番外編 day150
その夜開催された国王の即位50周年の式典には、国内から様々な貴族が招待された。オルガノ伯爵家も例外ではなく、エウレカの生家であるルーヴェン伯爵家も招待状を受け取ったらしい。
アルキメデスは会場を見渡す。
奥の方で一際目立つ衣装に身を包む若い女を発見した。第二王女のローデリアだ。隣で機嫌を取っているのは、かつて自分と行動を共にしていた薬師のラウラだろう。隊を去ってからの消息は耳に入っていなかったが、何かと役立つ才能を持っているようで。
「まだ未練でも?」
視線の先を追ったエウレカが揶揄うように言う。
アルキメデスはその目を覗き込んだ。
「未練も何も最初から関心がない。君はもしかして死ぬまでこうやって突くつもりか?」
「だって、貴方って分かりにくい人でしょう。こっそり心変わりして、ある日突然離縁を言い渡されても不思議じゃないもの」
そんなこと起こり得るはずがないと自分が一番分かっているが、何度伝えてもきっと彼女は信じてくれないのだろう。メイドが言っていたことは本当で、信頼はすぐに手に入るものではない。
しばし黙って考えた末に、アルキメデスは妻の手を取った。驚いたように見上げるエウレカの耳元で囁く。
「ならば、この場で証明して見せよう」
人の波を縫って一点を目指して歩き出す。
この大きな身体も、人混みを掻き分けてエウレカのために道を作るという上では使える。小柄な彼女が足元を掬われないように、歩く速度には気を遣った。
「……あらまぁ、これはこれは。オルガノ小伯爵もいらしていたんですね」
わざとらしく目を見開いて驚いた顔をして見せるローデリアに、アルキメデスは微笑んだ。
「はい。妻のエウレカも一緒です」
隣に立つエウレカが恐縮したように頭を下げて挨拶をするのを見守る。俯いた拍子に見えた白いパールのイヤリングは、やはり彼女に似合っている。
目をやれば、先ほどまで王女のそばにいた薬師は、他の取り巻きの影に隠れて見えなくなっていた。出来れば顔を合わせたくないのだろう。
「国王陛下の配慮で、士官学校の教師になることができました。どれだけ感謝を述べても足りません」
「ええ。父はお優しい方なので……」
「王子殿下も陛下に似た温厚な人柄だと聞きます。きっと王国の未来は安泰でしょう」
話していると、取り巻きの中の一人が「そういえば」と話に入ってきた。こういうお喋りな人間が社交界には掃いて捨てるほどいる。
「隣国に嫁がれた第一王女のアデリーヌ様も、最近双子をご出産されたそうですね!これでローデリア様までお嫁に行かれたら、きっと陛下は悲しみますわ」
そうねそうね、と空気を読まない夫人たちが頷くのを、アルキメデスは黙って見ていた。ゆるやかに微笑むローデリアの膝上で、握り込まれた拳が震えているのが分かった。
「ローデリア様ならすぐに素晴らしいお相手を見つけられるでしょう。貴女は優秀な女性で、その人柄を慕う方も多い」
言いながら、アルキメデスは視線を動かす。
青い顔をしてこちらを見る薬師の姿を発見して、明るい声でその名前を呼んだ。
「ラウラ、君なら良い力になれるだろう」
集まった客人たちはそれぞれ身体を動かして、注目を集める人間の顔を見ようとした。
「皆さん、彼女は優秀な薬師なんです。もともと私の隊で働いてくれていました。治療薬から薬草の取り扱い、はては惚れ薬まで、何でも作れますよ」
「まぁ、惚れ薬ですって……!」
「だけれど、魅了の薬は調合も配布も禁止されているのでは……?」
「そうよ。禁固刑に当たると聞いたわ」
口元に手を当てて騒ぎ立てる若い令嬢に、年配の貴婦人が「王女殿下の前ですよ」と注意する。その様子を見て、アルキメデスは笑みを深めた。
「そうですね。王女殿下には必要のないものでしょう。そもそも、薬でどうこう出来るほど人の心は簡単ではない」
この話題は夫人たちの関心を買ったようで、口々に意見を述べ始めたので、アルキメデスは「それでは私たちはこれで」とその場を後にした。
繋いだ手の先から、静かな怒りを感じる。
きっと帰りの馬車で懇々と叱責を受けるだろう。
「怒っているんじゃありません。呆れています」
馬が走り出すなり、エウレカはそう言った。
悩ましい顔で目を閉じて、小さな手で眉間を押さえている。心配事を増やしたくない反面で彼女の色々な表情を見たいので、アルキメデスの心の中ではいつだって葛藤が起こっていた。
「すまない。困らせたいわけじゃないんだ」
「分かっています。ですが、あんなに大勢の前で話す内容ではないでしょう」
「どのみち、惚れ薬の件は国王陛下にも報告している。陛下の忠告を聞かずにまだ取り巻きに置いているあの女はよっぽど頭が、」
「アルキメデス」
厳しい口調で名前を呼ばれて、アルキメデスは言葉を飲み込んだ。それ以上言うなという意味だ。
「大切なのは私たちの関係よ。誰かを蹴落とそうとか、責任を取らせようとか、そういうのはもう良いの。貴方はただ黙って、私のために生きなさい」
そう言って鋭い瞳を向けられると、沸々と湧いていた苛立たしさが治まるのを感じる。
ときどき、アルキメデスは自分の妻が上官であるかのような感覚に陥る。「分かったわね?」と聞かれると、考える前に身体は頷いていた。
思い返せば、おそらくずっと前からこうだ。
隣り合う領地を持つ家同士が結んだ勝手な契約に基づいて、エウレカが初めて自分の前に現れた日のことを今でも覚えている。
父と母の間に立つまだ幼さの残る少女は、恥ずかしがるわけでもなく、黙ってアルキメデスを見つめていた。黄色い瞳は熱を持っているようで、初めての感情にただただ戸惑った。
「アルキメデス様、私たちは夫婦になります。病めるときも健やかなるときも、貴方は私と共に生きてください」
あの日の約束を彼女は覚えているだろうか。
忘れていても別に良い。
病めるときも健やかなるときも、アルキメデスはエウレカを愛し続ける。そうして夫婦は続いていくから。
End.
本当の本当におしまいです。
ありがとうございました。




