叙勲の刻、示されし功
──式典当日。
冬の朝。張り詰めた空気の中、城門前にはすでに各貴族の馬車が列をなしていた。
色とりどりの紋章旗がはためき、その場の重みを物語っている。
その中に、一台の黒塗りの馬車が静かに止まった。
扉が開く。
最初に降り立ったのはキース。
黒の礼装に身を包み、鋭い視線で周囲を見渡す。その存在だけで、ざわめきが一瞬だけ沈んだ。
続いて、アリア。
白と銀の刺繍の軍服ドレス。
柔らかな色合いとは裏腹に、その姿はあまりにも場違いなほど“無垢”だった。
──その瞬間。
周囲の視線が、一斉に彼女へと集まる。
(……見られてる)
言葉にされなくとも分かる。
値踏みするような視線。探るような視線。
そして──疑う視線。
門前に立つ一人の男が、静かに一礼した。
シルバーグレイの髪、深い青の礼装。
セドリックだった。
「お待ちしておりました、アリア様。キース様」
その声音は変わらず穏やか。
「セドリック!」
アリアはぱっと顔を輝かせ、小走りで近づいた。
「お変わりありませんか?」
彼は凛とした姿勢で礼をし、柔らかくも確かな声で迎える。
「ええ、とても元気です」
アリアは微笑んで答える。
「元気過ぎて、門番を眠らせて屋敷を抜け出したがな」
背後から、淡々とした声が落ちる。
一瞬、空気が止まった。
「えっ?!」
「ちょっ──」
アリアの顔がみるみる赤く染まる。
「それ今言うーーー!?」
思わず振り返ってキースを睨む。
「事実だろう」
「事実でも言わなくていいやつです!!」
「……アリア様」
セドリックの眉が、ぴくりと動く。
「ひっ……!」
びくっと肩を震わせるアリア。
「……今の話、本当ですか?」
セドリックの静かな声に、逃げ場はない。
だがアリアは、必死に言葉を探す。
「え、えっとですね……その……ちょっとだけ、様子を見に……!」
「“ちょっと”で済む話ではないですよ?」
アリアの背中に冷や汗が伝う。
(まずい……怒ってる……!)
完全に追い詰められたアリアは、視線を泳がせる。
回廊の先に、一人の男の姿が見えた。
整った礼装に身を包み、静かに佇むその姿。
「……グレイソン様!」
救いを見つけたかのように、アリアは駆け出した。
「……やれやれ」
セドリックが小さく息をついた。
キースは肩をすくめる。
「……あいつを守るってのは、やっぱり骨が折れるな」
キースが低く漏らすと、セドリックは冷ややかに笑いながら言った。
「お仕えしていた頃からずっと、目が離せない方でしたから……。まあ、今となっては少し懐かしいくらいです」
「……あんたは凄いな。ずっと一人で、あいつを守ってたなんて」
その言葉に、セドリックはわずかに視線を伏せた。
「縛り付けるだけじゃ、壊れてしまいます。共に歩く覚悟があるのでしょう? でなければ、あの方は……きっとあなたの手をすり抜けてしまう」
セドリックの目が細くなり、声に鋭さが宿った。
「ですが、もしアリア様を壊すようなことをしたなら――その時は、たとえ貴方が相手でも、私は許しません…」
彼の声音は丁寧でありながら、まるで氷の刃のように冷たかった。
キースはその視線を、正面から受け止めた。……そして。
ふっと、小さく笑う。
「……上等だ」
低く、短く。
だが確かな意志を宿した声。
「その時は、遠慮なく来い」
一切引かない、挑発にも似た応答。
セドリックは何も言わない。
ただ静かに視線を外した。
人混みをすり抜け、息を弾ませながらたどり着いた先。
そこにいたのは――グレイソンだった。
「アリア嬢……?」
駆け寄ってくる彼女に気づき、グレイソンは少し驚いたように目を細める。
「た、助かりました……」
「……助かる?」
意味がわからず首を傾げるグレイソンに、アリアは苦笑しながら息を整える。
「キース様に……その……少し……」
そこまで言って、誤魔化すように視線を逸らす。
グレイソンはその様子を見て、小さく笑った。
「なるほど。なんとなく事情は察しました」
そして、改めてアリアを見つめる。
その瞬間、彼の表情がわずかに和らいだ。
「……その衣装、とてもよく似合っています」
「え……?」
不意の言葉に、アリアが目を丸くする。
「上品で、それでいて柔らかい印象だ。あなたらしい」
グレイソンは穏やかに微笑みながら、少しだけ視線を細める。
(その衣装……きっとキースが選んだのでしょう……)
内心でそう思いながらも、それを口には出さない。
「……ありがとうございます」
アリアは照れたように微笑み、裾をそっと握った。
その時──
「失礼いたします。開門の準備が整いました」
扉の向こうから、従者の声が響く。
張り詰めていた空気が、わずかに緩む。
キースは前を向き、アリアの背を見つめた。
「……行くぞ」
その一言に。
アリアは振り返り、小さく頷く。
まだ不安は消えていない。
けれど、その瞳には確かな覚悟が宿っていた。
重厚な扉が、ゆっくりと開かれる。
震えを押し殺しながら、アリアは前を見据えた。
回廊の先。
巨大な扉の向こうから、ざわめきが漏れてくる。
貴族、騎士、重臣たち。
この国のすべてが集まる場所。
セドリックが扉の前で立ち止まる。
「──準備はよろしいですか」
アリアは小さく息を吸い
「……はい」
重厚な扉が、ゆっくりと開かれる。
光と、無数の視線が流れ込む。
その中心へ──
『聖剣の乙女』が、姿を現した。
――王城大広間。
天井高く掲げられた紋章旗が、静かに揺れていた。
既に場は整っている。
貴族、騎士、各地からの来賓――誰一人として無駄口を叩かず、その時を待っていた。
重く張り詰めた空気。
その中に立つアリアは、ほんの僅かに息を詰める。
(……すごい……)
圧倒される。
視線、格式、沈黙――すべてが“王国”そのものだった。
隣に立つキースは微動だにせず、まるでこの空気すら支配しているように見える。
グレイソンもまた、静かに前を見据えていた。
「陛下、御入場!」
号令が響く。
一斉に、全員が立ち上がった。
重厚な扉が開き、王が姿を現す。
ゆっくりと、確かな足取りで玉座へと進むその姿に、誰もが頭を垂れた。
やがて、王が腰を下ろす。
「――面を上げよ」
低く、よく通る声。
式典が、始まった。
宰相が一歩前に出る。
「此度の辺境伯領における反乱。その鎮圧における功績を、ここに称する」
静かな声が、大広間に響く。
戦の経緯。
混乱した領内の状況。
そして、それを収めた者たちの名が読み上げられていく。
「キース・アークレイン」
名が呼ばれた瞬間、空気がわずかに変わる。
「その武功、統率、迅速なる判断――いずれも王国の柱に相応しい」
「称号――『漆黒の盾』。」
「幾多の戦場において不動の守護を貫き、幾度も味方の退路を護り抜いたその献身と剛勇は、まさに漆黒の盾の名にふさわしい」
王が黒金の勲章を手に取り、自らキースの胸元に留める。
「王国特別勲章を授与し、併せて汝の率いる黒の騎士団を特任部隊とする」
王が視線を向ける。
「そなたの剣は、我が王国の盾である」
ざわめき。
(やはり――黒の騎士……)
(あの若さで……)
キースはただ一歩進み、無言で膝をつく。
「……身に余る光栄」
短く、それだけ。
だがその声には、一切の揺らぎがなかった。
「アリア・セレフィーヌ」
今度は、柔らかなざわめきが広がる。
アリアは一歩前へ出た。
「聖剣の乙女として、民の象徴となり、混乱を鎮めたその在り方――見事であった」
王の声は、先ほどよりもわずかに穏やかだった。
「称号――『銀月の乙女』。」
「聖剣の乙女としての輝きにとどまらず、民と貴族を結ぶ懸け橋として尽力されたその姿は、夜空を照らす銀の月のごとし」
王は、王家の紋章を刻んだ銀のブローチを取り出し、アリアの胸元に自ら添える。
「剣のみが力ではない。
そなたの存在こそが、王国に平穏をもたらした」
無数の視線が集まる。
(あの子が……)
(思っていたより……)
評価と、好奇と、僅かな警戒。
アリアは深く礼を取る。
「……お言葉、光栄に存じます」
声は震えていない。
だが、その胸は確かに高鳴っていた。
そして――
「グレイソン・オルトリクス」
空気が、変わる。
静かな緊張が走った。
グレイソンはゆっくりと進み出る。
「戦術、判断、そして実行力――
そのすべてにおいて、此度の勝利の要であった」
宰相の声が、一段と重みを帯びる。
視線が集まる。
貴族たちが息を呑む。
――次の言葉を、誰もが待っていた。
「称号――『蒼炎の秤』。」
「戦場においては剣を執り、政においては理を通し、常に均衡をもたらし続けたその働きは、公正の象徴たるに値する」
従者が一つの小箱を差し出した。
開かれた中にあるのは銀の印。
王は銀印を手に取り、グレイソンの前に立つ。
一瞬の静寂。
「この銀印を授与する。
汝の才覚と働きは、次代の辺境伯領を支えるにふさわしい。
ゆえに王はここに命ず――アグラディウス国においてさらなる経験を積み、見識を深めたのち、汝を次期辺境伯たるアンデル卿の補佐役に任ずるものとする。」
――どよめきが走った。
(次期……!?)
(あの年で……!?)
(まさか――)
ざわめきが広がる中、グレイソンは動かない。
ただ、静かにそれを受け取った。
「……謹んで、拝命いたします」
その声は、確かだった。
一瞬よぎる、不安と恐れ。
――だが。
視線を上げた先に、兄たちの姿があった。
その表情は――
嫉妬でも、拒絶でもなかった。
静かに、頷いている。
(……違う)
胸の奥で、何かがほどけた。
(私が恐れていたものは……)
ゆっくりと、息を吐く。
(もう、ここにはない)
アグラディウス国王は最後に……。
「この三名の功を称え、ここに記す」
「彼らの働きは、王国の誇りであり、未来への礎である」
静寂の後、拍手が鳴り響く。
だがそれぞれの思惑と、表情の裏にあるものは──
称賛だけではない。
けれど今は、確かに讃えられた者たちの名が、玉座の前に刻まれた。
式典が終わると、大広間の空気は一変する。
音楽が流れ、談笑が始まる。
華やかな祝宴。
だが――視線は消えない。
(あれが聖剣の乙女……)
(黒の騎士の隣に……)
(そして、あの若き評議官……)
噂は、もう広がり始めていた。
音楽と笑い声、煌びやかな衣装が咲き誇る祝宴の中で、アリアは一人、静かに息をついていた。
胸元には王から贈られた銀のブローチ――「聖剣の乙女」の証が、控えめに輝いている。
そのとき、不意に影が差した。
「貴女様が『聖剣の乙女』ですか?」
アリアは、はっと顔を上げる。
彼らは初対面のはずだった。けれど、そのどこか理知的な目元、柔らかな笑み――(……誰かに似てる?)
「は、はい……」
少しだけ戸惑いながら答えると、もう一人の男が軽く目を細め、言葉を零す。
「本当に存在したとは」
穏やかだが、どこか品定めするようにも聞こえる声。
アリアの胸が小さく強張った。
(もしかして……“思っていたのと違う”って、言われる……?)
称号に見合わない、と。
聖剣の乙女などと呼ばれるには相応しくない、と。
そんな言葉が来るのではないかと、ほんの一瞬、怖くなる。
「……はい、アリア・セレンティーヌです、すみません……想像と違っていたなら……」
思わず縮こまったアリアに、二人は微笑を浮かべた。
「違いませんよ。……むしろ、貴女様のような人が弟を変えたのかと思うと、想像以上です」
「……弟?」
アリアは首をかしげる。
「ええ。私たちは、オルトリクス家の長兄と次兄です」
「グレイソン様の!
あ、あの……はじめましてっ」
その真っ直ぐで飾らない挨拶に、兄たちは一瞬きょとんとした後、ふっと表情を和らげた。
「これは丁寧に。私はレオニード・オルトリクス」
堂々とした男が、柔らかな笑みを浮かべて一礼する。
「セルジュ・オルトリクスです。」
もう一人も静かに頭を下げた。
アリアは慌てて手を振りながら、必死に言葉を続ける。
「グレイソン様は、本当にすごい方なんです……!
いつも冷静で、私が困っているときも、ちゃんと道を示してくださって……」
二人は顔を見合わせ、そして静かに頭を下げた。
「……礼を言わせてほしい」
「え……?」
思いがけない言葉に、アリアは目を見開く。
「グレイソンの兄として、貴女様に感謝している」
「昔から本心を見せない子でね……才はあった。それを表に出すことを、どこかで避けていた」
静かに語られるその言葉に、アリアは息を呑む。
「だが今回、あいつは違った」
「辺境伯領での働き……そして、“蒼炎の秤”という称号」
「戦場と政を繋ぐ役割を果たしたと聞いた。……あれは、ただの追従では出来ないことだ」
兄たちの視線が、まっすぐにアリアへ向けられる。
「……貴女様が、あいつを表舞台に連れ出してくれたのだろう」
「我々には出来なかったことだ」
その言葉に、アリアの胸がじんわりと熱くなる。
「そんな……私は……」
否定しようとした言葉は、最後まで形にならなかった。
「謙遜しなくていい」
「弟が変わったのは事実だ。そして、その隣に貴女様がいたことも」
兄の一人が、ふっと優しく微笑む。
「……ありがとう」
その一言に、アリアの中にあった不安が、すっと溶けていった。
そう思った矢先、背後から慌ただしい足音と共に、聞き慣れた声が響いた。
「……兄上!」
整った顔立ちに、いつもの柔和な笑みを貼りつけながらも、声はどこか焦っていた。
グレイソン・オルトリクス。
どんなときも冷静沈着な彼が、珍しく感情を露わにしている。
その姿に、アリアは思わず胸を押さえた。
彼もまた、誰かに認められたくて、自分を演じてきたのだ――と、気づいた気がした。
「アリア嬢に、何を――」
言いかけた言葉を、兄が穏やかに遮った。
「礼を言っていたところだ」
「……礼?」
グレイソンの眉が、わずかに動く。
「お前を、ここまで引っ張り出してくれたことに対してな」
「それに加えて……きちんと結果まで出した。あれは、お前一人でも、我々だけでも成し得なかった」
もう一人の兄が、静かに続ける。
グレイソンは一瞬、言葉を失った。
そして、ゆっくりと視線をアリアへ向ける。
アリアは少し照れたように微笑み、小さく頷いた。
その言葉に、兄たちはちらりとグレイソンを見る。
当の本人は、わずかに眉をひそめていた。
「……やめてください。そんな大げさなものじゃない」
「ほら、そういうところだ」
セルジュが小さく笑う。
「自分のこととなると、途端に評価が低くなる」
「だが、その評価を覆したのは今日の功績だ」
レオニードが腕を組みながら、満足げに頷いた。
「我々は知っていたぞ。お前がずっと遠慮していたこともな」
その言葉に、アリアは少し驚いて目を見開く。
「遠慮……?」
「ええ。身内同士で争わぬために、あえて前に出なかったんですよ、この弟は」
セルジュは穏やかにそう語る。
「……だが、もうその必要はない」
レオニードはグレイソンの肩に手を置いた。
「今日、お前は自分の力でその立場を掴んだ。
それを誇れ。――我々も、誇りに思っている」
静かな言葉だった。だが、確かな重みがあった。
グレイソンは一瞬だけ言葉を失い、そして小さく息を吐く。
「……兄上方にそう言われる日が来るとは……」
どこか照れたように視線を逸らすその横顔に、アリアはそっと微笑んだ。
「やっぱり、素敵なご兄弟ですね」
その言葉に、三人は一瞬きょとんとして――
「……そう言われると、少し照れます」
「まったくだ」
兄たちは顔を見合わせ、くすりと笑った。
グレイソンもまた、わずかに口元を緩める。
その光景は、これまでどこか距離のあった家族の間に、
ようやく通い始めた温かなものを感じさせていた。
そしてアリアは、そんな空気を胸いっぱいに受け止めながら、静かに思うのだった。
(……グレイソン様、本当に良かった)
その言葉は、公ではなく――
どこか“再会”の響きを帯びていた。
祝宴の中で。
それぞれの立場が変わり始める。
視線、評価、関係――
すべてが、動き出していた。
煌びやかなホールいっぱいに料理と酒、音楽と笑い声が溢れていた。
アリアの視線は、まるで磁石のように一角に並んだ色とりどりのスイーツへと吸い寄せられる。
「わぁ〜……!」
目を輝かせ、小さく身を乗り出した。
その様子を見ていたキースが、すかさず低い声で牽制する。
「……まさか、デザートのテーブルに行こうとしてないよな?」
アリアはビクリと肩を震わせて振り返る。
「えっ……だ、だめですか……?」
キースは呆れ顔で額に手を当てる。
「お前は……さっきまでどんな騒ぎになってたか忘れたのか。目立つ行動は控えろと言っただろ」
「うぅ……でも、あんなに美味しそうに並んでるのに……」
視線だけはしっかりスイーツへと残しているアリア。
そんな二人を見ていたグレイソンが、肩を震わせて笑みをこぼした。
「まぁまぁ、式典も無事に終わったんです。少しくらい甘い物に心奪われても良いじゃありませんか」
「グレイソン様……!」
アリアはすぐさま感謝の眼差しを送る。
一方でキースは大きくため息をついた。
「……本当に、目を離すとすぐこれだ」
だがその言葉の裏に、微かに和らいだ声色が混じっていることに、アリアは気づいていなかった。




