(八)
「決定的な要因は、正室候補として送り込まれてきた沙紀姫だろうね。
家柄、品格ともに申し分のない女性でね。御鷹姫のことは何も知らされず、隆都を未来の夫として尽くす、あの当時としては典型的な政略結婚の道具だった」
「藩主隆都を愛していたんですね。御鷹姫は。
思うように会えず、金髪というコンプレックスと愛情にさいなまれて、錯乱していった……」
卓の上で組んだ拳を、騎道は堅く握った。
「結果。御殿に火を放ち、藩の土台をひっくり返す大火を招いた」
春日は平坦に後を続けた。
大火は、ほんの一晩のことだった。
だが、三日三晩燃え続けたかのように火は走り、恐ろしい勢いで森林の半分以上を焼いた。その激しさは、火龍が狂気にのたうちまわる様に例えられたほど。
火元である白楼閣の女主人の遺骸は、発見されることはなかった。それだけでなく、彼女が生きてきた証しのすべてが、炎に飲まれ失われることとなる。
紅い火は麓へ麓へと駆け下り、城下を飲もうとさえした。
阻む手立てもなく、呆然と見上げていた隆都、領民の頬へ、明け方の清浄な光とともに、雨が降り始めた。
続く、激しい雨。降り注ぐ天からの滝に、さしもの火龍も息をつき、その目の昼前にはすべてが鎮火したという。
「責めを負って隆都は切腹。お家断絶は免れたが、藩の体制は当時の家老、秋津家に実権を握られる結果となった。もともと、沙紀姫との結婚を進めたのも秋津家だった」
「彼女はなぜ、御鷹姫の菩提を弔ったのですか?」
「たぶん責任を感じたのではないかな。自分が操り人形としてここに送り込まれたことが、すべての発端になったのだと知ったのだろう。
そのまま京へ戻り幸福な結婚を選べばよかったものを、実家の支援をとりつけてここに居座ってしまったよ。
私財を注ぎ、商人たちを取り込むことで、ここでの影響力を不動のものとした。当時の商人たちの中で、現代にまで隆盛を保っているのは、三橋家くらいのものだ。
すべての裏も表も知った上で、尾ひれ端ひれのような噂を追いかけ、御鷹姫の忘れ形見も探し出し大切に育てた」
「彼女も隆都を愛していたんですか?」
「さあね。確かなところは不明だ。言い伝えや美談としては、そういうことになっているが。恋文の一つも残っていない。だが、そういった感情無しの行動とは思えないね」
騎道は首を降った。
「愛していた、それだけでしょうか? 僕には信じられない。沙紀姫は藤井家の祖先ですよね? ならば、縁遠いといっても公家の姫君だ。プライドもあるはずです。それとこの醜聞とを秤にかければ、この地を逃げ出した方が威厳を守るためには正しい道だと思います。
何かあったのではないんですか?」
驚嘆ぎみに、春日は騎道を見た。
「君は、ずいぶんと色々なことを知っているんだね。どうもさっきから、妙な違和感があったんだが。そのせいか」
「?」
「父と問答しているような気になるんだ。
あの人は、僕がちゃんと勉強をしているか確かめるために、わざと自分の知り尽くしていることに関して尋ねるんだ。
世間話の続きみたいに、僕にだけどんどんしゃべらせて、自分の知識とあっているかを確かめる。それにね、似ていると思って」
騎道はそれには答えずにいた。
「無論、君がかまをかけているのとは違う。僕が言いたいのは、君があの当時の仕組みやカラクリを、年齢に不釣合なくらいよく承知していることだ」
「それに関しては、種明かしはできません。秘密なんです、誰にも」
思慮深く公正な態度の春日に、騎道は好感を抱いていた。
だから、正直に答えた。案の定、落胆もせず、春日は話しを先に進めた。
「わかった。
よし。ここまでが、この街に伝わる表の歴史だ。
地方史研究家としての僕が語れる全てだね」
ニヤリと笑った。
「ここからは、街の物知りお兄さんの噂話しと思って聞いてくれ。でないと、僕の地位を失ってしまうからね」
軽い足音がして、佐倉千秋が現れた。
「おじさん。食器を下げに来ました」
「うん。いつもすまないね。姉さんに、よろしく言っておいてくれる? 煮付け、うまかったって」
乾いた制服を騎道に渡し、佐倉は母屋に帰っていった。
「と。おめつけ役がお休みになったところで。
騎道君、飲めるだろ? ここに一人で住んでいるとね、気楽だが晩酌をするにはつまらなくて。ビールがいいかな?」
広げた資料を避けながら、春日は立ち上がった。
「いえ……、僕は……」
「付き合ってくれよ。例の田崎って奴じゃ、今一つ気に食わなくてさ。目付きがあいつ悪くて、酔えないんだよな。
なんかこっちに恨みでもあるのかと疑りたくなるよ」
……心当たりは、なくはない。佐倉一筋の田崎には、おじとはいえ、佐倉と親しい若い男の存在は誰であろうと『敵』なのだ。
「日本酒もあるし、ワインもウィスキーもなんでも有りだ」
「……あ、はぁ……」
春日の目の輝きからすると、かなりの酒豪らしい。
断りきれないだろうし、悲劇の後味の悪さを洗い流すには最適かもしれない。
台所をのぞきこみ、騎道は手を貸すことに決めた。
水割りにウィスキーを継ぎ足して、春日は騎道にグラスを返した。
「白楼閣大火の直後から、街には異常な事件が頻発した。
どれも、御鷹姫の怨霊の祟りだと言われてね、藩の内政も傾く不安も手伝って、領内はパニック状態に陥った。
幕府の裁きを待って謹慎中の隆都は、それを憂えた。
当然だ。最愛の女性が、死してなお魂を押さえ切れずに嘆き狂っているとすればね。
隆都は憂えた末に、御鷹姫の鎮魂を試みた。
藤井家には白楼講、白楼陣といった方位占術が伝わっているが、その基礎となるものをこの街に持ち込んだのが沙紀姫だ。知っているかな?」
はい、と返して、騎道はぺろりと水割りをなめた。
さっきから一口飲む度に、継ぎ足してくれるので、すでに水割りではなくなった代物である。顔に似合わず、春日の方はストレートでグラスを干していた。そのくせ、一滴も飲んでいないという顔をしているのだから、困る。
「彼女は隆都の頼みを受けて、この地に残り御鷹姫の怨霊を鎮める為に手を尽くした。おそらく、これが事実ではないかと思っているよ」
「けれど、御鷹姫の霊は完全な眠りを得てはいませんね」
「うん……。それにね。秋になると御鷹姫の霊がうろつきまわる、というだけじゃないんだ。
彼女は生まれ変わって、生身の体を手に入れる。
もうすでに何人も、その犠牲になっているんだよ」
「! ……転生……ですか?」
「完全なものではないらしい。彼女たちは、時折錯乱状態に陥って、周囲には意味不明のことを口走るそうだ。
まるで御鷹姫のように。藩主隆都を求めたり、死産したわが子を返せと泣き叫んだり。呪詛を口走るそうだ。
そうやって亡くなるのは、藤井の血筋の女性だけだ。
二十七歳の秋というのも、御鷹姫とまったく同じ。
なので、御鷹姫の彷徨う魂と見立てて葬ることが習慣になっている。彼女たちは死んでも、慈円寺に眠る御鷹姫の僕として、彼女の墓に連座しているよ」
騎道の脳裏で、広い参道に連なった墓碑がひらめいた。
これで、すべてが繋がり始める。あの墓の一つ一つの主たち。真新しい墓の住人となる、そう思い込んでいる藤井沙織の意図。彼女の覚悟が。
「惨い話しだね……。
一体、一六六六年の秋に何が起きたのか。この時代に頭を突っ込めば突っ込むほど、僕は知りたくなるよ。
彼女をここまで狂わせた動機が何なのか。その衝動が生まれる瞬間を知りたいというのは、僕ら歴史家の罪深さかも知れないがね」
一人自分に、苦笑いを春日は浮かべた。
青ざめてゆく騎道の頬を、彼は見逃した。
一六六六年秋の大火。御鷹姫の狂死。
一人の女の最後の祈りを知りたいという春日の欲求は、永久に適えられることはないだろうが。
騎道は、それでも胸が騒ぎ、平静さを失った。
琥珀の液体を静かにあおり、息をついた。
「……彼女の命日は、現在でいう11月15日ですか?」
「ああ。稜明学園の生徒なら、くわしいはずだな。
白楼祭の行われる日だ。
今年の鎮魂祭は、君も見学するんだろう?」
ここで行われる奉納舞は、全学園生徒が見学することになっている。今年の舞い手は藤井香瑠。それ以前は、何も知らずにいた、沙織だったはずだ。
「せいぜい、彼女の冥福を祈ってやってくれよ。
もう二度と、不幸な転生者が生まれないようにね……」
……光輝……! 僕らは間違っていたんだろうか……!?
騎道の中の記憶が、叫び始める。
それに飲み込まれないように、騎道は再び満たされたグラスに口をつけた。
「極最近、転生者として亡くなった方をご存知ですか?」
「たしか、大正時代だな。名前は、田上遥子。他の女性たちと同じように、狂死している。ただ、この件は当時ちょっとした問題を起こしたんだ」
「いったい、どんな?」
「転生者は、藤井家に所縁の女性だけのはずだった。
なのに、彼女はそうではなかった。親類縁者のない天涯孤独な人だった。あきらかに御鷹姫としての狂死だというのに、藤井家の者でないのはおかしいとね。
なので、しばらくは埋葬することもできずにいたらしい。
だが、あの頃の慈円寺の住職が調べてくれてね。田上遥子もまた、藤井家の女性であることがわかった。
……彼女は家の反対を押し切って、好きな男と駆け落ち同然で出ていったのだそうだ。なので縁を切った。しかし、血脈の縁までは裁つことはできなかった」
「結婚、していたということは、彼女には子供がいたんですか?」
「ん……。いたと思うが、変なんだよ。親父の記録には残されていないんだ。役所で調べれば簡単にわかると思うんだが。ああ、これが彼女の写真だよ」
無造作に差し出された写真。セピア色の田上遥子の肖像が、騎道にすべてを語りかけてきた。
「!」
目を見張った騎道。酔いの回り始めた春日は、うっとりと呟いた。
「美人だろ? 今の時代でも、美人で通るよ。これなら」
あの当時としては最もモダンな、白いノースリーブのワンピース。たぶん、藤井家でお嬢様として大切にされた頃の写真だろう。初々しい女学生の笑みを浮かべ、大きめの瞳でこちらを見つめている。
その瞳も、鼻筋も、くっきりとした眉、丁寧に櫛ですいてあるが伸ばしきれない髪のくせ。すべてが瓜二つだった。
飛鷹彩子。今のままの彼女が、そこに居た。
夜も更けた。雨足に変わりはない。
凄雀は帰りの運転を考えて、杯を伏せていた。
とつとつと住職が語る長い歴史。そのどんな悲劇も、凄雀の表情を変えることはなかった。
「御鷹姫の転生者は、藤井の血族のみに限られます。
先程お会いになった、藤井のご長女殿とは、幼い時分から面識がありましてな。墓参の折には、臆せず慕って下さいました……」
住職は、言葉を続けられずに頭を降った。
凄雀が後を引き取った。
「生気を失っていますね。余命は幾許もないのでしょう。
本人もそれを承知の上。怯え逃げ出す愚かさのないことは、見上げた気丈さです」
「……やはり、お察しなされたか……。
打ち明けて下されたのは、去年の冬でした。今年は21。長くても5、6年の命と、淡々と話された時には、こちらの方があの方の気の確かさに言葉を失いました。
その後に、別人の顔立ちで現れたのにも、正直、驚きました。例え短い命でも、燃やし尽くせる相手に巡り合えたと、誇らしくおっしゃった。
金髪の、こちらもまた若い龍の化身のごとき若者を伴っていらっしゃいました」
「それが久瀬光輝。奴は、住職に何か言い残しませんでしたか? かなり礼を失っした物言いを」
「転生の連鎖など断ち切ってみせると。みすみす死なせはしないと、後に一人で現れ豪胆に笑って帰りました」
その時の、久瀬光輝の肝の太さを思い浮かべて、住職は微笑みかけ、苦笑いに変えた。
「……。その上で、この様か……」
吐き捨てた凄雀の心中を察して、住職は黙って視線を暗々とした戸外の闇に転じた。
一人の誓いを交わした男が逝っても、また一人、若い龍の化身のごとき少年がここを訪れた。
望みはある。沙織を救う手段は残された。
目前の青年は、その方法を示してくれるだろう。
激しい闘争となるだろう。三百年以上の時を越えた、魂と願いの攻防に、彼等は身を置くこととなる。