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【番外編】萌の気持ち

私にとって、佐藤優太という男は、物心ついたときから「そこにあるのが当たり前の所有物」だった。


 父親がいない優太は、放課後になると当然のように私の家に来て、私の母が作った夕飯を食べ、私の隣でゲームをして帰る。優太の瞳が、いつも私の横顔を追いかけていることには、小学生の時点で気づいていた。


 でも、当時の私にとって、彼はただの「動く家具」のような存在だった。一緒にいて楽だけれど、ドキドキすることなんて一度もない。中学の卒業式の日、泣き出しそうな顔で「好きだ」と告白されたときも、私は鼻で笑って断った。


「無理だよ、優くん。兄弟みたいなもんだもん」


 それで終わるはずだった。

彼はずっと、私の足元に侍る忠犬でいるはずだった。


 その歪んだ独占欲が初めて牙を剥いたのは、高校一年生の冬のことだ。優太に、初めて「彼女」ができた。


 聞いた瞬間、心臓の奥が冷たく燃えるような感覚に襲われた。私にはそのとき彼氏がいたけれど、そんなことは関係なかった。私が捨てたおもちゃを、見知らぬ女が拾い上げ、宝物のように扱おうとしている。それが、我慢ならなかった。


(優くんの『初めて』を、あんな女にあげるわけにはいかない)


 私は、優太が彼女と初体験を済ませるより先に、放課後の自分の部屋に彼を呼び出した。


 戸惑う優太の前で、私は何も言わずに制服のリボンを解いた。


「……優くん、彼女とどこまでしたの?」


「えっ、あ……まだ、キスくらいで……」


「そう。じゃあ、教えてあげる」


 私は、彼の初めてを完全に奪うことはしなかった。ただ、膝をつき、最上の口と舌と唾液の技術をもって彼を悦ばせた。


優太は私の口内に臭い精子を発射し、喘ぎ声をあげたのだ。


優太が喉を鳴らし、私の髪を掴んで絶頂を迎えたとき、私は確信した。この男の快楽の頂点には、一生、私が君臨し続けるのだと。


 高校卒業前、彼女と別れた優太から二度目の告白をされたが、これも断った。


 付き合うなんて面倒なことはしたくない。

でも、私の支配下には置いておきたい。大学生になっても、社会人になっても、その関係は続いた。優太が欲情して求めてきても、私は決して体を許さなかった。「フェラだけならいいよ」と、たまに抜いてやる。その適度な飢餓感が、優太をますます私に依存させた。


 二十歳の夏。私の母が亡くなった。





 世界が真っ暗になり、底なしの孤独に突き落とされた夜、私は初めて優太に体を許した。


 寂しさを埋めるための、ただの道具。優太は「これでやっと恋人になれる」と歓喜し、何度も愛を囁き、何度も告白してきた。けれど、私はそのすべてを拒絶した。


「優くん、勘違いしないで。これは、ただの寂しさのせいだから」


 愛しているわけじゃない。ただ、私の所有物でいてくれればいい。



 そんな傲慢な私の平穏をぶち壊したのは、優太が連れてきた「結婚相手」の噂だった。

 同じ職場の上司。仕事ができて、知的で、非の打ち所がない女性。


 優太がその女――早苗さんと結婚するつもりだと知った瞬間、私の胸の中にあった独占欲は、真っ黒な嫉妬へと変貌した。


 それからというもの、私はなりふり構わず優太を誘った。結婚式までの数ヶ月、そして結婚してからも、私は隙さえあれば優太を呼び出し、彼の体を、精神を、私なしではいられないように調教し直した。





 そして、初めて早苗さんに会ったあの日。




 私は、自分の敗北を悟った。


 凛とした立ち振る舞い。知性に溢れた眼差し。一点の曇りもない、完璧な「女性」としての姿。


 優太の隣に並ぶ彼女は、あまりにも眩しく、そして私には逆立ちしても手に入らないものすべてを持っていた。


(……ああ。この女、大嫌い)


 早苗さんと自分を比較したとき、私の中にあったのは、泥のような劣等感だった。


 優太が私を選ぶのは、ただの腐れ縁と、私が与える下卑た快楽のせいだ。でも、彼が「尊敬」し、「愛」しているのは、間違いなくこの女なのだ。


 その事実が、私のプライドをズタズタにした。


 優太を奪い返すだけじゃ足りない。


 この完璧な女が、絶望にのたうち回り、その理性を失い、泥水を啜るような無様な姿が見たい。


 彼女が大切にしている「正論」も「清潔さ」も「家庭」も、すべてを私の毒で汚し、修復不可能なまでにぶち壊してやりたい。


 あの初対面の日、私が早苗さんに向けた笑顔の裏側で、私は誓ったのだ。


「お姉さん。貴方のその綺麗な顔を、私が一生消えない地獄で塗りつぶしてあげる」


 それが、あのアスファルトの血溜まりへと続く、すべての始まりだった。


 早苗さんを突き落としたのは、優太の手かもしれないけれど、彼女を奈落へ誘ったのは、私の二十年間に及ぶ、歪んだ愛着という名の猛毒だったのだ。






【作者より】

萌の視点、いかがでしたでしょうか。彼女にとって早苗は、単なる恋敵ではなく、自分の惨めさを突きつける「鏡」だったのかもしれません。このエピソードを踏まえてもう一度本編を読み返すと、萌のあざとい言動の裏にある凄まじい「執念」がより際立つはずです。さらなる感想、お待ちしております!

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