波紋
王都視察を終えた翌日。
レオが迷子の子どもを助けた話は、思っていた以上の速さで王都中に広まっていた。
市場の商人たちが話し、客がそれを聞き、さらに別の誰かへ伝える。
たった一日で、
「帝国の皇子は優しいらしい」
そんな噂が生まれ始めていた。
もちろん、それを面白く思わない者たちもいる。
---
王城の一角。
重厚な扉の閉ざされた会議室。
そこには数名の貴族が集まっていた。
「面白くありませんな」
そう口を開いたのはヴァルディア侯爵だった。
白髪混じりの髪を撫でながら、不機嫌そうに眉を寄せる。
「たかが迷子を助けただけで、民は簡単に心を許す」
「所詮は敵国の皇子です」別の貴族も同意する。
「和平のためとはいえ、王配に迎えるなど危険すぎる」
部屋の空気は重い。
彼らは婚約反対派。
アストレア帝国を信用していない者たちだった。
「そもそも」
一人の男が静かに口を開く。
「なぜ王配を他国の人間に任せねばならないのでしょうな」
その言葉に、数人が顔を上げた。
男は続ける。
「この国にも優秀な若者はおります」
「王家に忠誠を誓い」
「ルヴェリアの未来を支えるに相応しい者が」
静寂。
やがて、ヴァルディア侯爵がゆっくり頷いた。
「例えば——」
そして、一つの名前が口にされる。
「アルヴィン・クロフォード」
部屋の空気が変わった。
誰もが知る名だった。
若くして侯爵家を継いだ天才。
剣も政治も優秀。
容姿も整い、貴族社会で絶大な人気を持つ青年。
そして何より。
生粋のルヴェリア人。
「確かに」
「彼なら民も納得する」
「王女殿下との釣り合いも取れる」
次々に賛同の声が上がる。
ヴァルディア侯爵は満足そうに微笑んだ。
「敵国の皇子よりも」
「我が国の未来を託せる男がいる」
その言葉は、静かに会議室へ響いた。
---
一方その頃。
アリアは何も知らなかった。
王城の書庫で、いつものように本を読んでいる。
正確には——
読もうとしていた。
「……」
ページが進まない。
理由は明白だった。
「……アリア様」
向かいに座るルエナが呆れた声を出す。
「またですか」
「また、とは何かしら」
「今ので十五回目ですからね」
「え?」
「ため息です」
アリアは言葉に詰まった。
そして数秒後。
「……そんなについていた?」
「ついていましたよ」
ルエナは確信した。
重症である。
「レオ皇子のことですね」
「違うわ」
「本当ですか?」
「本当よ」
急に書庫の扉が開いた。
「失礼いたします」
侍女が一人、部屋へ入ってくる。
「アリア様」
「どうしたの?」
「本日より、アルヴィン・クロフォード侯爵が王城へ滞在されるそうです」
アリアは首を傾げた。
「クロフォード侯爵?」
聞き覚えはある。
若くして侯爵位を継いだ有能な人物。
それくらいだ。
「なぜ?」
侍女は少し言いづらそうに答えた。
「国王陛下のご命令で、レオ皇子の滞在期間中、レオ皇子の遣いや交流の補佐を務めるとのことです」
ルエナの眉がぴくりと動いた。
急にどうしたものかと思うアリアのそばで、嫌な予感しかしないルエナ。
これが、婚約反対派による最初の一手だということに。
そして。
レオ・アストレア。
アルヴィン・クロフォード。
二人の男が初めて顔を合わせる日が、すぐそこまで迫っていた。
それが——
ルヴェリア王国の未来を揺るがす争いの始まりになるとも知らずに。




