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静謐に揺れる決意

 豪華な軟禁生活


 キースに部屋へ閉じ込められてから二日目の朝。

 とはいえ、アリアは思いのほか快適に過ごしていた。


 それもこれも、おしゃべりに付き合ってくれるメイドのカノンとキャロルのおかげだ。甘い紅茶にお菓子、のんびり読書に、お昼寝つき――監禁とは思えないほど、優雅な時間だった。


 いつものように扉をノックする音が響いた。


「カノン、キャロル〜! 待ってたよ――!」


 ガチャ、と笑顔で扉を開けたその瞬間。

 目の前に立っていたのは、予想もしていなかった人物だった。


「き、キース様っっっ!?」


「…………」


「…………」


 沈黙。

 一秒、二秒。


 そして――


「…………」


 カチ、と音を立てて、アリアの手が扉を静かに閉じた。


「――――――――――ッッッッ!?」


 その瞬間、アリアの脳内は真っ白になった。


「な、なんで!? なんでキース様が来るの!? 聞いてないんだけど!? え、ちょっと待って、今日って来る予定あったっけ!? やばいやばいやばいっ」


 顔を真っ赤に染めたまま、扉にもたれかかる。

 胸がドクドクと騒ぎ、鼓動がうるさい。


「部屋着のままだし、髪もまとまってないし、紅茶飲みっぱなしだし……! よりによってこんなタイミングで来るなんてっ!」


 そのとき――


「……おい、開けろ」


 扉の向こうから、低くて冷たい声が聞こえてきた。


「ひっ……!」


 アリアは肩をすくめ、周囲を見回しては、散らかったティーカップを手早く片付け始める。


「今、閉めたよな。扉」


「き、気のせいですっ! 見間違いです! たぶんそれ、風です!」


「俺の顔を見て無言で扉を閉めるのが“風”か?」


「い、いや、その……あの、ま、待ってください!準備が……!」

 

 ガチャ。

 容赦なく、扉が開いた。


 目の前に現れたキースを前に、アリアは言葉を失いながら後ずさる。


 キースは無言のままアリアをじっと見つめていたが、やがてゆっくりと口を開いた。


「……脱走して部屋に閉じ込められた人間の“準備”って、何だ?」


「そ、それは……その……」


 アリアはうつむき、小さく答える。


「……こ、心の準備……っ」


 しばしの沈黙。


 キースの表情は変わらない。ただ、じっとアリアを見つめている。


 そして――


「……ふざけてるのか?」


「ち、ちがいますっ!」


 アリアの慌てた声が、部屋に響いた。

 驚きで頭が真っ白なまま、キースを見上げて固まってしまう。

 気づけば、謝る一瞬を逃していた。


 キースはため息をついて、部屋の中を一瞥しながら静かに言った。


「……逃げ出した罪人にしては、くつろぎすぎだな」


「あの、それはっ……」


 気まずそうに笑うアリアに、キースは小さく息を吐いた。


「俺が来ないから、気を抜いたか?」


「……うっ、ちょっとだけです」


「“ちょっと”の定義、今から教え直してやる」


 アリアはしゅんと肩を落とし、スカートをきゅっと握りしめた。


「……ごめんなさい」



 キースの視線は、アリアを素通りして室内の奥へと流れた。

 まだ怒っているのか――胸の奥がきゅっと縮む。

 さっきから、目が合っても感情を読ませないあの無表情。

 何を考えているのか、まったくわからない。


 張り詰めた空気の中、アリアは視線を落としたまま動けずにいた。

 その静けさの向こう――扉の外では、キャロルとカノンが互いに顔を見合わせて固まっている。

 二人とも、入るべきか、それともこのまま見守るべきか判断がつかない。


 そんな外の様子などお構いなしに、キースが低い声で告げる。


「出かける。支度をしろ。……三十分以内にだ」

 低く告げられた言葉に、アリアは瞬きをした。

 出かける? 今、この空気のまま?


「はい……」


 返事をした瞬間、さらに追い打ちをかけるように彼が言葉を重ねた。


「……ついでに、心の準備もな」


 アリアの鼓動がまた早くなる。

「っ……」


 そしてキースは視線を扉へと向けた。

「……聞いているだろ?」


 扉の向こうで、キャロルとカノンがびくりと肩を揺らす。

「は、はいっ! お支度、お手伝いしますっ!」

 慌てた声が廊下に響く。


 キースは満足げでも不満げでもない、無表情なまま扉を開ける。

 二人のメイドが勢いよく頭を下げ、主人の機嫌の悪さを敏感に察しているようだった。


 その横を、キースは何も言わずに通り過ぎていく。

 キースの背中が扉の向こうに消えると、部屋の空気が一気にゆるむ。

 しかし、アリアの胸の鼓動はまだ早いままだった。


「……やっぱり、怒ってる……よね」


 ぼそりと呟く声は、聞いた二人のメイドの耳にもしっかり届いていた。


「アリア様……」

 キャロルが心配そうに覗き込む。


「行きたくないなぁ……」

 アリアは椅子に沈み込み、力なく天井を見上げる。

「だって……あんな顔で“心の準備”なんて言うんだよ? 絶対、怖い……」


 自分でもわかっている。

 ――本当は、ただちゃんと謝ればいいだけ。

 けれど、その“タイミング”がもう何度も逃げてしまっている。


「謝るタイミング……」

 小さくつぶやくと、胸の奥にじわりと不安が広がった。

 このまま行ったら、もっと怒らせちゃうかもしれない。

 そう思うほど、どんどん悪い方向へと考えが傾いていく。


「アリア様、大丈夫です」

 カノンが明るい声で言いながら髪飾りを選ぶ。

「きっとお出かけ先で、落ち着いてお話できますよ」


「そうです。外に出れば、キース様だって……」

 キャロルが微笑む。

「ね? せっかくですから、少しでも楽しい時間にしましょう」


 アリアは唇をきゅっと結び、二人の手にされるがまま支度を進められていく。

 気が重いけれど、二人の優しさにほんの少しだけ心が軽くなった。

 キャロルは、迷いなく衣装棚から一着を取り出した。

 深いワインレッドのワンピース。裾には上品な刺繍があしらわれ、肩口がほんのり開いた大人びたデザインだ。


「今日は……これがいいかと」

「えっ、これ……?」

 アリアは思わず目を丸くする。

「なんか……いつもより、大人っぽくない?」


「ええ。キース様も、落ち着いて話せる雰囲気になると思います」

 キャロルは微笑み、アリアの肩にそっと服をかけた。

「可愛らしさもいいですが……今日は、少し違う印象でいきましょう」


 すると、横で待っていたカノンがすぐに動き出す。

「じゃあ、この服に合わせて――髪はハーフアップにしましょうか」

「ハーフアップ……?」

「ええ、顔周りは柔らかく残して、後ろでまとめます。大人っぽく見えて、でも堅くなりすぎません」


 カノンは手際よくブラシを滑らせ、アリアの髪をふんわりと持ち上げる。

 そして、細い金細工のヘアアクセを取り出した。中央には小さなルビーが光っている。


「これなら、ワンピースの色ともぴったりです」

「……なんか、すごくお嬢様みたい」

「もともとお嬢様ですよ?」

 カノンがくすっと笑うと、キャロルも同じように口元を緩めた。


 準備を終えたアリアは、鏡の前で小さく深呼吸した。

「……よし、行こう」

 小さく呟いたものの、足取りはどうしても重い。


 廊下を抜け、玄関先へ向かうと、黒塗りの馬車が静かに待っていた。

 御者が恭しく頭を下げ、キースが先に扉を開ける。

 その鋭い視線に、アリアの心臓がきゅっと縮まる。


「……遅い」

 低く短い声。

 アリアは反射的に頭を下げた。

「す、すみません……」


 キースの視線が、ゆっくりとアリアの全身をなぞる。

 一瞬、目元がわずかに揺れた気がした。

「……いつもと違うな」

「えっ……」

「服も、髪も」

 そう言って、ふっと息を吐く。

「似合ってる」


 その一言で、アリアの耳まで真っ赤になる。

 横にいたカノンとキャロルが、さりげなく背中を押した。

 怒っているはずなのに――ほんの少し、胸が温かい。


「……行くぞ、乗れ」

 短い指示に、アリアは小さくうなずき、裾を持ち上げて馬車に乗り込んだ。

 そのすぐ後、キースも腰を下ろす。


 扉が閉まると、外のざわめきが遠ざかり、馬車の中は二人だけの空間になる。

 ――静かすぎる。

 キースは何も言わず、窓の外を眺めている。

 コトン、コトン……規則正しい車輪の音が、やけに響く。

 その静けさは重く、アリアの胸を圧迫した。


(……沈黙って、こんなに息苦しいの……?)

 視線は自分の膝から上げられず、指先は自然と握り締められる。


 やがて、馬車がふっと速度を落とし、完全に停まった。

 外から御者の声が聞こえる。

「到着いたしました」


 キースが先に動き、軽やかに馬車を降りた。

 その背に続くよう促され、アリアも裾を整えながら外に出る。

 目の前には街の一角――上品な佇まいの仕立て屋。

 磨かれた木製の扉と、窓辺に並べられた鮮やかな布地やドレスが、外から見ても高級感を放っている。


「……ここって……?」

 恐る恐る尋ねるアリアに、キースは短く答えた。

「ついて来い……」


 店内に足を踏み入れると、柔らかな光が白と黒の軍服ドレスがスタンドに掛けられていた。

 銀糸が織り込まれた白い生地と、深い黒の生地に金糸の刺繍が施され、肩には小さなエポレット、腰には女性らしい曲線を強調するベルト。

 威厳と華やかさ、そして凛々しさを兼ね備えた一着だ。


「……これ、私の……?」

「お前のために仕立てさせた」

 キースは視線を逸らさず、淡々と言う。


 アリアの胸が高鳴る。

 ――まだ怒っているかもしれないけど、ちゃんと私のために用意してくれてたんだ。


 試着室に案内され、店員が手際よく着付けを始める。

 硬質な生地が肩を包み、金の刺繍が肌の近くでさりげなく光を放つ。

 腰にベルトを巻かれ、バックルがカチリと留まった瞬間、鏡の中の自分が見慣れぬ凛々しさを帯びた。


「お待たせいたしました」

 カーテンが開かれる。

 キースは無言のまま近くに立ち、じっとアリアを観察する。

 その視線に、自然と背筋が伸びる。


「……どうですか?」


 キースはしばらく黙ってアリアを観察した後、淡々と口を開いた。

「……いいんじゃないか?」


 その低く短い言葉に、アリアの頬が熱くなる。

「………!」

 嬉しさと、罪悪感と、どうしようもないときめきが一度に押し寄せ、言葉が出なかった。


 まだ新しい軍服ドレスの余韻を纏ったアリア。

 仕立て屋を出て、ふたりは馬車へと乗り込んだ。

 少し緊張した面持ちでキースの隣に腰を下ろす。


 扉が閉まり、馬車が走り出すと、微かな揺れに合わせて二人の距離は自然と近づいた。

 アリアの肩が、ほんの一瞬だけキースの腕に触れる。


「……衣装、悪くなかったな」

 何気ないようでいて、不器用な褒め言葉。


 アリアは小さく笑みを浮かべた。

「ありがとうございます」


 すぐに続けて、彼は茶化すように言う。

「だが、中身が追いついてない」


「ゔっ……」


 数秒の沈黙。

 窓の外を流れる街並みを見つめながら、アリアはずっと迷っていた言葉を、ようやく口にする。


「あの……、屋敷を抜け出したこと……ごめんなさい」


 キースは少しだけ視線を外し、静かに息を吐いた。

「……もう怒ってない」

 短く、それだけ。


 アリアは顔を上げ、驚いたように彼を見つめる。

 その目には、確かに柔らかい光が宿っていた。


「でも――二度と勝手に出るな。どうしても出るなら、俺が連れて行く」

「……はい」


 馬車が屋敷の前に停まるころには、言葉以上に伝わるものがあった。


 馬車の扉が開き、先に降りたキースがアリアへ手を差し出す。

 ためらいがちにその手を取ると、彼の指先は意外なほど温かい。


 玄関先で待っていたキャロルとカノンは、その様子を見て顔を見合わせる。

「……仲直りできたみたいですね」

「ええ……よかった」

 二人の目が、帰ってきたアリアに向けられる。


「アリア様、お帰りなさい!」

「お出かけはいかがでした?」

 その声色から、ずっと心配して待っていたのが分かる。

 アリアは一瞬、どう答えようか迷ったが――小さく笑みを浮かべた。


 キースはアリアの肩に軽く手を添え、低く言う。

「寒い。お前は先に入れ」


「はい……ありがとうございます」

 アリアは小さく礼をして、玄関ホールへと足を運ぶ。

 キースは待っていたカノンとキャロルを見て。

「……明日は朝から忙しくなる。お前たち、アリア嬢を頼む」


「はい、もちろんです」

「お任せください」

 二人は背筋を伸ばして答える。


 キースは視線を扉へ向けたまま、何か言いかけ――結局、低く短く告げるだけだった。

「……あいつが緊張しないようにしてやれ」


 そう言い残して背を向ける。

 廊下を去っていく背中は、相変わらず冷静で、でもどこか落ち着かないようにも見えた。


 カノンとキャロルは目を合わせ、静かに頷き合う。


 アリアが自室に戻ると、すぐにカノンとキャロルも後に続いてきた。

「さあ、アリア様。式典の前夜ですし、準備を整えましょう」

「そうですよ。髪の手入れもしておかないと」

 二人の明るい声に、アリアは自然と肩の力を抜く。

 窓の外では、冬の夜空が静かに広がっていた。

 軍服ドレスは明日のために丁寧にハンガーへ掛けられ、机の上には必要な小物が一つずつ並べられていく。

 そして、その中央には――白布に包まれたアリアの聖剣が、静かに置かれた。

「……聖剣」

 アリアはその布をめくり、柄に指先を触れる。

「明日、この剣と一緒に式典に立つんだわ……」


 アリアは椅子に腰掛け、カノンが手際よく髪を梳く感触を感じながら、明日への胸の高鳴りを少しずつ実感していった。



 アリアは聖剣から手を離し、ベッドへと向かった。

 カノンが毛布を整え、キャロルがランプの火を落とす。

「今夜はしっかりお休みくださいね」

「……うん、ありがとう」


 毛布に身を包むと、昼間の出来事が頭の中でゆっくりと巡った。

 ――馬車の中で、ちゃんと謝れた。

 ――そしてキースは許してくれた。

 ――式典のために、あんなに立派な衣装まで用意してくれて……。


 胸の奥がじんわりと温かくなる。

 瞼を閉じる直前、アリアはほんのり笑みを浮かべた。


 ――明日は、胸を張って隣に立とう。




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