10 切り落として
テーブルを叩く。
「いい加減にせーや!! いくらお前でも、ふざけるの限度があるぞ!!」
「乱暴にするのよしなよ。自分の子どもが粗雑に育ったの見たらしよみが悲しむよ。これって、君のお母さんの顔なのにさ」
しよみが薄く笑みを浮かべて、自分の頬を撫でる。
そのまま首もとへ手を下ろした。
レース襟のホックを外して、首もとを露にする。
ギザギザの癒着した傷の線があって、そこから皮膚の色があからさまに違っていた。
ぎちっ。みりっ。
音が、した。
びちっ、めりめり、と首の傷が開いてそこから上が血管を伸ばして浮き上がる。
頭と体の間に壁が見えた。
「ふざけてないよ、わたしね、化け物なんだ。人間の体を食べ物にして、食べた人間の顔を盗んで生きてるの」
口をぱくぱくと動かしたが、言葉が出ない。
しよみが黒い血管で繋がって風船のように体から首を浮かせながら、天井を背景にわらいかけてくる。
「この使ってる顔は、いより君のお母さんのしよみ。この体の方は、ちょっと前につまみ食いしちゃった弥生の体。母親の顔と憧れの人の体で殺してあげるってなかなか最悪の最後にふさわしい復讐劇っぽくない?」
「お、お前、本当に弥生さん、殺したんか、俺の、母さんも」
「そう、それで今はいより君の順番。そういう運命だって諦めて」
照明が再び暗くなる。
しよみが──いや、しよみの顔をした何かがリモコンの明かりを落としたのだ。
叫ぶ。
「お前、ずっと俺を殺す気でおったんか!」
「ねえ、わたしね、鏡を嫌ったりアザを知らないふりする君の気持ちわかるんだ。わかるよなんて、言われたくないこと知ってるけど、でもわかるよ 」
暗がりから、いつも大根役者で棒のしよみの本当に悲しそうな声が聞こえてくる。
「そこにないふりをしたいんだよね。自分が不安に思ってることや自分が醜い部分を持って情けない生き方をしてる、なんて見たくないよね自覚したくないよね。そんなことないって思っていたいよね。見なければ、それはそこにないふりができるから。本当は知ってても」
「でも、なにも持たずにそこに当たり前にいられる人たち見ると、たまに喚きたくなるよね。なんで、自分だけって。憎らしくて恨めしくて、余計に自分がどうしようもなく感じて夜が長く感じる時だってあるよね。それとは反対に、そんな平和な人生も有り得たんだって眩しくて、憧れて、そのまま何も知らないままでいさせてあげたいって妙に恋しく思ったり、保護欲感じたりさ。いより君が弥生に感じたみたいに」
「わたしもそうなの。心配してくれる弥生、好きだったよ。それは本当のこと。わたしのこと、怖がる子も嫌いな子も、好きだって言ってくれる子もいた。わたしだって、助けたいって思った子何人もいるよ。だけど最初に近づいた打算の動機もちゃんとそこにあってさ。──好きな気持ちがなんだか卑怯な気がしちゃうの」
「笑顔で明るくなれる近づいたのは本当に酷い理由だから。いつも殴られているような子なんて、いなくなっても誰も探さないから、とか。その子に成り代わったら、暫く裕福に楽チンに暮らせるから、とか。大切にしたいなんて、思うこと自体が嘘で、不誠実って気がしちゃうの。だから、はじめの目的を通した方が、本物の化け物としてその子を食べてしまう方が、その子には正直かな、なんてさ」
「好きな気持ちは嘘じゃないけど、でも皆を食べないとわたしは生きていけないの。だって体は腐ってきちゃうし、わたしが死んじゃうんだもん。それが、わたしのそこにないふりをしていたいこと。ずーっとずーっとそこにないふりをしていたいこと、いより君のアザみたいに」
暗がりの中の泣き笑いの長いセリフは、名女優みたいだった。
ドアに向かうが、回り込む気配がしたのでたたらを踏んで、角に身を寄せる。
「じたばたしないでよ。わたし、意地悪じゃないからできるだけ短く済ませるよ。そうしたらもう二度と、誰かの見ない振りを見て厭な思いしなくてすむよ。ね、悪いことばかりじゃないでしょ。それとも殺されるのは、お母さんの顔じゃなくて、弥生の顔の方がいい?」
ふざけて言い聞かせるいつもの調子のしよみの声がする。
いつも通り。
なぜ、こんなにも酷薄に聞こえるのか。
そして、しよみとは別の声がすぐ耳元で、はっきりと聞こえた。
夢での茫洋とした声ではなく、明瞭に意志が読み取れる声だった。
『わたしの、首を、切り落として』
──夢の、女の声。
強く強く言われたその言葉に、意味するところを察する。
それは、女のための懇願ではなかった。
俺が次の犠牲者にならないための、俺を助けるために絞り出されていた必死の言葉だった。
しよみが盗んだという今の顔の、持ち主からの。
しよみの言うところを信じるなら、俺の、母親の、声。
非常灯やテーブル周りの灯りを頼りに移動して、音響装置を持ち上げて人形のガラスケースを割った。
これぐらいの明かりでトラブル対処に当たることもあるから物の位置の把握はなんとなく無意識でしていた。
手探りで人形から柄を抜き取って、握る。
本物のサバイバルナイフ。
人形を作った人間の拘りに感謝する。
警報が鳴る。
「ちょっと、もう、大事にしちゃってしょうがないなあ。どうせ誰か来ても、いより君の命は間に合わないんだからじたばたしないでよ」
スマホのライトで照らした。
しっかり見返す。
眩しさに目を瞑る、俺の母親だという顔、そして半分は弥生さんの顔に変化しかけていた。
(ああ、こいつほんまに化け物なんやな……)
それでも俺にとっては、顔を伏せずにずっとつるんでこれたしよみの顔やけど。
首と体をつなぐ黒い血管に向けて、握ったそれを振りかぶった。
ぶつり、と確かに何かを斬った手応えがあった。
嫌な匂いのする飛沫を浴びる。
どしゃ、と倒れる音。
ドアの外が騒がしくなる。
ドアから明かりと店員が流れ込んできたタイミングでそのまま逃げ去った。
《先日発見された頭部が欠損した遺体は、行方不明だった枳 弥生さんと判明しました。頭部は持ち去られたと見られ警察は現場から逃走した男性を──》




