い髪がざわざわと逆立ち、幾本もの束になって扇状に揺らめいた。
さらに、その髪にまで光が満ちていく。
その形はあたかも妖狐の尻尾のようで――。
なおも高く広く展開するその姿は、見る者を圧倒させた。




