表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雷姫は避雷針執事に依存しています  作者: 緋色


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/6

近すぎる距離

 それは、少し前のこと。

 コレットが初めて担任として挨拶をして、教室で神の力が振るわれそうになった、次の日のことだった。

「少しよいかな、ネーベック先生」

「わたくしに? はい、なんでしょうか」

 話しかけてきたのは、同僚の数学教師、ペルーゼン・ラドフォードだった。

 周りを見渡してから切り出すところを見るに、他に人がいないことを見計らっていたらしい。

「先日のこと、報告を受けましてな。お心当たりがあるとは思いますが」

 途端、コレットの身体が強張った。

「王女殿下に敬意を払うのは結構。しかし、特別扱いはよくありません」

「……特別扱い、でございましょうか」

 王族への礼を教えることは、学院の規律を整えることでもある。

 そう言い返したい気持ちが、コレットの胸に浮かぶ。

 しかし、自分の態度が教室に緊張を生んだことを思えば、即座に言葉にすることはできなかった。

「そして生活魔法を軽んじすぎるのもよくない。わからないでもないが、露骨に過ぎる」

「……そのようなつもりはございません」

「総じて、あなたは生徒を平等に見る姿勢に欠けている、と言わざるを得ません」

「しかし、規律を守るためには、立場に応じた礼節も必要かと存じます」

「規律とおっしゃるが。贔屓が過ぎれば、そこに不満を持つ生徒も現れましょう。そうなれば規律の崩壊に繋がりかねません。おわかりか?」

「…………」

 敬意を贔屓と見られ、コレットは不本意な思いを抱いた。

 黙って俯いてしまったコレットに、今回はここまでか、と引き下がることにしたペルーゼンだった。

「それでは、お願いいたしますぞ」

 コレットは、それに明確に答えられなかった。

 それをわかっていたのか、ペルーゼンは足早に歩き去った。

 間違っているつもりは、なかった。

 それでも、言い返せなかった言葉が、胸の奥で行き場を失っていた。

 しかしコレットの脳裏に刻まれていたのは、王女殿下の御力をまざまざと思い出させる、威厳ある姿だった。

 あの力を、ただ教室の一席に収めてよいのだろうか。

 王国が長く待ち望んだものを前にして、学院は本当に、他の生徒と同じ扱いを求めるだけでよいのか。

 そう考えるたび、胸の奥がざわめいた。

 幼いころ、雲にまします母なる雷へ祈っていた母の背中が、ふと脳裏をよぎる。

 すがるものがなければ耐えられない痛みが、この世にはあるのだと、コレットは知っていた。

 それが敬意なのか、使命感なのか、コレット自身にもまだ判然としない。

 ただ、このまま何もせずにいてよいのか、という思いだけが、日に日に輪郭を強めていた。

 ――そんな記憶と迷いが、折に触れて噴き上がってくる。

 そして、その迷いが表に出ていたのか、赤い髪の男子生徒が近づいてきたのだった。

「差し出がましいようですが、私も少し、気にかかっていることがございます」

 その時はどういうことかと思ったが、幾度か会話を重ねるうちに、彼の意図ははっきりしつつあった。

 だから頷ける部分もあったが、そればかりでもない。

「殿下が本当に一生徒として扱われることを望まれているのか。一度、学院の務めの中で確かめてみる必要があるのではありませんか」

「……務め、ですか」

「ええ。それに、そのような交流の積み重ねこそが、いずれ殿下の信を得ることにも繋がりましょうし」

 確かに、とコレットは頷いた。

 王女殿下が一生徒として振る舞おうとなさるなら、教師である自分もまた、その務めを果たさねばならない。

 ただし、それは殿下の御身に相応しい形でなければならない。

 コレットには、そう思えたのだった。



 そして時は少し進む。

 初めてのことばかりで戸惑っていた時期を抜け、やっと自分なりのペースが掴めてきたころ。

 学院に点在する緑が色を深め、同じように人間関係にも濃淡が見えてくるようになる。

 それは登校風景にも表れている。

 以前はばらばらだった生徒たちが何人かのグループとなり、交わす挨拶にも情がこもる。

「おはよう」

「おはようございます、フェルネス嬢」

「おはようございます、王女殿下、アルヴェイン殿」

 この挨拶にもそんな情を期待してよいのだろうか、とクラウディアはふと思う。

 そして早計か、と内心で否定するのである。

 王女殿下が真ん中。

 その左を執事の少年がわずかに先行し、右後ろを自分が歩く。

 そんな朝にも慣れてきた。

「――相も変わらず麗しい」

「――見ろよ、王女殿下ご一行様だ」

「――やめとけ、落ちるぞ――あれが」

 という囁きには、慣れそうにはないけれど。

 自分まで遠巻きにされている現状に、疎外感より呆れが勝る。

 いっそ睨み返してやろうか、という思いがよぎり、柄ではないか、と打ち消す。

 なにより、当の本人が気にするそぶりもなく、執事も特に言及しないのだし。

 いや、当の本人が気にしているのは執事だけ、と言った方が正しいか。

 ちらりと顔を向け、セドリックの姿を確かめる。

 そして安心したように前を向く、という様子が度々見られる。

 その動きに執事本人は気づいておらず、おそらく知っているのは自分だけ。

 そんな小さな秘密ができるくらいには、一緒に行動している。



「覚えるも覚えないもお好きになされよ。後の点数に反映されるだけのこと、私は一向に困らん」

 数学教師ペルーゼン・ラドフォードの、突き放したような締めで終わった授業。

 最初は反発していた生徒たちも、それが普段の口調だとわかると、いつの間にか慣れてしまっていた。

 だから今では、反発は授業終わりの気怠い空気へ変わるだけで、それぞれが自然に話題を切り出していった。

 そんな空気の中、ペルーゼンと入れ替わるように教室に入ってきたのは、担任のコレットだった。

 彼女は階段状の教室を上がってくると、最奥の席の前で足を止めた。

 以前と変わらぬ敬意はその瞳にあったが、声は努めて担任らしく整えられている。

「王女殿下、フェルネス嬢。少しお時間、よろしいでしょうか」

「はい、なんでしょうか」

「……はい」

 すぐさま席を立ったクラウディアと違い、ブリジッタの反応は緩慢だった。

 残念ながら、教師陣の呼び方は、いまだ「王女殿下」から改まっていない。

 仕方のないこと、と半ば諦めながらも、納得のいかなさが返答の遅れに繋がった。

「次の授業準備について、日直のお二方にお願いしたいことがあります」

 そう言われ、セドリックは立ち上がりかけた動きを止めるしかなかった。

「次の授業で使用する教材を、保管室から運んでいただきたいのです」

 そうして、コレットの頭は自然に下がる。

「これも、生徒の務めの一つです。王女殿下にも、学院では同じように経験していただければと存じます」

 クラウディアは、王女殿下の喉が動くのを見た。

 表情は動いていないのに、重い何かを飲み込んだような動作だった。

「セドリック、行ってくる」

「はい、お気をつけくださいませ」

 自分一人で済ませようとクラウディアが口を開く前に、その会話は交わされた。

 単なる主従のやり取り。

 なのに、それが重苦しい儀式のように見えて、クラウディアは素直に頷けなかった。

「ありがとうございます。それでは、こちらへ――」

 コレットが先導して、身を翻す。

 その姿は、クラウディアの胸の奥に、小さな違和感を抱かせた。

 ブリジッタの背中に続こうとして、ふと、セドリックと目が合う。

 そして、以前に頼まれたことを思い出した。

 その時と同じように、何ができるかはわからないけれど。

 クラウディアは小さな頷きをセドリックに返して、ブリジッタの後を追いかけた。



 主の背中を見送ったセドリックは、居心地の悪さを感じて席を立った。

 幸い、次の授業まで時間はある。

 少し散策しようと思い、廊下に出て歩く。

 思い浮かぶのはブリジッタのことだった。

 クラウディアがついてくれている、という事実が多少なりとも足取りを軽くはする。

 けれど、普段の距離の近さを思い返し、その姿がないことに寂しさを覚えて苦笑した。

 中庭で弁当を広げるのによさそうな一角を見つけ、ここに誘ってみようか、とふと思う。

 今はひとけのないその一角へ近づこうと足を向けた時、その声は聞こえてきた。

「何をするか、貴様!」

「いてっ!?」

 声は、中庭と廊下を区切る壁の裏側からだった。

 セドリックが覗き込むと、そこには胸倉を掴まれて壁に押しつけられている、茶色の髪の男子生徒がいた。

 胸倉を掴んでいるのは男子生徒二人組の片方だったが、二人とも肩を怒らせているのが見て取れた。

 しかし、対する茶色の髪の生徒は、鼻を鳴らして相手にしない。

「辟易してた女の子を逃がしただけだろ。文句なら、あんたらの下手なエスコートのほうに言いな」

「貴様ぁ!」

 急所を突かれたのか、激情のまま、相手は手に炎を生み出した。

 まずい、と思った時には、もうセドリックの指先はその炎に向いていた。

 目に見えない魔力の糸が伸びる。

 そしてその糸は炎に纏わりつき、次の瞬間、裁断するように散らす。

 制御を失い、消えた炎を呆然と見つめる彼らを置いて、セドリックは壁の影に叫んだ。

「先生、こっちです! 早く!」

 ついでに手招きの動作も添えた。

「くっ、訳がわからない……ああ、くそ! 次はないからな!」

 状況の悪さを悟って、二人組は逃げ出した。

 セドリックは安堵のため息をつくと、踵を返す。

「いや、待てよ。礼くらい言わせろよ」

 歩き出そうとしたところで、肩を掴まれた。

 振り返ると、純朴そうな顔が不満げに染まっていた。

「……ありがとよ。あのままだったら、ぶん殴ってたところだった」

「……それは、止めて正解だったね」

 セドリックが身体を向けると、肩から彼の手が離れる。

 魔法を放つことも論外だが、拳を振るっても同じことである。

 叱責では済まなかっただろうし、さすがにセドリックから苦笑が零れた。

 それを受けて、茶色の髪の男子生徒の目つきは、セドリックを見定めるようなものに変わった。

「……あんたは、あいつらとは違う感じなんだな」

「……それはどうも?」

 セドリックは反応に困った。

 それで自分が失礼なことをしていたと気づいたのか、彼はばつが悪そうに頭をかいた。

「悪い、こちとら平民上がりなもんでな。つい警戒しちまうんだ」

 その言葉には、さすがにセドリックも反応を選び損ねた。

 しかし、待ってはもらえなかった。

「ちと用事があるんで、これでな。また会ったら、その時はよろしくしてくれ」

「あ、うん」

「それと――目立ってるぜ、あんた。気をつけなよ」

 その生徒は、最後までセドリックを戸惑わせて中庭から駆け去った。

 ぽつん、と取り残されたセドリックは、知らず溜めていた息を吐き出す。

 そうして、男子生徒が消えた方向とは逆側、壁の裏にある気配を窺った。

「――それで、何か御用でしょうか」

「――なに。交流を拝見していただけだ」

 そこから現れたのはミハエルであった。

 彼は、鮮やかな赤い髪の下、薄い笑みを浮かべている。

「それと、なかなか知恵が回るところを少し……ね。さすが、王女殿下に次ぐ才をお持ちだ、というところか」

「よくある手かと。うまくいって、ほっとしております」

「なるほど。それで――なにをした?」

 ミハエルの声は、詰問の調子だった。

「何のことでしょうか?」

「あの炎だ。私には、君があれを打ち消したように見えたが?」

「ご冗談を」

 ミハエルの返答は、沈黙であった。

 それを見て取って、セドリックは一礼した。

「お騒がせいたしました。それでは、失礼いたします」

 立ち去るセドリックを、無言で見送るミハエル。

 その視線は睨みつけるようであり、また――羨望がこもっていた。



 コレットに先導され、別棟へ向かう道すがら、クラウディアは妙な違和感に包まれた。

 ちらり、と見渡して、すぐその正体に気づく。

 黒髪の少年の姿がないからだ。

 自分でさえ違和感を覚えるのに、日頃から彼を頼りにしている本人はどうなのか。

 そっと窺ったその背中に陰りはない――ように見える。

 案内されたのは、授業で使う教材を保管している、倉庫のような一室だった。

「――申し訳ありません、このようなところに足をお運びいただき」

「……私は一生徒」

 たまりかねて頭を垂れるコレットに、冷ややかな声で応じる王女。

 クラウディアはその声にかすかな苛立ちを感じて、つい背筋を伸ばしてしまう。

 そして、その冷たさをもっとも感じているのはコレットだっただろう。

「……こ、これらをお願いいたします。棚番号と教材名は、こちらに記してございます」

 コレットはクラウディアにメモを差し出した。

「わたくしは次の準備がございますので、少し席を外します。終わりましたら、教室までお持ちくださいませ」

 クラウディアの目にも、それがかろうじて教師として整えた段取りなのだとわかった。

 そして、礼をして身を翻すその動きは、わずかに急いていた。

 クラウディアが声をかける暇もなく、コレットは廊下の向こうへ姿を消した。

 ため息をついてメモを確認すると、同じくブリジッタもそれを覗き込んでくる。

 棚に振られた番号と、教材の名前が列挙されているので、作業に支障はなさそうだ。

 ブリジッタはわずかに首を傾げた。

「……探して教室に持っていくってことかな」

 そして見上げてくる様子は、何かをねだるようだった。

「な、なぜそこまで?」

 クラウディアが感じたのは、可愛げではなく、どこか切羽詰まった気配だった。

 だから未整理のまま、言葉が出てしまった。

 自分の姿勢に気づいたのか、ブリジッタの視線がさまよう。

 その視線が落ち着いた先は、歩いてきた廊下だった。

「――そんな立場ではいられない、なんてことはわかってる」

 そこに何を見ているのか、クラウディアにはわからない。

「でも、ただの一生徒なら、私はそばにいられる。その間だけは、ただの。……ただの――」

 それ以上の言葉は、静かに閉じた目と唇にせき止められた。

 きっとクラウディアは、何かの片鱗に触れた。

 しかしそれが何かはわからない。

 だからクラウディアができたのは、望む通りに作業の分担を提案することだけだった。

「……王女殿下。半分を、お願いしてよろしいでしょうか」

「わかった」

 クラウディアが判断した通り、ブリジッタはこくり、と素直に頷いた。

 そうして、室内で二手に分かれる。

 クラウディアは念のため、王女殿下とつかず離れずの距離を保ち、目的のものを探し出していく。

 向こうも同じようで、さほど迷いもない振る舞いにクラウディアは安堵した。

 目当ての教材で両手が塞がりそうになったところで、一息つく。

 そうして、ふと目をやると、動きを止めている王女殿下に気がついた。

 だらり、と手を下げているその後ろ姿を疑問に思い、手にしたものを近くの棚へ置いた。

 そうして近づこうとしたとき、声が聞こえた。

「セド、これで合って――」

 ブリジッタの手が、誰かの袖を掴むように持ち上がり、空を切る。

 持ち上げた手を見つめる眼差しが、呆然と揺れる。

 何も掴めなかった指先が震えだす。

 顔を覆った手の隙間から、苦しげな声が漏れる。

「――違う」

 その背は、頼りなく揺れる。

「……セドは別の場所にいるだけ。私が用事でここにいるだけ。だから、何もおかしくない。――セドは、どこにも行ってない」

 呼吸は浅く乱れ、丸くなる背が何かを押さえつけているようだった。

 クラウディアは、声をかけようか迷った。

 自分まで息苦しくなりながら、さらに迷う。

 しかし、そんなクラウディアの目の前で、ブリジッタは徐々に背筋を伸ばしていき、息を整えていく。

 そして、顔を覆っていた手を下ろして、作業に戻っていった。

 クラウディアは、気づかれぬようにそっと後ろに下がって、棚の後ろに回る。

 そして呼吸を落ち着けると、今そこから現れたふりをして、声をかけた。

「王女殿下? そちらはどのような感じでしょうか?」

「もう少しで終わる。だから――大丈夫」

 その返事に何と答えたか。

 クラウディアは、後からいくら振り返っても思い出せなかった。

読んでくださり、ありがとうございました。

↓の☆をぽちりとしてくださると、大変励みになりますので、よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ