第二十六話
今すぐにでも、吹き飛ばされた小さな“木”の安否を確かめたい。
その衝動を必死に押し殺しながら、タケルは周囲に神経を張り巡らせていた。
先ほどの黒フードと赤いバンダナの男たちに、まだ仲間が潜んでいないか。
風が葉を揺らす音にさえ意識を尖らせ、わずかな気配も聞き逃すまいと耳を澄ます。
――そのとき。
背後の茂みが、かすかに揺れた。
反射的に振り返ったタケルの視界に、よろめくように姿を現したのは、小さな“木”だった。
頭から伸びた枝のうち一本は途中で折れかけ、幹にも無数の擦り傷が走っている。
見るからに痛々しく、今にも崩れ落ちそうな姿。
「大丈夫!?」
思わず警戒を解き、駆け寄る。
声が届いた安堵からか、“木”の身体がふらりと傾ぐ。タケルは間一髪でその小さな身体を受け止め、抱き上げた。
横抱きにされた“木”は、薄く瞼を開く。
そして自分を見つめるタケルの頬に走る、大きな擦り傷に気づいた。
細い指が、そっと伸びる。
申し訳なさそうにその傷に触れた瞬間、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。
「こんなの掠り傷だよ。へっちゃら。
それより……キミの方がひどい。無理しちゃだめだ、今は安静にしてないと……」
そう言いながらも、腕の中で力なく横たわる小さな“木”から意識が遠のいていくのを感じ、タケルの胸に焦燥が広がる。
――どうすればいい。どうすれば、この傷を癒せる。
そのとき。
『あの……もしかして』
不意に、控えめな女性の声がかかった。
『貴方が……お姉さまが話していた、人間なのでしょうか?』
声の主は、先ほど二人組の男たちに捕らえられていた存在だった。
赤い葉をつけ、人の形をした“木”。
タケルと小さな“木”が、命懸けで助け出した――彼女が、そこに立っていた。
「よかった、キミは無事だったんだね。
取られた実は取り返したけど、どこか怪我はしてない?」
『わたくし自身は大丈夫です。
ですが……お姉さまが、わたくしの代わりに酷い目に遭ってしまって……』
「さっきから言ってる“お姉さま”って……?
――って、キミは言葉が話せるんだね!」
『はい。それよりも、お姉さまが……』
言葉を遮るように、森の奥から高い声が重なった。
『あぁ~~!お姉ちゃん、ケガしてる!』
『大丈夫!?』
『その人間に酷いことされたの?』
『違うよ!その人間、お姉ちゃんと一緒に悪者やっつけてたもん!』
気づけば、さっきまで赤い葉の“木”しかいなかったはずの空間に、色とりどりの葉をつけた“木”たちが次々と集まってきていた。
どの個体もタケルより少し背が高く、森そのものがざわめいているように感じられる。
「ちょ、ちょっと待って!。
キミたちの言う“お姉ちゃん”って、もしかして……」
『はい。
今、あなたが抱きかかえていらっしゃる方が、わたくしたちのお姉さまです』
『きゃ~!お姉ちゃん、これはひょっとして……!』
『大丈夫?』
『その人間のことが……?』
『お姉ちゃん、さっき薄っすら目を開けてたよ』
「え……? 起きてるの?」
“妹”たちの言葉に、タケルは慌てて腕の中へ視線を落とす。
先ほどまで固く閉じられていた瞼が、ほんのわずかに開いていた。
翡翠色の瞳が、最後に余計なことを口にした妹を、じっと見つめている。
『ひぃっ……!! お姉ちゃんごめんなさい〜!』
『もう……!
あなた達もふざけていないで、早くお母様のところへ戻る準備をしてください!』
赤い葉をつけた妹がきっぱりと言い放つと、妹たちは渋々と二手に分かれた。
そしてそれぞれが、森の中に生えている――どこにでもありそうな、何の変哲もない木の幹へと手を伸ばす。
『お母様のところへ戻れば、お姉さまのその怪我も、きっと良くなります。どうかご安心ください』
「そっか……それなら、よかった」
胸をなで下ろしながら、タケルは腕の中の小さな“姉”を、赤い葉をつけた妹へ預けようとした。
けれど彼女は、眠ったふりを続けたまま、タケルの服をしっかりと掴んで離そうとしない。
「あれ?ちょ、ちょっとまって……」
力は弱いのに、意思だけが頑なで。
一応は怪我人――そう思うと、無理に引き剥がすこともできず、タケルは困り果てたまま立ち尽くす。
そのときだった。
夜の森が、不意に昼のような明るさに包まれた。
「これっていったいなにが起こったの……!?」
見渡した先。
そこには、先ほど二手に分かれた妹たちが手を触れていた二本の木があった。
根元からしなやかに弓なりに曲がり、やがて交差する――その交点に、淡く眩い光が満ちていく。
まるで、そこだけが森とは切り離された、別の世界への入り口のようだった。
『ママに怒られちゃう〜。早く通って、通って〜』
(通れって言われても……)
野営地で休んでいる仲間たちに、何も告げずに飛び出してきてしまった。
気づかれる前に、一刻も早く戻りたい。
けれど――
『お姉さまのためにも、どうかお早く』
「わ、わかったから……押さないで! 押さないでって!」
(……これは、明日も寝不足になりそうだな)
赤い葉の妹に背中を押されるようにして、タケルは渋々、交差する木々のあいだへと足を踏み入れた。
それを確認すると、妹たちも次々と後を追う。
最後の一人が通り抜けた瞬間、門の形を成していた木々は、音もなく元の姿へと戻っていく。
光は消え、
そこにはただ、いつもと変わらぬ夜の森が残されていた。




