朝
「……二度と私に話しかけないで」
感情に任せて出た言葉は、私の本心であり嘘でもあった。
私は自分の気持ちすら整理をすることが出来ず、結果的に相手を遠ざける選択肢を取ってしまった。
私の言葉を聞いたあいつは動かず、ただその場でずっと見つめてきた。
あの時のことを、今でも忘れられない。
-1-
朝のさんさんとした日差しの中で、俺は学校を目指して歩いていた。
今日は特に目覚めが悪くいつまでも寝ていたかったが、あることを思い出し、制服に着替えて早めに家をでた。
まだ七時だということもあるが、誰一人見当たらない通学路を歩いていくのは何か新鮮なものがあった。
そして高校につき、げた箱で上靴に穿きかえて教室へ向かった。
行く途中で職員室を覗いてみたが、まだ教師たちは誰もいなかった。
俺がくるのが早すぎたのだろうか。
2-Bの教室に辿り着き、とりあえず椅子に座って待とうと思って教室のドアを開けた。
「おはよう」
「うおっ」
びっくりした。
教室に入るまで気づかなかったが、扉の近くの席に、肩まで伸びた黒髪が印象的で落ち着いた感じの女子がいた。
あれ、こいつ……
「お、は、よ、う」
「ああ……おはよう」
「待っていたよ」
「え?」
「君を待っていたんだ」
なにいってんだ、こいつ。
俺が早くきたのは
……あれ、何だっけか
「今日は日直でしょ、早いとこ仕事を済ましましょ」
「……日直?」
「うん、今日は私と君が日直。だから朝早くわざわざきたんじゃないの?」
「そういや……そうだったけ」
「そうだよ。じゃ、職員室へ行こう」
そういったあいつが先に廊下へ出ていった。
今思い出したが、日直の仕事をやるために朝早くきたんだったな。なんで忘れてたんだろ。
そんなことを思いながら、俺は職員室へ向かう華奢な後ろ姿を追った。
-2-
「じゃあ、さっさとやっちゃいますか」
「ああ」
チョークを手に持ち、奴は黒板にすらすらと今日の日付を書く。六月十日。そういやもうそろそろ梅雨入りだろうか。
そして名前の欄に、梶田結花と丁寧な字で書かれた。
あいつの名前だっけっか。
「そういや、君の名前って何だっけ?」
梶田が俺の方を向き、聞いてきた。
「俺は…」
……あれ
自分の名前を思い出せない。
暑い日差しに照らされたせいで、ぼーっとしてしまっているのだろうかのか。
思わず額をおさえてみるが、熱はない。
「ん? どうしたの?」
奴が心配そうにのぞき込んでくる。
上目付きに見てくるので、少しドキッとしてしまった。
「あ、ちょっと待ってろ」
あいつに背を向けて自分を落ち着かせる。
さすがちょっと近すぎだと思った。
やれやれ。
そういや学生証をもっているはずだよな、と俺はポケットをまさぐった。
そして右ポケットに入っていた黒い財布を取り出し、学生証を確認する。
そこには、活発そうな短髪の男の証明写真と、名前が書いてあった。
俺ってこんな顔だったっけ?
そう思っている間、後ろで不思議そうにあいつが見ているので、さっさと 名前を告げることにした。
「俺の名前は寺井昇。寺に井戸の井、昇格の昇だ」
「……そうだったね。それにしても、自分の名前を忘れるなんて変なの」
「暑くて呆けたんだよ」
「ふふ」
手を口元に当てて笑う梶田を見て、俺も何だが笑えてきたた。
まあ、自分の名前をど忘れしたのも、多分眠いからだろう。
そういうことにしておこう。
「じゃあ、花壇に水をやりにいこう」
「日直の仕事か?」
「うん」
梶田が教壇の周りを整え、足早と校庭へ出ていった。
俺も、日直の仕事がどういうものか覚えていなかったので、とりあえずついていくことにした。
-3-
「この花ってなんだっけ?」
「ひまわり、だよ」
「よく分かるな」
「だって、そこに書いてあるよ」
梶田はすぐ近くの地面に刺さったプレートを指を差す。
そこには名前と花言葉の意味が書かれてあった。
「……花言葉はあこがれ、熱愛、あなただけを見つめているだって。なんか素敵だね」
そういいながら彼女は、じょうろから水をだし、さんさんと咲き誇るひまわりに水をやった。
心なしか、ひまわりが喜んでいるように見えた。
「寺井くんはひまわりは好き?」
梶田が水をやりながらそういってきた。
「嫌いではないな。でもずっとみていると俺にはまぶしすぎて、なんだか目を逸らしたくなるな」
「そっか」
そう返事をしたあいつは、もう一つ用意していたじょうろに持ち変えて、まだ水をやっていなかった花壇を指で指した。
「見て、水をやったのとやってないのとではこんなに違う」
見てみると、水を被ったひまわりは花びら一枚一枚が水滴を弾くように活き活きしているが、まだ水をもらっていない方は、長い間放っておかれたのか、下を向くようにうなだれていた。
「……なんだか可哀想だな」
「そうだね。素敵な花言葉がついているのに、これじゃあ誰にも分かってもらえないよね」
そういった梶田の横顔はどこが寂しげに見えた。
花に対する接し方を見ていると、よっぽど大事にしているらしい。そんな奴を見て
「そうだな、でも……」
「うん?」
「梶田みたいに大事にしてくれる人がいれば、また前を向いて頑張ることができるんじゃないかな。」
「寺田くん……」
我ながら恥ずかしいことを言ってしまったと思った。
顔に血が昇る感覚がして、俺は恥ずかしさをごまかすために梶田から顔を逸らした。
「よ、よし、さっさと手分けして水をやるか」
「……うん、そうだね」
そして、ばれないように別の花壇の花に水をやりにいった。多分見えなかった……よな。
「よし、水やり終わり!」
「お疲れさま」
二人で、担当以外の花壇もついでに水やりをした。
まあ、ほとんど手入れされていなかったしいいだろう。
花壇を見渡すと、水でうるおったひまわり達が綺麗に咲き誇っていた。
それを見て梶田が花を大事にする気持ちがなんとなくわかった気がした。
「寺井くんありがとう。ひまわり達も喜んでいるよ」
「俺は梶田の手伝いをしただけだ。日直だし」
「そっか、日直だもんね」
隣を見ると、満足そうな表情で梶田は喜んでように見えた。
そんな結花を見て、ひまわりがなんで素敵なのかなんとなく分かった気がした。
「あと、寺井くん。私のことは結花でいいよ」
「え、」
「そのほうが気軽に話せるし。ね!」
「……じゃあ、俺のことも昇でいいよ」
「うん、ありがとう」
呼び方をあまり気にしない俺は、その提案に乗ることにした。
まあ、あいつが喜んでいるしいいだろう。
そして俺達はじょうろを片付けた後、教室に戻った。




