最終話.わたしは、ハーフエルフです。
わたしはイリヤと言います。
わたしは、ハーフエルフと呼ばれる種族です。エルフと人間の血を半分ずつ持つのがわたしです。
混血であることは、いつかわたしに大きな苦しみをもたらすかもしれない……いつだったかスフィニア叔母さんがそんなことを言っていましたが、今のところ、わたしはそんな苦しみに襲われることもなく、毎日を元気に暮らしています。
人間の世界ではやはりエルフは目立つので、髪の毛と耳はほとんど帽子の中に仕舞っていますが……目立つのが嫌というだけで、自分の容姿を嫌ったこともありません。
むしろ、鏡を見るたびに可愛すぎてびっくりするくらいです。もちろん、母の方がお姫様みたいに可愛いなぁと思うのですが、わたしもそれなりにね。
母――エルティーリアは、それはもう大切に、愛情深くわたしのことを育ててくれました。
わたしが言うのも何ですが、母は非常に不器用な女性なので、わたしを育てるに当たっては苦労も多かったことと思います。物心つくかつかないかの頃ですが、よく料理がうまくいかずに泣いていた母の姿を思い出すことがあるのです。
その度にわたしは、どうして母の隣には父が居てくれないのだろう、といつももどかしいような、怒り出したいような、不思議な気持ちになりました。
母はなかなか自分のことを話してくれませんでしたので、わたしはたまにスフィニア叔母さんから聞く話だけを頼りに、父のことを知っていったのですが……その内容にも偏りがあり、可愛い妹を拐かした不届き者とか、そういう情報ばかりだったので、わたしはいつも、わたしのお父さんはどんな人だろうと思っていました。
転機が訪れたのは十歳の頃のことです。
わたしは、母に向かって初めて父親の話題を振ってみました。
母はかなり驚いていた様子でしたが……わたしの言葉に、真剣に耳を傾けてくれました。
「というか、わたしも会ってみたい。自分の父親に」
ほとんど博打のようなつもりでそう言ってみると――迷いつつ、数秒後には頷いてくれたものですから、私はテーブルの下で思わず拳を握ってしまったくらいでした。
やっぱり、母は離れていても父のことが好きなのだろう。そう確信したわたしは、まごつく母を引っ張ってその日のうちに荷支度を済ませ、翌日の早朝には町を出立したのです。
東にずいぶんと進んでいった先に、その町がありました。
役所があり、郵便局があり、大きな食堂がありました。遠くの方には鐘をつく時計塔があって、わたしが生まれ育った町よりも、少しばかり物が多いところでした。
馬車を降りたわたし達は、凝ってしまった全身の筋肉を解しながら、荷物を手に往来を進んでいきます。
その途中、何度か母は町の人に呼び止められ、話しかけられました。わたしは嬉しそうに、申し訳なさそうに頭を下げる母の姿を見て、この町は本当に母の過ごした場所なのだと、何だか感慨深い気持ちになりました。
わたしも何度となく話しかけられたのですが、このまま丁寧に挨拶をして回っていると日が暮れてしまいそうだったので、母の手を引っ張ってさらに道を突き進みます。
そこに――小さな木の屋根が見えた途端に、母は一度だけ立ち止まりました。
けれどその一秒後に、急に母の歩幅が大きくなって、わたしのことを引っ張り出したので……わたしは母に置いていかれないよう、走るようなスピードでついていきました。
……母は震える手で、ドアをノックしました。
しかし、返事はありません。
母が後ずさろうとしたので、わたしはすかさず、ドアを勝手に開け放ちました。
「こんにちは」
そう、わたしは室内に向かって呼びかけました。
そんなわたしの声も何故だか震えていたものですから、母ほどじゃないにしても、わたしもちょっとばかり緊張を覚えていたようです。
「…………こんにちは」
はたして、返事はありました。
か細く消え入りそうな――けれど確かに、男性の声でした。
「イヴァン!!」
お母さん――エルティーリアは、部屋の隅に置かれたベッドに一目散に駆け寄りました。
そこに横たわっていたのは痩せた男の人でした。三十代くらいでしょうが、ひどく疲れ切った顔をしていたので、もっと年を重ねているようにも見えます。
どうやらその人は、何か書き物をしていたようです。ベッドの横に設置された書物机には、インクの乾いていない文字が走る手紙が載っていました。
わたしはその文面に目を走らせます。
「それだけはどうか、君に」……最後の行に、そんな文字が見えました。
すぐに分かりました。これは彼が――イヴァンが、エルティーリアに向けて書いた手紙に違いありません。
なんてわたしが納得している間にも、母はイヴァンに縋りつくように床に膝をついています。
その横顔は、今まで見たことがないくらいに切羽詰まっていました。必死で、懸命でした。
「どうしてこんなに痩せているの。ベッドを二階から運んだの? 体調が悪いの?」
「……えっと、天使のお迎えかな? それとも女神様でしょうか?」
「ばかっ」
母がイヴァンの額をぺちんと柔らかく叩いています。
しかしイヴァンの方はと言えば、何だかぼんやりとした眼差しをしています。
「ああ……僕は、自分に都合の良い夢を見ているのかな」
「夢なんかじゃないわ。私――エルティーリアよ。帰ってきたのよ」
言いながら母は、背負ってきた荷物の中から水筒を取り出しました。
わたしもその中身はよく知っています。わたしも高熱を出して寝込んだときにお世話になった薬です。
効能は抜群ですが、非常に苦いのが難点でもあります。
「この薬を飲んで。森のエルフに伝わる治癒の妙薬よ」
そう言って薬の入った水筒の飲み口を差し出す母でしたが、どうやらイヴァンはうまく呑み込めない様子でした。
どうするのだろう、とわたしが思った瞬間でした。
母は水筒の中身を自分の口に一旦入れて、それをイヴァンに口移しで飲ませました。
それを何度も繰り返して……そうしている内に、イヴァンの青白い顔色もほんの少しだけマシになっていきます。
私は口笛を吹きそうになったのを何とか堪えて、言いました。
「お母さん、大胆」
「まじまじと見ないの!」
慌てた様子で目を塞がれましたが……それは今さらじゃないかなぁ。
なんてやり取りをしている内に、イヴァンは何度か噎せながら……ゆっくりとわたしの方に目を向けました。
先ほどより幾分か、生気のある顔つきです。わたしはほっとしました。
「その子は……」
「アナタと私の娘の、イリヤよ」
「……そうか。イリヤ……」
「子供が生まれたら、この名前にしようねって話し合ったでしょう?」
そうだね、とイヴァンは目元を和ませて頷きました。
私はそんな彼を、ジッと見つめて……恐る恐ると、訊ねました。
もう、疑いようのないことです――それでも、きちんと確認したいと思いました。
「……あなたがわたしのお父さん?」
イヴァンは――父は、少しだけ困った顔をして母を見ました。
母は黙って、首を縦に振ります。父は安堵したようでした。
「そうだよ」
そう頷く声は、柔らかくて、わたしの心にスッと入ってくるようでした。
わたしはベッドに近づき、彼にしがみつきました。父はわたしの頭を、慈しむように撫でてくれました。
母の手とは違って、大きくて骨張った、男性の手でした。
わたしの瞳から、知らず涙が零れました。恥ずかしかったので、すぐに拭って隠しましたが……父にはお見通しだったようです。
わたしは父から少し離れて、コホンと咳払いをしました。
「思っていたよりずっと格好良い。お母さんは良い人を見つけてたんだね?」
「それはうれしいな」
父はほのかに笑いました。その顔が本当に優しくて、何だかわたしも嬉しくなります。
しかし母はと言えば何やら気まずげな顔をして、落ち着きなく部屋を見回す振りなんかをしています。
そんな母の目が……とある一点で止まりました。
「これ、手紙?」
「そうだよ。君に宛てたモノだ」
先ほどわたしも見つけた、書物机の上の手紙を発見したようです。
すぐに、自分宛のものだと気がついたのでしょう。母は信じられないというように口元を覆いました。
「……私も、アナタに手紙を書いていたのよ。ずっと」
「え? 本当に?」
「きょ、今日もちゃんと持ってきたんだから。いえ、その……読んで貰える立場じゃないかもしれないけれど」
「そんなことないよ。ぜひ読ませてほしい」
「それなら、私もアナタの手紙を……」
そのとき、思わずわたしは言ってしまいました。
「お父さんもお母さんも、不器用だねぇ」
呆気にとられたような顔で、二人がわたしを見てきます。
「せっかく十年越しに逢えたんだよ? それなのにお互いに手紙を読んでる場合じゃないでしょ。目を見て語り合って、存分に時間を過ごした後で、手紙は夜眠る前に交換して、読み合えばいいじゃない」
そうでしょ? と首を傾げてみせます。
すると――父と母は、同時に吹き出しました。
「君によく似てイリヤはしっかり者だ」
「あら。頑固者なところはアナタによく似てるのよ?」
次はわたしが居心地悪くなる番でした。ああ、気を遣って外にでも行っていようかなぁ……。
なんて思いつつも、結局わたしはそのまま、眠くなるまで両親といろんな話をしました。何せもうわたしは十歳なので、父に話したいことはいくらでもあったからです。
そしてわたしが眠った後、父と母はお互いの手紙を交換して――また、いろんな話をしたようでした。
分かることと、分からないこと。知っていたことと、知らなかったこと。
離れている間に蓄積してきた想いの丈を、お互いにぶつけ合ったようです。というのも、次の日に目が覚めて顔を出したら、父の体調がまた悪くなっていたので、間違いないと想います。
――――そしてあれから、五年の月日が経ちました。
現在、父と母は一緒にあの小さな家に戻って暮らしています。
病に侵され、長くはないと医者に宣告されていた父ですが、母とわたしの看病の甲斐あってか、今ではすっかり健康そのものになりました。
今では父は役所勤めをしながら、母と仲睦まじく、時には衝突しつつ、直視できないくらいの仲の良さを発揮しています。
あの調子なら、あと数十年は息災だろうと思います。わたしはそれを、とても喜ばしいことだと思います。
そんなことを父に言ったら、「あと百年くらい……いや、五十年くらいは頑張りたいなぁ」なんて微笑んでいました。何だか泣きそうになったのは内緒です。
そして今、この手紙は、父と母――イヴァンとエルティーリアのふたりに向けて書いています。
人間の言葉とエルフの言葉それぞれで書き、同じ内容で二通残すことにしたのは、二人ともお互いの使う文字を未だ勉強中だからです。
使えるようになると面白くなってくるよ、と言ったら、お母さんは何だか悔しそうにしていたので、近いうちに人間の字をマスターしちゃうかもしれません。お父さんも負けずに頑張ってくださいね。
ちなみに今、私は生まれ故郷から遥か南の国にある、とある宿屋にてこの手紙を書いています。
別段ノスタルジックな気持ちになったわけでもないのですが、何となく、父と初めて会ったあの日のことを、わたしも文章として書き留めておきたいなと思ったのです。
新米の郵便配達員としては、直接この手紙をあの小さな家の郵便受けに届けに行きたいところなのですが……事情があり、残念ながらそれは難しそうなので、他の配達員の誰かに、この手紙を届けて貰う予定です。
仕事の調子はどうかといえば、まずまずと言ったところです。
楽しいこともあれば、失敗することもあって……コツコツと一歩ずつ歩いて行っています。
郵便配達員になりたいと思った理由は、散々誤魔化してしまいましたが……結局のところ、十年もの時間を費やしてお互いに手紙を書いていたどこかの誰かさんたちのことが、愛おしくてもどかしくて、仕方なかったからかもしれません。
世界中の人がすれ違ってばかりじゃ寂しいので、わたしは手紙を届けることにしたのです。
また寂しくなったら、家に顔を見せにいくね。でもそれまでは、わたしはこの大地を歩き回って、毎日散歩をしていようと思います。
それでは最後に一言、ふたこと。
わたしは、ハーフエルフです。
わたしは、わたし以外の何者でもない。
あなたたちが居たから、わたしはここに居ます。
可愛いイリヤより愛を込めて。
――Dear.my family.
寿命をテーマにした異類婚姻譚『僕の妻は、エルフでした。』は今回で完結となります。
ハッピーエンドまでを書くことができて自分自身もほっとしています。短編だと完全に悲恋モードなので……。
読んでくださった方、本当にありがとうございました!




