表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

29/38

生易しくない世界

 十二月の頭、私たちはついにブラジルに到着した。


 ブラジル北東部、サン・ルイス。ブラジルで唯一、フランス人によって築かれた都市は、今ではポルトガルの副王国として独立した地域になっている。それでも名前はフランス時代から変わっていない。町並みの中で変わったのは、一面タイル張りになった建物と、ブラジル自体が重商主義政策によってポルトガル本国から輸出される商品の廃棄場となったため、貧困化した解放奴隷やその家族が路上生活者となっていることだろう。


 サン・ルイスの州都である半島の沿岸部分には要塞が建設されていた。要塞の主、ポルトガル人の提督ガスパール・コエリョは私たちのここまでの航海を評価したが、人間貨物の処遇については私と意見を異にした。通訳を介して、コエリョは私たちが運んできた黒耳長族(ダーク・エルフ)が奴隷として売り捌かれることだけを望んでいると話した。


「そういうことじゃなくて、彼らの住む場所を提供してもらいたいのだけれど」


 私の言葉に対して、耳長族(エルフ)の通訳は顔をしかめたが、それでも提督に私の我儘を伝えた。


『お嬢さん、貴方はポルトガル王国の状況と産業構造を理解されていないようだ』


 小人族(ドワーフ)の提督は白ひげを撫で付けながら言った。


『サトウキビやカカオの農業はすべてプランテーションによって成り立っている。つまり、奴隷が必要なのだ。本国は奴隷貿易を禁じているが、副王国であるブラジルでは状況は異なる。奴隷を解放したところで、彼らに行くべき場所はない』


「それじゃ、私が連れてきた黒耳長族(ダーク・エルフ)たちはどうなるの?」


『全員が奴隷としてプランテーションの農業に携わってもらう。それ以外にここでの道は無い』


 分かってはいたが、やはり交渉は非常に難しいようだった。コエリョの顔からは、意見を頑として変えないという固い意志が見て取れた。イギリスと結んで戦争に参加しているポルトガルにとっては、スペインに対して優位を取るためなら、本国で禁止されている奴隷貿易もやむを得ないということだろう。


 しかし、ここで折れてしまっては、単にフータ・ジャロン王国の村人たちを奴隷にするためだけに運んできたことになってしまう。それはそれで当初の奴隷貿易という目的に合致していることは間違いない。しかし、シエラレオネの仲介業者のタッカーに嵌められ、彼の商売のためだけに故郷を滅ぼされた村人の人生を考えれば、奴隷という身分で納得してもらおうという方が無理な話だった。


『ただ降ろすというのは、商売ですらない。お嬢さん、貴方は奴隷船の船長だろう。ならば、もう少し頭を使って、商売をしてくれないか』


 提督の言葉が耳に痛い。言われてしまうとその通りなのだが、他に交渉材料があるかと言えば、今のところは何も無かった。


「お嬢様、もう諦めましょう。水夫たちのストライキも続いていますし、彼らを奴隷として売るしか、方法はありませんよ」


 セバスチャンは明らかに弱気だった。それは黒耳長族(ダーク・エルフ)を載せてからずっとのようだった。


「セバスチャン、貴方は誰の味方なのよ」


「勿論、お嬢様の味方です」


「だったら、ここで黒耳長族(ダーク・エルフ)が助かる道を考えなさい」


「それが無理だということですよ。海の神に打ち勝つのと同じくらい、不可能なことです」


「やってみないと分からないでしょう?」


「いや、それこそお断りですよ! なんで戦って勝てるみたいなポジティブ思考なんですか!」


「だいたいの生き物は頭を殴れば死ぬ」


「そういうことじゃないでしょう」


 私にもセバスチャンの馬鹿っぽさが感染っているようだった。最早、なんでもいいからこの八方塞がりの状況を打開させてほしい。


『海の神を見たのかね?』


 その時、海の神という単語に対して提督の口が動いた。それは一種の天啓にも似ていた。


「えぇ、竜機が襲われるのをこの眼で見たわ」


『そうか……。やはり竜機が襲われていたか……』


 コエリョは次の言葉を待つ通訳の前で、じっと黙ってしまった。これまでにも海の神について悪い報告を受けているに違いなかった。


(海の神)のせいで、イギリスとの貿易に支障が出ている』


 深く溜め息を付きながら、提督は言った。


『しかし、誰もが恐れをなし、奴に対抗することはない。海軍ですら臆病な体たらくは変わらん』


「で、私たちに何をして欲しいの?」


『警備だ。できると言うのであれば、洋上での海の神に対する警備に当たってもらいたい。もし、その任務に就いてくれるのであれば、一時的に黒耳長族(ダーク・エルフ)たち……ただし、子供や老人、女性に限っての駐留を認めよう』


 あまりにも無謀な要望だった。私たちの艦(レディ・アデレイド)は軍艦ではない。とは言え、下手な軍艦よりも重武装であることは事実だった。丁度、男性の黒耳長族(ダーク・エルフ)は水夫として、艦の操船にも慣れてきた頃でもあった。海の神さえ現れなければ、しばらく時間を稼ぐ猶予ができるとも言えた。


『どうかね? 君たちにそれだけのリスクを取る覚悟はあるのかね?』


「流石に了承しないですよね? お嬢様?」


「いや、やる」


「ええええ?!」


 セバスチャンが大袈裟に腰を抜かして倒れた。しかし、こういう時こそ覚悟を示すべきなのだ。軍人相手の交渉なのだから、それくらいは覚悟しておかねばならない。


「正気か?」


 後ろに立っていたエドが私に声を掛けた。それは正気を疑っているというよりも、単なる事後確認に近い調子だった。最早、エドは私を説得することは考えていないようだった。


「正気よ」


 私の言葉に、セバスチャンは既にパニックに陥っているようだった。初めは軽いノリで奴隷貿易なんてものを勧めてきておいて、こんな事になろうとは全く想像していなかったのだろう。セバスチャンは頭を抱えていた。


「狂気ですよ、明らかに。お嬢様……どうしてイスラム()教徒の黒耳長族(ダーク・エルフ)にそこまでしてやれるのですか?」


「どうしてって……」


「タッカーに嵌められたのが悔しいのは分かります。しかし、我々の艦(レディ・アデレイド)に乗ってきた水夫の事も考えてあげてください。彼らにも相応の覚悟と権利があるはずです」


「それでも、黒耳長族(ダーク・エルフ)の事は見捨てておけないわ。貴方にも分かるでしょう? パウエルの命を救ったのよ、彼らは」


「確かにその通りですが……」


「いいわ。ストライキしている水夫の給金は払ってあげる。それでブラジルに降りればいいわ」


「なんと」


「私についていきたい者だけが、ついてくればいいのよ」


「そこまで仰っしゃりますか」


 セバスチャンはただ項垂れていたが、それでも私の判断には従う姿勢は変えなかった。セバスチャンはストライキをしている水夫たちのリストを取り出すと、彼らに渡すべき給金の計算を、頭の中でし始めたようだった。


『では、君たちに洋上での警備をお願いしよう』


 提督は必要な軍需品を提供することを約束した。砲弾やマスケット銃、火薬。しかし、そうした一般の火器が海の神と出会した時に有効な火力たりうるのかどうかは全く分からなかった。


 自らハリケーンを引き起こし、竜機を飲み込む海の神。それは単なる魔獣というよりも、天災に近い存在にも思えた。


 ただ一つ明らかな事実は、海の神と聞いて自ら艦を降りるという水夫の数が増えたことだけだった。彼らにとっては奴隷を優遇し、海の神との対決すら辞さないような船長の下にいるよりも、給金をもらって下船するほうが得に映っているようだった。


 結局、艦の運営はついにリヴァプールでかき集められた水夫ではなく、シエラレオネで買われた黒耳長族(ダーク・エルフ)の手に委ねられることになったのだった。


「お嬢様……私はお嬢様が理解できません」


 セバスチャンは弱々しく嘆いた。しかし、セバスチャンにとっても、ここまで来てしまった以上、海の神への警備をやるより他になかったようだった。


「それでも、貴方はついてきてくれたじゃない」


「それは、そうですが……自分の判断に自信が持てません」


 セバスチャンは嘆きながらも、ティーカップに熱い紅茶を注ぎ入れてくれるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ