【番外編】義母の視点
私にとって、一人息子の優太は、この世で唯一の「聖域」だった。
夫を早くに亡くし、絶望の淵にいた私を繋ぎ止めたのは、亡き夫が遺した多額の死亡保険金と、幼い優太の柔らかい手の温もりだけ。
保険金のおかげで、女手ひとつでも生活に困窮することはなかったけれど、心に空いた穴は、息子への過剰なまでの執着で埋めるしかなかった。
そんな私たちの生活を支えてくれたのは、隣の栗原家だった。特に萌ちゃんは、優太にとって幼馴染という枠を超えた存在になっていた。
母親の目には、すべてが見えていた。優太が萌ちゃんに病的なほど執着し、彼女の一挙手一投足に一喜一憂していること。そして、萌ちゃんが優太を「便利な駒」か「暇つぶしの玩具」としてしか見ていないことも。
叶わぬ恋に身を焦がす息子。それを見ているのは、親として耐え難い苦痛だった。
決定的だったのは、優太が高校生の頃。
掃除のために彼の部屋に入った私は、見てしまった。優太が萌ちゃんの名前を狂ったように呼びながら、獣のように自慰に耽る姿を。
その歪んだ情熱、醜悪なまでの恋慕。普通なら嫌悪感を抱く光景かもしれないけれど、私は違った。
(ああ、この子はこんなにも、あの子が欲しいのね……)
ならば、叶えてやりたい。それが母親の愛ではないか。
それ以降、私は萌ちゃんを頻繁に家に呼び、美味しい食事を振る舞い、優太の良さを刷り込もうとした。けれど、萌ちゃんの冷めた瞳は変わらなかった。
変化が訪れたのは、数年前のことだ。
夜遅く、萌ちゃんの家から帰ってきた優太。その首筋に残った赤黒い痕、そして服の隙間から漂う、隠しきれない情事の匂い。
優太は気まずそうに目を逸らしたけれど、私は内心で快哉を叫んでいた。
「やっと、手に入れたのね」
息子が、望むものを手に入れた。その充足感が、私自身の幸福だった。
しかし。
優太が突然連れてきた婚約者――早苗という女。
彼女を見た瞬間、私の心は激しい拒絶反応を起こした。
完璧だった。
銀行員としての知性、上品な物腰、隙のない美しさ。それは女性にとっての理想の体現であり、同時に、私の入る隙間がどこにもないことを告げていた。
「お義母様、今後ともよろしくお願いいたします」
その丁寧な挨拶さえ、私には「この家は私が管理します」という宣戦布告に聞こえた。可愛げがなく、息子の弱ささえも「正論」で矯正しようとするであろう女。
(この女は、優太をダメにする。優太には、もっと汚れていて、私たちが支配できる相手が必要なのよ)
私は、早苗を排除することを決めた。
そのために利用したのは、独占欲を燻らせていた萌ちゃんだ。私は彼女を呼び出し、何度も、何度も耳元で囁いた。
「萌ちゃん、いいの? あの女に優くんを奪われて。あんな女、優くんを窮屈にさせるだけよ」
「萌ちゃんの方が、優くんのことを分かっているわ。……ねえ、奪い返しなさいよ」
私の言葉は、萌ちゃんの心に潜む劣等感に火をつけた。
そして私は、最後の一押しをした。夫の死で私が手に入れた「保険金」という果実の味を教えたのだ。
「早苗さん、完璧すぎて疲れているみたい。……万が一のことがあれば、優くんもあなたも、お金に困らず一生一緒にいられるのにね」
「保険をかけさせなさい。そして、あの子を追い詰めて、自ら消えるように仕向けるのよ。……お母さんも、協力してあげるから」
萌ちゃんを洗脳し、優太を唆し、早苗という異物を排除するためのシナリオを書いたのは、私。
あの日、リビングで萌ちゃんと優太が交わっている間、私がテレビの音を大きくして笑っていたのは、単なる悪趣味ではない。私の「作品」が完成に近づいていることへの喜びだったのだ。
深夜、ベランダで早苗を突き落としたとき。
宙を舞う彼女の姿を見ながら、私は心の中で快哉を叫んでいた。
これで、邪魔者は消える。優太は私の元へ戻り、多額の保険金という土産を持ってくる。
……誤算だったのは、近所の目と、早苗が「生きてしまった」こと。
でも、いいわ。
警察に捕まろうと、保険金が手に入らなかろうと。
早苗はもう、二度と「正論」を吐くことはできない。優太を私から奪うこともできない。
真っ白なベッドで、何も言わずにただ横たわるだけの肉体。
それこそが、私にとっての「完璧な嫁」の姿なのだから。
【作者より】
ついに真の黒幕、義母の視点が明かされました。彼女の狂った母性こそが、この悲劇の源流だったのです。3人の歪んだ欲望が絡み合った末の結末……。これで物語のすべてのピースが揃いました。読者の皆様、最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!




