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大雨強風注意報

 十一月下旬、ブラジルのサン・ルイスに向かって艦は進んでいた。大西洋の真ん中でだらだらと時間だけが過ぎていく。退屈な日々だった。サン・ルイスに着いたところで、イスラム教徒の村人を降ろせるかどうかはまだ分からなかった。ただ、解放奴隷が数多くいるという一縷の望みだけが、私たちの艦をブラジルへと導いていた。


「お嬢様、本日は良い知らせと悪い知らせがございます」


 そんな折、船長室を訪れたセバスチャンは怖ず怖ずといった調子で言った。その背後には水夫の代表として、屈強な体躯の砲手が仁王立ちしている。この際、私が大樽の中で環境魔法を使って簡易シャワーを浴びている最中に、わざわざ言うべき事なのかという前提は置いておこう。まずは船長として話を聞くべきだった。


「悪い方から聞きましょう」


「水夫たちがストライキを始めました」


「はあ?」


「これ以上、奴隷……失礼、フータ・ジャロン王国の村人たちに手枷足枷を嵌めずにいるのは危険であり、自分たちの仕事にも支障を来すとのことです。要するに、奴隷船なのだから、そのように振る舞うべきだと」


(私は誰が乗っても構いませんけどね)


 レディ・アデレイドはそう言っているが、実際に水夫のストレスは急激に上がっているように思えた。船倉では村人七十人と共に暮らさねばならないし、かと言って彼らが反乱を起こす可能性だってゼロではない。そうなれば夜には多少冷えても主甲板に出て眠る者がいても不思議ではなかった。だが、いよいよその我慢の限界がきてしまったということだろう。


「まぁ、そうなるとは思っていたわ……」


「そうなるとはって、船長は連中を自由にし過ぎなんですよ! 水夫たちはいつ連中が裏切るか、恐れています。このままでは仕事にならない」


 エドより横に広い竜人族(ドラゴニュート)の砲手が吠えると、その口から炎が上がった。どうやら言葉よりも怒りは大きいようだった。


「うーん……それで、良い知らせは?」


「交渉を。せめて男性にだけ手枷足枷をつけて、下甲板に閉じ込めておくようにと。水夫側の要求です」


「それのどこが良い知らせなのよ!」


「プランBですよ! プランAがストライキで、プランBが手枷足枷です。ここは妥協しなければ……」


「妥協も何も、彼らは何も悪い事をしていないわ。それに、ただでさえ狭いのに、彼らを縛り付ければ、もっと酷いことが起こるわよ。セバスチャン、貴方は分かっていってるの?」


「申し訳ございません、お嬢様。私も現状には賛同致しかねます。水夫たちのストレスを解消するほうが、急務なのです」


 会社の社労士のようなことを言いながら、セバスチャンは肩を落とした。


「駄目よ。彼らは奴隷ではないのよ。ブラジルでどこかに降ろせる場所を探すから、それまでは我慢するように水夫に言って」


「なら、交渉は決裂ですな。我々はストライキを続けますぜ」


 そう言って、砲手は腕を組んだ。船長に対して何という態度だろうか。やはり、私の身体が貴族の女の子だからだろうか。しかし、そうだとしても、こちらとしては水夫に対して強気に出ることはできなかった。できることは精々、航海終了後に渡す予定の給金からストライキ分を差し引く程度だ。今だって樽の中で素っ裸になっているわけだから、文字通り手も足も出ない。


 せめて手も足も出ない状態から抜け出そうと私が大樽から出た時、船長室の扉が再び開いた。入ってきたのはエドだった。


「おい、どうやら天気が崩れそうだぞ。子供を下甲板に――」


 エドは私の生まれたままの姿を見るなり、鼻血を吹き出して卒倒した。なんと(うぶ)な男だろうか。私はエドをノックアウトした脂肪の塊を服の下に仕舞い込んで、エドを船長室のベッドに寝かせると、甲板の様子を見に行った。


「ちょっと、お嬢様! まだ話は終わっていませんよ!」


「休戦よ! ちょっと待ってなさい!」


 主甲板では甲板長のマグナスが望遠鏡を覗き込み、北の方角を検べていた。彼女以外の水夫たちは持ち場を離れて手持ち無沙汰にしている。水夫たちの間では子供がマグナスと同様に北を見て何事か話し合っていた。危険なものでもあるのだろうか。


「何かあったの?」


「竜機デス。北の方角に何機も飛んでいマスガ……大英帝国に向かうようデス」


 北の青空の中を、ポツポツと小さな黒い飛んでいるのが見えた。


「それがどうかしたの?」


「まるで、何かから逃げているようデシテ……動きが変デス」


 マグナスがそのように口にした矢先、竜機の下の海面が大きく盛り上がり始めた。竜機の周囲には雨雲が湧き出している。私たちの艦の上でも、大粒の雨が降り始めていた。波が高くなり、レディ・アデレイドの揺れも次第に大きくなってゆく。


 私たちが呆然としている間に、空中では巨大な雲が、まるで漏斗に水を流したように海面へと滴り落ちてきていた。それはつまり――


 ハリケーンだった。それは小規模ではあるが、間違いなくハリケーンだった。


 ハリケーンはうねり、海水を巻き上げ、竜機を襲った。私の目測による距離感は大きく狂っているように思えた。何が何だか分からないが、何か(・・)が起きている。


「一体……どうなって……いるのよ! いきなりハリケーンが……!」


 私の叫び声も、降りしきる雨とその音によって半分くらいが掻き消えていた。


「わかりマセン……こんな事は……初めてデス……」


 返答するマグナスの声は震えていた。ただ、それが自然の脅威なのか、それとも他の力によるものなのかすら、私たちは分からなかった。


(これはただのハリケーンではありません)


 だが、レディ・アデレイドだけはハリケーンの様子を捉えていたようだった。


「どういう意味?!」


(発生があまりにも急過ぎます)


「それは分かるけど! ……でも、どうして……」


(竜機の群れは意図的に襲われているようです)


「それって……何かが……じゃなくて、誰かが……このハリケーンを引き起こしたってこと……?」


(ハリケーンの中に何かがいます……!)


 レディ・アデレイドの声にも緊張が走っていることが伺えた。私はマグナスから受け取った望遠鏡を覗き込んだ。激しい水飛沫と波のうねりの向こうで、高速回転しているハリケーンの中に何がいるのかは判然としなかった。


「何がいるっていうのよ!」


 私が望遠鏡を覗いている最中に、一機の竜機が暴風によってバランスを崩した。その瞬間、ハリケーンの中央付近が裂け、竜機を飲み込んだ。あまりにも一瞬の事で何が起こっているのか、私は理解するのに時間がかかった。


「ハリケーンが……竜機を食べた……」


「そんな……」


 その後も、ハリケーンは竜機が近づくたびに、竜を飲み込もうとでもするように巨大な口を開いた。それは間違いなく生物の動きだった。


「どうなってるのよ……! あれは、あれは()なの……?!」


 私の問いかけにも、マグナスは口を開けたまま首を横に振るばかりだった。レディ・アデレイドも沈黙している。ずぶ濡れになった主甲板の上で、私の問いかけに答える者は誰もいなかった。


「海の神じゃ……」


 ラスボーン、ただ一人を除いては。


「海の……神……」


「早く、あれ(・・)から離れるんじゃ! 急げ!」


 ラスボーンが叫ぶと、ストライキに入っていた水夫は我に返ったように持ち場に戻った。だが、誰もが恐怖に捕らえられているようだった。急激な気温の低下で指は(かじか)み、誰もが満足に作業できていない。


 索具は強風に軋み、今にも千切れそうだった。それでも水夫たちは、ただ恐怖から逃れたいという一心から作業を続け、艦をハリケーンとは反対に動かそうとした。ハリケーンはその間にも竜機を喰らおうとしているのか、大きくうねりながら移動していた。


 ハリケーンが竜機を飲み込もうとした一瞬、ハリケーンの裂けた瞬間が私の望遠鏡に映り込んだ。そこには、降りしきる雨と巻き上がった海水を受けて、ワイヤーフレームのように鯨の透明な輪郭が浮き上がっていた。


「船長! おぬしは船長室に入っておれ!」


 ラスボーンの声にも、私は望遠鏡を握ったまま震えていた。


「あれが……あれが、魔獣……」


「おい、しっかりせんか!」


 ラスボーンは大声で私に呼び掛けたが、誰もその事に気付かないほど、風雨の音が大きくなっていた。

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