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逆合理化計画

窓の外で、数匹の蝉がしきりに鳴いていた。


遺伝子改造によって、真冬でも生存できるようになった蝉たちだ。


彼らはいまや、七日間という短い寿命の縛りから解き放たれ、春も、夏も、秋も、冬も、ひっきりなしに鳴くようになった。


同時に、「夏の風物詩」という、唯一の免罪符を剥奪された彼らは、もはやマスコットとしての地位を失っていた。


彼らが白昼堂々と鳴いてもよかったのは、彼らが、わずか二ヶ月ほどで消滅する生物である、という暗黙の了解が社会に浸透していたからであった。


いまや、二ヶ月どころか二年近く鳴きそうな勢いの彼らには、通行人から冷ややかな視線が注がれていた。


社会には「意味」が溢れすぎていた。


合理化が進み、配慮が進み、社会の仕組みからは無駄が削ぎ落とされ続けた。


このままでは日本は、弾力のない餅のような、糞をしないペットのような、無害で合理的で、しかしなんの趣きもない存在に成り果ててしまう。


そんな事態を危惧した政府は、そこから徹底的に、「無駄」をやることにした。


電信柱をラメでキラキラにすることを義務付けたり、生類憐みの令を0.5秒だけ復活させたりした。


猫の去勢をやめて、逆に金玉を増やす手術をしたり、鳩を餌付けする老人を公務員にしたりした。


藤原不比等を女体化させて、現世に復活させるプロジェクトも立ち上がったが、これは資金難ですぐに頓挫した。


冬でも鳴ける、なんなら気合いで三年ぐらい生きる蝉を放出する計画も、こういった政府の計画のひとつだった。


こんな風に、社会のあちこちに官製の「無駄」がばらまかれ、多くの合理化を相殺していった。


登り坂にあるスロープには、表面に胡麻油を滲み出させる機構が取り付けられ、パソコンの授業は、小筆で板書することが義務とされた。


それと同時に、民間でも「無駄」を増やそう、というムーヴメントが、自然発生的に出現し、生活の中に取り入れられていった。


街を歩くと、五十着以上の無地のTシャツを干している家庭や、押すとピリッと電気が流れるインターフォンなんかを設置している家が目に入る。


存在しない選挙候補者のポスターを貼っている家も、この辺りではよく見かけた。


他人事のように言っているが、かくいう我が家だって、一見マトモなように見えて、家庭内には種々の「無駄」が溢れている。


ちょうど、折良く三時だから、その無駄の一端をお見せすることとしよう。


勉強机に向かっていた私は、開いていた中学数学のテキストを、厳かな手つきで閉じる。


次に、椅子を背後の壁まで吹っ飛ばさんが勢いで立ち上がり、同時に、ピンッ、と背筋を伸ばす。


身体を一本の棒にするイメージで統一したら、右腕と左腕で三角形を作って、それを頭上に掲げ、叫ぶ。


「エゾテウシス・ギガンテウスの真似っ!」


まねっ、まねっ、まねっ、ねっ、っ。


もっともやる気に溢れた時期の運動部が出す声をイメージした、その叫び声は、残響とともに壁に吸い込まれて消えた。


エゾテウシス・ギガンテウスというのは、今から八千万年ほど前の白亜紀に生息していた、体長五メートル以上の巨大イカである。


両親も同じことをやっているので、階下からは、同じ文言の反響が聞こえる。


部屋の左側には全身鏡があり、両腕でイカの耳を、胴体で外套膜を表している私の姿が、そっくりそのまま映し出されていた。


叫んでから一分経ったので、部活の顧問に怒られた野球部の中学生をイメージしながら、「ご清聴ありがとうございますっ!」と、壁掛け時計に向かって一礼する。


これは「無駄」ではなく「狂気」、もしくは「因習」ではないかという苦情は、今のところ受け付けていない。


受け付けていないが、それでも、どうしても意見を訴えたいという方は、我が家の扉に掛かっている「お客様の声ボックス」に、指定の用紙を投函して欲しい。


ちなみに指定の用紙が何かは公開していないし、家族の誰一人として、正しい用紙がなんなのかは知らない。


箱を掛けてから半年経つが、今のところ、届いたお客様の声はたったの一件だけだ。


投函されていたのは金ピカの折り紙で、その無地の裏面には



殺す

犬より



と書いてあった。


無駄なことをして、「これって無駄だなあ」と思う。


それは、のっぺりした質感で、完璧な社会の中で生きるより、なんて幸せなことだろうか。


階下では父が騒いでいる。


きっと、太陽光を増幅させる機能のついたサングラスが売れなくて、歓喜の雄叫びを上げたりしているのだろう。


私は、閉じかけの中学数学のテキストを、六本目の指で撫でると、そのままゴミ箱に捨てた。


私は高校生だからだ。


そこから一年後、世界には「無駄」が恐ろしい勢いで広まり、あっという間に地表を覆い尽くしていった。


かつて社会を席巻した合理化や配慮は、いまや見る影もなく、世界は「無駄」に征服された。


しかし、そこでひとつの転換が起きた。


今まで傍流だった「無駄」が増えすぎた結果、主流だったはずの「合理化」が、今度は無駄な存在になってしまったのだ。


無駄まみれの世界の中で、完璧な合理化は異分子であり、それは紛れもない「無駄」だった。


しかし、そんな転換が起きてもなお、人々は変わらず無駄を追い求め、世界にはまた合理化が増え始めた。


やがて合理化が勢力を取り戻すと、日本も次第に元通りになっていき、ガソリンで作った油そばや、乳首が全身に生えた乳牛なんかは、姿を消していった。


こうして「無駄」は、また無駄なものとなり、無駄としての役割を全うし始めた。


私も、エゾテウシス・ギガンテウスの真似はやめた。


無駄が合理化されて、合理化が無駄になるまで、およそ三年かかった。


窓の外では、三年くらい生きるあの蝉が、気合いでまだ鳴いていた。

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