遊園地4
ユキナの言葉が、妙に胸に引っかかった。
観覧車の中は静かだった。
遠くから微かに聞こえるアナウンス。
ガタン、とレールが軋む音。
窓の外では夕日がゆっくりと沈み、街にオレンジ色の光を落としている。
楽しかった。
それが、どうしても気になった。
「なんだよ急に。まだ終わってないだろ」
冗談めかして言ってみる。
するとユキナは、ふっと小さく笑った。
「うん、そうなんだけどさ」
けれど、その笑顔はどこか弱々しかった。
いつものユキナなら、もっとこう、騒がしい。
「次あれ乗りたい!」とか、「また来よう!」とか、無邪気に未来の話をする。
なのに今の彼女は、何かを噛み締めるように景色を眺めていた。
沈みゆく夕日が、白い横顔を赤く染めている。
綺麗だった。
幽霊だとか、そういうことを忘れるくらい。
「アキトさん」
「ん?」
「……私、今日ちょっとだけ分かった気がする」
俺は眉をひそめた。
「何が?」
ユキナはすぐには答えなかった。
窓に手を当てるような仕草をしながら、ゆっくりと口を開く。
「たぶん私、こういう普通のことがしたかったんだと思う」
普通。
その言葉が妙に重たかった。
「友達と遊んだり、放課後寄り道したり、好きな人できたり」
少しだけ笑う。
「ベタだよね」
「……別にベタじゃないだろ」
「でもさ、私、それを何一つやってない気がするんだ」
声が少しだけ震えていた。
俺は何も言えなかった。
夢で見た病室。
学校に行けない少女。
窓の外を見ながら、ただ時間だけが過ぎていく日々。
あれがユキナだったなら。
今言っている言葉は、きっと軽いものじゃない。
「みんなが当たり前にやってることが、すごく羨ましかったのかも」
ユキナは笑っていた。
でも、その笑顔が少しだけ泣きそうで。
俺は視線を逸らした。
なんて言えばいいかわからなかった。
同情なんてしたくない。
可哀想だとも思われたくないだろう。
ユキナは、そういうやつだ。
明るく笑って、無理やりでも前を向く。
だからこそ。
余計に苦しかった。
「……なら、これからやればいいだろ」
気づけば、そんな言葉が出ていた。
ユキナがきょとんとこちらを見る。
「青春、まだ全部終わったわけじゃない」
「でも私、幽霊だよ?」
「知ってる」
「成仏するかもしれないし」
「その時はその時だろ」
少し強めに言ってしまった。
俺自身、驚いた。
何をムキになってるんだ。
でも、止まらなかった。
「やりたいこと全部やればいい。遊園地も、旅行も、学校も。もっとあるなら増やせばいい」
俺は指を折りながら言う。
「夏祭りとか、花火とか、海とか、文化祭とか。恋愛だってしたきゃすればいい」
「恋愛!?」
ユキナが急に食いついた。
さっきまでの空気はどこへやら。
「え、何、急に?」
「いや、お前が言ったんだろ」
「私、恋愛とかしたことないよ!?」
「俺だってないわ」
「えっ」
沈黙。
ユキナが、じーーーっと見てくる。
なんだその目は。
「……アキトさんって、モテなさそうだもんね」
「うるさい!」
「なんか想像できる。学生時代ずっと帰宅部っぽい」
「帰宅部じゃねえ! 一応バスケ部だった!」
「嘘ぉ!?」
失礼すぎる。
けれど。
その瞬間だった。
ユキナが、ぷっと吹き出した。
「あははっ……!」
声をあげて笑っていた。
いつものユキナだった。
少し安心する。
観覧車はゆっくり頂上へ辿り着いていた。
窓の外には、夕暮れの街並みが広がっている。
ライトアップされた園内。
小さく見える人の波。
空はオレンジから紫へ変わり始めていた。
「きれい……」
ユキナがぽつりと呟く。
その声は静かだった。
「うん」
「私さ」
また、ユキナが話し始める。
今度はさっきみたいな暗さじゃなかった。
どこか照れ臭そうな顔だった。
「今日のこと、たぶん忘れないと思う」
「記憶なくても?」
「うん。なんとなく」
少し考えてから。
ユキナは小さく笑った。
「……初めての遊園地が、アキトさんでよかった」
ドクン、と心臓が跳ねた。
何言ってんだこいつ。
いや違う。
そういう意味じゃない。
わかってる。
わかってるのに。
変に意識してしまう。
「な、なんだよそれ」
「へへー」
顔を覗き込んでくる。
「照れた?」
「照れてない」
「顔赤いよ?」
「夕日のせいだ」
「テンプレきたー!」
くそ。
からかいやがって。
でも。
なんだろうな。
悪くなかった。
こういう時間。
誰かと出かけて。
くだらない話して。
笑って。
社会人になってから、いや、学生時代も含めて、こんな時間を過ごしたことがあっただろうか。
観覧車がゆっくり下降を始める。
終わりが近づく。
なのに、不思議と寂しさは少なかった。
きっとまた来れる。
そんな気がした。
ゴンドラが地上へ着く。
扉が開いた。
「よーし!」
ユキナが勢いよく立ち上がる。
外へ出ると、すっかり空は綺麗な夜空に変わっていた。
昼間の賑やかさは少し落ち着き、園内のライトが灯り始めている。
さっきまで元気いっぱいだった子供たちも、どこか帰る支度を始めていて。
遊園地特有の、“終わりが近い空気”が漂っていた。
「……楽しかったなぁ」
ユキナが、ぽつりと呟く。
その声は小さかった。
さっき観覧車の中で聞いた声と、少し似ていた。
「まだ帰るには早くないか?」
俺がそう言うと、ユキナは少し驚いたように目を丸くする。
「え?」
「閉園まで少しあるし」
そう言ったものの、正直、特に当てがあるわけじゃない。
ただ。
今日が終わるのが、少し惜しかった。
ユキナは少し考えたあと、ふと園内の一角を指差した。
「……あれ」
視線の先。
ゲームコーナーの近くに並ぶプリクラ機だった。
派手な装飾。
「盛れます!」だの「最強かわいい!」だの、よくわからない文字が踊っている。
高校生くらいの女子グループが騒ぎながら出てきた。
「……プリクラ?」
「なんか、青春っぽくない?」
ユキナが少しだけ遠慮がちに笑った。
「友達と遊んだ記念に撮るやつ」
その言い方に、俺は少し言葉を失った。
まただ。
当たり前だったものを、“憧れ”みたいに話す。
それが妙に胸に刺さる。
「私さ、そういうのやったことないんだよね」
俺は少しだけ視線を逸らしたあと、頭を掻いた。
「……じゃあ、撮るか」
「ほんと!?」
ぱっと顔が明るくなる。
その反応の速さよ。
「でも、お前写るのか?」
「気合い!」
「また根性論かよ」
えっへん、と胸を張る。
さっきまでのしんみりした空気はどこへやら。
その切り替えの早さが、少しだけ安心した。
俺たちはプリクラ機の前に立つ。
正直。男一人で入るのは、なかなか勇気がいる。
周りを見れば、カップルか女子高生ばかりだ。
「……帰るか」
「逃げるな」
「いや恥ずいだろ」
「撮りますよー!」
ぐいぐい押される。
くそ。
幽霊のくせに圧が強い。
観念して中へ入った。
狭い。
そして妙に明るい。
「どれにする?」
「盛れるやつ!」
「知らん」
適当におすすめを押す。
画面が勝手に進み始めた。
『顔を近づけてね♡』
なんだその圧。
「ほら近寄って!」
「近い近い!」
「もっと!」
「お前写らんだろ!」
カウントダウン。
3。
2。
1。
パシャ。
当然。
画面に映っていたのは俺だけだった。
「うわ、ぼっち感えぐ……」
「ごめんってぇ!」
ユキナが腹を抱えて笑っている。
くそ、絶対楽しんでる。
その後も何枚か撮った。
ピース。
変顔。
ハートポーズは全力で拒否した。
「アキトさんノリ悪い!」
「男一人でハート作る地獄考えろ!」
結局。俺は何も言わず少しだけ隣を空けて立った。
「……?」
不思議そうな顔をするユキナ。
「ほら、お前そこ」
写らなくても。
そこにいたって、残したかった。
パシャ。
写真が撮り終わる。
落書きタイム。
俺はペンで空いたスペースに、小さくポニーテールの女の子を描いた。
我ながら下手だ。
『本日の相棒』
そう書いて矢印を引く。
すると。
ユキナが、少しだけ黙った。
「……ばか」
「なんだよ」
少し笑って。
でも、どこか泣きそうな顔で。
「おっかしーの」
その言葉に、少しだけ胸が熱くなる。
プリクラを財布にしまい、俺たちは出口へ向かった。
夜の遊園地は綺麗だった。
昼間とは違う顔。
ライトアップされた観覧車。
遠くから聞こえる音楽。
閉園を知らせるアナウンス。
人波に混ざりながら歩く。
「今日は満足したか?」
そう聞くと。
ユキナは少し考えてから、大きく頷いた。
「うん」
それから、少しだけ照れ臭そうに笑う。
「……すっごく楽しかった」
今度の言葉は。
さっきみたいな、“終わりそうな響き”じゃなかった。
ちゃんと未来がある言い方だった。
それが少しだけ嬉しかった。
駅までの帰り道。
ユキナは鼻歌を歌っていた。
ポニーテールを揺らしながら、今日あったことを何度も話してくる。
「あのコーヒーカップまた乗りたい!」
「もう回さねえ」
「えーーー」
「吐きそうになったんだぞ俺」
「あれはアキトさんが弱い」
失礼なやつだ。
でも。
笑っているユキナを見ると、疲れなんて少しどうでもよくなる。
電車に揺られながら、俺はふと思う。
誰かと出かけて。
くだらないことで笑って。
飯を食って。
思い出を作る。
そんな普通のことが。
こんなに悪くないなんて、
大人になって毎日が大変で、生きるのに精一杯で。
そんな簡単なことを忘れていた。
気付かされたと思う。
家に着く頃には、時計はもういい時間を回っていた。
玄関を開ける。
「ただいま」
「ただいまー!」
誰もいない部屋に、二人分の声が響く。
少しだけ。
寂しかった部屋が、当たり前みたいに賑やかになっていた




