第十一話 "伝説"
『私は、誰も信用していなかった』
『優しさというのは、ただの自己矛盾の連続だ。私は何も、誰も信じていなかっただけだ。いいかな、モザちゃん。たとえば人が、自分の話を聞いてくれなかったとき、指示を無視したとき。人はしばしばそれに腹を立てる』
『それは程度に差はあれど、その人を信用しているから……これくらい、やってくれるはずだ、と思って声をかけるんだ。だから腹が立つ。どうして、やってくれないんだ……なぜ、かなえてくれないのだと』
『私は信用していない。私が抱いた欲望、私が指南した技術、私が指揮した戦法、何ひとつとして、彼らに叶えられると思っていない。だから私は、頭を下げる彼らに、“大丈夫だ、何も気にしていない”と声をかけてきた』
『優しさというのは、無責任の裏返しだ。私は平等に全てを信じなかった。敵だろうが、一般民だろうが、彼らが強者と呼ぶ者だろうが、全てを信用しなかったのだ』
さらさらと、綴られる独白。
モザちゃんは、その横顔を見据えながら、じっとその言葉を聞いていた。
『私のこの意向が正しいかどうかは定かではないが、現にこれまで、誰も私の役に立たなかったのは事実だ』
ゆっくりと歩きながら言葉を重ねるその男。
歩く速度は、奇妙なほどに一定だ。
『……』
モザちゃんは少し俯いた後、
意を決して、ひとつだけ、気になっていたことを聞いた。
『……お父さん。私、アム王女から聞きました。貴方には、“原初の虹色”と呼ばれた、7人の弟子が居ると。彼らはお父さんが居なくなった後も、それぞれ、様々な方法で世界を調停して来ました……。お父さんは、彼らのことも、信用して、なかったんですか……?』
小さく、それでもはきはきと問いかけた。
『………』
『………?』
当の彼はというと。
前を見たまま、喋らなくなってしまった。
『お、父さん……?』
『………』
尚も同じ速度で歩きながら、数十秒の時が流れる。
『……………あの』
『………はて』
『……え?』
『“原初の虹色”……?私に、7人の弟子……?』
『…………え』
『それに、アム王女とは、誰だ。私の記憶をすべて辿ったが、そのアム王女とやらの名前も、私に居たという弟子の存在も、一つも思い起こせん』
『え、そんな……』
『きっと後世で、この時代に私と共に───例外なく全て邪魔者だったが───魔と戦った人々のうち7人が、勝手にそう呼ばれたのだろう。物語によくあることだ。曲解され、身に覚えのないことが伝え聞かされていた、それだけのことなのだろうな』
『……!』
『後に戦士たちの士気を上げるための戦伝を書き綴る際も、代表的な戦士がちょうど7人程度いてくれた方が何かと分かりやすく、まとめ易い』
そ、そんなっ……!
忘れてる、とかじゃなさそうだよね……。
『……しぃけーちきは私を探している』
男は急に立ち止まり、ひとり言のように、空に向かってそう呟いた。
『………!』
『そして、私もしぃけーちきを探している』
ぼんやりと空を眺めながら、男はさらに続ける。
『奴が私を探している理由ははっきりとはわからん。だが、時空を超えられるはずの奴と、時空を壊せるはずの私が、なぜ互いに探して、なぜ相見えんのだろう。仮にどちらかが隠れようと、逃げることなど不可能だというのに』
『……あ……』
そうか。私が産まれてるということは、お父さんが、”しぃけーちき”を倒し損ねた後。
その二人は、その後、一度も会わなかったの?
世界の中でひときわ輝く二つの星が、互いに互いを見つけられないなんて……。
『私は一つの結論を得た。ただのくだらない、愚かで、馬鹿げた結論だ』
彼は諦観したようにため息をつき、また歩き出した。
『もしもこの世界に意思があるとしよう。そして世界を調停しているのだとしよう。そして私が彼を倒せば────あるいはその逆が起これば、世界の均衡が崩れてしまうのだろう。世界は、それは死んでも巡り合わせられんのだろうな』
『……へ?』
『あるいは、それがこの世界の終わりを意味しているからこそ、叶わないのか』
『お父、さん、それは……』
『この世界は不条理だ。均衡を保とうとしている』
『………不、条理、なんですか』
『そうだ。均衡とはえてして不条理なものなのだ』
世界が均衡を保つために動く。
秩序が天秤を調和する。
それは一見、律されて平等で公平な世の中に見える。
だが、それは。
産まれてくる悪をどれだけ討てども、その度に秩序がそれを補充し、
数珠つなぎの輪廻が巡って、永遠に魔と悪が蔓延り続けることになるのだろう。
『………』
モザちゃんはなんとか、それを理解した。
自分たちが闘ってきた世界で見たもの、
魔界の扉の前で聞いた話、
それらに通ずるものがあったからだ。
……それにしても。
『……はは』
少し、笑みがこぼれた。
救いようのない話を聞いたばかりだと言うのに。
『………?』
これまで無表情だった男も、不可解だという顔をしている。
『は、あはは……。お……お父さん、結構メタいですね。とある人を、思い出しました』
『…………ごちかわか』
男は少し考えるような仕草をした後、また呟いた。
『……!』
『きっと奴も、ここに来ているのだろうな。奴も奴で、なにかやるべきことがあったのか』
『!!わ、分かるんですか……!』
『極力周りに存在を気づかれないように行動している……ように見えて、隠れる気がないようにも見える。あれほどまでに隠密が不得手だったとは思えんがな。なに、放っておいて構わん。奴なりに、何か後ろメタさがあるのだろうよ』
『…………?』
後ろめたさ……?
何のことだろう……?
『そして……おそらく奴が、その、原初の虹色とよばれた7人の一人だろう。そうだな?モザちゃん』
『……え、あ、はいっ!ご名答……です』
『そうか。成程。確かに奴は、よく私の邪魔をした。少しだけ、読めた。きっと茂賀翠や千聖、雨宮玲音も、その一員だったのだろう』
『!!は、はいっ!そうです、三人とも、すごい剣士で……!』
『そうか』
モザちゃんはその後、彼らについて色々なことを語った。ほとんどは、聞きかじった話であったが。
飛び跳ねながら彼らの活躍を話すモザちゃんと対照的に、
男は、なおも静かに歩いている。
『……それで、それで……!…あ、ごめんなさい、私ばっか、話しちゃって……!』
『構わない』
『あ……』
『娘の話を聞いてやるのも、父の務めなのだろう。きっと私はそれを全うできない。全うできなかったのだろう。いくらでも、私は聞く』
これまで淡々と話していた彼が、
この時はほんの少し、哀しみを含んだように見えた。
『……!』
────モザちゃんに、かつて、父と過ごした日々がよぎる。
父は寡黙な人だった。
悩みを聞いてもらったこと、日々のささやかな出来事を伝え合ったこと、共に笑いあったこと、
思い返しても、見当たらない。
会話はいつも一方的で、
父が私に何かを伝え、私は静かにその意に沿い、
私が父に事を話すと、父は無言で認識していた。
……でも、それでよかった。あの日々は楽しかった。それだけははっきりしている。
ひどい父だと思ったことなんて、一度もない。
子供ながらに、きっとお父さんはとんでもない大仕事をしているんだと、私に多く構っている余裕はないんだと、それとなく理解していたからだ。
『……でも』
だが、
モザちゃんのちょっぴりの悪戯心と、あの日々の中でそれでも積み重なった不安が、
『……お父さん。貴方からしたら、みんな、弱い存在かもしれないのかもしれません』
きっと言うべきではない言葉を、
『……私のことはいいんです。寡黙でも、貴方は私にとって理想のお父さんでした。それでも……、今からでも、もっとみんなと関わって、少しでも、みんなを、みんなの力を信じてくれたら……私は、とても嬉しいです』
まるでそれがさだめであるかのように、つらつらと告げた。
……告げてしまった。
父がして来たことを、何も知らなかった身。
そして、モザちゃんが産まれてすぐ後の我が父に、決して放つ言葉ではない。
『……』
『……』
気まずい空気が流れる。
モザちゃんは少し後悔しつつも、尚も微動だにしないその横顔を見つめる。
『……そう、思うか』
『………はい』
『では』
────鋭い突風が吹いた気がした。
遅れて、ひどくネバついた鉄の臭いが鼻を突き抜ける。
少し顔をしかめたのもつかの間、
モザちゃんの前には、巨大な首。
だくだくと血を流して、おそらく猛々しかった眼はその光を失っている。
『これは北東に7800km離れた位置に居た、狂獄龍の首だ。……モザちゃん。君は同じことができるか?』
モザちゃんは一瞬面食らったが、
すぐにこの状況を理解した。いきなりの展開には、もう慣れている。
『……お、お父さんほどの速度は難しいかもでふが、10秒もあればいけると……思います』
…でふ?
『そうか。まあ……ぎりぎり、及第点だな。私の周囲には居ない。10秒どころか、10時間、10日かけても達成できない者が大半だ』
『………』
『私は彼らには闘わないでほしい。居ても居なくてもそう変わらないからだ。むしろ私が守るべきなのに、勝手に闘われて勝手に命を散らされては目覚めが悪くてな』
『……それは』
『む?』
『それは、お父さんの本心ですか?』
『ああ。本心も何も……それが当たり前であるべきなのだ。弱き者は強き者により守られる。それが正しい世界だろう。魔と闘うのは私だけでいい。共闘者も、弟子も、支援も不要だ』
……たしかに、お父さんの強さはおそらく……私達とは比べ物にならないレベル。
それほどの力を持ってるのなら……聖十二騎士クラスの戦士も、一般兵も、そう変わらないように見えるのかもしれない。
でも、でも………
『……でもっ!じゃあ……お父さんが、居なくなったら……どうするんですかっ!』
『………』
『お父さんは……突然姿を消したんです。勿論、この今からは随分先の話ですが……!魔の襲来も、深淵の支配も、何も解決せず、解決の糸口も掴めないまま、私はこれまでっ……!』
『……そうか』
表情を崩さず、男は淡々と告げる。
『そうだ、そうだな。その通り。懸念点はそれだ』
『……え……?』
『モザちゃんの言う通り。私は永遠に存在できるわけではない。故に私が全てから命を守り切るのは不可能だ』
胸に抱いている赤ん坊の眉が、ぴく、ぴくと動く。
その様子をちらりと見て、再び口を開く。
『ならば今私が全ての悪を刈り取るか。それこそ非現実だ。悪は摘めども摘めども出ずるもの。悪に堕ちる人間も、正道に生きる魔も千差万別。私は捌くことはできても裁くことはできない』
その言葉を理解しているのかいないのか。
モザちゃんは、口を開けたまま、その言葉を聞いている。
『"奴"を殺せる目処も立たん。私なりに動いてはいるが、件のつまらぬ秩序のせいで奴はいつまでも滅されん。この世界の民は、私が消えたのち、悪という名の人の弱さと、そして"奴"の戯れにより沢山、沢山死んでいくだろう。私にはそれは堪えられない』
『……お、父さん』
『ただ』
『……』
『私には最後に、一つだけ希望を残した』
『……?』
『それが、君だ』
『……わ、私、ですか……!?』
『親子だ。少しでも私の力を継いでくれるのならば、我が娘は、私の代わりに救世主になってくれる。そんな淡い希望に耽っていたその時に、なんの因果か君が、結果が私の目の前に現れた』
『……あ、はは。偶然ですよ?本当に』
で、でも、少しだけ、運命のひきあわせ……ってやつを感じるっ……!
『そうだろうな。……私の希望は、断たれたというわけだ』
『……え、え!?ど、どうして……』
『私の力を受け継いで、その程度かと、愕然としたのだ。かなり修練はしているようだがな。それでは、世界を守ることなど遥かに遠い』
『なっ、えっ……!』
そ、そんな……!
『さすがにほかの有象無象とは違うようだがな。……答え合わせは早ければ早いほどいいものだが、早すぎるのも考えものだな』
『……わからないじゃないですか』
『……む?』
『やってみないと、わからないじゃないですか………!!!』
『私が分かると言っているのにか』
『お父さんが分かると言っていてもですっ……!!!』
修練に次ぐ修練、戦闘に次ぐ戦闘。
モザちゃんの強さはそこらの強兵のレベルをゆうに超えている。
故に、信じられなかった。
彼が信用していないらしい一般兵を見るような目で、愕然とされたことが。
剣に手をかける。
今の力を、直接見せてやろうという算段だ。
男は小さくため息をつき、
モザちゃんに目を合わせないまま、空を横目で見ながら呟いた。
『ならば仕方ない。見せてみなさい。……私は、指一本しか使わないであげよう。ここから一歩も動かず、魔法も、光の力も使わないと約束しよう』
『………っ!?』
そ、そんな、さすがに、舐めすぎでしょ……!
お父さんがいかに強いからって、そこまでの……!
『……分かり、ました……!そんなに娘の成長が信じられないなら、見せて……!!!!』
言葉と共に、神速で靈煌剣を抜く。
そして、正確無比、疾風怒濤のその一撃が放たれ────
『あげ…………っ……!?』
何が起きたのかわからないまま。
モザちゃんの目の前には、地面があった。
『…ま、っ、はっ………!!』
『………』
モザ二郎は尚も、空を横目で見ている。
『……ぅ……な、に、がっ……!』
『……せめて、何が起きたか、くらいは察知してほしいものだ』
体が、動かせない。
身体中の部位に、器官に様々な命令を送るも、それらが全て無視される。
伝わらない。これだけで人は苦しく、不安になる。
……だが、その歯がゆさのさなか、
モザちゃんはひとつの違和感に気づいた。
『……こ、これ……』
これほどの身体の異常。
"体が動かない"以外の不快感が無数にあって然るべき。
それこそ、物理的な痛み、出血による脳機能の低下、主要器官の損傷………
自分の身体には、おそらくそのいずれもない……
痛みが、一切、無い。
地面に強く体をぶつけたというのに。
『……お、父、さん。まさか、これ、"神経"を……』
『惜しいな』
『……』
『人間の身体には、数億の電気信号が流れている。足を動かすとき、腕を振るうとき、脳から、脊髄から、神経を伝って筋肉に数多の電気信号が伝えられる。……それを全て捉えてやれば、たとえこのなんの力も纏っていない指先で軽く指圧してやるだけで、この通りだ』
『……!?!?』
じゃ、じゃあ……
わ……私の、体を流れる数多の電気信号を、私がお父さんに差し迫るまでの間に、
一瞬で同時に指圧した……ってこと……?!
電気信号は人の神経をたえず動き回っている。突撃の最中も、平常時も。
迫り来るモザちゃんに対し、それをすべて軽く押すことで、一時的に体の動きを奪った。
『この程度軽くできねば、奴を打ち倒すことなど夢のまた夢だ』
『うっ……』
外傷はない。ただ体の隅々を”押された”だけ。
それなのに数多の衝撃が体を突き抜け、身体が起き上がることを拒否している。
────神経そのものが、狂っている。それも、体中の。
ゆえに起き上がるどころか、指先をぴくりとも動かせない。
だが、それでも。
体を動かすことができなくても、
煌めくものが、ここにある。
『………っ……!』
身体中に、"光の力"が顕現する。
それはモザちゃんの内に秘められていた高密度の光。
ぽわ、ぽわと、それは小さな光の球となり周囲を舞う。
『……<凛・亜甦生>!』
光が、その性質を遺憾なく発揮する。
超高速、いや、その名の通り光速で体を駆け巡り、
尚も残る衝撃を、振動を緩和し、
崩れた神経を再接続する。
『……やっ、て……くれましたね……お父さ───』
地面に手をつき、立ち上がる。
そうして顔を上げ、彼を見すえようとすると………
『君が起き上がるまでのその4秒間で、世に産まれた破壊衝動を持つ魔族が168体』
『"奴"の分離体、"深淵の使者"86400体』
『"亡靄"、367億7052万7080個』
彼の剣は、見覚えのない黒い返り血と深淵のオーラに塗れていた。
彼がゆっくりと剣を紙で拭くと、その瘴気は瞬く間に霧散する。
『今一度、問おう。モザちゃん。今の君に、この世界を救う希望があるか』
『……っ……!!』
答えられない。
喉はまだ震えているが、ぎりぎり言葉を発することができるくらいには回復している。
それでも………
『答えは、すでに決定した』
『……待っ──』
待ってください、
私はまだ……!!
言いかけて、やめた。
悔しいけど、自分が全く通用しないのは事実だ。
『残念だ。やはり、私が成すしかあるまい』
『………』
『せめてもの情けで、選ばせよう。モザちゃん。君だけは、助けておこうか』
少し離れたところにあるベビーカー……いつの間に用意したのか……に乗った赤ん坊と、自分を両方見てから、彼は問いかけた。
『………え?私だけって、どういう……』
『みなまで説明させる気か。……私はこれからこの星のすべての生命体を消す』
『え、えっ、えっ……!?な、なんでっ……!?』
『了承したと思っていたのだがな。先ほど述べただろう。私は不死身ではない。私の後釜はいない。ならば必ずこの星の人々は、まず間違いなく"奴"の快楽を満たすための生贄となる。……そうならないため、事前に私が生命体をすべて滅ぼす。そうすれば奴の興味はここから失われるだろう。なに、世界や星まで破壊するつもりはない。幾億年の時が必要か知らぬが、その後も、なにか別の生命体がきっと現れるだろう』
『な、なっ……!!!』
『心配するな、一切苦しみを味わうことなく、すぐに終わらせよう』
『まっ、待ってください……!』
『なんだ。希望はないと、再確認できたはずだ』
『だからって、なんで今っ、みんなを殺す必要があるんですかぁっっ……!?』
突然の一言。
モザちゃんに、そんな心の準備ができているはずがない。
回復したばかりの体で走り、モザ次郎を抑えようと走る。
が、届かない。
捕まえようとする腕、掴もうとする手は、スカ、スカッと空振りする。ゆっくりと歩いている彼を、捉えられない。
『っ………!』
その体に指が触れる瞬間だけ、回避しているのだろうか。凄まじい。風も物音も立てず、その瞬間だけ、自身をその座標から消している。
絶望だ。
今まさに去ろうとする父。
捉えられぬ自分。このままでは………
『………っ』
諦めるはずがない。
モザちゃんが、こんなことで。
あの背中が語っている。
"止めたければ、今度こそその力を示してみよ"……と。
もとより本当に事を成すつもりなら、それこそ一瞬で事を成しているはず。
ゆっくりと、誘うように歩いている今こそ、
最期のチャンスを、自分にくれているのだ。
『────っっっ!!!』
もう一度剣を抜く。
今度は、迷わない。
大敵を倒すつもりで、自分のすべてを、ぶつけてみせる。
……凝らした眼にちらりと映ったのは、あのベビーカーを、安全な場所に移動させ、何事もなかったかのように自分に背を向けて歩き続ける我が父。
ならば娘は、前を向いて、応えねば。
────天に掲げた剣が、小さく光る。
『<"聖爆巨発">!』
詠唱と共に、散り散りになった光がさらに弾け────
す ゛ か ゛ ぁ ゛ ん ゛ ッ ッ ッ ッ ッ ッ ! ! ! ! !
けたたましい轟音を侍らせた大爆発が起きた。
『まずは……聴覚!』
爆発の衝撃だけではない。
これこそがこの技の真骨頂。轟音が敵の聴覚を奪い、平衡感覚すら失わせる。
そして、間髪入れず……
『<"聖大波両断">……!』
もう一本の剣を抜き、あの時の技を唱える。
真打"村雨"と相性がいい。その力は抜群に引き出され、海神の激流が巻き起こる。
この技に襲われたものは、水流に囚われ、体の動きが鈍くなり……周囲の感覚を感じにくくなる。……そして、大波からこれでもかと押し寄せる、濃厚な潮の香り。
『嗅覚と……触覚!』
次にモザちゃんは、剣を仕舞い轟速で駆ける。
そして、激流の中を尚も等速で進む男の前に立ち──
『<"聖光を謳う翼">……!』
まばゆい聖色の閃光が迸る。
光量自体は"晴光"よりも控えめだが、
たとえ目を塞いでも、この光は根源まで届く。
『視覚……!いくら強くたって、人としての感覚を全て封じれば……!』
目にも止まらぬ速さで振るわれる剣。
五感を封じ、それでも油断せず、宙を跳び、左斜め上から一直線に斬りかかる。
『……うっ……!!あ……』
またも、指圧されたのか。今回は、腕だけを。
振り上げた腕が言うことを聞かない。
関節が、腱が思った通りの信号を受け取ってくれない。
故に均衡を崩し、空中で体制を整えて……なんとか着地した。
父は背中で語る。
"いいやり方だった"と。
『ぐ……!!』
そんなの、慰めにもならない。
モザちゃんは再度、機能を停止した神経を凛・亜甦生で修復し、向き直る。
もっと強く。もっと疾く。
突撃を繰り返すたびに、モザちゃんの動きは研ぎ澄まされ、最適化され、迅速になっていく。
────それでも。
『うっ……!』
こうして土を舐めるのは何度目だろうか。
何度も壊れた心が、体が、魂が、もう無理だと悲鳴を上げている。
『うるさいっ……!』
悲鳴を気合いで押さえつけ、歯を食いしばり、立ち向かう。
何度でも、何度でも。
背中は尚も語る。
”格段に良くはなったが、まだ遥かに遠い。無駄なことをしてくれるな”
『………!』
痛みは、苦しみは、慣れっこだ。
この苦痛を、みんなに味わせないように、闘うんだ。これまでも、これからも。
そんな気概が、モザちゃんの体を、何度でも突き動かす。
『いや…………無駄、なんかじゃ、ない……!』
どこから、どのように打ち込んでも、届かない実力。
狂った神経はその“声”のみを正確にキャッチする。
『───ぐぅ……っ!!』
幾度となく打ち込むが、
その度に、難なく弾き返される。
”自分の力量はもう身に染みて分かったろうに、なぜ闘う。すべてが失せれば、それ以上何も失うこともない。誰も死なない、傷つかない世界になる”
『……違うっ……!!』
突撃を繰り返す。
一つとして同じ動きはない。
関節の動かし方、踏み込みの力、振るいの初速、
すべての無駄を際限なく落とし、それでいてばらばらのタイミングで、様々な箇所を狙う。
『だってっ……!!誰もいない世界なんて……!』
足掻いた日々は無駄じゃない。
挫けそうになった日々も、
立ち上がる気力を失った時も、
『そんなの……!なにも幸せなんかじゃ、ない……!』
みんなの笑顔があったから。
彼らの幸せを見れたから、ここまで来れたのだ。
─────父の歩みが、ほんの少し、揺らいだように見えた。
『幸せ……って……いうのはっっ……!』
そんな娘が、孤独なもの知らぬ父に教えてあげよう。
たった一人の闘い。
一振りの剣を振り続ける。
されどこの剣には、体には、これまで背負ってきた信念と絆が籠っているということを───!!!
『お父さんがいつか斬って捨てた、なにげない日常にこそあるんだ─────!!!!!!』
今宵最大最強の一撃。
守りを捨て、使える光の力をすべて使い、
この攻撃に関係のない体の場所は修復せず、この一撃だけに全てを賭けた。
────そうしないと、我が父には届かぬと知ったから。
そんなモザちゃんの気概に敬意を表したか。真意は定かではないが、
背を向け歩いていたモザ次郎が、ほんの一瞬だけ歩みを止め、
『……日常、か』
と、小さく言葉を放った。
そして突然こちらを振り向き、
『SING THE BREAKHEART』
ゆっくりと、呟いた。
同時に顕現するのは、一本の剣。
『っっ……!?』
あの日、父が残していった靈煌剣ハルヴァバードに似ているようで、違う。
───刀剣はすべて、何かしらの意に満ちている。
敵を打ち倒す剣、見た目重視の華やかな剣、何かの呪いを封じ込めた剣……
顕れた剣には、そのいずれも無かった。
装飾もない、配色も至ってシンプルな、ただのまっしろの剣。
そして光の力も、魔力も、何も籠っていないその剣が、
いとも簡単に、モザちゃんの渾身の一撃を防いで見せた。
『………っ……』
─────ようやく父に、こちらを振り向かせることができた。
でも……。
『………』
男は剣を持ったまま、静かにこちらを見つめている。
……愕然とするだろうなあ。
もう、立ち上がるための力が、全く無いなんて。
やっとこっちを見てくれたのに、もう私を見せられないなんて。
モザちゃんは、膝を折ってゆっくりと目を閉じた。
剣から手を離し、だらりと腕を下ろしている。
『……………合格だ、モザちゃん』
温かな感触。
頬に、そっと、柔らかな手が添えられた。
『え……?』
『そうだ。私は間違っている。間違っていたから、奴を打ち倒せなかったのだろう。人々を救い、人々に救われ、みんなの絆と共に闘う君こそ、この世界の勇者にふさわしい』
『………あ……』
『強さこそがすべてじゃない。世界に立ち込める暗雲を晴らすのは君のその想いだ』
『………じゃ、あれは、嘘……?』
『私も人の親だ。我が娘だけを残してすべてを消し去るなんて苦行、間違ってもさせないさ』
『う……』
俯いたままだったモザちゃんは、ここでようやく顔を上げた。
『考えてもみろ。大導星は歴史に直接影響を及ぼす。私がここで生命を根絶していたとすれば、君が過ごしてきた世界は存在しないだろう』
モザ次郎がここに来て、初めて微笑を見せた。
それは学舎を卒業した娘に見せるような、祝福と、わずかな寂しさを含んだ小さな笑顔。
『………なんだか私、こんな風に、試されてばかりです』
『そうか。いい師匠たちに、出会ってきたんだな』
『……はい!』
力強く頷いた。
今の力が、技があるのは、あの修練の日々のおかげ。
『それならば良かった。娘が充実してるようでなによりだ』
『……へへ』
モザちゃんは少しはにかみ、そしてまた剣を構えた。
彼も、また構えた。
この親子は、無言で通じ合っている。
烈しい剣戟の音。
これまでの闘いの日々と比較しても、抜群に大きな火花が散っている。
それなのに、なぜか少し、温かさを覚える剣戟。
……のびのびと剣を、技を打ち込むモザちゃん。
それを何なく弾くモザ次郎。先ほどのような闘い方ではなく、モザちゃんの攻撃を、正面から受け止めている。
『……ふ』
『……え、へへ』
赤ん坊をあやす様に受け流される攻撃。
モザちゃんの全力の攻撃を、こうも簡単に流す者などいるはずもない。
全てをいとも簡単に防がれているというのに、モザちゃんは、やけに楽しそうだった。
『………!!!』
だって、そりゃそうだ。
こんなにも、私と遊んでくれる父。
どんな技を使っても、笑顔で受けてくれる親。
嬉しいに決まってる。
『……やっぱり』
『む?』
『これまでの私の攻撃って、粗だらけでしたね』
『自分で気づけたのなら大したものだ』
………さっき剣を振るっていた頃から。
攻撃の合間を縫って、お父さんは私の腕や手足、肩などにそっと手を添え、
戦いに慣れきった今も、いや慣れた今だからこそ存在する微妙な動きのクセ、無駄を、ちょっとずつ……矯正してくれてたんだ。
だから、あんなにもすんなりと、自分の動きを最適化できたのだ。
『……ところで、お父さん。……どこまでが嘘で、どこまでが本当なんですか』
あれはモザちゃんを試すための嘘。
だがそれでも、モザちゃんは勘づいていた。
あの言葉の一部は、間違いなく彼の本音であろうと。
『君の察しの通り。あれは私の真意に近い』
『………!!』
動揺から、モザちゃんの剣戟がぶれる。
それを即座に矯正しながら、モザ次郎は続ける。
『私が段々と、誰も信用できなくなっているのは事実だ。私以外の誰にも、命を賭して戦ってほしくないということも』
『……』
『いっそ今ある生命体などすべて消えてしまえばいいと思うようになるだろう』
『………じ、じゃあ、嘘だったことっていうのは……』
『決まっているだろう』
『………う!?』
斬りかかる剣先を指で摘まみ、モザちゃんを正面から見据える。
『君が信用に値しないと言ったことだ』
力を振り絞る。
だが、剣はピクリとも動かない。
『君ならばいずれ、あの悪鬼を打ち倒せると確信している』
即座に剣を離そうとすると、僅かにモザ次郎が剣を揺らす。
小揺らぎのような反動で、手が吸い付くように離れない。
『は、は……今は、この体たらくですけどね』
モザちゃんは少ししょんぼりしながら、剣を離すことをあきらめ、会話に集中する。
『それで構わない。実力はそれで十分。皆を信じることができるその心こそあればそれでいい。……君が世界を救うのではない。世界が君を救うべきなのだ』
『………』
父にはこう言われたが。
モザちゃんの心中ではやはり、もっと強くなりたいという願いがある。
『………あの!────う』
言いかけたところを止められた。
『言わずともわかる。更なる強さが欲しいのだろう。大導星を使ったのもそのためだな』
『………』
ゆっくりと、モザちゃんは無言で頷いた。
そこに────
『ク、ハハハ………!見つけたぞ"モザ次郎"よ………!!!』
声が轟く。
ばさ、ばさと巨大な翼を携えた、魔族が空に浮かんでいた。
────同時に、静かに放たれた黒い炎によって、自分たちの周りが囲まれた。それは土俵のように円をつくり、逃げ場が、ない。
『……っ!?』
なぜこの距離まで気づかなかったんだ。
この魔族は並の魔族じゃない。
紅い眼は凛々しく、鋭い爪と牙には気品すら感じる。
めきめきと音を立てて震える極太の腕と脚。
おそらく、あの"脳魔"に匹敵する、異次元の魔族………!!!
『我々の営みに貴様は邪魔である……!一瞬にして葬り去ってやろうぞ────<"雅魔界開闢宴《ヌルグロアバルクトゥ》">!!!!!』
言葉と共に、周囲に紫色の煙が立ち込める。
煙はいくつもの魔物と化し、モザちゃんたちを取り囲む。
ざっと見ただけでも、400を超えている。
そしてその一つ一つが、特Sクラスの魔物並の力を有している。
なんて無法な性能の技だ。
そしてその技を、出合頭に即出しするその判断たるや。
……とてもじゃないけど、無傷で捌き切れる自信がない。
でも、どうしてだろう。
こんなにも恐ろしいモノに囲まれているのに、
一切、恐怖を感じないのは。
『………』
きっと、傍に父がいるからだろう。
モザ次郎はゆっくりと、剣を地に突き立てた。
『見ていろ、モザちゃん』
『は、余裕だなァ"モザ次郎"よ!貴様には祈りの時間すら与えぬ!!!征け、魔ども!そして冥土の土産に我の名を、"闘魔"を刻むがよいわ───!!』
合図とともに、宙に浮かぶ紫煙の魔兵士達がこちらに一直線で差し迫る。
モザちゃんは動かず、父をただ見据えた。
『………<“極聖天梁叢珠轟烈破”>』
………消えた。
彼が小さく呟いたと思えば、その瞬間に、
初めからそこに何もなかったと錯覚するくらい、さっぱりと、消えた。
残るはただの真っ白な光景。
跡形もなく、塵も残さず、ただ消えた。
脳裏にかろうじて映ったのは、
苦しそうに鬩ぎ合ういくつもの白練の明星のみ。
『………っ』
『私が与えられるものはすべて与えた。あとは静かに、時を待てばいい』
『ありがとう、ございます。お父さん』
幾億の重みをのせて、深々と父に感謝を告げた。
きっとあれも、粋なはからいなのだろう。
『いいのだ。これも父のつとめなれば。………そしてどうやらそろそろ、時間のようだ』
『………!』
忘れていた。大導星の時間制限。
与えられるものをすべて与えてくれたというのも気になるが、
言いかけたことが……聞かなければならないことがもう一つある。
『………お、お父さん。最後にもう一つだけ聞かせてください。今のあなたにとっては未来のことですが……どうして急に、姿を消したんですかっ……!貴方は寿命が近いと言って、何処かに行ったんです。私にはとても、寿命が近いなんて思えませんでした……!わ、私は、お父さんを探して、探して……!』
あふれ出る感情。抑えてきたすべてが、大導星の終わり際に、滝のように流れ出る。
『……私が、寿命が近いと告げたか』
『………はい』
『………そうか』
『……』
『………』
考えにふけるモザ次郎。
そしてすぐに、顔を上げた。
『私はいずれ、自ら命を絶つつもりだ。自らを、終わりにしたいと思っていた』
『え……!?』
『私はいずれ、この世界のために、この世界を終わらす愚行に行きつくだろう。そうなる前に、私は消えよう……と思っている』
『そ、そんな……!』
『……心配すべきは私の死後だ。私の内に秘めている光の力が暴走し、暴れまわり、世界を破壊し尽くすだろう』
『………!?!?』
世界をやさしく照らすはずの光。
だが彼の過剰すぎる力では、もはやそれは破滅を告げる奔流。
彼の身に封じ込められている力は、世界を何度破壊し尽くしても足りぬほどの轟光。
『故に私は自殺したのだろう。冥界への階段を、ゆっくりと降りて』
『あ……で、でも、それは……』
そう。
彼が寿命と言っていたのはその肉体の限界ではない。
その思想の臨界。無限に続く闘いの輪廻の果てに、己が手で破滅を導くようになる前に、自らを滅すその刻。
もうすでに一歩手前。そしてそれを為せるであろう者は………
『無論、これは諦観ではない。先ほど述べた通り、君を、君たちを信用してのことだ』
『………え?』
『モザちゃん。君は、あれが死んだくらいで死ぬと思うか』
『………っ』
『答えは否だ。すべての時空の奴を滅ぼし、その根源を潰したところで、奴は冥界で猛威を振るう。これまでと同じように。奴は殺害にこそ快楽を覚える狂い人ゆえに、その被害は甚大なものになるだろう』
『………!!』
……ずっと知りたかった“しぃけーちきの目的”……
ついでに知っちゃった……!
『あれを殺すのは困難だ。私の力でも』
しぃけーちきはすべての時空に個々として存在している。
たとえこの時空のしぃけーちきを殺しても、0.1秒前のしぃけーちきと、0.1秒後はしぃけーちきは生きている。そして奴は時空を自在に移動できるゆえに、殺しても、何食わぬ顔で別の時空から顕れる。
それにしても……!ここまで世界をかき乱して、罪のない人々を大勢殺しておいて、
その目的が……自分の快楽?
許せない。許してはいけない……!!!
『モザちゃん。皆思いは同じだ。だから私は託そう。そして冥界にて奴を待つ。塵一つも残さず、細切れにして見せよう』
『………え』
め、冥界で、待つ……?
『冥界では神でさえ自己を保てない。故に私は須臾にして霧散するだろう。だが私は生き続ける。魂に秘められたこの光の力で』
『ど、どうやって……』
『君と同じだ。<“甦生”>にて、光の体を作る』
『そ、そんなの……』
『冥界には光は差し込まない。私の光は滝のように流れ出て、消えてゆくだろう。だが暫くは持つはずだ。それまでに、奴にとどめが刺されることを祈っている』
『………』
『なに、退屈はしないだろう。予想では近いうちに、“死神”が私のもとに来るはずだ』
『あ……』
『死神ならば冥界に容易く存在できる。むしろ力が増すだろう。“奴”を討てる保証はないが、私が斬り刻めば簡単だろう』
そっか……!
あの死神と、協力して……!お父さんが……!
それなら、倒した後も、安心だ……!
で、でも……
『……でも、やっぱり悲しいです。お父さんが、消えてしまうのは』
『……そうか』
『……やっぱり!私たちと共に生きて……!それから、対策を練っても、遅くは……!』
涙ぐみ、必死に、去ろうとする父に語りかける
大導星の限界は近い。
『いいんだ、モザちゃん』
『どうして……!これが最適かなんて、分からな───』
『君に何も伝えず私が姿を消したことは、すまなかった。私に代わり、謝ろう。だが、私はきっと同じ選択をするだろう。そんな私を、どうか許してほしい』
『……っ』
『……私のこの選択のおかげで、君はいくつもの輝きに見守られてきたのだろう』
『……待って、お父さん────!!』
『では。私を頼むぞ。モザちゃん。不器用な男だが、いずれ消えゆくその日まで、どうか健やかに』
男はまた、いつのまにか腕に赤ん坊を抱いていた。
相当騒がしかっただろうに、すー、すーと静かに寝息を立てている。
彼はそれを見て、少し微笑んだ。その光景を最後に、景色は、大導星の傍らに転じた。
『あ……!!!』
少し先には、ごちかわ達、聖騎士たちの姿。
『…………よし』
知るべきことは、知れた。やるべきことは、成せた。
あとは私の覚悟ひとつ。
過ぎ去りし遥かなる過去を胸に刻み、
『ただいま。ごちかわさん、となかわさん』
とてとてと、小走りで皆のもとに向かった。




