第六十二話「ま、今はあんまり関係なさそうだし秘密よ」
エメンタールの牧場からは細長い道が延びている。
舗装も何もされていない砂利混じりの土道は、しかしララたちが三人並んでもまだ余裕があるほど幅が広く取られており、そこには轍が深く刻まれている。
途中で翡翠屋に続く小道と分岐して、その道は更延びる。
やがて町を正面に見下ろす所までやってくると、道は幾重にも重なる葛折りの坂道となってハギルの裾野を下っていく。
「うーん、真ん中を飛び降りたいわね」
「そんなことができるのはお前くらいだよ」
鋭角に曲がる道をてくてくと下りながらララがぼやく。
ハギルの斜面には背の高い木がそれほど見られず、遙か下方に広がる町までを真っ直ぐに眺望することができる。
そうなると緩やかな坂を伴って折れ曲がる道を丁寧になぞって歩くことが、ララはどうにももどかしく感じた。
とはいえ道を無視して真っ直ぐに下ろうものならその傾斜はかなりの難路である。
道と道の間は険しい崖となり、おろし金のようにゴツゴツとした岩肌が露出している。
ナノマシンにより身体を大幅に強化したララなら踏破できるかもしれないが、それではとてもではないがイールとロミがついて行けない。
「むー、せめてエスカレーターを付けたいわ」
「はいはい。何言ってるか分からんが、なんとなく馬鹿なこと言ってるのは分かる」
唇を尖らせ遠いハギルの町並みを睨むララ。
イールは彼女の呟いた言葉の意味こそ分からなかったが、それが随分と突拍子もないことなのだろうという予想はついた。
「ロミは歩くの苦じゃないの?」
ララは隣を歩くロミの顔を伺う。
朝日を反射して輝く緩やかにウェーブした金髪の隙間から見える彼女の額には少しの汗も滲んでいない。
表情も明るく、疲弊している様子は見受けられない。
「お散歩は大好きですし、あまり歩く事が嫌いと思ったことはないですね」
彼女は足取り軽く踏み出して無邪気な笑みを浮かべて言った。
向日葵のようなその純粋な笑みに、ララは心に溜まっていた不純な感情が浄化されていくのを感じる。
「ロミって良い子よね……」
「ふぇ!? な、なんですかいきなり」
思わず転び出た言葉に、ロミはぱっと赤面する。
そんな様子も初々しくて可愛いと、ララはまるで娘を溺愛する父親のような目をしていた。
「ララの方が年下だろうに、何を言ってるんだか」
によによとだらしなく頬を緩めるララを見て、イールはため息交じりに言う。
一見すればロミが姉でララが妹の姉妹のようにも見えるが故に、二人のやりとりを見ると奇妙な感覚にとらわれてしまう。
「それはそうと、イールが剣を預けたいっていう鍛冶師はどんな人なの?」
「いかにも頑固そうな偏屈爺だ。剣は野晒しで放り出してるし、人と話すときの態度も悪い」
「なんか悪評ばっかりなんだけど、大丈夫なの?」
「それを全部帳消しにできるくらい、技術は確かなんだ」
どこか悔しそうに語る彼女の横顔を、ララはぼーっと見つめる。
ララの使うハルバードは、彼女がナノマシンを駆使して作り上げた唯一の物だ。
彼女にはどのような剣が素晴らしいのかは、よく分からない。
またイールや他の剣を持つ人々のように、それに誇りを重ねている訳でもない。
それでも彼女たちの胸の内にある熱い思いは、それとなく感じることができた。
「なんだか、一つの事に熱中できるというか、魂売り渡せるのは素直に尊敬できるわ」
「尊敬するような表現じゃなくないか?」
「そうかしら。命よりも大切な物を持つのって、凄くいいことだと思うわよ」
それはララの本心だ。
己の全てを賭してでも手に入れたい物。
たとえそれ以外の全てがどうなっても構わないと思える物。
あるいは、存在価値と言ってもいいような物。
そう言った己の柱とも言うべき物を持つ人は美しいとさえ思えた。
「ロミの場合は、それは魔法になるのかしら?」
白杖を突いて歩くロミの方を見てララは首をかしげる。
「そうですね……。確かに、わたしは魔法が自分の中心にあると思ってます」
彼女はそれほど悩むこともなく即答する。
ロミにとっての魔法とは、己を流れる血のような物なのだろう。
では、果たして。
ララの身に流れる血は――
「さ、町に着いたぞ」
「あれ、もう着いたの?」
「ララが一番急かしてたんじゃないか……」
気が付けば三人は町の外縁にある小さな広場に立っていた。
まるで時間が飛んだような感覚に、ララは驚く。
斜面を突っ切って行きたいとぼやいていた彼女のそんな様子に、イールは半眼で腰に手を当てた。
「それじゃあ件の鍛冶師の所まで案内するから、はぐれないようにな」
「はい! 楽しみですね」
「わわ、もうちょっとゆっくり――」
「ほらほら、早くしないと置いてくぞー」
きょとんとしていたララがはっと気が付くと、イールとロミは往来に紛れようとしていた。
彼女はぱたぱたと駆けて、人の海のなかを縫って追いつく。
「全くもう。突然早足になるんだから」
二人に追いついたララはぷっくりと頬を膨らませる。
イールは悪びれること無く頭を掻くと、ララの手を握った。
「迷子にならないようにちゃんと繋いでおかないとな」
「私は迷子になんてならないわよ!?」
まるで親子のような二人の様子を、ロミは口元を隠して見ていた。
そんな他愛ない会話に花を咲かせつつ、一行はイールの先導でハギルの町中に根を張る入り組んだ路地の一つに入る。
大通りの活気も遠ざかり、途端に暗く陰鬱な雰囲気に満たされる細長い道を三人は歩く。
「ほんとにこんな所に工房なんてあるの?」
ララは周囲を見渡して、訝しげにイールを見る。
イールは心配するなと彼女の銀髪をぽんぽんと叩く。
「そう急がなくても、すぐに見える……。ほら、あそこだ」
丁度タイミング良くイールが口を開いたとき、件の工房は見つかった。
相変わらず一見するとただの廃屋だが、軒先に出された空き樽の中に錆び付いたり刃の曇った剣が無造作に刺されている。
「あー、確かに雑な扱いですね……」
イールの言葉は正しかったのだと、ロミは開いた口が塞がらないようだった。
剣にそれほど詳しくない彼女でも、この扱いが拙い物だということくらいは察することができる。
「剣自体は素晴らしいんだよ。剣自体は」
言葉を強調しつつ、イールは残念そうに言う。
これほどの名剣を錆び付かせること無く、然るべき場所に出したらいかほどの価値が付くのか。
それは想像に難くない。
「ふんふん。ここがねぇ……。へぇ」
「どうしたんだよ。なんか妙な声を出して」
ララは路地や樽、閉ざされたドアなどをキョロキョロと眺めると、一人得心がいったように何度も頷く。
その顔には隠しきれない笑みが浮かび、何かを考えているようだった。
「ま、今はあんまり関係なさそうだし秘密よ」
「なんだそりゃ」
ララは唇に指を当てて、可愛らしく言う。
イールは首を捻りながらも特に追求はせず、ドアを叩いた。
「おーい、いるか? あたしだ。昨日来た……。あ、名前は言ってなかったような」
「えええ、名前も言わずに出て行って、明日また来るとか言っちゃったの!?」
「う、うるさいな! ちょっと興奮しててそこまで頭が回らなかったんだよ!」
どこか肝心なところで抜けているイールは頬を微かに赤く染めて、半ば八つ当たりのようにどんどんとドアを叩く。
「おーい! いないのかー?」
「だぁあああっ!! うるさいな! またお前かっ!!」
どんどんと叩いていると、またドアが急に開いて老人の苛立った声が路地に響く。
「これ、お爺さんが偏屈なんじゃなくて、単純にイールの行動が拙いんじゃないの?」
「うーん、今の段階ではちょっと判断できないですが……」
少し不安になってきました、とロミは目を線にして頷く。
そんな二人の目の前で、ドワーフの老人とイールは互いに激しく言葉を交わしていた。




