塩対応
お題: 思い出の風
必須要素: パスタ
制限時間: 1時間 (即興小説バトル参加作品)
毎晩、リビングに元カレの幽霊が出るようになった。
最初にそれに気付いたのは、一ヶ月くらい前のこと。
一人暮らしの私は、風呂あがりに幽霊といきなりご対面して絶叫しそうになった。
悪い夢か、はたまた愛する元カレと死別した悲しみが生み出した幻影か。
その日はとりあえず、日々の過労で疲れているのだと自分に言い聞かせて酒を軽くあおり、蒲団を被って寝た。
翌朝には幽霊はいなくなっていた。
しかしそれ以降も幽霊は、毎日決まった時間になると音もなく現れた。
そして朝になるといつの間にか消えている。
どうやら疲れによる幻覚ではなく、しっかりと憑かれているようだった。
死んだはずの人間が自宅の部屋にぼんやりと漂っているのは正直気分が良い話ではない。
例え相手がかつて愛し合っていた仲であっても、だ。
非現実的な再会を喜ぼうなんて気には到底なれなかった。
実害はない。別にこちらに危害を加えようとかそういうそぶりは今のところない。
元カレはただひたすらに虚ろな目をして、リビングの片隅からこちらをじっと見ているのだ。
それは恨めしそうにも見えるし、寂しそうにも見える。
何かを訴えようとしているのか、なぜ幽霊となって現れたのか、何もかもが不明だった。
最初のうちはただただ気味が悪く、放っておいたら成仏してくれないものかと心の中で祈っていた。
だが最近では、このまま静観していても事態は好転しないことにようやく気付く。
ある程度慣れてきたので別にこのままでもいい気もするが、やはりここはひとつ、元カレを成仏させる方法を何かしら真面目に考えなければならないのではないかと思いはじめる。
地縛霊のように虚ろな表情でこの世に留まっていることが元カレにとって幸せとは思えない。
やはり愛する相手には、死後やすらかに天国で眠っていてもらいたい。
だけど、そのために私ができることは一体なんなのだろうか。
ある日の仕事帰り。
私の足は自然とある場所に向かっていた。元カレから告白された想い出の砂浜だ。
ここに来れば何かが閃きそうな予感があった。
前に来たときは夏真っ盛りだったけれど、今はあいにくと冬。
身を切るような風が私の体を芯まで冷やしていく。
それでもあのときとほとんど変わらない想い出の場所の景色を目の当たりにして、私の意識は過去へと遡っていった。
楽しかったことも、哀しかったことも、とめどなく思い出されてくる。
出会ってから、別れまでの記憶。死が二人を分かつまでの想い出。
しばらく過去に浸っていると、突如として、とあるシーンが脳内に浮かび上がった。
たしかあの日、付き合って一年目の記念に、元カレが夕食のリクエストをしたのだ。
それは、二人が付き合うきっかけともなった、私の得意料理だった。
私は二つ返事で承諾して、心を込めてその料理を作った。
だけれどその日、元カレは事故に遭って帰らぬ人となったのだ。
そのことを思い出して、意識が現実に戻ってくる。
もしかしたら。
元カレはあの日食べ損ねた私の料理に未練があって、この世に戻ってきたのではないだろうか。
だとしたら、その未練を解いてあげることで、元カレは成仏できるのかもしれなかった。
近所のスーパーで材料を買い揃えてから自宅に戻り、私はいそいで料理に着手した。
元カレが一番好きだった私の手料理。
いつも笑顔で食べてくれたあの日々を思い出し、涙が出そうになりながらも、なんとか調理を終えることができた。
人のために心を込めて料理をするなんて、本当に久しぶりのことだった。
いつもの時間がやってきて、いつものようにリビングに幽霊が現れた。
いつもと違うのは、食卓の上に出来立ての料理が用意されていることだ。
そのことに元カレも気付いたようで、いつもとは違う戸惑いのような表情が浮かんでいた。
「遅くなってごめんね。約束の料理、熱いうちに食べてよ」
私は元カレの幽霊に話しかける。幽霊はおそるおそる料理に近づいていった。
そして次の瞬間、リビングを眩い光が包んだ。
どこか暖かいような、優しい光が。
そして光が消えると、元カレの幽霊は影も形もいなくなっていた。
きっと成仏したのだろうと思う。約束は果たされたのだ。
その日、久しぶりに私はぐっすりと眠ることができた。
ーーー
「――っていうことがあったの」
翌朝、事の顛末を友人に話した。
元カレのことも私のことも知っている相手だ。
「へえ。それで、あんたの手料理ってのは一体なんなの?」
「ええっとね、パスタなの。具を入れずに塩をめっちゃ振りかけるかんじのやつ。あの人がめっちゃ好きだったからさ。それで成仏できたんだよ」
それを聞いた友人はしばらく黙り込むと、どこか悲しそうな顔をして言った。
「それ、塩が幽霊に効いただけなんじゃね?」
【後書き】
まずはお題と必須要素を見てほしい。
風。そしてパスタ。
これで「美味しいパスタ作ったお前」のフレーズを連想しない方が無理というものではないか。
というわけで本作は、純粋な恋の想い出の物語を紡ぐことが挑戦参加前から宿命づけられていた。
それに応えられたかどうかは読者それぞれで判断してほしい。




