第6話 歪む選択
地下の炎は、前よりも近かった。
それが何よりの問題だった。
未来は変わったはずだ。父の判断も、ほんのわずかだがズレた。あの下男も、まだ捕まっていない。
なのに――
燃える場所が、近づいている。
理屈は簡単だ。
修正した分だけ、別の歪みが発生している。
つまりこれは、“帳尻合わせ”だ。
嫌な仕組みだが、納得はできる。
だからこそ厄介だ。
「旦那様、こちらの帳簿ですが」
使用人が差し出す紙を、父が受け取る。
場所は書斎だ。
母は入っていない。使用人も最低限しかいない。空気が張り詰めている。
僕は乳母に抱かれたまま、父の机の上を見ていた。
紙の束。
印。
数字。
そして――
昨日の封書と、同じ種類の書類。
あれだ。
原因の一つ。
いや、“入口”だ。
ここから歪みが広がる。
父は紙をめくる。
速い。
迷いがない。
だから危険だ。
「……一致しないな」
父が低く言う。
その一言で、空気がさらに重くなる。
「どの部分が?」
「収支だ。報告と実際の流れが合っていない」
当然だ。
偽造されている。
だが問題はそこじゃない。
“誰がやったか”だ。
父は視線を上げる。
使用人たちを見る。
選別が始まる。
来る。
このままだと、あの男に行き着く。
時間がない。
ここで止める。
だが、どうやって。
僕は、ゆっくりと呼吸を整えた。
焦るな。
できることをやる。
この身体で。
この状況で。
使えるのは、視線と動きだけだ。
それで十分だ。
僕は、机の上を見る。
そして――
ある一点に視線を固定する。
帳簿の一角。
ほんのわずかに、紙の端がずれている。
普通なら気づかない。
だが僕は知っている。
そこに“本物”がある。
昨日の断片で見た。
燃えた後に残っていた紙。
それと同じ配置だ。
つまり――
偽造ではなく、“差し替え”だ。
なら、犯人は限られる。
外部だ。
内部だけじゃない。
そこに気づかせる。
それが、今の一手だ。
僕は、身体を揺らした。
小さく。
だが、意図的に。
「アルト様?」
乳母が声をかける。
構わない。
もう一度、揺らす。
今度は、少し強く。
視線は、ずらさない。
父の目線に入る位置で。
「……どうした」
父がこちらを見る。
いい。
気づいた。
次だ。
僕は、視線を動かす。
ゆっくりと。
帳簿の一点へ。
そして止める。
それだけだ。
言葉はない。
説明もない。
ただ、“見ている”。
父の視線が、動く。
僕の視線を追う。
帳簿を見る。
止まる。
「……ここか」
小さな声だった。
だが、確信がある。
紙をめくる。
その下にある別の紙を引き出す。
印が違う。
数字が違う。
「差し替えか」
空気が変わる。
一気に。
使用人たちの表情が揺れる。
疑いの方向が変わる。
内部から、外部へ。
いい。
これで、あの男への一直線の流れは切れた。
完全ではない。
だが、大きくズレた。
「誰がこれを持ち込んだ」
父の声が低くなる。
今度は怒りが混じっている。
対象が変わった。
それだけで、未来は大きく変わる。
僕は、静かに息を吐いた。
小さな勝利だ。
だが、確実な一歩。
これで――
少なくとも、すぐに処刑される未来は消えた。
はずだ。
その瞬間。
頭の奥で、何かが弾けた。
断片が来る。
今度は――
違う。
炎ではない。
暗い通路。
地下。
足音。
誰かが走っている。
そして――
火が、内側から広がる。
外からではない。
内側から。
理解した瞬間、背筋が冷えた。
違う。
これは、放火じゃない。
事故でもない。
“内部発火”だ。
つまり――
原因は、帳簿だけじゃない。
別の“火種”がある。
それも、この屋敷の中に。
視界が戻る。
父が指示を出している。
使用人が動く。
流れは変わった。
だが――
問題は増えている。
僕は、ゆっくりと目を閉じた。
未来は変えられる。
だが、簡単には消えない。
むしろ――
形を変えて、残る。
なら、やることは一つだ。
全部、見つけて潰す。
一つずつ。
確実に。
そのために――
次は、地下だ。
少しずつですが、未来の流れは確実に変わり始めています。
ただし、問題は一つじゃありませんでした。
むしろ“本番”はここからです。
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次は、屋敷の「地下」で何が起きているのかに踏み込みます。




