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願いはつまり、願いなのですわ

「まあ、綺麗。天使の様だわ!」


 ヒュルケが感激したように言った言葉に、エルディは苦笑いを浮かべた。

 純白の翼をゆっくりとはためかせて閉じると、彼の銀髪がサラサラと揺れ、輝いた。


「私は天使なのですよ、お嬢様。それだというのに、『愛』を知らぬという理由で神より下界での修行を命じられ、その御使いであるヘリヤ・ハス・サリエルの手によって封印の魔法を掛けられていたのです。お嬢様のお陰で、私は本来の姿に戻る事ができました。心よりお礼を申し上げます」


 礼儀正しく、いつもよりも他人行儀なエルディの様子に、ヒュルケの心はズキリと痛んだ。


 人間とは住む世界が違うのだと言われた様な気がしたのだ。


 ヒュルケはエルディを見上げると、寂しげに眉を寄せた。


「そう。封印が解かれたということは、貴方は『恋愛』が何なのかを知ったのでしょう?」

「……はい。本当にお嬢様のお陰でございます。感謝してもしきれません」

「お役に立てて、なによりですわ」

「ですからお約束通り、お嬢様の願いをなんでも叶えましょう。何なりとお申しつけください」


 ヒュルケは唇を噛みしめた。

——私の願いは、やはり貴方には叶えられないわ——と考えて、込み上げる悲しみを押さえつける様に、更に強く唇を噛みしめた。


「お嬢様、そのように強く噛みしめては……」


 ヒュルケの桜色の唇が痛々しく思えてエルディが声を掛けた。野獣であった時、ほんの僅かに触れた柔らかい感触は、狂おしい程に心を揺さぶった。


「どうせ天界に帰ってしまうのですもの。私の事など、どうなろうともう関係ないのではなくて?」

「何故そのような事を仰るのです? 私がお嬢様の事をどうなろうとも関係ないと思っていたのならば、何故今ここにいるとお思いなのです?」

「私の願いを叶えるという約束を守る為に来たのでしょう? けれどその必要はありませんわ。私の願いはもう、叶う事は無いのだもの」

「いいえ。エルディ・アロ・アフリマンの名にかけて、どのような願いでも叶えて差し上げましょう」


 エルディは優雅にお辞儀をすると、純白の翼をふわりとはためかせた。その姿は、成程確かに天使であると納得せざるを得ない程に神々しく、ヒュルケが目にした誰よりも美しかった。


「それは無理なことですわ」

「何故ですか? ファーストキスの件以外に、願いは無いとでも?」

「そういうことではないの」

「では、一体どういうことなのです?」


 ゆっくりと首を左右に振り、ヒュルケは溜息交じりに答えた。


「私の願いは、この先も貴方と共に過ごす事なのですもの……」


 ヒュルケは公爵令嬢らしくエルディにも負けず劣らず優雅にお辞儀をした。


「エルディ、貴方と過ごした時間を決して忘れませんわ。どんなにか、幸せな時間だったか貴方には分からないでしょうけれど。貴方にお逢いできたことを、神に感謝いたしますわ」


——貴方が天使なのだと言うのなら、その正体を知った私の記憶を消そうとするに違いないわ。私も馬鹿ではないから、そのくらいの事は分かりますもの。だから、正体を明かしたのでしょう?


「本当に、特別な時間でしたの。何よりも、ずっと特別な。これこそが私の求める報酬ですわ」


——だからどうか、記憶を消すなどということはなさらないで……。

 せめて貴方を愛するこの気持ちを、私の宝物にさせて。


 つ……と、ヒュルケの頬を涙が伝った。


 ヒュルケが涙を流し別れを告げる様子を、エルディは唇を噛みしめて見つめ、堰を切った様に言葉を発した。


「一方的に別れの言葉を言われては困ります!」


 エルディは懇願するかのように胸に手を当て、ヒュルケの前に跪いた。


「確かに私は人ではありません。それでは、お嬢様は私を側に置くに値しないとお考えなのですか?」

「違うわ! 例え貴方の正体が悪魔だと言われても構いませんわ!」

「ならば……!!」

「でも、貴方は天使なのでしょう? 人は神や天使を愛するでしょうけれど、その逆はありえませんわ!」

「何故そうお思いになるのです!?」

「創造主が、創作物を愛する気持ちは薄っぺらですもの。物語のヒロインに名前すらつけないだなんて、あんまりですわ!」


 物語の世界に登場するキャラクター達は、云わば神が創造した人間というキャラクターと価値が同等だとヒュルケは言っているのだ。


「エルディにとって、私に価値など無いのでしょう……?」


 悲しみに暮れ、肩を震わせるヒュルケを見つめ、エルディは愕然とした。


——確かに、人間という存在を見下していた。だからこそ『恋愛』を知らぬ冷酷な天使として罰せられ、魔力を封印されていたのだから。今思えばそれは浅ましい驕りでしか無かった。


『一介の使用人風情が私に刃向かう事は許さなくてよ!? 貴方の代わりなんていくらでもいるということを解っていて!?』

『私の代わりなんて居ません。お嬢様の相手は骨が折れます。誰が好き好んで従事するとお思いですか? それに、そのような性格だからこそフラれるのでしょう』


 エルディの脳裏に、物語に入る前にヒュルケと言い合った言葉が思い浮かんだ。


——自分と同等に、いや、それ以上に今では彼女が(たっと)いのだ。それだというのに、私は何という言葉を彼女にぶつけてしまったのだろうか。


 エルディは忌々し気に首を左右に振ると、純白の翼を引きちぎらんばかりに毟り取った。ひらひらと花びらの様に羽根が数枚舞い落ちて、エルディの純白の翼にじわりと血が滲んだ。


「私が、どれほどに貴方を想っているとお思いですか!! 貴方は仰ってくださった! 私が例え悪魔であろうとも構わないと。そのお言葉は偽りですか!?」


 痛々しく翼に滲む血を見て、ヒュルケは青ざめた。


「エルディ! 貴方、一体何を!!」

「天使が人を愛し、契りを交わす事は赦されません。ですが、堕天使であれば問題の無いことです。この身が堕ちた事により貴方の側に居られるのならば、私は喜んで堕ちましょう!!」


 ヒュルケの前で平伏さんばかりに頭を下げると、エルディはぎゅっと拳を握り締めた。


「……ですからどうか。別れを告げる事をしないでください。私を捨てようとしないでください。このような惨めな思いを、させないでください」

「エルディ……!」


 ヒュルケは崩れる様に座り込むと、零れ落ちる涙を隠そうと両手で顔を塞いだ。


——私はきっと、エルディの事を考えるのなら、堕天使となることを望んではいけないのだわ。けれど、私は優しくなどないから。我儘だから。本当の愛を知らないと言われたのならその通りなのでしょうけれど、それでもどうしても一緒に居たいと願ってしまうわ……。


 ヒュルケは必死になって考えた。エルディを堕天させる事なく、共に居る方法を……。

 エルディは優しく微笑むと、ヒュルケの額にキスをした。


「お約束通りお嬢様の願い、このエルディ・アロ・アフリマンが叶えて差し上げましょう。この先もずっと貴方のお側に……」


 その言葉に、ヒュルケはすうっと血の気が引いた。このままでは彼を堕天使にしてしまう……。


「ヘリヤを呼びましょう。彼女の天界での名は『サリエル』。天使の罪を量り、堕天使にする役目を担っているのです。だから彼女は、私を堕天使への道に進まぬ様、邪魔をしていたのです。無論、私の方が上位である為、単独で堕ちることは可能ではありますが、天上への報告を担って貰わねばなりません」


 ヘリヤを呼び出そうと動かしたエルディの手を、ヒュルケは慌てて掴んで止めた。


「ま、待って頂戴っ!! 私、まだヘリヤさんを『ぎゃふん』と言わせる方法を思いついていなくてよ!?」

「そのようなこと、直ぐに成就されますよ。私が堕天使となれば、彼女は直ぐに『ぎゃふん』とも言いましょう」


 再び動かそうとしたエルディの手を、ヒュルケは必死になって止めると、慌てたように上ずった声を発した。


「よ、良かったですわ! では貴方は一生私の執事として働くんですわよね!?」


 ヒュルケの言葉に、エルディは目を点にして頭の上に『?』を大量に浮かべた。


「……はい?」

「優秀な『執事の貴方』を永遠に側に置くということが、私の願いですわっ! ええ、そうよ! うん!!」

「…………!?」


 『恋愛関係』ではなく、今まで通り主従関係であれば、エルディが堕天使になる必要ははない、とヒュルケは考えたのだ。

 例え恋人になれずとも、エルディと一緒に居られるのならそれでいい。


 ヒュルケの精一杯の強がりに、エルディはその真意が分からずに戸惑ったが、彼女は構わずに言葉を続けた。


「魔法使いを雇うのはかなりの高額ですもの。それも天使ともなれば値がつけられない程ですわ! なんて幸運なのかしら!?」

「お嬢様? あの……」


——え!? 私を愛してくれたのではないのか……? いや、確かにそう読み取ったが……。


「約束ですものね! エルディは、私の『執事として』ずっと側に居てくださるのよね!?」


 エルディは慌ててヒュルケの両肩を掴むと、銀色の瞳でじっと見つめた。


「あの、お嬢様。確認してもよろしいでしょうか?」

「え、ええ! な、何かしら?」


 ぎこちない笑みを浮かべるヒュルケに、エルディはたじろぎながらも言葉を発した。


「お嬢様は『恋愛』をどのようなものとお考えになったのです!?」


——これでは立場が逆転している!

 と、考えながらも、エルディが問いただすと、ヒュルケは少し困ってシーグリーンの瞳を逸らした。


「そ、そうですわね、『利害関係の一致』かしら?」

「……はい?」

「エルディはいつも助けてくれますもの、頼りがいがありますわ! ずっと側に居てくれないと困りますもの」


——なんか違う!!


「それに、魔法を教えて貰えたら一石二鳥ですわ! なんてお得なのかしらっ!」


——大分違う!!


 唖然としているエルディに抱き着くと、ヒュルケは「ずっと側に居てね、エルディ!」と心からの願いを口にし、エルディは複雑な気持ちを抱えて泣きたくなった。

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