プランC
十一月の末、いよいよ私は黒耳長族の聖職者、ヒューバ・サルーメナに対して考えを明らかにした。その考えとは、フータ・ジャロン王国の村人に艦の水夫として働いてもらおうという事だった。海の神を見た日から数えて、水夫のストライキも五日も過ぎると、いよいよ艦の運営が危機的状況になり始めた。
エドは最早、このまま艦を進めるのは無謀だと判断した。周囲に海の神なる魔獣がいる状況で、水夫が不足しているの現状は危険過ぎた。しかし、それでもセバスチャンの言うプランB、男性の村人たちに手枷足枷を付けるという結論には至らなかった。彼は彼なりの合理性で、村人を水夫として働かせるという結論を導いたのだった。
「一般の奴隷船では、倒れた水夫の代わりに奴隷を働かせる事がある」
エドは沈痛な面持ちで語り始めた。
「今のところ、俺たちの艦では倒れた水夫はいない。ただ、働いていないだけだ。だが、このまま水夫の欠員を抱えたまま航海を続けていく事はあまりにも危険だ。海の神とかいう魔獣だって近くにいる」
「それで、村人たちを奴隷のように働かせるってこと?」
「そこまでは言っていない。ただ、ヒューバとも相談して、村人に水夫の代役を務めてもらう他に、方法はないってだけだ」
私のツッコミにそう答えて、エドは椅子に座り込んだ。その様を見て、セバスチャンが口を開いた。
「いくらサルーメナ様が聖職者だと言っても、村人たちを働かせるだけの説得力を持っているとは思えません。それよりも、やはり男性の村人に手枷足枷を嵌めて、従来どおりに水夫を働かせるべきでは?」
セバスチャンはあくまでも水夫たちの味方のようだった。しかし、何れにしても船長がここで判断を下さなければ、艦はどこにも進めなくなってしまう。辛い状況だった。
「貴方の意見は? ラスボーン?」
「平水夫たちは、恐らく村人が仕事を覚えれば、いよいよ艦が乗っ取られるのではないかと不安に思うじゃろう」
老樹人族は頭の枯葉を撫でながら言った。
「そうなれば、水夫たちもストライキを止めるやも知れん。ヒューバがどれだけの人数の村人を説得できるかは分からんが、まずは少し村人にも働いてもらう方が良いだろう」
「そうね……」
結果、私からヒューバに村人から労働力を提供するように相談することが決まった。船長室に呼ばれたヒューバはいつものように敷物を敷いた床の上に腰を下ろした。
「何用だ」
「貴方にお願いがあるの」
「何の願いだ」
「今、私たちの艦は一部の水夫がストライキに入っているわ。このまま艦を動かすことはできないの。だから、水夫の代わりに貴方の仲間の村人に、操船を手伝ってもらいたいの」
私の口振りは極めて穏当だったが、実際には慣れない者が水夫として働けば怪我は付きものであり、危険と隣り合わせであることは否めなかった。それでも、新米水夫として村人の手を借りねばならないほど、私たちの状況は切迫していた。
「断ったらどうする」
「……率直言うと、男性の村人に手枷足枷を嵌めなければならないわ」
「なるほど。奴隷船の船長らしいやり方と言うべきか?」
ヒューバは冗談めかして答えた。
「元はと言えば助けてもらった身。協力が必要とあれば、村人たちは自分から志願するだろう」
「本当に?!」
私が左眼を輝かせると、ヒューバは待てを言わんばかりに右手を前に出した。
「だが、奴隷のような扱いに応じることはできない。厚かましい事は承知の上だが……分かってくれ」
ここに来て、まさかヒューバから直々に断られるとは。思い掛けない返答に、私は反応に窮した。
「……何か条件を付けたほうがいいかしら?」
「金や待遇の問題ではない。矜持の問題だ」
私はヒューバの娘であるマーサが、ヒューバの妻が奴隷として売られたと話していたことを思い出していた。
「ヒューバ。少し、聞いてもいいかしら?」
「何だ」
「貴方はもしかして、自分の妻を奴隷として売ったの?」
「何ですと?」
セバスチャンがティーポットを持ったまま、驚愕して後ずさりした。
「……誰から聞いた?」
「貴方の娘さんから聞いたわ」
「そうか」
ヒューバは俯いたまま、しばらく沈黙していた。誰もが口にするのを憚られるような、耐え難い空気が船長室に流れた。その空気を最初に破ったのはセバスチャンだった。
「サルーメナ様、お茶です。砂糖はご自分でどうぞ」
「ありがとう」
セバスチャンから紅茶のティーカップを受け取ると、ヒューバは一息でそれを飲み干した。
「……お前の言う通りだ。私は妻を売った。マーサも知っている事実だ」
「どうしてそんな事を?」
「避けられない事態だったからだ」
「妻を売れば避けられる事態だったの?」
ヒューバは再び俯いた。しかし、沈黙は僅かだった。
「お前は私を卑怯者だと思っているだろう」
「そんな事は無いわ」
「いや。私は妻を売った。そうやって、私は自分と娘を助けようとした。私は卑怯者だ」
「……」
それでもなお、村人を導くという重責を貫こうという意志が、ヒューバにはあった。その意志こそが、彼を意固地にさせている原因のようにも思えた。
「お前がもしそうするしか無かったのなら、同情する。メアリーも本心でそれを聞きたかったわけじゃないだろう」
エドは腰を下ろしているヒューバの前で膝を付き、その顔を見ながら言った。
「だが、今は今やるべき事を考えてくれ。俺たちには水夫がいない。そして、お前には水夫の仕事を肩代わりさせられる村人たちを説得するだけの地位がある。考え直してくれ」
「……お前に子供はいるのか?」
ヒューバが顔を上げ、エドに尋ねた。
「……いない」
「ならば、お前はまだ試されていないのだ。私の事を憐れむのは止めてくれ」
「おい! どういう意味だよ」
エドがヒューバに食って掛かった。
「やめて!」
「スネルグレイヴ様! どうかここは抑えてください」
セバスチャンがすぐさまエドをヒューバから引き離した。
「お前たちはあくまでも今は居候なんだぞ? 少しくらい協力的になってくれても、バチは当たらないだろう?」
「つくづくその通りだ。だからこそ、村人たちは協力するだろう。私に相談せずともな」
そう言って、ヒューバは立ち上がった。
「私を辱めるのは結構。しかし、村人に屈辱を味わわせるのだけは控えてくれ」
「……そうね、御免なさい」
船長室から出るヒューバの背に向けて、私は小さく謝罪の言葉を呟いた。
「お嬢様……本当にサルーメナ様を信用し続けて良いのでしょうか?」
セバスチャンが眉根を寄せながら言った。
「彼はまだ……秘密めいたところがあるというか……何と表現すべきでしょうか?」
「分かるわ。何か隠していると言いたいのでしょう?」
「えぇ、まぁ。そうですね、お嬢様はなかなかストレートに仰る。村人はサルーメナ様に従っていますが、本当にそれが彼を尊敬しているからなのか、分からなくなってしまいました。自分の妻を売るなど……。それに、それを我が子に教えますか?」
ヒューバ自身の言葉を借りれば、自分と娘を救うために、そこにはどうしようもない理由があったのだと信じる他になかった。そうでなければ、彼は極悪非道の悪徳聖職者という、恥ずべき称号を手にすることになるだろう。
だが、そこまでして、妻を奴隷として売ってまで成し遂げることなどあるのだろうか? セバスチャンの疑念も尤もだと言えた。
しかし、その真実をヒューバの口から聞くことはできなかった。エドは早々に行動を開始し、ヒューバの頭越しに水夫として協力してくれる村人を探し出し、彼らに水夫の仕事を教え始めた。村人たちはヒューバに現状について相談しているようだったが、「船長の為すがままにせよ」というのがヒューバの方針のようだった。
村人たちは従順に、私たちに従ってくれる。そうして、水夫不足の問題は解消されつつあった。だが、本当にそれで良かったのか、ヒューバも、神も、答えてはくれない。彼らはただ沈黙しているばかりだった。




