酔った勢いだったんです
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「牛乳ください」
北の僻地、魔人族領に最も近い町のしみったれた酒場で牛乳と氷が入ったグラスを片手にカウンターで項垂れるアキラ。もう完全に人間族と決別してしまい、これからの生活を憂いて途方に暮れている状態だ。
「おいおい聞いたかよ! こんな場末のバーまで来てミルクだとよ!」
「此処はガキの来る場所じゃねーぞ! お家に帰ってママのオッパイでもしゃぶってな!」
「でいっ!」
「ごぶ!?」
「どりゃあああああああっ!」
「アッー!」
「これ以上苛立たせんじゃねーよ、ボケ」
追い打ちとばかりに茶化してくるガラの悪い冒険者をどこからともなく取り出したフライパンで昏倒させ、カウンターに座りなおしてから深い、深ーい溜息を吐く。
「……これからどうしよう」
勇者3人を殴打してから既に3日。人から人へと伝わる事件は風のように世界を駆け巡り、今現在、魔人族領以外の場所ではアキラは指名手配を受けている。もっとも、罪状の全てが冤罪だが、それはもはや容疑者1人の反論で覆しようのない。
安息の地を求めて以前助けた町の住民を気付かれないようにそっと伺うと、賞金額に目が眩んでいたり、「俺たちは騙されてたんだっ!」と怒り心頭の者が居たりと、とても頼れる状態じゃなかった。そう思うと、ますます勇者たちが憎々しく思えてきた。こっちが大変な目に遭っている最中だというのに、自分たちは美少女ハーレムとイチャイチャしてるかと思うと余計に。
「チックショー……! そもそも何で4人の中で俺だけモテないんだよ! 自惚れかもだけど、一番頑張ったの多分俺だよ!? なのにパーティ申請は誰も応えてくれないし、黄色い歓声も全然聞かないし、なのにアイツらばっかりぃぃ……! う、うううう羨ましいっ!!」
「…………」
「こ、これは?」
「私からの奢りです」
何も言わずに綺麗な赤色の飲み物が入ったグラスをそっとサービスしてくれた店主。視界が一気に歪んだのは気のせいなどではないだろう。
別にハーレムを築きたいわけじゃないが、少しくらい良い思いをしないと割に合わない。だんだん人間族のために戦うのがアホらしくなってきたアキラは秘境に居を構えて仙人みたいに暮らそうかなと、半ば本気で考えながらアキラはその飲み物を一気に呷った。
「あ、美味い!」
仄かな苦みと甘み。思わず頭がクラリとする香りを発する変わった飲み物だが、アキラはそれが気に入って何杯も飲んだ。飲めば飲むほど嫌なことを忘れる事が出来、テンションも高くなった頃あたりから、アキラの記憶はぶっつりと途絶えた。
ちなみに、この世界での成人は15歳からで、飲酒が可能になるのも15歳からである。
******
一方その頃、魔人族領にある魔王城。
城の中央に位置する謁見の間、短い階段を登った先にある玉座に座るのは一人の小柄な少女。高い背もたれとは釣り合わず、足が浮きかかっている為やや滑稽で場違いにも思える背丈だが、その浮世離れした美貌はそれら全てを帳消しにして余りある。
蒼が混じった膝を超すほど長い銀髪と共に頭部から生える漆黒の双角。雪のように白い肌に映えるアイスブルーの瞳に小柄で細身な体からは想像もできないほど豊かに実った乳房。何処か眠たげな無表情はまるで作り物めいた雰囲気すら感じられる。そんな彼女が座れば、サイズの合わない玉座ですらまるで誂えられたかのようだ。
「魔王様、いい加減玉座を買い替えては? 先代様の玉座ではサイズが合っていませんよ?」
「ん。めんどい」
もっとも、実際はただ物臭なだけだが。
魔王アイリス・サタン・クリフォート。それが彼女の名前である。侵略したのかされたのか、もはや事実が定かでないまま戦乱の時を重ねること約千年。魔人族と他種族、どちらかが根を上げるまで終わらない乱世に先代魔王の一人娘として生まれたアイリスは、歴代最強と呼ばれる素質を磨き上げ、3年前に史上最年少である15歳という若さで魔王の座に就いた。
生意気な小娘め、と見下した魔族全員を力で屈服させ、身分や年齢、血筋に種族に拘らない完全な実力主義社会を創設した才媛。そんな彼女は、異世界から召喚された4人の勇者たちを水晶越しに俯瞰していた。
己を討つかもしれない可能性を秘めた者をランダムで召喚したというが、その内の2人はどちらもパッとしない。年齢相応に浅慮さが目立つし、手にした力に浮足立っているように思う。
錬成を得意とする勇者にしても同じ。初めは臆病ながらも修羅場を潜り抜けて力を身につけた見どころのある男だと思っていたが、実際は力に溺れていただけだ。生み出した兵器にしても、ある程度の敵なら音速を超える鉄弾や爆撃で一方的に倒せるだろうが、魔王や四天王を始めとした一定水準を超えた者からすれば豆鉄砲に等しい。
時間を掛ければアイリスたちと同じ高みに届くかもしれないが、滅ぼされるかもしれないと分かっていてそれを黙ってみているつもりは毛頭ない。芽は迅速に摘み取るのみ。
問題は4人目の勇者だ。名をアキラ・ハットリというらしい。
たった一人で魔王軍の侵略を悉く退け、四天王すら打ち破った男。他の勇者とは明らかに一線を画する強さが魔王軍で最優先対処事項となったのは、古代竜との激戦で勝利を掴んだその日の事だった。
かの竜の尋常ではない力は遠く離れた場所にいたアイリスにも感知できた。恐らく、その力は四天王すら上回り、アイリス本人も必ず勝てるとは言えないほどのものだ。
人間族の伝承曰く、その竜を討ち破った者が魔王を討つ勇者だという。
アイリスは闘争を以てして敵対者を滅ぼすのは下の下策、可能な限り労力を用いず屈服させることこそが最上の策としている。初めは何やら不当な扱いを受けている勇者を篭絡、それが出来なければ最終手段として暗殺を考えていたが、冤罪をかぶせられて人間領には居辛くなったらしい。
今こそ懐柔のチャンスと、アイリスは竜のような翼を背中に生やし、アキラの元へと文字通り飛んでいく。一応魔王という、魔族の中でも最も貴い身分なので変装用のローブで全身を隠して。
中央を追われ、辺境の安宿で眠る彼を起こし、厚遇を餌に魔王軍に引き抜く。これで最大の障害を取り除くばかりか、その障害を世界征服の尖兵に出来るかと思うと、アイリスの人形めいた無表情に綻んだような笑みが浮かんだ。そしていざアキラを起こそうとした矢先、世界の運命を大きく左右する出来事が起きた。
「うぃ~、ひっく。寝たふりだよ~ん……うひゃはははは!」
「あっ……」
まったく殺意や敵意の無い突然の行動を察知できなかったのか、アイリスはなす術もなくベッドに押し倒された。
なぜ寝たふりをしていたのかは一切分からない。というか、アキラ自身にも寝たふりをする理由は一切ない。口から広がる酒臭さと正気を感じさせない蕩けた眼から察するに、彼が酩酊していることを察せられる。
「んぁ~? 美少女……? 何で美少女がここに……?」
「んっ……放して」
上級の魔人族よりも屈強な肉体の持ち主であるアイリスだったが、勇者が相手では流石に分が悪かった。据わった眼で押し倒された状態で見つめられるアイリスの顔は徐々に赤く染まる。何せ同年代の男との接点はなく、必然的に恋愛経験が欠片も無い彼女にとって、このようなシチュエーションは部下の女性から聞きかじった程度なのだ。……相手が完全に酔っぱらっていることを除けば。
「夜に俺の部屋に美少女が夜這いだぁ~?」
「別に夜這いのつもりはないんだけど……」
「んな事ある訳ねぇよぉおおおおおっ!!」
「にゃっ!?」
ローテンションから突然のハイテンションに。酔っ払いによくある感情の緩急に驚いて変な声が出た。
「あのクソバカ勇者共と俺は違うんだ!! 俺はモテなくてあいつらはモテる! 一体俺とアイツら、何が違うってんだ!? 主人公補正ですか!? 笑っちまうよ! あーひゃははははははっ!!」
「ん……何だかよく分からないけど、苦労してる」
アルコールの力を借りてストレスを吐き出しまくるアキラの頬を労わるように撫でる。そんな何気ない動作が、彼らの運命を大きく変えることとなる。
「ううぅ……俺を慰めてくれるのか……? なんて優しいんだ。流石俺の幻」
「幻じゃないんだけど」
「これは俺の都合のいい幻なんだから、何してもオッケーでことだよな?」
「え?……んむっ」
怒り上戸から泣き上戸、そして突然真顔になったかと思いきや、アキラはアイリスの桜色の唇を自身のそれと重ね合わせた。
「ん……ぷはっ。い、いきなり何するのっ」
「何って……? ナニがしたいんじゃああああああああああっ!!」
「や……駄目、脱がさないで……!」
幼稚園児並みの恋愛観しか持たないアイリスは極めて健全な性年であるアキラが無意識にエロ本を参考にした行為に目を白黒させ、抵抗することも出来ずにただ混乱しながら受け入れることしかできなかった。
世間一般的に見て、アイリスの初体験は最悪の一言だろう。酔っ払いに絡まれて強姦とか一生のトラウマものだ。これで相手が美形だったのなら、まだ救いはあった。だが悲しいかな、アキラはまごうことなきフツメンであり、その図は言い逃れのしようのない強姦魔である。
朝になってようやく眠ったアキラから離れ、アイリスはかつてないほどの速さで魔王城へと帰還する。血相を変えて帰ってきた主を心配する臣下の隣を横切り、アイリスは寝室でパジャマに着替えて広いベッドの上でゴンロゴンロと転がりながら勇者の事を考え続けていた。
意外なことに、アイリスはアキラへの恨みはなかった。それもそのはず、一般人として育った少女なら絶望する今回の件だが、彼女は生粋の魔王にして男女関係の知識はほぼ皆無。恋愛には目もくれず、戦いにその身を費やしてきた超箱入り娘だ。レイプされても何に怒ればいいのか分からないし、部下の兵士には敵軍の女性を犯すことを容認しているくらいだ。今更強姦されたからと言って怒ったり絶望したりするような普通の女としての神経など持ち合わせてはいない。
「あんなの初めて………でもどうしよ……お母さんに相談した方が良いかな? でもなんか恥ずかしいし……」
魔人族の伝統に沿えば答えはおのずと決まってくる。革新的な制度を敷いたアイリスとて、伝統を蔑ろにしているわけではないのだ。しかし心情的には中々受け入れる事が出来ない。結局答えが出ないまま夜は明け、それからというもの魔王陛下の様子がおかしいと城内ではもっぱらの噂となった。
普段からボーッとした様子はあったが、今はそれに輪をかけて呆けていることが多く、壁にぶつかる、階段を踏み外す、訓練で手加減を忘れて病院送りにした兵士の数は3桁に突入。流石にこのままでは駄目だと思ったアイリスだったが、答えはなかなか纏まらない。
あの一夜から3ヵ月。もういい加減に答えを出そうと決めた時、彼女に異変が起きた。慌てる部下を宥めながらも困惑する彼女の異変の正体に気が付いたのは、母や既婚の部下。事実確認の後に呆然と数日間部屋に籠って悩み抜き、彼女は人生最大の一大決心を下した。
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逃亡生活を開始して3ヵ月、アキラは迫りくる追手を殺さずに撃退するにとどめながらかつて守っていた人々と戦い続けていた。最近だと辺境でも顔が知られるようになり、もう本格的に山に籠る事を考えていると、最近見かけなかった魔王軍がアキラの前に現れた。
「探しましたよ、勇者……いえ、元勇者アキラ」
金髪に眼鏡、尖った耳が特徴の美青年……魔王四天王の一角であり魔王軍参謀のザイツェン。アキラと激闘を繰り広げた強敵だ。一度は勝利したとはいえ、後ろに控える軍勢を考慮すれば今度は負けるかもしれない。アキラは後ろに飛びのいて臨戦態勢をとる。
「何? ぶっちゃけ、今お前らに構ってる暇はないんだけど?」
「落ち着いてください。我々は貴方と戦いに来たわけではありません」
「え? じゃあ何しに来たの?」
「それでは単刀直入に言わせていただきましょう」
奇妙な緊迫状況で、どこまでも高く青い空に吸い込まれるような高らかな声でザイツェンは告げた。
「貴方は魔王様のとんでもないものを盗んでいきましたね?」
「へ?」
思わず間抜けな声が出たのは致し方ないことだろう。何せアキラは魔王の顔すら知らないのだ。それでどうやって魔王の私物を盗めるというのか。……いや、仮に何かが盗まれたとしても、アキラにはまるで身に覚えがない。
「あの……俺なんも盗んだ覚えはないんだけど?」
「いいえ、貴方は魔王様の初めてを盗んでいきました」
「ふぁっ!!?」
相変わらず要領を得ない返答。しかし健全でエロに多大な興味を持つ思春期男子からすれば〝初めて〟という単語は不純異性交遊云々を連想させる魅惑のワードだ。
(初めてを盗んだって何!? 相手の顔も知らない相手にそんな……酔った勢い? いやいや、酒なんて飲んで……飲んでたよ! そして次の日の昼までの記憶が飛んでた! え!? ちょい待ち!? 俺は相手が女か男かもわからん相手と致しちゃったの!? 尻の穴を掘ったり掘られたりしたの!?)
暴走する思考回路が導き出したのは悍ましい現実。もしこれが的中していたら、アキラの人生は色んな意味で終わる。前者ならばまだいい。全力で土下座しながら謝り倒して、責任を取ればいいのだから。しかし後者だとすれば死ねる。精神的な意味で。
「あ、あのあのあのあののののよよよよ? ちょちょちょっとし、しつもんがあるんだけどどどど?」
「構いませんよ」
「ま、魔王って男? それとも女?」
「まさか……男女の確認もせずに手を出したと!? それはつまり男でも構わないという訳ですか? そのような性癖があるとは……!」
「ねーよ! そんな趣味は!」
「女性に?」
「男にだよ!! それより、質問に答えてくれ! 俺の人生の一大事なんだから!」
アキラは審判を待つ罪人になった気持ちでザイツェンの言葉を待つ。「神様仏様、どうか俺を導いてください」とこれまで特に信じたことのない相手に必死に祈り……その願いは届いた。
「魔王様は女性です」
「……………」
「どうしたのですか? 突然顔を覆って泣き出したりして」
「よがっだ……! 男に手を出じて無ぐて本当によがった……!」
「……両性愛者、というわけではないようですね」
「当たり前だ、ちくしょう」
両目を腕で擦ってザイツェンと向き合う。話は脱線したが、ようやく軌道修正した。
「それで……あの、一応聞いときたいんだけど、俺って何をしちゃったの?」
「酔った勢いで魔王様の貫通式を執り行ったと言えばわかりますか?」
「……はい」
アキラは「やっちまったよぉ……!」と頭を抱えて蹲る。見ず知らずの……それも未経験の女性を酔った勢いで同衾、しかもアキラはその事を覚えてないというおまけ付き。
これを「なんだ、ただのご褒美か」等と思うことなかれ。記憶にサッパリ残ってないどころか、魔人族の長に対して強姦罪。やがて訪れるであろう修羅場と魔王からの刺客。最早自分に味方は居ないのかというか、魔王に対しての罪悪感で一杯というか、とにかく泣きそうになったが、そこでザイツェンが戦いに来たわけではないことを思い出した。魔王が報復するつもりなら3ヵ月も待つ理由がないのだ。
「そ、それで俺にどうしろと? 頭丸めて土下座しに行けってんならするし、ていうか何でもするから許してくださいお願いします!!」
「いえ、それは魔王様ご本人に仰ってください。話を進めますが、魔王様は報復など考えてはおられません。同衾を切っ掛けに事態が深刻になったので、貴女には魔人族側に付いて人間族と戦って頂きたく思い、勧誘に来たのですよ」
「勧誘ぅっ!?」
それはアキラには信じられない言葉だった。昨日今日まで殺し合いをしていた相手からいきなりヘッドハンティングされたら誰だって驚くだろう。
「貴女の気持ちはお察しします。人間族は経歴を重んじますからね。実際先代の魔王様の治世でも魔人族にはそういった面がありました。ですが、生来魔人族は実力主義です。現魔王様が経歴や種族を一切無視して実力さえあれば相応のポストを用意することを公言し、積極的に種族や立場を問わずに人材を引き抜いておられる。アキラ殿、貴方の事も魔王様は大変気にかけておられました」
「お、俺もか!?」
「当然でしょう。魔王軍最大の障害であり、見る目の無い人間族に疎まれ続けた貴方を魔王軍に引き抜こうとするのは必然。魔王様は自ら勧誘に赴き……そのままアッハ~ンされました」
「おっふぅ……!」
物理的な力を得たのかと思えるくらいの罪悪感が胸を抉る。幾ら勇者だなんだのと言われようとも、アキラは傍若無人なラノベの主人公でもなんでもない、基本的に善良な小市民でしかないのだ。
「流石の魔王様も突然の性交で混乱しており、実に3ヵ月もの間葛藤を繰り返しておいででしたが、事態の深刻化により魔王様は決心成されました」
「な、何があったの……?」
やけに勿体ぶった言い方に緊張が走る。生唾を呑み込む音や自分の心臓の音が何時もより大きく聞こえた。
「魔王様がご懐妊なされました」
「……? …………?? ……………!?」
しばらくの間、言葉の意味が理解できなかった。「カイニンとは何ぞや?」と、まるで知らない言葉のように必死に思い出そうとして……愕然とした。言葉を出ずに口を金魚のようにパクパクさせているアキラに構わず、ザイツェンは更なる追い打ちをかける。
「つきましては、アキラ殿には責任を取って魔王様とご結婚していただきます」
ここに来て限界が訪れる。怒涛の新事実発覚についていけずにショートしていた思考回路は結婚という言葉で止めを刺され、アキラはまるで繊細な乙女のようにふっと気を失うのだった。