おかえりとただいまを君に
前世の篤志が過ごした社は、町の外れにポツンとあった。
境内に向かう階段を二人で歩きながら、ポツポツと銀が話し始める。
「篤志が人間になることを決めた時、俺も俺にまつわるほとんどの縁を差し出したんだ」
隣から銀の顔を伺うと、銀はただ前だけを向いていた。
「だから、俺は篤志と暮らしたここでの記憶のほとんどを覚えてない。篤志が見たっていう座敷童子の子供との記憶も、今の俺には残ってない」
「そうか。だから、銀もあの子のことを知らなかったんだな」
銀がなぜ篤志に続くように命と同じくらい大事な縁を差し出したのかはわからなかった。そうすることで篤志について行こうとしたのかもしれないが、銀がまだその話をしたくないのなら、あえて篤志から深掘りすることではないと考える。
それに、と篤志は過去の自分に思いを馳せる。
(きっと、神様だった俺も、自分のことを銀に話してないだろうし)
過去の二人に何があったのか、知りたくないといえば嘘になる。だけど、篤志にとってそれは瑣末なことだった。
今、この時を銀と一緒に生きることの方が篤志には大事だった。
「銀……もしも、お前が話してもいいと思える時が来たら、俺とお前のことを教えてくれないか?」
「……! あはは、仕える人に気を遣われるなんて、俺もまだまだだな。これでも、結構成長したと思ってたのに」
「記憶はないけど、俺は神様だからな」
得意げに言うと銀は「なんだそれ」と楽しそうに笑った。
そんなやりとりをしている内に二人は階段を登りきり、鳥居をくぐり境内へと足を踏み入れる。鳥居を通った瞬間、町の喧騒が消え、縁花神の大社に訪れた時のように空気がガラリと変わる。澄み切った空気が肺を突き刺し、聞こえてくるのはお互いの息遣いだけだった。
ゆっくりとその場の空気に慣れるように息をしながら、顔をあげる。視線の先には一人の赤い着物の子供が、蹴鞠を両手で持って背を向けている。
「私、ずっと待ってたの」
鈴を鳴らしたような可愛らしい声が境内に響く。その声には寂しさや痛みが混じっており篤志の心も苦しくなる。だがその気持ちが、今の篤志自身のものなのか、それとも前世の自分のものなのかはよくわからなかった。
「ずっと、みんなにっ……ただいまって、言って欲しかった」
控えめに鼻を啜る音がする。嗚咽を堪えても、言葉の合間に溢れていく。蹴鞠を持つ手が遠目でも震えているのがわかった。
「みんなに……おかえりって、言いたくて…………!」
人に迷惑をかけないように、必死に堪えるような泣き声が篤志の鼓膜を震わせる。
篤志は、これが前世の自分のしたかったことなのか、と無意識のうちに唇を噛み締める。
その時、そっと背中を優しく押される。
ハッとして顔を向けると、銀の視線が「行ってこい」と告げていた。
篤志は止まっていた足を動かすと、走って座敷童子のそばまで行く。
置いて行ったこと。
一人ぼっちにしてしまったこと。
大切な毎日をこの手で壊してしまったこと。
謝りたいことはたくさんあった。
でも、何よりも伝えたかったのは――。
「ただいま、環!」
座敷童子の名前を呼ぶ。仮初で繋がっていた縁が結び直される。
名前を呼ばれた座敷童子は涙でぐしゃぐしゃになった顔を篤志に向けると、蹴鞠を手放して篤志に手を伸ばす。篤志はその手を優しく包み込みながら、子供の体を抱き上げる。
「……私っ、ずっと、ずーっと、待ってたよぅ」
小さな体で精一杯、篤志の体にしがみつく。ぎゅっと握られた服の上から、痛いほどの寂しさが伝わってくる。篤志は座敷童子――環の体を支えながら優しく頭を撫でる。何度も何度も、環が落ち着くまでずっと撫で続ける。
「ごめん、環。お前のことを置いていって。お前が守ってくれていた家を出て行って。何より、この縁を大切にできなくて」
泣きじゃくる環の頭に自分の顔を近づける。桜のような春の香りが鼻腔をくすぐる。子供特有の高い体温が、服越しにもじんわりと伝わってきた。その温もりが、環の存在をたしかなものにして、彼女が生きている証拠になった。
縁がなければ生きていけない、儚く、危うい存在。
それでも、環たちは生きている。
失った縁にしがみついてでも、生きていたのだ。
「だから、何度でも言うよ」
環の体を抱き抱え直し、大きくて黒い瞳と視線を合わせる。頬は期待で赤く染まり、涙で潤んだ瞳はキラキラと星の光のように輝いている。
「ただいま、環――!」
「――うん! おかえりなさい!」
不器用な笑顔と涙が溢れる笑顔。二人はどちらともなく笑い始めると、お互いの縁をしっかりと結び直した。
もう二度と、離れ離れになることがないように。
「せっかくの可愛い顔が涙でぐしゃぐしゃになっちゃったな」
「いいよ。だってこれは、嬉しい涙だもん」
環はそう言うと両手を広げて篤志の体に抱きつきにいく。篤志は仕方なさそうにその体を支えると、環の背中を優しくポンポンと叩く。
「仲直りはできたか?」
少し離れたところで二人を見守っていた銀が近寄ってくる。銀は両手を頭の後ろで組み、自分のことのように嬉しそうに笑っていた。
「バッチリだ。銀がいてくれたから、こうやってまた環と仲直りできた」
「……銀?」
銀の名前に環の体がぴくりと跳ねる。環はゆっくりと篤志の体から身を離すと、じっと銀のことを見つめる。
「俺の親友兼幼なじみの銀だ」
「……銀。なんだか懐かしい名前だね」
環の小さな呟きに銀は肩を竦めると、環の頭に手を乗せる。
「ずっと昔、一緒にここに住んでたかもな」
「そうなの? なら、銀もおかえり?」
きょとんと目を丸くする環を見て銀は小さく吹き出す。そして、「ただいま」と伝えて環の頭を撫でた。環は銀の手を気持ちよさそうに受け入れながら、満面の笑みを浮かべる。
「みんな、おかえり!」
*
篤志たちが新たな縁を結び直した時、《幽世》の中心から離れた路地裏で一人の青年が小さく舌打ちをした。猫の耳に斑柄の尻尾を揺らし、目の前の妖から奪ったものを確認する。
「…………あいつ、帰ってきたのか」
自分の中で行き先を失った縁が騒ぐのを感じ取ると、青年は軽やかに壁を伝って屋根に登る。そして、あいつがいる方角を見つめ、スッと踵を返す。
「所詮、僕には関係のないことだ」
固い声でそう呟くと、青年は闇夜に紛れるように姿を消した。




