第九話 鶯
山林の中で樹の上と地面の上を走る鬼ごっこが行われていた。
「くそ! ゲーム返せ!」
鬼役の海太が番犬侍に変身した状態で、草を掻き分けながら森林の中を走る。子役の裸女は、樹から樹へ猿のように飛び移りながら、もの凄い速さで逃げている。
番犬侍はレベル2とはいえ、常人を遙かに凌ぐ力を与える身体能力を装着者に与える。その身は2トンもの重量を持ち上げ、走れば100㎞以上の速度で走れる。
それだけのスペックがありながら、海太は裸女との距離を中々詰めることができない。
海太自身は、経験上林の中を移動するのは慣れている。それとて多くの樹木が障害物となる森林は移動しにくいだろう。
そういうハンデがあるとはいえ、裸女の身体能力はずば抜けていた。
一旦地上追撃はやめて、飛行能力で追おうかとも思った。空を飛べば、確かに移動速度は上がる。
だが速く動けば動くほど、小回りはきかなくなる。しかもここは多くの障害物(木の幹)と遮蔽物(枝葉)がある地帯。飛び上がれば相手を見失う恐れもある。
(何なんだあいつ!? 人間じゃないのか!? ビーストか?)
観測される限り、人間の姿をして言語は喋るビーストは一度も確認されていない。もしかしたらこの世界の住人は、こんな超人ばかりなのかもしれない。
両者は森林の奥へ奥へと突き進んでいく。命令にあった艦とはあまり離れるなという命令は、完全に忘れ去られていた。
「はうっ!?」
「うわっ!?」
今まで執拗に逃げ回っていた裸女が、何の前触れもなくいきなり止まった。あまりに突然の停止に、海太は慌てて止まろうとするが、勢いましてその場でこけた。
裸女は一本の樹木の枝に、テナガザルのように両手でぶら下がりながら、前方を見て硬直している。
そして怯えるような声で叫びだした。
「“一本だたら”だ! 海太、あんたも逃げろ!」
言うやいなやさっきまで逃げていた方向とは左横に、裸女は飛んでいった。
「おっ、おい!? どこいくんだ!?」
泥棒からいきなり警告発言をされて、海太は戸惑う。後を追うのを一瞬忘れ、その後で奴の作戦だったのかと一瞬疑う。
だがすぐに番犬侍の探索機能が、前方の森林の奥にいる大型の生命体の存在を感知した。
(何だ? 何がいるって言うんだ?)
彼はこの時、裸女から警告された通り、早急に逃げるべきだっただろう。だが異世界の未知の存在に、少しでも興味を注いだのが、とても大きな選択ミスを招いた。
ドスン! ドスン!
林の奥から何か音が聞こえてきた。これが例の一本だたらの足音だろうか?
(足音・・・・・・にしては妙な音だな? まるで地面を大きな物で叩いてるみたいな・・・・・・)
やがて木々の隙間から、何か大きな影が見えてくる。そして草を掻き分けて、それが姿を現した。
「プギィ~」
それはイノシシのような特徴が一部ある、何か妙な生き物だった。
それは毛むくじゃらで、直利姿勢で立っている巨人だった。体高は5メートル程で、明らかに人間とは異なる。
その顔はイノシシのような獣の顔だった。長くて大きい鼻と口・下顎から極端に伸びた牙・側頭部に生えた耳、どれもイノシシと似ていたが、何故か目は一つだけ。本来両目がある両側には何もなく、その真ん中の額の部分に大きな目がついているのだ。
更にすごい特徴が下半身。この生物には足が一本しかついていなかった。指の形からして、右足と思われる脚部が一本だけ。それだけで案山子のように、全身を地に支えている。
最初は足の一本を欠損したのかと思ったが、欠損部分が見当たらない。足は丁度身体の真ん中に生えており、生まれた頃からこんな体型だとしか思えない。しかも足が一本ない代わりに、この足自体の太さが体格標準の倍以上はある。
(何だよこれ!? 今度こそ本当にビーストか!?)
一瞬攻撃姿勢に入ろうかと思ったが、すぐに冷静な対処に移った。
番犬侍の探知機能を更に上げて、相手の生体エネルギーを確認する。結果、この生物はビーストではないと判明した。ただし普通の動物とも明らかに違う。もしかして亜人だろうか?
「ええと・・・・・・俺は地球連合軍の高橋海太少尉と言います。あなたは・・・・・・」
まず名乗りを上げる海太。ここは異世界という未知の領域。住人の姿がどんな形であれ、人間とは差別した態度は失礼に当たる。
名乗りを上げ、相手の身分を聞こうとする海太に送られた返事は、振り下ろされた毛むくじゃらの拳だった。
ドゴォ!
謎の生物=一本だたらの容赦ないパンチが、海太を上から叩き潰した。その衝撃で海の身体は、地面に深くめり込む。
(そんなぁ~)
上半身に凄まじい痛みが走り、視界が暗転する。相手のあまりに酷い態度に悲観しながら、海太は意識を手放した。
各探索部隊が周辺の捜索をし終えた結果、一応発見はあった。それはいくつかの野生動物たち。多くがリスやイタチなど、故郷世界にも一般にいる動物たちである。
だが中にはこちらの観点からすれば、明らかに異常と思える物があった。
それは各部隊のほとんどが遭遇した巨大なウサギである。彼らが確認した限りでも、500羽以上の数と遭遇している。
それは艦隊群の中の、林で発見された物もいる。というより探索部隊より先に、各々の母艦の前の方で発見されている。艦隊群はこれほどの広範囲の森を占領したのだから、ある意味当然であろうが。どうやらこの大森林には、ネズミのように大量に生息しているようだ。
また艦隊群から7㎞ほど離れた場所には、大きな湖があるのだが、そこには前のウサギ同様にサイズが明らかにおかしい水鳥が生息していた。
それは外見はカルガモと同じだったのだが、大きさは馬と同じぐらいある。そんなのが何十羽も水面に浮き(あの図体で水に浮けるのが不思議だ)、水草をもごもごとおとなしく食べているのだ。
これらのあまりに異端な存在に、ビーストと間違えて攻撃した者も多い。だが彼らはビーストではない。遺伝子検査をしないと明確にならないが、現段階身体構造を解析した限りでは、あれはただの動物のようなのだ。
こんな巨人の国に迷い込んだような不思議な動物はいるものの、人間のような知的生命体や、ビーストのような危険生命体は、まだ一個も確認されていない。
実はたった1人の兵士=海太が、その両方と遭遇していたのだが、現段階では誰もそのことを知らない。
意識を無くしたと思ったら、すぐに海太の精神は覚醒した。ただその位置は以前とは違うところにあった。彼の意識は不思議な浮遊感を感じていた。
周りにはさっきまで見ていたのと変わらない、森林の風景がある。下を見ると、地面に隕石でも落ちたかのようなクレーターができ、それに粘土型のようにめり込んだ1人の鉄鬼の姿があった。
腰の起動装置に破損があり、あと数分で鎧は消滅して内部の潰れた死体がお目見えになるだろう。
(ああ、あれは俺だ・・・・・・)
海太はそれがすぐに自分の肉体だと判った。彼は空中を風船のように浮かび、自分の肉体を上から眺めているのだ。
ならば今ここにいる海太はなんなのか? それは決まっている。肉体から抜け出た彼の霊魂だ。
臨死体験による体外離脱。科学大最盛期は生命の精神体=霊魂の存在を実証させた。これまでの科学では常識とされた一元論は否定され、非科学的な存在とされた二元論が肯定されたのだ。
“記憶映像”という技術の登場もあって、こういった臨死体験は、もはや怪奇現象でもなんでもなくなった。
そして海太は何となく、感覚的に今の自分の状態を察した。今自分が体験しているのは、“臨死”体験ではなく、本当に死んであの世にいく寸前の体験だと言うことを。
(ここで終わりかよ・・・・・・ついてねえ・・・・・・ついてなさすぎ)
やりきれない気持ちがあったが、漫画によく出るような悪霊になるのは嫌なので、海太は少しずつ現状を受け入れようとした。
「うわあ・・・・・・これは酷いわあ」
不意にどこかから声が聞こえた。日本語で放たれた若い女性の声だ。
てっきり艦隊の仲間が、自分を見つけてきたのかと思った。だが林の中から姿を現したのは、明らかに兵士とは異なる存在だった。
出てきたのは2人。1人はさっきの裸女だった。そして彼女の後ろについてきたのは、彼女と同じぐらいの年齢に見える少女である。
こちらはちゃんと服を着ていた。花柄がついた青い着物姿だ。腰には侍のように日本刀が差されている。一瞬艦隊を壊滅させたあの着物女かと思ったが、映像で見たのとは容貌が違う。
彼女は黒人のような薄い褐色肌であったが、顔立ちは黄色系に見える。タレ目の丸顔で、美人と言うほどはない平凡な容姿の女である。髪は銀髪で、以前の着物女と特徴は似ている。
だが彼女にない何より特徴的なものは、頭に生えた2本の角である。アクセサリーという風でもなく、これだけで彼女が人とは異なる存在だと判る。
「いやぁ悪かった。まさかこんなところに一本ただらがいるなんて思わなくてな・・・・・・」
「私に謝ってもしょうがないでしょう~? それに盗みなんて駄目ですよぉ」
裸女の言葉に、随分無気力な口調で鬼女は答える。どうやらこいつらは仲間で、こちらの過失で死なせた自分の様子を見に来たようだ。
「これ何とかならないか、鶯? これじゃあ後味悪くてしゃあないんだけど・・・・・・」
「そんなこと言ってもなぁ・・・・・・さっきも言ったけど私に人を生き返らせる技なんてないよう。紺さんも海松さんも、今は留守だし・・・・・・」
しばし怠そうな表情で考え込む仕草をする鬼女=鶯。
そしていきなり顔を上げた。彼女の視線の先には、霊体となって様子を見ていた海太がいる。
「ちょっと変な存在になってしまいますけれど・・・・・・今は屍人で勘弁してちょうだいね。海太さん」
(えっ!? 見えてる?)
鶯は明確にこっちに問いかけている。
そして何かを掬うような動作をしている彼女の右手が、ボオォと蛍のような光を放った。その瞬間、海太は再び意識を失った。