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挑戦はまだ終わらない

お題    : 8月の壁

必須要素 : TOEFL

制限時間 : 1時間(即興小説バトル参加作品)


 己の指先に全体重が一気に圧しかかるのを感じる。

 地球上のいかなる物質も決して逆らうことのできない重力の法則が、俺という一個の存在を地上に引きずり降ろそうと画策していた。


 だがそれに反するように俺の体は少しずつ、上へ上へと昇っていく。

 肉体も精神も満身創痍。それでも上昇は止まらない。


 真夏の太陽が容赦なく俺の肌を焼いている。

 今この国でもっとも太陽に近い人間は、もしかしたら俺なのかもしれない。

 いや、登山家やらスカイダイバーには負けるかもしれないが。


 上を向いて、今いる地点がどのあたりかを確かめる。 

 カラフルな突起物のついた人工の壁面、その終着地点まであとわずかだった。

 思えば遠くまで来たものだ。


 そう、俺は今、とあるスポーツの日本代表選手を選抜するための予選に参加していた。

 この夏に我が国で行われる五輪で初採用となった、クライミング競技の一つ。

 そう、ボルダリングである。


◇◇◇


 その競技に触れたきっかけは、ささいなものだった。


 高校一年生の秋だったか。

 俺はTOEFLの試験を受けることになっていた。

 TOEFLとは、英語による高等教育を受けるための英語力を図るための実力検定のことだ。

 似たようなものに、ビジネスや会話目的の英語力を図るTOEICがあり、おそらくはこちらのほうが有名だろう。


 TOEFLは主に非英語圏の学生が、英語圏の学校に留学する際の語学力テストに用いられる。

 だがあの頃の俺は、別に海外留学を望んでいたわけではなかった。

 ただ単に、YOUTUBEの海外動画を見漁ったことで培われた自分の英語力を試してみようと思っただけだ。

 事実として、英語のテストは常に満点近くをキープしていたし、英会話にも自信があった。


 ぶっちゃけ英検でもなんでもよかった。

 まあどうせならかの有名なTOEICを受けようとして、間違えてTOEFLを選んでしまったのはご愛嬌である。

 TOEFLはトーフルと読むと知ったとき、「TOEICはトーイックなんだからTOEFLはトーイフルだろ」と思ったものである。

 そんなことはどうでもいいが。


 そんなこんなで受験したTOEFLの試験会場が、市内のとある大学だった。

 その大学のグラウンドを通りかかったとき、視界の端っこに巨大な人工の壁がどんと鎮座していたのを見つけた。


 その壁がボルダリングに用いられるものであることは、なんとなく知っていた。

 だが、実際に見るのはそれが初めてだった。


 よく見ると数人の大学生たちが、その壁に蜘蛛のように張り付いていた。

 彼らは腕の力と壁の突起物だけを頼りに、まるで重力に逆らうように高いところへと昇っていく。

 その様子がなんだかすごく楽しそうに見えて、俺はずっと彼らを遠巻きに見ていた。


 やがて大学生たちはこちらに気付くと、俺を手招きした。

 興味があるならお前もやってみないか、というわけだ。

 俺はその時、はじめてクライミングというものに挑戦することになった。


 最初は十秒も持たずに腕が悲鳴をあげ、体が地面へと落ちていく。

 だが大学生たちがいろいろと丁寧に手ほどきしてくれたおかげで、少しずつ壁に張り付いている時間は長くなっていった。

 そのようにして、その日の俺は時間を忘れるように壁登りに没頭したのだった。

 もちろんTOEFLの受験も忘れていたのだが、それはどうでもいいことだった。


◇◇◇


 英語にしろ、数学にしろ、あらゆる物事の上達には一つのルールがある。

 それは自分の苦手な課題を一つずつ潰していけば、必ず成長するということだ。


 俺の場合、そのルールは残念ながらスポーツには当てはまらなかった。

 運動神経のせいか動体視力のせいかは分からないが、苦手な課題が潰れていかないのである。

 だから自分にスポーツなんてとうてい無理なのだとずっと思っていた。


 ボルダリングは、そんな自分のなかの固定観念という名の壁を乗り越えるきっかけとなった。

 

◇◇◇


 今、俺が手を伸ばすその先には、最後のホールドがある。

 腕の長さだけでは足りない。筋力に任せて上方向に飛び移る必要がある。

 それでもなお指先が届くかどうかは怪しい。

 今回のコースにおけるラストにして最大の難所だ。


 あそこに指先一つで体を預けることができたなら、今回の選抜予選の通過は確実だろう。


 大きく息を吸った。

 ここはまだ通過点。ここで落ちるわけにはいかない。


 見上げる先には最後の難所。

 さらにその先には大空が広がる。

 俺が見たいのはさらにその先の景色だ。

 ここを乗り越えて俺は五輪の舞台、八月の壁に挑む。


 意を決して俺は上へ飛んだ。

 今までで一番重力を感じたのは気のせいだろうか。


 永遠にも思えた滞空時間のあと、俺の指先が最後のホールドに触れた。

 落ちない。俺はまだ、落ちていない。

 掴んだのだ。


 俺はまだ、上にいける。


【後書き】

 挑戦時期的に、お題を見た瞬間から五輪のボルダリングをテーマに書こうとすんなり決まった作品。

 自然と「上を目指す選手の物語」という方向性もぽんと出てきた。 

 書き出しが早々に決まるのは即興小説ではあまりないので、なかなかに安産だったと思う。


 最後に捻くれたオチが欲しかった気もするが、たまには無難な感じに落ち着いてもいいだろう。

 時間にそこそこ余裕があったわりにはさほど文字数が稼げなかったのは若干の反省点。

 

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