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弾道飛翔(1)

 教会の女工作員――ここでは彼女の名乗りの通り、マルセルということにしよう。

 彼女、マルセル・ボンフィスは、屋根から路地、群衆の中を通り抜けて、村の背後の≪断絶の壁≫へと至る道をひた走った。

 小川を渡ったところで後方から誰何の声が聞こえた。

 マルセルと同様に聖法王国へと脱出する工作員の誰かが、魔族どもの目に留まったらしい。

 構わず走り続け、星明りすら届かない闇の中へと身を隠した。

 しばらくすると周囲に数人の気配が漂うようになった。

 マルセルは小さく虫の声のような音を出した。

 即座にそれぞれの気配が同じような音を返す。


「全員そろったか。法の神のお導きあらばこそだな。既定の通り脱出する。追手とは交戦するな。脱出を最優先する。脱出が不可能な場合は規定のとおり自壊しろ」


 マルセルは暗闇の中で伝達した。彼女たちは全員が聖法王国からの潜入工作員である。

 規定通りなら全員がうなずき返し、直ちに魔王領を脱出することになっていた。

 だがそうはならなかった。すでに想定外のことが発生しているからだった。


「マルセル。バイクが追ってきている」


 暗闇のなかで男が言った。

 耳をすませば村からの喧騒に加え、バイクとかいう奇怪な機械の騒音が近づいてきているのがわかる。

 マルセルはぎりりと歯ぎしりをして言った。


「……アンネリーゼめ」

「確証があるのか」

「女の勘、といえば端折り過ぎか。魔族は防衛や友軍救助を重視する。逆襲に出るのは奴らの感覚ではまだ早い。我らを追跡するにせよ、あのように音を立てて行うなど論外だ。となればあれは囮。この段階で囮に出るような莫迦は一人しか思いつかぬ」

「どうする」

「殺せ」


 マルセルは氷点下の声で命じた。

 先ほどの交戦を禁じる命令とは矛盾するように思われるが、実は矛盾はない。

 教会の下した魔王殺害の命に反したアンネリーゼは、すなわち法に反した国事犯であり、その罰は即刻の死刑しかありえない。

 法とは教会、教会とは法そのものである。

 法に反した者に対して、教会の慈悲はない。

 マルセルはわざと大きな音を立て、身を翻して峠へ向かった。


---------------------


 コンクリート床に横たわるボグロゥの脇腹を、女物の革ブーツが突っついた。


「いつまで寝てんの」


 女の声に顎を腫らしたオークはぴくりと反応し、のそりと身をもたげた。

 顔をしかめて顎をさする。


「うぁあ……いってぇ……マジで気ぃ失っちまったよ」

「あんたもお人好しなことだよ、全く。わざと殴られてやるなんて」


 女は大口径ライフルを担いだエレーナだった。

 彼女の差し出した手を掴んでボグロゥは身を起こそうとしたが、思いがけない強さで引っ張られ、気がついたときには彼の大きな頭はエレーナの大きく柔らかな胸に抱きとめられていた。


「あんたは本当にお人好しだよ」

「エレーナ……姉御」


 ボグロゥがもごもごと胸の谷間でエレーナの名を呟くと、オークの壮年男性でも振りほどけない強さで抱きしめられ、彼は身動きが取れなくなった。


「ボグ坊、あの子のところに行くつもりだろう?」


 ボグロゥはなんとか声を出そうともがいたが、胸の谷間にしっかり押さえつけられてしまったせいで息をするのも難しい。

 なんとか呼吸できる隙間を見つけ息をすると、熟れた女の匂いを吸い込んでしまい、雄の部分が反応しそうになってしまう。

 彼は急いで、だがしっかりとうなづいた。


「莫迦だねぇ。あんたはいくつになっても女の気持ちってものがわかりゃしない。あの子がどんな思いで一人でいったのか、わかっているのかい?」

「…………そのつもりだよ」


 ボグロゥの返事を聞いて、エレーナはボグロゥの頭を自分の胸に押し付け直した。


「ねぇ、ボグ坊。あんた、アタシが相手でもこんな風に痛い目にあってくれるのかい?」

「むぐぐ……そりゃあ、ヨナ兄ィとの約束が、」

「こんな時まで死んだ亭主に義理立てしてくれるのかい……可愛い坊やだ」


 エレーナ姉御、ボグ坊という呼び方は昔、まだエレーナの夫ヨナバルが生きていて、ボグロゥがエレーナとヨナバルのバイクショップで働いていたころの呼び方だ。

 そのあと西方蛮族相手の戦争で3人はともに出征し、ヨナバルは戦死、ボグロゥは心を壊してしまった。

 ボグロゥを支えたのは彼の妻になった幼馴染と、夫を亡くしたエレーナだった。

 エレーナは、そっとオークの頭頂部に頬をつけた。

 しばらくその姿勢を保ってから、再び口を開く。


「……ボグ坊、あの子は好きかい?」

「……よくわかんねぇよ、そんなの」


 嘘だ、とエレーナは思った。

 わざと自分で気づかないふりをしているのだと。

 そうして自分でもよくわからないまま、ボグロゥは自分の身を危険にさらすのだ。

 まるで死に場所を探すかのように。

 いつものことだ。

 いつものことすぎて、泣いてしまいそうになる。

 壊れた心を繋ぎ止めるために仕事に打ち込んだものの、結局妻と別れてしまったころから、このいかめつらしいオークはいつもこうなのだ。

 この心の小さな大きなオークは、いつになったら自分自身のことを愛せるようになるのだろう?

 もういい大人なのに、いつになったら。


「……けど」

「けど?」

「あいつの姉貴分と約束しちまったんだ、あいつを助けてやるって」


 またどうでもいいことで自分の心を型にはめようとする。

 そうでもしないとこのオークは人並みに振る舞えないのだ。

 なんと哀れな。

 そして、このオークをこんな風に哀れな男にしてしまったのは半ば自分のせいでもある。

 本当に泣き出す前に、エレーナは優しく問うた。


「その約束がなかったら、どうなんだい」

「……助けてやれるものなら助けてやりたい」


 存外に力強い口調のボグロゥの言葉に、エレーナは目を丸くした。

 そのままほんの少し固まり、ぷっと吹き出した。

 ペチペチとボグロゥの禿頭をはたきながら、エレーナは彼を解放した。

 恐る恐る立ち上がったボグロゥに、彼女は笑いかけた。


「まぁ、あんたにしちゃ上出来だ。早く行っておやりな、オークの騎士様」


 そういったエレーナの笑顔は、どこか儚げでもあった。


---------------------


 ワーウルフのクラウスは当年とって24歳。

 今年の春まで陸軍に伍長として在籍していた、近隣のコシダ村出身の青年である。

 この村の祭りに来た理由は至極簡単、この村に住むマリア・二グラスというヒト族の娘と仲良くなっていたからだ。

 マリアはひどくおとなしい娘で、分厚い眼鏡と短く刈り揃え片目を隠した青い髪が特徴的な16歳だった。鬼族の血が血統の途中で混じったのか、前頭部左側に一本だけちょこんと小さな角が生えており、華奢な体格の割に胸が目立つ。

 出会いは2年と少し前、クラウスが2年現役として志願し、その年限を迎えようとしていたころである。

 休暇で帰省したついでに実家の手伝いで小麦と羊毛を(おろし)にきたクラウスは、村の通りで少年たちにひどくからかわれている彼女を見つけ、なんとなく庇いに走った。

 その時なぜかお互いに一目惚れしてしまったようで、当事者だったクヌムジャ・ヌベキソ(器用な手・長い脚)という名のゴブリンによれば「あいつら同士の目が合った瞬間に、こうなんか、花びらが舞ったような感じがして。バカバカしくなってその後マリアをからかうことはやめた」とのことだった。

 クラウスはすぐに軍をやめて結婚したいと思ったものの、マリアが中学を卒業するまでは待つことにした。

 マリアの実家は客を選ぶことで有名な旅籠「シュブ・ドゥ・二グラス」亭であり、彼女の父親は気難し屋で評判の3代目の旦那、マリア本人はその一人娘だったからだ。

 実家で兄の手伝いをして暮らすのが嫌だというだけの理由で、ただ何となく兵役を受けている当時のクラウスでは求婚するだけ無駄であることは、誰に言われずとも容易にわかることだった。


 彼はそのあと、大いに変わった。

 2年兵役を延長し、誰もが嫌がることを率先して行い、先輩の愚痴を聞き、後輩の面倒をよく見てやり、積極的に意見具申を行い、折り目正しい態度を身に着けた。

 週末ごとの休暇では必ず「シュブ・ドゥ・二グラス」で食事を取り、あるいは宿泊し、店のじゃまにならない範囲で店の手伝いをしているマリアと少しばかりの会話を楽しんだ。

 駐屯地の週末当番でマリアに会えないときは、友人に頼み、きれいな野花や手製の細工物など、ちょっとした贈り物を必ず届けさせ、マリアはそれを非常に喜び、彼女の母も大いに喜び、彼女の父は難しい顔をしていた。

 

「シュブ・ドゥ・二グラス」に通い出すようになって1年が経つころ、クラウスは旦那に呼び止められた。

 彼らは食堂の隅のテーブルに向かい合って座り、旦那はじぃっとクラウスを見つめ、クラウスは背筋を伸ばしてその視線を真っ向から受け止め続けた。

 長い長い間そうしてから、旦那は「まずは丁稚奉公からだ」とぼそりと呟き、クラウスは頭を深々と下げたのだった。

 

 クラウスは任期最後の6ヶ月、駐屯地で初等下士官教育を受け、伍長に昇進してから兵役解除、予備役となった。

 中隊先任曹長が「娶りたい娘が居るならせめて伍長にはなっておかんとな」と気を利かせてくれたのだ。

 そのぶん訓練はきつかったが、もうすぐ毎日に会えるようになるのだと思うとどれほどのこともなかった。

 退職金は家を買えるとまでは言わないまでも結構な額となり、クラウスは婚約指輪と結婚指輪を用意してから、少しの荷物を持ってマリアの旅籠で住み込みの丁稚奉公を始めた。


 普通は彼のような者は、遥かに年下の先輩従業員たちから突かれ足蹴にされ粗末に扱われながら仕事を覚えることになるのだが、そこはそれ農家の次男で従軍経験者で腐っても予備役下士官。丁稚仕事は覚える前に知っていたという有様であるから苦労というほどのことはない。

 住み込みで仕事をはじめてわずか3ヶ月で先輩従業員から「よく気が利いて愛想もよい。筋の通し方も心得ている。あとはもう少し物腰を教育すれば」と評価されるようになった。下士官は士官と兵卒の間を取り持つ存在であるから、人の機微を読み取るのがうまくて当たり前。中隊先任曹長直々に下士官教育を施してくれたのはそのためだったのかもしれない。

 もちろんマリアは幸せだった。彼女も春に中学を卒業してから一従業員として働いており、仕事の合間合間でクラウスと視線や言葉を交わせるのが嬉しくてたまらない。人目がなくなると、まじめになったクラウスが困るぐらいに彼のそばによろうとするほどだった。

 マリアの母である女将に至っては、孫の顔を早く見たいなどと言い出す始末。

 こうなると旦那は面白くない。

 彼直々にクラウスに厳しい修行を施すようになるのだが、クラウスは嬉しげに「はい、旦那様」と素直に彼の指示を聞くものだから、拳を上げることも下ろすこともできなくなってしまった。

 それはそうだ、これがかつてのなんとなく生きているだけの若者ならば歯牙にも掛けず追い出すところだが、クラウスはマリアと生きるために大いに自分の有り様を変えた男だ。

 自分の可愛い娘のためにそうする男を悪く思う方が難しい。

 結局、微妙な表情を浮かべた気難し屋の旦那直々の指導を受けながら、クラウスの日々は続いたのだった。


 そして今日のことだ。

 丁稚修行を早々に切り上げたのがつい先週、小僧として下駄番を仰せつかった最初の週末である。

 ここ10年ばかりの男どもの流行りである「ボグロゥ兄貴に好きな女を預けておいて、大声で求婚する」行事を行なったときに事件は起こった。

 引っ込み思案でいつもおどおどしていたマリアの方から、普段の彼女からは考えられない大音声で求婚されたのだ。


 クラウスは死んだ。


 正確に言うと求婚された瞬間に幸せの絶頂に到達してしまい、呼吸も心拍も停止してその場に倒れてしまったのだ。

 彼を死の淵から呼び戻したのはマリアによる人工呼吸であったから、クラウスが気がついたときに周りの男どもから(ほんの軽くではあるが)棒で叩かれたのも無理はない。炸裂魔法を浴びせられるよりはマシであろう。

 その後マリアを姫担ぎして彼女の実家に挨拶に出向き、ニヤニヤしている女将と少しばかり不貞腐れた旦那から「今日は帰ってこなくていい」と追い出されたのが夕方のころ。

 帰ってくるなというのは、つまりそういうことであろうが、流石に実家の客間では旦那とマリア本人が恥ずかしくてたまらないからそうなった、ということだろうと思われた。

 夏祭りの喧騒を楽しみ、それぞれの友達からやっかまれ、祭り特有のさして美味くもないが心浮き立つ料理に舌鼓をうち、奇跡的に部屋が取れたそこそこ雰囲気と作りの良い旅籠に入ったのが1時間ほど前。実はマリアの実家のすぐ近所であるが、気にしてはいけない。この時期のこの村の旅籠でそんな幸運があるはずもないことや、そのひと月前にマリアの母親がその旅籠を訪れていたことなども、気にしてはいけない。いけないったらいけないのだ。

 兵隊だったころの給料3ヶ月分を投じた婚約指輪を送り、マリアを抱きしめ、お互い心臓を爆発させそうにしながらしばらく固まって、最初はごくおずおずと、次第に貪るように口づけを交わしまさぐりあったのがつい先程。

 クラウスはマリアが今日このときをずっと待っていたのだと知って、再び死にそうになっていた。

 死にそうなほど幸せだったのだ。


 それがどうしてこうなったのか。

 彼の腕に抱かれているのは額から血を流し、気を失ったマリア。

 周囲の建物は崩れ落ちるか燃えるかしている。

 彼自身も全身に傷を負い、つややかな毛皮のいたる所から血を流している。

 いくらか離れたところで3体ほどの怪異が暴れまわっていた。

 奴らは建物を壊すと中をほじくり、動くものはなんでも食っていた。

 奴らは通りで逃げ惑う者どもを捕まえては、頭もないのに貪り食った。

 奴らが移動する方向は、気のいい女将さんと気難し屋だが親切な旦那が経営する、マリアの実家の旅籠がある方向だ。

 クラウスは奇跡的に汚れていなかったシーツを引き裂きマリアに止血を施してから、崩れそうにもない物陰に彼女を隠した。

 それから瓦礫をあさり、引き裂かれた鉄の水道管を何本か見つけて掘り出す。手頃な大きさに折れた建材もだ。近所の古道具屋のあとからは、頑丈に作られた長さ2mほどの鉾槍(ハルバード)も見つけた。

 なぜそんなことをしているのか、クラウスにはわからなかった。

 わかるのは、あれが敵だということ、あちらにはマリアの実家があるということ、マリアを傷つけたのは奴らだということだけだった。

 

「こんのクソバケモンどもがぁッ!」


 クラウスは一声吠えると、1.2mほどの長さの建材をひっつかんで黄金色の怪異に向かって投げつけた。

 ごう、と音を立てて飛んだ建材は3体の怪異のうちの一体にみごとにあたり、それが掴んでいたひとたちは地面に投げ出された。

 怪異どもは振り向き、ない頭でクラウスを睨み、いっせいに襲い掛かってきた。


「ッ来ぉい!」


 クラウスは鉄の水道管を両手に一本ずつ握るとさらに吠えた。

 吠えながら水道管を投げ槍のように投擲し先頭の怪異を串刺しにしたが、堪えている様子はあまりない。

 クラウスは鉾槍(ハルバード)を銃剣のように構え、牙をむき出しにした。

 

 それから僅かな間に、クラウスは瓦礫の中に倒れ伏していた。

 折れた肋骨が肺に突き刺さり、息をするたび血のあぶくが喉をつまらせる。

 それでも彼は立ち上がり、鉾槍(ハルバード)を構えた。

 呼吸がうまくいかないせいで、脳が虚血状態になりかける。

 彼はかすれゆく目で敵を睨みつけながらつぶやいた。

 神様、ご先祖様、魔王陛下、この際虐殺王でもいい、どうかマリアと旦那さんがただけは助けてくれ、と。

 再び眼前に迫った怪異の腕が振り上げられる。

 力が入らず、動くことが出来ない。

 その時。


「その願い、しかと聞きいれた」


 と、ゾッとするような声音が耳元で囁いた。

 あたりに漂うのは屍臭。

 彼に迫った怪異の腕が、ぽんと弾けて宙へ飛んだ。


 クラウスの眼前に降り立ったのは、黒衣に身を包んだ伊達男。

 

 屍臭は彼から漂ってくる。

 伊達男は叫んだ。


「スケ! カク!」

「頭が高ァい!」

「控えい! 控えおろう!」


 伊達男の声に応じ上空から降り立った者たちが、まだ無傷だった怪異を一体ずつ叩き伏せる。

 スケ、カクと呼ばれた者たちは、筋肉ダルマのようなオーガーとトロルであった。


「この御方を誰と心得る!」

 

 スケの左ストレートが一体の怪異の胸板をえぐる。


「魔王領公安委員会初代総長にして退役陸軍上級大将!」


 カクの右抜手がもう一体の怪異の胸を胸骨ごと剥ぎ取った。


「我こそが虐殺王!」


 伊達男の姿がゆらりと揺らめくと3人に分身し、一瞬のうちに3体の怪異の心臓を破壊した。


「ザボスである」


 一人に戻った伊達男がくるりと振り向いてそう名乗り、ぱちんと音を鳴らして納刀すると3体の怪異は派手な爆炎を上げて爆発炎上する。

 爆風に煽られてザボスのジャケットが音を立ててはためいた。




「ザボス公爵殿下、いえ、もとい、あー、『ご隠居様と愉快な仲間たちチーム』、降下しました。接敵後、怪異3体を撃破。交戦していた友軍兵士を救出中」

「了解。殿下に要請。周辺を制圧し、避難路と部隊進入路を確保せよ」


 通信士の報告に、チェレンコフは新たな指示を出した。

 応接間の机に広げられた大地図の上のコマを当番兵があちこちへ動かす。

 視線を地図に戻したチェレンコフは腕を組みながらため息を付いた


「まったく、あの人は変わりありませんな! もう少し呼びやすい部隊名にしてくだされば良いものを」

「全くですね」

「ちげぇねぇわ」


 チェレンコフのボヤキに魔王とヘグルンドが苦笑しながら頷いた。


「しかし、ギュンターとメルさん以外に飛翔魔法を使える方が沢山いてくださって助かりました。空地統合戦(エアランド・バトル)ができるなら、我軍に負けはありません」


 魔王コーは眼鏡の位置を直しながら言った。

 問題は勝利条件と、それを達成するまでに発生する損害であった。




 クラウスが血を吹きながら腰を抜かしていると、場違いな声が背後から響いた。


「ドカァン! じゃあないわよぉう、殿下ぁ」

「まったく、無駄に派手好きにあらせられることよな」


 黒いお仕着せに白いエプロンドレスをまとったシャンテとモニカであった。


「やぁ、クラウス」

「シャンテ、の、姉御」

「うん。狼男子(おほかみおのこ)の意気地、しかと見届けたぞ。よくやった。そうだ、此度の婚約、誠にめでたい。今度祝わせてくれ」


 シャンテは微笑んでそう言いながらクラウスに肩を貸し、平らなところに寝かせてやった。

 モニカがクラウスの身体を手早くまさぐり、傷を確認する。


「殿下ぁ。この子、折れたアバラが肺に刺さってるの。骨だけ戻してぇ?」


 あの虐殺王になんちゅう口をきくのだと、クラウスはチアノーゼで青くなった顔面をさらに青くした。

 が。


「わかったよぉう、モニカぁ。どのアバラかなぁ? あ、これだねぇ。えい♡」


 魔族一の伊達男、格好をつけ倒すことこそ男子の本懐と言わんばかりのあの虐殺王が、なんとだらしのない声をだすのか。

 酸素の足りない頭でも十分驚ける内容の言葉を聞いた次の瞬間、いい加減麻痺しかけていた痛みがクラウスを再び襲った。声にならない悲鳴が、食いしばった歯の間から漏れた。

 何があったのかと見ればザボスが鋭い爪で彼の体を僅かに切り裂き、折れた肋骨を肺から抜いていた。ついでとばかりに折れた肋骨のかけらも爪で摘んで排除している。


「はい、できたよぉ」

「ありがとう、殿下。じゃあクラウスちゃん、すぐに痛くなくしてあげるからぁ」

「……僕より、マリアを。あちらの物陰に隠したのです」


 クラウスがかすれ声でマリアを案じてみせると、スケだったかカクだったか、筋肉ダルマのオーガーがマリアを起こして連れてきた。

 全身に傷を負ったクラウスは、モニカに医療魔法を掛けられつつ泣きわめくマリアを胸に抱き、ザボスに声をかけた。


「寝たきりで失礼致します、公爵殿下。陸軍予備役伍長、コシダのクラウスであります。この度は誠にありがとうございました」

「いや、よい。伍長、貴様の働きでこの周辺の被害は押さえられた。陛下やギュンターにも申し伝える。ともあれ、無理はせずとも良い」

「はい、殿下。ありがとうございます。それで、あの、陛下は」

「おお、そういえばそうであった」


 クラウスに声をかけられた途端にきりりとした声を出したザボスは、ぽんと手を打つと耳にはめたごく小型の機械を押さえて喋った。

 VIP用の個人携帯魔導無線機である。


「ギュンター、お主の声を民に聞かせてやれ」




「承知した」

 

 上空で淡い光に身を包んだギュンターはザボスの声に応じた。

 周囲には貴族やその供回りのヴァンパイアやヴァンピレラ、竜人が同じように宙に浮いている。

 ギュンターがちょいちょいと手印を組むと、ぼう、と光でできたスピーカーが4つ全周を向いて現れる。

 ギュンターは咳払い一つしてから声を発した。

 魔法のスピーカーから流れる声は、それを耳にした老若男女を大いに奮い立たせたという。


『当地のすべての魔族へ、こちらは元魔王にして臨編魔導空挺隊司令ギュンター退役元帥である。かかる事態において、当地においては恐れ多くも今上魔王陛下コーの御名において、緊急事態宣言が発令された。繰り返す、恐れ多くも魔王陛下の御名において緊急事態宣言が発令された。当地の全ての軍および法執行機関は、陸軍近衛護衛大隊司令部の指揮下に置かれる。なお、かしこくも今上魔王陛下におかれては、おんみずから総指揮にあたられるとのお達しである! 陛下の赤子らよ、恐るることなかれ。いましばらく耐えよ! 我らが魔王陛下は汝らとともにあり。我らが魔王陛下は汝らとともにあり!』

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