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私の姉は、きれいなクズ  作者: 水上栞
第五章 魔界から来た毒の花嫁
28/49

1・セレブじゃないけど勘弁してやる

 

2007年2月9日(金曜日)



 絢華が会社を辞めて半年あまり。再就職もせずにダラダラと実家に依存する娘を見かねて、母親の祥子は見合いの話をあちこちから掻き集めてきた。しかし、絢華はなかなか乗り気にならない。雅之よりも家柄が良く、沢渡よりも仕事ができる男でないと、傷ついたプライドが癒されないからだ。



「結婚したくないなら、しなくていい。その代わり、自分の食い扶持は稼いで来い。いつまでも実家に寄生できると思ったら大間違いだぞ」



 堪りかねた父親に雷を落とされ、渋々と絢華は重い腰を上げた。とは言っても、働く気は全くないので婚活一択である。母の持ってきた釣書をぼんやり眺めていると、まあまあ我慢できるかなというレベルの男が一人いた。


 三井悟、31歳。隣の市で、父親が院長を務める歯科医院に勤務している。両親ともに60歳を超えて、そろそろ代替わりを考えているが、次の院長となる長男が独身では格好がつかない。そのため、近いうちに身を固めさせたいという意向らしい。



「セレブじゃなくて、プチセレブってとこか」



 絢華はしげしげと三井悟の写真を眺めた。四角い武骨な顔で、お世辞にも美男とは言えない。歯科医というモテそうな職業でありながら、30歳を超えて独身なのは容姿の問題もありそうだ。しかし、絢華にとって男の顔は記号みたいなもので、見分けさえつけばいい。それより気になるのは収入と資産である。


 歯科医なので、そこそこ高収入であることは間違いない。車や趣味で散財をすることもないようだし、実家は100坪以上の敷地に、二階建ての立派な家屋と病院が並んでいる。ひとつだけマイナスポイントを挙げれば長男という点だが、悟自身は既に3LDKのマンションを購入している。よって、しばらくは親と同居話は出ないだろう。



「ここらで手を打とうかな、もう時間もないし」



 絢華の言う「時間」とは、二種類の意味がある。ひとつは、自分の年齢だ。四捨五入して20歳のうちに結婚するのが理想だったが、もう間に合わないのでせめて婚約だけでも急ぎたい。昨今は30代で結婚する女性が増えたものの、絢華のお花畑ルールでは「若くてかわいいお嫁さん」にこそ値打ちがある。


 そしてもうひとつの時間は、父親の余命である。父は一昨年がんが見つかり手術をしたが、それから体調が戻らず入退院を繰り返している。もしもこのまま亡くなってしまうと、絢華は結婚式で父親と一緒にバージンロードを歩くことができない。


 その場合は伯父が代役になるのだろうが、背が低くて頭髪の薄い伯父よりも、顔はイマイチだが背の高い父の方が見栄えがいい。見合いを承諾した理由を、人前では「父に花嫁姿を見てもらいたい」と殊勝な言葉に置き換えながら、絢華の腹の底にはすこぶる利己的な打算が渦巻いていた。






「三井さん、絢華さんをすごく気に入られたようですよ」



 仲人である遠縁の親戚が、見合いの翌日に電話をかけてきた。見合いは三井家が贔屓にしている老舗の料亭で行われ、絢華はかつて雅之から贈られた訪問着を身に着けて臨んだ。色柄は控えめだが品が良いので、歯医者の大奥様の眼鏡にも適ったようだ。実際、着物のモデルをしていただけあって、絢華の和装は目を見張るほどの美しさであった。


 その絢華の姿を初めて見た三井悟は、しばし茫然とし、次に赤面した。なるほど医者は遊び人と朴念仁、二手に分かれると言うが、悟は間違いなく後者であろう。やがてお約束通りに親同士が挨拶をし、若い二人でお話を……という流れになった。



 とは言っても、話が弾むはずもない。悟は歯科の専門技術や自身の研究テーマなど、およそ絢華の興味から外れた話題しか提供できなかったし、絢華は絢華でにこにこと頷きながら「この男はセックスが上手いだろうか」と妄想に余念がなかった。


 そんなちぐはぐな見合いではあったが、悟はすっかり絢華の美貌の虜になってしまった。そして絢華の方も「夫として操縦しやすそうだ」という結論に至った。会った限りでは姑も控えめな人だったし、同居しないのであれば面倒もないだろう。そう判断して、絢華はこの話を受けることにした。



 こうして絢華の婚約は整い、20代半ばで結婚という課題をクリアした。数年内には院長夫人の肩書きがつくし、分譲マンションもある。そして将来は土地と一軒家も手に入るだろう。同窓会で肩身の狭い思いをすることはなさそうだ。



 悟の人柄であるとか、容姿であるとか、夫になる人物のプロファイリングには全く興味を持たず、ただ自分が手に入れられるものだけを絢華は注視した。彼女にとって結婚とは、取引の一種という認識である。


 悟は美貌の妻を持つ権利を得られる代わりに、一生その妻のために稼いで上流の暮らしを提供せねばならない。そして絢華は、ひたすら美しく輝き続ける。持って生まれた資質が違うのだから、それくらいの夫婦格差があっても良い。それが絢華の結婚感であった。




 しかし、具体的な結婚の準備が進み始めたころから、絢華は悟に対して一種の違和感を抱くようになった。最初は気のせいかと思ったが、何度か逢瀬を重ねてはっきりわかった。彼も、その家族も、絢華を思ったほど尊重してくれないのである。



 まず最初に疑問を抱いたのは、デートの行き先が悟の実家ということだ。ドライブをしたり、映画を見たり、二人で外出を楽しむ時間はあるにせよ、その後でなぜか三井家に連れて行かれ、母親の手料理でもてなされる。


 最初は、家族となる者同士で親睦を深める目的だと思ったが、毎度それが続くと困った問題が出てくる。



 ──体の相性が確かめられない。



 セックスは絢華にとって大きな問題で、もしそれが満足できない場合は、早めに手を打つ必要がある。そのため、そろそろ悟とベッドを共にしたかった。しかし、一向に悟は絢華に性的なアプローチをして来ない。何なら自分から誘おうかとも思ったが、見合いで猫を被った手前、あまり積極的になるのもどうかと戸惑われた。


 そしてそのうち、絢華にとって計算外のことが起こった。大人しいと思っていた義母のメッキが剥がれだしたのである。ある日、トイレから戻る途中の廊下で待ち伏せされたのが始まりだった。



「貴女、エプロンくらい持っていらしたら?」



 客として招かれていると思っている絢華には、ピンとこなかったが、義母は堪忍袋の緒が切れる寸前であった。これから嫁になる立場でありながら、絢華は食器の片付けさえせずに帰ってしまう。それは義母の年代には許しがたい無作法であった。


 これは、絢華だけでなく親の教育にも問題があったのだが、お姫さまのように扱われると思っていたぶん、絢華のショックは大きかった。こんな美人が息子と「結婚してやる」のだから、当然ちやほやされると思っていたのだ。しかし、相手は「もらってやる」立場だと思っており、相互認識のずれが大きかった。


 それでも、その場はいつものように仮面をかぶり、義母に「次から気を付けます」と謝罪の言葉を述べた。そして自宅まで送ってもらう車の中で、悟に愚痴をこぼした。当然、悟は自分の味方をしてくれると思ってのことだったが、彼の口からは絢華が望んでいた言葉は聞けなかった。



「それは、お袋が正しいんじゃないか? だって、君はうちに嫁ぐんだから、今からキッチンの使い方とか覚えてた方がいいだろ。結婚後は君が家事をすることになるんだし」



 その一言は、絢華にとって寝耳に水だった。三井の家では既に同居の準備が始められており、二階が悟と絢華の住まいになるという。そんなことは一切聞かされていなかったので、絢華は慌てて悟に問いただした。



「えっ、悟さんのマンションに住むんじゃないの?」


「あれはもともと、投資用に買ったんだ。そのうち売却するよ」




 絢華はその夜、帰宅するなり母親にそのことをぶちまけたのだが、なんと山下家の両親も、結婚後は三井家で同居するものだと思っていたらしい。



「だって、あんなご立派なお家なんだもの。それに悟さんはご長男でしょう?」



 親の世代では、その感覚が当たり前かもしれないが、絢華にとっては言語道断である。一等地の豪華なマンションで、悠々自適の専業主婦を楽しめると思って婚約したのに、あの陰湿な義母と顔を突き合わせて暮らすなど、お先真っ暗である。


 そのうち絢華の頭の中に「婚約破棄」という文字が浮かんできた。しかし、既に式の準備が始まり親戚や知人にも結婚報告をしてしまった手前、格好の悪いことは避けたかった。


 絢華は考えた結果、悟を懐柔することにした。いつでも泣ける特技をフルに活用し、悲劇の花嫁を演じることにしたのである。




本日から毎夜、一話ずつ完結まで更新予定です。よろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] お姉ちゃんの悪い癖が出た! すぐ思い通りにしようとする〜。 メンツを立てようとして失敗、転落。 いつものパターンに早く気づいて! [一言] これは手強そうな姑! 昼ドラが始まりますね。
[良い点] うっわ〜。目が離せない。 [一言] お姉ちゃん悪にも程がありますよ。古風な家に嫁いでも絶対不幸になる。周りが。
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