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「姉だから」八年間も妹の呪いを引き受けてきましたが、婚約者まで妹を選んだので、家族と縁を切ります  作者: 姫野ことは(旧名:KOTOHA)


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第2話:私が、知りたいのです

「セレスティア様、今日はお休みでは?」


王都の神殿にある食堂。


昼食より少し早い時間に姿を見せたセレスティアに、若い神官が声をかけた。


あの夜から、ひと月が過ぎていた。


「ええ。今日は訓練もありませんから」


「それなのに、もう食堂へ?」


「今日の焼き菓子が、楽しみで」


神官は目を丸くした。


それから、くすりと笑う。


「今日は蜂蜜入りですよ」


「まあ」


セレスティアの顔が明るくなった。


神殿に来てから、毎日が少しずつ変わっていた。


誰かの呪いを引き受けることもない。


痛みで眠れない夜もない。


そして、好きなお菓子を、誰かに譲らず食べていい。


そんな当たり前のことが、今でも少し嬉しかった。


◆


昼食は、焼きたてのパンと野菜のスープ。


それに、小さな焼き菓子が一つ。


向かいに座った若い神官が、思い出したように言った。


「そういえば、ご実家からまた手紙が届いております」


「いつものように、処分してください」


「承知しました。それから、レオン様からも。今週で五通目です」


「そちらもお願いします」


実家を離れてから、手紙は何度も届いていた。


けれど、セレスティアは一度も返事を書いていない。


神官は少し迷ってから、声をひそめた。


「あの……あの夜の討伐に出た先輩から、その後のことを聞いたのですが」


「何でしょう」


「負傷者の治療と後始末のために、しばらく現地に残っていたそうなんです」


「そうでしたか」


「お屋敷の庭は、半分が焼け野原になったそうです。窓も塀も壊れて、修繕にはかなりかかるとか」


「そうですか」


「負傷した騎士の治療費や、壊れた施設の修繕費も、相当な額になるそうです。神殿からも討伐費用の請求が出ているとか」


「そうですか」


「あの場にいた領兵や騎士たちから話が広まって……。『長女に呪いを押しつけていた家』だと、すっかり噂になっているそうです。夜会の招待状も、ぱったり届かなくなったとか」


「そうですか」


「リリア様は呪いから回復されたそうですが、屋敷には閉じこもったままだとか。社交界での評判も、すっかり変わってしまったそうです」


セレスティアは、静かにスープを飲んだ。


「そうですか」


「それに、レオン様のご実家が今回の騒ぎを問題視して、リリア様との縁談を取りやめたそうです」


なるほど、とセレスティアは思った。


それで、週に五通なのか。


「……あの、セレスティア様。先ほどから『そうですか』ばかりですね」


「そうですか?」


セレスティアはスプーンを置いた。


「もう、私の家ではありませんから」


それよりも、と彼女は器に目を落とす。


「今日のスープ、いつもより美味しいですね」


神官は、なんとも言えない顔で笑った。


セレスティアは焼き菓子を一口かじる。


甘い。


蜂蜜の香りが、口いっぱいに広がった。


自然と、口元がゆるんだ。


「セレスティア様、本当にお菓子がお好きなのですね」


「ええ、とても」


「でしたら、私の分もどうぞ」


「ありがとうございます。でも、あなたもお好きなのでしょう?」


「それは、まあ……」


「でしたら、ご自分で召し上がってください」


神官は目を丸くした。


昔は、好きなお菓子を最後まで食べられたことがなかった。


リリアが欲しがれば、譲るのが当たり前だったから。


けれど今は、自分の分は自分で食べていい。


そして、誰かに我慢させてまで、もらう必要もない。


セレスティアは、残りの焼き菓子を大切に口へ運んだ。


「……とても、美味しいです」


◆


昼食後。


セレスティアは、神殿長の執務室に呼ばれた。


机の上には、一通の報告書が置かれていた。


「北部から調査依頼が届いた。読んでみてくれるかね」


「私が、ですか?」


「《黒蝕の呪い》に関わる可能性がある。君の経験が参考になるかもしれないと思ってね」


セレスティアは報告書に目を通した。


北部の森で、狩人が狼型の魔物を一頭仕留めた。


その体には、黒い痣がまだらに浮かんでいた。


矢は心臓を貫き、魔物はその場で息絶えたという。


だが、奇妙なことが起きた。


魔物が死んだあとも、黒い痣は消えなかったのだ。


現地の神官が通常の浄化を試みたものの、痣には何の変化もなかった。


さらに、死骸は少しずつ黒い靄を放ち始めた。


肉も骨も、まるで靄に溶けるように崩れていく。


そして三日後。


死骸は跡形もなく消え、黒い靄もどこかへ散ってしまった。


セレスティアの指が止まった。


黒い痣。


黒い靄。


あの夜、実家の庭で斬った獣を思い出した。


呪われた魔物そのものは、珍しくない。


だが、宿主が死んだあとも呪いらしきものが残り、死骸を黒い靄へ変えてしまうなど、聞いたことがなかった。


あの夜の獣は、リリアの身体から噴き出した呪いそのものだった。


普通の剣でつけた傷は塞がり、光魔法を纏わせた剣でしか断ち切れなかった。


けれど、今回の狼型の魔物は、狩人の矢で死んでいる。


死んだのは、魔物の身体だけだったのだろうか。


報告書の末尾には、現地の神官の所見が添えられていた。


――《黒蝕の呪い》と酷似。ただし、同一の呪いであるかは不明。


「心当たりがあるようだね」


「……はい」


あの夜、リリアを蝕んでいた呪いは消えた。


自分の剣で、確かに断ち切った。


けれど。


八年前、リリアがなぜ呪われたのか。


誰も、その理由を調べようとはしなかった。


医者は呪いの名を告げたが、誰が、何のためにかけたのかまでは分からなかった。


両親が求めたのは、呪いの原因ではなく、目の前の娘を楽にすることだった。


そして、その役目はいつも自分に回ってきた。


「この件は、別の者に任せても構わない」


神殿長が静かに言った。


「君にとっては、つらい記憶に関わる話だろう」


「……断っても、よろしいのですか?」


「もちろんだ。君には、選ぶ権利がある」


選ぶ権利。


家を出るまでの八年間、自分の望みを尋ねられたことなど、ほとんどなかった。


「一晩、考えてもよろしいでしょうか」


「無論だ。返事は明日でいい」


◆


その夜。


セレスティアは窓辺に座り、左腕の袖をまくった。


あれほど濃かった黒い痣は、今では薄い灰色の痕になっている。


指先で、そっと触れた。


もう、痛くない。


だからこそ、考えられる。


あの呪いは、どこから来たのだろう。


リリアを呪ったのは、誰だったのだろう。


そもそも、なぜリリアだったのだろう。


八年間、考える余裕さえなかった問いだった。


北部の狼型魔物を思い出す。


狩人の矢で命を落としながら、黒い痣だけは残っていたという。


もし、呪いが宿主とは別に存在できるものなら。


あの夜、庭に現れた獣も、単なる呪いの暴走ではなかったのかもしれない。


そこまで考えて、セレスティアは首を振った。


まだ、何も分かっていない。


分からないからこそ、調べる必要がある。


けれど、それを自分がする必要はあるのだろうか。


神殿長は、断ってもいいと言ってくれた。


別の誰かが調べても、きっと構わない。


妹を守るためではない。


家族の期待に応えるためでもない。


それでも。


知りたい。


セレスティアは、左腕の袖を静かに下ろした。


◆


翌朝。


セレスティアは神殿長の執務室を訪ねた。


「昨日の件かな?」


「はい。北部の調査に、私も参加させてください」


神殿長は、少しだけ表情を曇らせた。


「君が背負ってきたものを、これ以上背負い続ける必要はないのだよ」


「分かっています」


セレスティアは微笑んだ。


「妹のためではありません。家族のためでもありません」


そして、まっすぐに神殿長を見た。


「私が、知りたいのです」


「……そうか」


神殿長は頷いた。


「では、調査団に加わってもらおう。王国呪術調査局からも一人、調査官が派遣されている。今日、こちらで合流する予定だ」


「承知しました。ありがとうございます」


執務室を出ると、廊下に一人の青年が立っていた。


黒い外套に、王国呪術調査局の紋章。


青年は手にした書類から顔を上げた。


「セレスティア殿ですね。アシュレイ・ヴェルナーです。北部の調査を担当します」


「よろしくお願いいたします」


「神殿長から、あなたにも参加を打診していると伺いました。お引き受けになったのですね」


「はい。先ほど、お返事をしたところです」


アシュレイは短く頷いた。


「調査団の顔合わせは明日ですが、その前に一つだけ」


「何でしょう」


「報告書は、読まれましたか」


「ええ」


「どう思われました」


セレスティアは、少しだけ目を瞬かせた。


呪いについて、自分の考えを聞かれたのは初めてだった。


「……呪いは、宿主とは別のものかもしれません。狼型の魔物は矢で倒せても、取り憑いていた呪いまでは消えなかったのではないかと」


アシュレイは小さく頷いた。


「同じ見立てです」


「では、報告書にあった黒い靄は……」


「まだ分かりません。死骸も黒い靄も残っていませんから、まずは手がかりを探すところからでしょう」


彼は手元の書類を閉じた。


「現地でも、あなたの見立てを聞かせてください」


「……私の話を、聞いてくださるのですね」


アシュレイは、わずかに眉を寄せた。


「もちろんです。あなたは実際に呪いを経験した方でしょう」


当たり前のことを聞かれた、という顔だった。


「あなたの知識は、今回の調査に必要です」


セレスティアは、思わず小さく笑った。


「……ありがとうございます」


「礼を言われることではありません」


アシュレイは一礼した。


「では、明日の顔合わせで」


それだけ言って、彼は去っていった。


確かに、無愛想な人だ。


けれど、不思議と嫌ではなかった。


自分の考えを聞いてもらえることが、こんなにも嬉しいとは思わなかった。


もう少し、話してみたい。


そう思った。


廊下には、朝の光が差し込んでいた。


窓の向こうには、まだ知らない土地が広がっている。


そこに何が待っているのかは、分からない。


けれど怖くはなかった。


今度は、誰かに命じられたわけではない。


誰かのために、我慢する必要もない。


ただ、自分が知りたいから。


セレスティアは窓の向こうを見つめた。


北部の森には、まだ答えの出ていない問いが待っている。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


セレスティアが家族から離れ、自分の道を選ぶまでの物語は、ここでいったん完結となります。


彼女の新たな旅については、またいつかお届けできればと思います。

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― 新着の感想 ―
日常の小さな譲らなくてもいい幸せを嚙み締める主人公にほっこり(お邪魔虫がいたが)
更新ありがとうございます 若い神官……親切心かもしれないけれど 裏で悪口を言っていそうでなんともイヤな気持ちに なりました(-_-#) そして誰かの身を削ってまでのボランティア を当たり前と思ったらオ…
もう妹の代わりにされて我慢しなくて良いセレスティアに安心しました。 本当に身勝手で愚かな家族や婚約者と縁が切れて良かったです。 アシュレイとの調査の結末も気になります。 更新をお待ちしております。
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