第六十三話「空を飛ぶ聖龍から剥落した鱗だ」
「それで、あんたは何を持ってきたんだ」
互いに肩を上下させながらも、一応は一段落付いたのだろう。
老人はぶっきらぼうに言った。
「その前に、名前を聞いてもいいか? あたしはイール。傭兵のイールだ」
まずは互いに名前を知らないことには不便だろうということで、イールは自分の名前を名乗る。
その流れで、後ろで二人のやりとりを傍観していたララとロミも名前を伝える。
「傭兵に、神官に、旅人か。また珍妙な取り合わせだな」
老人はじろりと三人を睥睨し、もそもそと口元を動かして言う。
確かに女三人、それも若い女三人の旅というのは中々に珍しい。
その上傭兵と武装神官という組み合わせは中々見られない。
「ワシはアルノー。凡百な鍛冶師の老いぼれだわ」
アルノーは焦げ茶色の瞳でイールを覗き、白い顎髭を撫でる。
「アンタが凡百とは、中々笑わせるね」
彼の自分を卑下した言葉に、イールは息を吐き出す。
目の覚めるほど美しい、鋭利な剣を打つ彼がそのような鍛冶師の中に埋没する存在とは、彼女には到底思えない。
しかしイールの鋭い視線を受けても、アルノーは飄々とした態度を崩さなかった。
「そんなこたぁ、あんたらには分からんでもいい。それより、ワシの度肝を抜くような何かを持ってきたのかね」
「ああ。持ってきたさ」
よく見とけ、とイールはおもむろに籠手のベルトに手を掛ける。
慣れた手つきで金具を外し、ゆっくりと腕を露出させる。
厚い金属の籠手の下にあるのは、僅かに褐色に焼けた肌ではない。
紅い細やかな鱗が並ぶ、異形の腕だ。
手の先、異形の腕の先には爬虫類を思わせる鋭い爪が並んでいた。
「『邪鬼の醜腕』だ。これのお陰で、あたしは人外の力を有してる」
普段は厳重に籠手で覆い隠していらぬ騒動を避けているイールが、今回は自らその鬼の腕を見せつける。
これならばアルノーも、この頑固な偏屈爺も驚愕するだろうと、どこかでイールは自信を持っていた。
しかし――
「呪いの腕か。まあ、珍しいのは分かるがな。驚くほどではないわ」
「なっ!?」
焦げ茶色の瞳を揺らすことも無く、アルノーは平坦な言葉で言った。
驚いたのは、イールの方だった。
醜腕の鋭い爪をわきわきと動かし、アピールしてみる。
アルノーは冷めた目でそれを見た。
「それだけか?」
「……」
冷静なアルノーの言葉に、イールは表情をゆがめる。
ここまで無反応だというのは、彼女の予想し得なかった展開だ。
今まで謀らずともこの腕のことを知ってしまったあらゆる人間が驚き、時には恐怖し、または下品な笑みを浮かべて近づこうとしていた。
だからこそイールは籠手によって腕を隠し、人外の力を隠匿してきたのだ。
「残念だったわね。どうするの?」
ロミと並んで様子を見ていたララが、むすっと拗ねたような表情のイールに声を掛ける。
イールは左手に持っていた籠手を、また右腕に巻き付ける。
「……もういい。どこか別の鍛冶師を探すさ」
「ああ。そうした方がいい」
吐き捨てるように言ったイールの言葉に、アルノーは頷く。
そんな二人の様子を交互に眺め、ララは大きなため息をついた。
「それじゃあ、交渉は決裂ってことでいいかしら? それなら今度は私がアルノーに聞きたいことがあるのだけど」
そう言って、ララはアルノーの正面に立つ。
イールとロミは彼女の真意を掴めず、きょとんとしている。
アルノーもまた、見知らぬ少女の言葉に怪訝な顔を向けた。
「確か、ララだったか」
先の自己紹介を思い出し、アルノーは言う。
ララは頷くと、口を開いた。
「アルノーは、なんでエメンタールさんの牧場に行って、途中で引き返してるの?」
「む!?」
ぽんと軽く投げかけられた言葉に、アルノーは思わず目を見開く。
それは、あまりに予想外な質問だった。
見れば後ろの二人も驚愕し、ララを見ている。
「……どうして、それを知っているんだ」
胸の中の混乱を悟られまいと、アルノーは努めて落ち着いた声でそう聞き返す。
ララはふむ、と一拍置いて答える。
「アルノーの足跡があったからよ」
「足跡じゃと?」
アルノーの瞳に猜疑の色が浮かぶ。
反対に、イールとロミはあの時に見つけたのかと一応の得心がいったようだ。
そしてそれは正しく、ララは今朝のエメンタールの牧場に向かう道中で、僅かに残る足跡の一つとアルノーの足跡が一致していることに気付いていた。
「ドワーフって、地味に人間とはまた違った足跡なのよね。――まあ獣人も鬼人もみんな微妙に違うんだけど。ドワーフは体重が軽いから足跡もそれほどはっきりしてないんだけど、この辺の路地はぬかるんでる道も多くて助かったわ」
彼女は手のひらを上に向けて、すらすらと言葉を流す。
アルノーは絶句し、信じがたい物を見るようにララに視線を固定する。
言葉の意味は理解できるのに、納得することはできなかった。
「あんたは……一体……」
絞り出すようにアルノーが言う。
イールは少し首をかしげて答えた。
「私はララよ。ちょーっとだけ特別な魔法が使えるただの女の子」
語尾にハートか音符でも付きそうな口調に、後ろのイールが凍てつく視線を送る。
アルノーはしばらくララを見ていたが、彼女にそれ以上説明するつもりが無いことを知ると、ふっと目をそらした。
「……ワシはただ、孫の様子を見に行っただけだ」
「孫? ……え、メリィのこと!?」
ぼそりと呟かれた言葉に、ララは驚きの声を上げる。
後ろの二人も例外では無く、互いに顔を見合わせていた。
アルノーは頷く。
「遠くからヒージャと歩くあの子を見て、すぐに引き返したがな。……あの子はワシの事を知らん。だからワシはあの子の目に触れないように、たまに遠くから彼女の様子を見て、バレないように帰っていくんだ」
「別に、堂々と正面から会いに行けばいいのに」
「言っただろう。あの子はワシの事を知らんのだ。実の父親は行方も分からん、ワシの娘でもある母親はあの子が小さいうちに死んでしまった」
言いようのない沈黙が、場を支配する。
流石に踏み込みすぎたと、ララは自分の軽率さを悔いた。
「その……、ごめんなさい」
「いいんだ。あの子は今、優しい父親に育てられて、幸せそうだ」
そう言うアルノーの横顔は穏やかで、しかし若干の悲しさがにじみ出ていた。
ただ孫を思う優しい老人の顔だ。
「それに、ワシにはあの子と会う資格なぞないのだよ。父親が消え、母親の火が消えたとき、本来ならばワシがあの子を育てる義務があった。……しかしワシはそれを拒絶した。とても利己的で、どうしようもなく愚かだった」
噛みしめるように、懺悔するように、アルノーは言う。
ララたちは、肩を落とす彼に書ける言葉を思いつくことができなかった。
「……すまないな。少ししゃべりすぎた」
「いえ。私も軽率すぎたわ」
アルノーが目を伏せる。
三人は顔を見合わせると、ゆっくりと踵を返しドアに向かった。
「ごめんなさい」
頭を下げて、ララは外へ向かう。
その様子をぼんやりと虚ろな目で見ていたアルノーは、突然はっと目を開いた。
「ッ! ま、待て!」
彼は思わず腕を上げ、ララを呼び止める。
気を落としていたララはびくりと肩を跳ね上げると、恐る恐る振り向く。
アルノーは彼女の緩やかな曲線を描く腰を凝視して、わなわなと震えていた。
「そ、それは――」
「え? な、何かしら」
髭に覆われた口を微かに動かすアルノーに、ララは首をかしげる。
「その、その腰に提げた……棒は……」
アルノーが指さすのは、ララがベルトに提げた金属棒だった。
それは彼女が特殊金属を加工して作った、ハルバードの休眠形態だ。
「その金属を……どうやって加工した?」
「え、と、特殊金属を知ってるの!?」
驚くいたのはララだった。
この銀色に輝く特殊金属は、ララの星がその技術力を余すこと無く投入して作り上げた、おそらくこの世界には無いものだ。
なぜそのような唯一無二の存在を、このドワーフの老翁が知っているのだろうか。
「特殊金属か。……ワシの家では、聖龍の鱗と呼んでいるよ」
「聖龍の、鱗?」
アルノーは部屋の奥に設置された大きな炉に向かう。
彼の背丈ほどの巨大な蓋の、天井まで届く特大の炉だ。
「イール、少し手伝え」
「は? あ、あたしかい?」
突然呼ばれたイールが、戸惑いながらもアルノーの所へ行く。
アルノーはイールに指示し、閉ざされた炉の分厚い蓋を開かせる。
「メリィの両親がいなくなり、彼女が独りになってしまった頃だ。ワシは死んだ父親から受け継いだこの聖龍の鱗に心血を注いでいた」
どれほどの炎で焼こうが、どれほどの槌で叩こうが、傷一つ見せない輝く銀の金属。
アルノーが聖龍の鱗と呼ぶそれは、彼をおおいに魅了した。
「ワシの爺さんの更に遙か昔から我が家に伝わる金属の塊だ。どれほどの時にも侵食されず、変わらず美しい輝きを見せる。ワシはそれの魔力に染められ、それを溶かそうと必死になった。……それこそ、小さな孫娘を孤児院に入れるほどにな」
「おぉぉぉらっ!!」
分厚い蓋を押し開けて、イールが叫ぶ。
すかさず間にアルノーが太い金属のつっかえ棒を入れて固定する。
中に詰められた石炭の山を、アルノーは大きなシャベルで掘り進む。
「これは……」
そうして現れた物を見て、ララは口を大きく開いた。
それは、まさしくララの知る特殊金属だった。
「空を飛ぶ聖龍から剥落した鱗だ」
「あー、確かにそう見えるかも知れないわね」
アルノーの言葉にララは頷く。
それは、彼女が乗っていた宇宙船の装甲板だった。




