卒業パーティー(3)
アンネリーゼがエミリアの笑顔の意味を訝しんでいると、中庭に設けられた演題の上のマイクに電源が入る「ボッ」という音が響き渡った。
『あー、テステス。えー本日はお日柄もよく、お忙しい中お集まりいただいた諸賢におかれては、誠にありがたく存じあげる』
壇上に上がったザボスが、彼には珍しく穏やかで丁寧な挨拶をしはじめた。
はぁこりゃ珍しいこともあるもんだと感心していると、なんだか周囲の様子がおかしい。
ザボス家のものたち、特に成人間もない者たちと女どもがやたらとそわそわし始める。
彩り豊な料理が次々と渡り廊下まで下げられ始める。
武器と車両を収めた武器庫のシャッターが、なぜか大きく開き始める。
来賓の軍人や貴族たちがちらちらとこちらを気にかけ始める。
「あとなんか知らんけどミィナとミシェールさんがやってきた」
「なんか知らんけどは余計」
「ごめんって。ありがとありがと!」
ゆったりとやってきたのは王宮警護局研修生1号生徒ミィナ・パーカーと王宮警護局特殊警護隊隊長ミシェール・モリソン。ふたりともピクニックのときと同じ、動きやすく目立たないパンツスーツを着ていた。
「ミィナも特別国家公務員試験受かったんでしょ? おめでとう!」
「ん。そっちも」
普段からギャンギャンと言い合いしているアンネリーゼとミィナだったが、別に仲が悪いわけではない。
むしろなんでも遠慮なしに言い合える、親友と言って良い。
であるからアンネリーゼはミィナの公務員試験合格に喜んでみせたのだが、これまで親友と呼ぶべきものをもっていなかったミィナは、アンネリーゼの示す友愛の感情に慣れず少し頬を染めながらぶっきらぼうに返答してしまった。
なんだよう、もっと喜べよう、などと騒ぐアンネリーゼとそれにたじろぐミィナを微笑ましく眺めたミシェールは、ベルキナとエミリアに頭を下げた。
「この度はアンネリーゼさんの研修期間修了、まことにおめでとうございます」
「ご丁寧に、いたみいります」
「アンネも喜んでくれるよ。ありがとう」
エミリアとミシェールは、ごく自然にベルキナを挟み込むようにして並び立った。
「それにしても、今日のお姉さまは、その、すごく」
ベルキナはアンネリーゼと同じくドレスじみた騎士服を着用していたが、今日ははっとするほど女らしい。
なんでもフルーゼに化粧をしてもらったのだとか。
顎の線で切りそろえられた宵闇色の髪も、後ろの方はあえてまとめて縛られ、スラリとしたうなじに後れ毛が映える。
その艶かしくも凛々しい姿と言ったら、ベルキナを見慣れたミシェールですら見とれてしまうほど。
ミィナはわざとアンネリーゼに絡まれてベルキナを見ないで済むようにしているし、屋敷の女中の何人かはベルキナの後ろ姿を物陰から注視したりかと思えば腰から崩折れたり。
アンネリーゼに惚れているから良いようなものの、そうでなければザボス家上屋敷の女中の少なくない数がベルキナに喰われていたに違いない。
ミシェールは頬を少し染めながらも呆れた顔をしてみせようとして、派手に失敗した。口元が大いに緩んでしまったのだ。
そこにベルキナの追い打ちが突き刺さる。
「ふふ。ありがとう。さっきもアンネにどこかに連れて行けと誘われたほどだ」
「なん!?」
「いや、ほらあっちの優男お三方。彼らとついさっきまで話をしてたんだが、それからアンネが逃げたがったっていうだけなんだけどね」
嬉しそうに話すベルキナに、顔面を引きつらせるミシェール。二人をみてクスクスと笑うエミリア。
べルキナの視線の先にはアッシュとフィルマンとヘイズ。
穏やかに談笑しているように見えて、その実お互いの職域についてなかなか突っ込んだ会話をしているようだ。
クスクス笑いを収めたエミリアはべルキナにわずかに頭を下げた。
「あれは本当に殿方のようにあなたのことを扱い始めたな。すまない。私から注意しておこう」
「ありがとう、エミリア。でもいいよ。都合のいい女扱いされるのもたまには悪くない。それに、そういうのはちょっと拗ねて見せながら注意したい気持ちもあるんだよね」
「お姉さま、それはちょっとあざとすぎませんか」
さすがに鼻白んだミシェール。
しかしべルキナ、股間に立派なものを備えてはいるが、そこはコイスルオトメである。
「だって、もうすぐ私達はレスタに行くんだ。レスタにはあの子の気になる男性が居る。再会を邪魔したりはしないけど、できるだけ点数は稼がなきゃ」
フンスと鼻息荒く小さく構えて胸を張り、目を輝かせるその笑顔は想い人そっくりだ。
一瞬目を合わせたエミリアとミシェールは目配せしあってから、女友達がそうするように、ごく自然にベルキナの腕に自分のそれを絡みつかせる。
「ま、ほどほどにな」
「過ぎたるは及ばざるが如し、ですからね」
◇
「お姉さまたち、仲いい。混ざりたい」
ザボスの話が続く中、ベルキナたち3人の姿を後ろから見ていたミィナは、大いなる羨望にほんの僅かな嫉妬をにじませた声を出した。
しかしアンネリーゼからの返事がない。
どうしたのかと思って振り向いてみれば、ついさっきまで一緒にはしゃいでいたアンネリーゼはいつの間にか腰を落として鯉口を切り、臨戦態勢に入っていた。
「アンネ?」
「あんた、のんきなもんね。なんでか分かんないけど、周り中こんなにやる気満々なのに」
確かにまわりのものどもは、なにかに期待するようにざわめかしい。
まるで敵対組織に襲撃をかけるギャング団のように。あるいは、初めて戦場に赴く初年兵たちの集まりのように。
アンネリーゼはその空気を警戒していた。このあとの展開が読めないのだ。
だが、ミィナはこれから何が起きるか知っていた。
「?……アンネ、ひょっとしてこの後のこと、聞いてない?」
ミィナの言葉にアンネリーゼは何かを返そうとした。
『ハイッエーッマーッーソノーッソーユーワケデネッ! 今年もいつものやつをネッ! 始めるぞッ!!』
だが、武器庫からガラガラと何かが引き出される音とザボスの宣言、湧き上がる歓声、そしてベルキナを抱えて突然演壇に向かって跳んだエミリアたちの動きに気をとられて何も言うことはできなかった。
◇
「ちょっと! なんなんですかこれ!」
アンネリーゼは演壇までできるだけ近づくと、壇上のザボスたちに向かって声を荒げた。
その様子を見てザボスは傍らに降り立ったエミリアとミシェール、二人に腕を抱えられたベルキナを振り返る。
エミリアはいたずらしてごめんなさい、という顔。
ミシェールはこれから面白いことが起きるんですよね、という顔。
ベルキナは大目に見てあげてください、という顔。
さしものザボスも若干呆れ、口をへの字に曲げた──ただし怒ってはいない。実際、面白い演出を考えついたものだとエミリアに感心した気持ちがある。
であれば小芝居の一つも演じてやらねばならない。
『フハハハハ! 油断したのうアンネリーゼよ! この通り貴様の義姉と相棒はワシが預かった! 返してほしくばワシのもとまで来るがよい!!』
いつもどおり外連味たっぷりに口上を述べるザボスを見て、アンネリーゼは一瞬にして頭に血が昇った。
やはりコイツは敵だ。敵は殺さねばならない!!
目を真っ赤に充血させ身をかがめ、右手を腰のサーベルに添わせたその時、エミリアとベルキナがなんとも場違いな黄色い声を響かせる。
『『きゃああああ~♪ アンネリーゼ、助けてぇ~♪』』
飛び出そうとしていたアンネリーゼ、これには流石にずっこけた。
◇
『ではルールの説明を行う。使用する火器は魔王軍制式のStg.1910歩兵銃、MP.18短機関銃、P3拳銃。いずれも例年通り減装薬の染料弾を用いる。手榴弾は訓練用のスタンまたは染料弾のみ認める。魔法は減衰器を用いた上で、分隊支援レベル1まで認める。近接兵装はウレタンナイフ及びウレタンソードまで使用可能。染料弾および魔法を被弾、訓練手榴弾の染料飛沫を規定数以上浴びた段階で競技脱落。ナイフアタックはウレタンに染み込ませた染料の付着具合、マーシャルアーツは戦意喪失をもって判定する。なお今回は臨時ではあるが、人質を設定したため、人質の救出については人質一人あたり10点を分隊に与える。人質の犠牲は一人あたり分隊に10点減点。各人の得点は訓練統裁官がすべての行動を観察し、採点する』
武器庫から引っ張り出された訓練用の装備──赤もしくは青、ないしは白のクッションが入った貫頭衣とプラスチックのヘルメット──を、ザボス家上屋敷に勤めるものどもの大多数が身につけつつあるなか、ジュリアーノ・コンスタン・ヤナギダの声が響く。
「つまりこれって」
「年末のちょっとはやい演習納めだよ。とくに今年成年を迎えたものにとっては、上屋敷で学んできたことを家族や見物に来た偉いさんに披露する場でもある」
赤い貫頭衣を身につけるアンネリーゼに、同じく赤いヘルメットを被ろうとするアッシュが答えた。
ザボス家で教育を受けた者たちは、兵士小僧女中を問わず、組織的行動や個々の戦闘能力について評価が高い。軍人や貴族たちは訓練成った彼らをヘッドハンティングしに来てもいるのだ。
「毎年やってるんですけどね、今年はエミリアさんから『アンネリーゼには絶対教えないで欲しい』と強く要望されまして」
装備をすっかり身につけ、配布された弾薬を確かめながら執事のノーマン・サザランドが苦笑しながらそう言った。彼の貫頭衣の色も赤い。
アンネリーゼは大きなため息を付き、額を揉んだ。
「エミリアさんさすが。おかげで面白かった。主にアンネが」
「うるさいなぁ! もう!」
同じく赤い装備を身に着けたミィナが混ぜっ返すとアンネリーゼは金切り声を上げる。
最近すっかりおなじみとなった光景に、周囲のものどもは笑い声を出した。
「でもさ、ミィナはともかく、アッシュさんもノーマンさんも参加するの?」
と、貫頭衣の上から装弾帯をかぶり、ストラップを絞めるアンネリーゼ。
言外に「大丈夫なの?」という響きがある。
「あのね。俺たち一応これでも正規の将校訓練も受けてるのよ? 軍に戻れば大尉だよ?」
「いや、アッシュさんは夏のこともあるから良いんだけど」
実際のところどうなのだと、無遠慮にノーマンに注がれる視線。
一瞬たじろいだ彼の肩を抱いて、アッシュが茶化す。
「いや、コイツさ、毎年この機会にフルーゼにいいとこ見せようとして張り切ってんのさ」
「へぇ。うまく行ってんの?」
「行ったら良いんだけどな」
「やめろよ」
ノーマンは苦笑しながらアッシュを軽く突き放した。
悪い悪いと謝るアッシュ。
それを遠方から鷹のような目で見つめるマダム・エリカ、はどうでもよい。
『赤組の勝利条件は、抵抗を排除しての大殿様執務室への突入またはすべての人質の開放。青組の勝利条件は赤組の殲滅。競技時間は1時間。その時点で勝利条件未達の場合、大殿様が裁定を下される。各人、今年一年の成果を見せるときである。一層の奮励努力を期待する。統裁部より、以上』
『それではご来賓の皆様、本館2階大食堂へ移動をお願いいたします。ご来賓の皆様の移動が完了次第、人質役の皆様は青組の支持に従って移動をお願いいたします』
ヤナギダに替わりマダム・エリカが案内を行うと、来賓たちと人質役はぞろぞろと移動を開始した。
道すがら、エミリアとベルキナのほか、人質役に志願した女中や物好きな来賓たちが演習参加者に「頑張ってー!」と声をかける。
「なんというか、まぁ、いまさらだけど無茶苦茶ね、魔王領って」
「こんなの、うちの大殿かシマヅさんとこかマンネルハイムさんとこぐらいのもんだけどな。嫌になったか?」
遠ざかるベルキナに手を振りながら呆れたような声を出したアンネリーゼに、ほんの僅かに気遣う声音でアッシュが応えた。
一応は気を使ってくれるんだと、アンネリーゼは苦手なはずの優男に感謝して、弾けるような笑顔を見せた。
「ううん、全然。ワクワクしてる。だってさ、木刀どころかウレタンで、とはいえザボスのおっさんとまたヤラしてもらえるかも知れないんでしょ? それに、パヴェルさんやチョウさん、ヤナギダ先生は統裁官するかもだからわかんないけど、ほかにもいっぱい強い人とヤレるかも知んないじゃん? すっごく楽しみ!」
アンネリーゼの見せた獰猛な笑顔に、ノーマンこそやや引いたものの、アッシュとミィナは破顔した。
やはりこの娘はこうでなくては。
「でもアンネ」
「うん?」
「あんまりヤるヤる言わないほうが良い。エッチ」
「んなー! おまえー!」
とはいえ、どうしたってアンネリーゼを茶化さずにはいられないミィナであった。




