第3話 店
サトミちゃんはどうしているだろう。
この四谷署のどこかで、取り調べを受けているのだろう。
怖い思いをしていないだろうか?
泣き虫だから泣いているに違いない。可哀そうに。
今すぐ助けに行ってあげたいが、今の俺はあまりに無力だ。情けない。
正直自分の事が心配で不安でたまらなくて、サトミちゃんの事をすっかり忘れていた。
そんな自分がまた情けなくてしょうがなかった。
サトミちゃんは苦労人でいい娘だ。
元々は保母さんだった。
お母さんと二人暮らしだったが、そのお母さんが癌で入院した。
昼間の看病と入院費を稼ぐために、保母さんを辞めてこの仕事を始めていた。
お母さんの病状が良くなったり悪くなったりするので、一喜一憂して車の中で泣くこともあった。おっとりしたとっても優しい娘だ。
一緒に食事に行けば全部払ってくれるし、なんと言ってもすぐやらせてくれた。
歳は27。年上だがサトミちゃんは気持ちが若い。
アニメファンでもあり、コスプレが大好きだった。
俺とやるときはセーラー服やナース服を持参するほどだった。
俺はレースクイーンのハイレグレオタードが好きでよくリクエストした。
巨乳でややポチャだが色が白く、どんなコスプレも似合った。
童顔で笑うと目が垂れるところが可愛いかった。
俺は落ち込んだ時、よくサトミちゃんのオッパイに顔を埋めて「よしよし」と頭を撫でて貰った。そんなときのサトミちゃんからはミルクの匂いが漂った。その匂いを嗅ぐと、俺は落ち着いた。さすが元保母さんの愛とオッパイは大きかった。
お笑いライブでウケなくて落ち込んでいる時も、よく慰めてもらった。
『うる星やつら』のアニメが大好きだったサトミちゃんは、そういう時、よくラムちゃん言葉で癒してくれた。
「大丈夫だっちゃ。次は必ずウケるっちゃよ。心配ないっちゃ」
それを聞くと、俺は必ずサトミちゃんの胸に飛び込んだ。オッパイに顔を埋めて「よしよし、よしよし」と頭を撫でて貰うのがお約束だった。
今の俺には、その「よしよし」が何よりも必要だ。
――あ、しまった。 ポケベルを車に置いてきた。
この時代、携帯電話はまだ普及していない。連絡方法はポケベルだった。
ポケベルが鳴ると、俺は公衆電話で事務所に連絡して指示を仰ぐ。
それで、仕事を終えた女の子を迎えに行ったり、次の客が入っていれば送り届ける。
この仕事には欠かせないツールだ。
運転席と助手席の間の小さなボックスにいつも無造作に置いている。
今、ポケベルさえ持っていれば、事務所のみんなが捕まったかどうかは見当がつく。
みんなが無事なら、しばらく連絡を絶っている俺を心配して、何度も鳴らしている筈だ。
逆にポケベルが鳴ってないなら、みんなも捕まっているとしか思えない。
四谷署に着いて連行される時、気が動転していたのでそこまで頭が回らなかった。
うちの店はめずらしくアットホームな雰囲気の店だ。
営業時間は夜八時から朝五時まで。
住所は中野区南台2丁目。中野通り沿いのマンションの203号室。
一階にコンビニのある古びたマンションだ。
在籍している女の子は、20人ぐらい居たと思うが、常時出勤してくるレギュラー的な娘は5、6人といったところだった。
事務所の中にはコタツが二つ並んでいた。
暇なときはみんなで足を突っ込んでテレビを見たり、お菓子をつまんだりして、無駄話に花が咲くようなところだった。他の店より働きやすいという女の子も多かった。
俺もいろんな店の運転手をやったが、ここが一番居心地がよくて結果的に長くいた。
他の店では運転手と女の子が、事務所で待機しながらゲラゲラ笑ってバカ話をするようなことはなかった。暇な時、運転手は車で待機しているのが普通であった。
店の雰囲気が家庭的なのは、経営者である宮下のオッサンの人柄の成せる業だ。
65歳で総入れ歯のおじいちゃんだったが、竹を割った様な性格でなかなか面倒見がいいのだ。女の子達からは「ジイジ」って呼ばれていた。
ある時、店で一番若い、21歳で茶髪のクルミちゃんが、出勤するなり、
「ねえ、ジイジ。今日私帰っていい?」
と、いつもの我がままを炸裂させてきた。
宮下のオッサンは臆せず、
「そんな事言ってたら、またお前は月末家賃払えなくなるぞ。せっかく来たんだから二本だけ働いて行け。な。楽な客まわしてやるから・・・」
「う~ん、分かった・・・」
クルミちゃんが単に甘えたがっているのは自明だった。
が、宮下のオッサンが女の子の家賃云々を把握しているのには驚いた。
電話番を雇わず、自らこなして毎日事務所にいた。
女の子と駄弁りながら諸々の事情を把握しているのだ。
他の店ではそんな経営者を見た事がなかった。
大抵は、電話番を日当一万二千円ぐらいで雇い、経営者はたまに事務所に顔を出すだけであった。
当然、新人の女の子は面接時に経営者が味見をして商品チェックするのが習わしだったが、宮下のオッサンがそうしていたかどうかは定かではなかった。
何より、宮下のオッサンの女の子の扱いには、年季の入ったモノを感じずにはいられなかった。
それもそのはず、宮下のオッサンは若い頃は結構名の知れた極道だったらしい。
もう歳も歳だし、ヤクザ稼業はとっくに引退していたが、左手の薬指と小指の第二関節から先がなかった。二本ともなかった。大きなドジを二回踏んだと聞かされた。
やっぱ怖いなあ、そっちの世界は・・・。
それを話してくれたのは運転手の先輩である田所さんだった。
この人も結構な歳で、穏やかでいつもニコニコしている人だった。
聞けば、宮下のオッサンの小中学校の同級生だという。
「田所さんも極道やってたんですか?」
と聞いてみた。
「いやいや、私は米屋ですよ。練馬の米屋。今は息子に任せてますけどね。毎日暇なんで、宮ちゃんのお手伝いをすることにしたんですよ。幼馴染みのよしみで・・・」
田所さんのこの呑気な性格も女の子達からはウケが良かった。
この店では、二人の年寄りが、枯れた人生観で女の子達に接していた。
めずらしい店だと思った。
女の子達も、他では味わえない安心感みたいなモノを感じて、働いていたと思う。
ただ、宮下のオッサンは無類の酒好きで、ほとんどアル中の域に近かった。
いつも一升瓶を横に置いて電話番をしていた。
一升瓶から直にコップに注いで、浴びるように酒を掻っ食らっていた。
いくら飲んでもロレツが回らなくなる事はなかったが、ある一線を越えると糸がプツっと切れたように寝てしまう。
女の子や運転手が外から電話を掛けても一向に宮下のオッサンが出ない。
警察のガサ入れを喰らってしまったのか?
と、みんなで心配して、事務所のドアをそ~と開けると、宮下のオッサンが大口開けて爆睡している光景が幾度かあった。
翌日、オッサンは女の子達から集団リンチのごとく説教を喰らう。
「もう、ジイジ、いい加減にしてよ!ホントに心配したんだからね」
「悪かった。もう仕事中には飲まないから」
「じゃあ、これ没収ね」
と言われ、ワンカップの入ったコンビニの袋を取り上げられていた。
それでも女の子達が全員仕事に入ると、懲りない宮下のオッサンは、俺をポケベルで呼出して、
「フルちゃん、ワンカップ二本だけ頼む。みんなには内緒で」
と、底なしの酒豪ぶりを発揮していた。
「バカじゃないの。あんた!」
ある日俺が出勤すると、事務所でいきなりレイコちゃんの怒声が響いた。
横でコタツに突っ伏して泣いている女の子が一人。
OLをやっているチアキちゃんだ。週末だけ出勤する娘だった。
今日は火曜日なので出勤日ではない。何事かと思いレイコちゃんに訊ねると、
「子供が出来たんだって。妊娠三か月だって言われたんだって。手術するには同意書にパートナーのサインを貰って来ないと出来ない。って、医者から言われたんだって」
コタツの上には「人工妊娠中絶に対する同意書」という用紙が置かれている。
「だけど、相手が誰だか分からないのよ。この娘、ゴム無しでやっちゃう客が三人いるらしいのよ。好みの男だからって押し切られてんじゃないわよ。病気の心配とかしないの。ジイジだって、コンドームは必ず使えよって、日頃から口酸っぱくして言ってるじゃん」
レイコちゃんは普段からヅケヅケと物を言うタイプの姉御肌だ。舌鋒鋭く容赦がない。
この店のナンバーワンだから説得力が違う。
鼻筋が通り顎が細く眼元の切れ上がった、所謂クールビューティだ。
宮下のオッサンは腕を組んで目を瞑って、コタツで黙っている。
この場はレイコちゃんに任せたらしい。
さらにレイコちゃんが続ける。
「チアキ、もうしょうがないから彼氏にサイン貰うしかないよ。誰の子か分からないんだったら、彼氏の子かも知れないじゃん」
「彼氏が、生んでくれって言ったらどうするの?」
俺は思わず口を挟んだ。
「いや、そこは、まだ早いとか、なんとか言って誤魔化すしかないんじゃない」
めずらしくレイコちゃんがしどろもどろになった。
「彼氏は海外出張行ってるから、半年以上セックスしてないもん」
チアキちゃんがコタツに突っ伏したまま、鼻声で答えた。
――あちゃ~。
八の字に眉間を寄せて、俺とレイコちゃんは顔を見合わせた。
そうか、それでここに相談に来たのか。彼氏にサインを貰える状況ならチアキちゃんだってそうしただろう。それが出来ないから困って泣いているのだ。
かと言って、三人の客の誰か一人を選んでサインを貰う事なんか出来るのか?
客は納得してくれるのか?と考えていたら、
「よし、分かった」
宮下のオッサンが口を開いて、同意書に自分の名前を書き始めた。
「俺が父親だ。ほら、これ持って行ってこい」
そう言って、サインした同意書と、店の売上封筒から10万円を抜き取り、チアキちゃんに渡した。
まるで任侠映画を見ているみたいだった。さすが元極道。腹の座り方が違うぞ。
俺にはこんな真似出来ねえ。
この時ばかりは宮下のオッサンに、俺は畏敬の念を感じてしまった。
第3話 終




