第一話 地獄の底の出会い
この世は地獄だ。
そう、信じてしまうほどには我が身に降りかかったことは悪夢すぎた。
マクシミリアン伯爵家令嬢、ダリア。16歳。
それが私。ううん、今日までの私、ということになるのだろうか。
なぜなら今日、私は死ぬのだから。
思えば、冴えない人生だった。
伯爵家令嬢として生まれたことは、まだ幸運だったかもしれない。
だがそれ以外は極めて平凡だった。
パサつきやすい赤毛の髪、早くに目を悪くしてかけるようになった大きな眼鏡、色気の欠片もない身体付きに、引っ込み思案な性格。
どれも社交界受けするものではなかった。だからいつも隅っこで自信なさげにうつむいていた。
そんな私に転機が訪れたのは三年前。王太子クリス・エンゲベルト殿下の婚約者に指名されたことだ。
本来、王太子の婚約者はもっと早くに決まっているものだ。クリス殿下の婚約者も幼少期に決まっていた。
だがその婚約者だった公爵家の姫君が、病で若くして儚くなったのだ。
不幸な伝染病だった。
これに慌てたのが王室と、クリス殿下を王太子として推す貴族の一派だ。
クリス殿下は第一王子だが、殿下は三人兄弟。年も近く、弟殿下たちも優秀だった。
小さなシミだろうと見落としていては、王太子の座をほかの王子に取って代わられる。
そう危惧した第一王子一派は、早急に自分たちの派閥から新しい婚約者を宛がおうと焦った。だが多くの殿下と同じ年頃の令嬢は、ほとんどが婚約者のいる者ばかり。
そこで白羽の矢が立ったのが、王太子殿下と年が近く婚約者がいなかった私だった。
伯爵家令嬢だが、父は軍部の重鎮である将軍で、王太子の婚約者としてそう悪くはない相手だったらしい。
そんなわけで急遽王太子の婚約者となった私は死に物狂いで王家のしきたりやマナーを身につけた。本当に死に物狂いだった。だって私がしっかりしなければ父の顔に泥を塗るのだ。
そう、努力した。華やかな容姿の殿下に少しでも相応しい令嬢になれるよう努力した。
でも結局凡人の努力など、美しいものを見飽きた殿下には無意味だったのだろう。
いつからか、殿下のそばに女の影がちらつくようになった。
私と違って艶やかな美少女と評判の令嬢が、そのそばに侍るようになった。
男爵令嬢イリーダ・クリフ。
煌びやかな金髪の彼女は、あっという間に殿下の心を攫っていった。
「ダリア・マクシミリアン!
美しいイリーダに嫉妬し彼女を貶め加害した罪でお前との婚約を破棄する!
そしてイリーダを加害したかどでお前を処刑する!」
そう、殿下は夜会で、公衆の面前で私に言い放った。
自分に寄り添うイリーダの腰を抱きながら。
全く、身に覚えがない。嘘。全部嘘だ。そんな嘘を、殿下は信じたというの。
絶望に膝を折った自分を気遣う振りして身を寄せたイリーダは確かにこう言ったのだ。
「馬鹿なクリス様のおかげで、あなたは死ぬのよ。
クリス様ったら、あたしの作った嘘の罪を全部信じてくれたんだから。
マクシミリアン将軍が謀反を企てているという嘘も信じて、近く家宅捜索が入る予定よ。
そうすればあなただけでなく、あなたの家族も皆処刑でしょうねえ」
そうくすくすと笑った彼女は続けてこうも告げた。私の手に小さな紙に包まれたなにかを握らせて。
「これをあげる。致死量の毒薬よ。
クリス様に言って、あなたがこの毒薬で自害すればあなたの家族と家は罪に問わないとお約束いただいたわ。
だから、家族の命が惜しければ自分で死ぬのね」
手の中にある紙、この中見が毒薬なのだと知った時にはイリーダは私から身を離して殿下のそばに戻り、悲しげな顔をして「殿下、それはあまりにお可哀想ですわ。人間なら誰しも気の迷いというものがございます」などと言い、殿下から「君は優しいな」などと賛辞されている。
私はもう、立ち上がる気力もなかった。
そして私は今、マクシミリアン伯爵家の自室にこもっている。
部屋の扉を叩く音がする。両親と姉だ。
「ダリア! 馬鹿なことを考えるんじゃない!
お前が罪を犯したなど、なにかの間違いだ! 冤罪に決まっている!
だからお前が死ぬことはないんだ!」
「そうよ! 王太子殿下の言葉を真に受けては駄目!
あなたを処刑するなんてそんなの無理よ!
だから絶望して死ぬことはないのよ!」
「ダリア! やめなさい!
わたしはあなたを信じているわ!
だから死ぬなんてやめて!」
みんな、私を心配してくれている。今日の夜会で婚約破棄を言い渡された私を見た誰かから、私が自害しそうだと教えられたのかもしれない。
帰宅するなり部屋にこもった私を見て、そして扉を叩いても出て来ない私を見て、私が自害する気だと確信したのだろう。
ごめんなさい。お父様、お母様、お姉様。だけど、私が死なないとこの家が、みんなが。
私は手の中にある小さな毒薬を見つめ、零れそうな涙を堪えて毒薬を飲み干す。
致死量の毒薬というのは事実だったのだろう。
すぐに意識が遠くなり、そして──。
私は、気づけば一点の光も差さない闇の底にいた。
「………ここは」
戸惑って呟いた声もあまり響かない。
ここはあの我が家の部屋ではない。家具もない。灯りもない。心配する家族の声もない。
じゃあ、ここは、どこ?
「……地獄だったりして」
思わず呟いた瞬間、不意に視界の向こうに淡い光が見えた気がした。
その光に惹かれるまま、歩き出す。すると徐々に光が濃くなってきた。
近くまで来て、それが光ではなく人間だと気づいた。
一点の色彩もない真っ白な髪、病的なまでに白い肌、白いスーツに金色の瞳の世にも美しい男性が灯りもない空間で新聞を読んでいた。
「…………あなたは」
「……………ふん、あなたは、だと?」
擦れた声を漏らした私に、彼は鼻を鳴らし、新聞を閉じるとこちらに視線を向ける。
「そういう時は、先に自分から名乗るべきなのだ。礼儀も知らんのか」
「あ、ご、ごめんなさい! 私、ダリア・マクシミリアンです!」
「はっ、大方その名に大きな飾りのついた貴族かなにかだろうさ。
貴族共と来たら、我らを顎で使うしか能がない。知略もなにもない阿呆どもだ」
もう一度鼻を鳴らし、彼は(なにかに座っていたが闇色でなにかはわからない)立ち上がるとこちらを見下ろす。
「で、なにをして地獄に落とされた? 小娘よ」
「………………やっぱりここ地獄なんだ」
「知らずに地獄に落とされたか? 愚かな娘だ」
「……………知らずも、なにも、罪なんか、犯してないし」
男に嘲笑され、思わず瞳が潤んだ。ずっと堪えていた感情が決壊したように、私はその場に座り込むと大泣きし始めた。
「そうよ私なにもしてないもん! イリーダを苛めてないし加害なんかしてないし!
なのに処刑って! なによ殿下の馬鹿イリーダの嘘全部信じて!
仮にも婚約者だったのに私のことなんかちっとも、ちっとも信じてくれない~~~!」
そのままわんわん大声で泣きじゃくる私を前にして、その男性は顔をしかめた。
「おい、待て。これは私が悪いのか? 待て。うるさい。少し黙れ」
「黙ってられないから泣いてるんです!
冤罪で毒を持たされて家族を処刑されたくないなら死ねって言われた私の気持ちわかる!?」
「そんなものは知らん。そう追い詰める側の気持ちならばわかるが」
「うわーん悪人だあ!」
もう号泣である。もう投げやりだった。いいじゃないか死んだ後に自暴自棄になっても。
泣きわめく私に、しばらくその男性は「黙れ」だの「うるさい」だの言っていたが一向に泣き止まない私にうんざりしたのか、深いため息を吐いた。
「……………状況を整理する。
つまりお前は婚約者の王太子に言い寄った男爵令嬢イリーダ・クリフの嘘によって、罪人にされ処刑されたくなければ自害しろと毒を持たされたのか」
「…………そう言ってます」
「それははったりだな」
きっぱり、とその男性に言い切られて私は彼から渡されたハンカチで目元を拭いながらきょとんとした。
「はったり?」
「お前を嘘で貶め処刑させようとするような女が、名誉を守るための自害など勧めるはずがない。私の国の貴族の力なら、嘘で証拠がなくとも平民を処刑させることくらい造作もないが、お前の国ではどうかわからん。
つまり、実際にはその女の嘘だけではお前を処刑出来ないから、さも処刑が実行可能、その上家族まで人質に取っている、という嘘を吐いてお前を自害させたわけだな」
まるで見て来たように語った男性に、私はその場に座り込んだまま目をぱちくりさせた。
そういえば、イリーダがどう言ったのかわからないけど、証拠のない嘘だけで貴族を処刑させることって出来たっけ……。出来ないかも……。
物的証拠があったとしても、王太子が惚れてるだけの男爵令嬢を加害した罪、で伯爵家令嬢を処刑は、ちょっと、無理ゲーが過ぎないでしょうか。
お父様の謀反の証拠を、というのも嘘だった場合、完全に無理。
「あれ? 私騙された?」
「今更に気づいたか愚か者」
思わず頓狂な声を漏らしてしまった私に、男性は腕を組んであきれ顔、というか路傍の石ならぬゴミを見る目で言ってきた。はいゴミです。
「あれ、ていうかなんか、私のものじゃない記憶が蘇ってきて……………………私、異世界転生しちゃった?」
「は?」
ふと、先ほどこの男性が口にした「私の国では」という言い方がきっかけでなにか記憶の蓋が開いたみたいで、突然沢山の記憶があふれ出してきた。
そうだ。私は日本生まれ日本育ちの日本人。そして亡くなって、記憶がないままダリア・マクシミリアンに転生して今日まで生きて来た。
「自害した後に日本人だった頃の記憶を思い出すって私……」
「日本人?」
「ああ、あの、はい、私どうも異世界転生したらしくて、元は日本人だったんですが………………今すっごい流暢に『日本人』って発音しましたがあなたはもしかして日本人知ってますか?」
「私は英国人だ」
「えっ、まさかの同じ世界出身!?」
「同じ世界と言っても、私はフィクションの世界の出身だがな」
そう自身の胸に手を当てて、男性は言う。名乗る。
「フィクションの世界って」
「我が名はチャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン。
シャーロック・ホームズシリーズに登場する脅迫王だ」
そうカツン、とどこからか生み出した杖を真っ暗な地面に突いて不遜に男、もといミルヴァートンは笑んだ。
「ミルヴァートン!? ホームズシリーズの!?
人の弱みを握って脅迫して破滅させるのがなにより好きな脅迫王!?
あの最後は自分が脅迫した女性に殺されるお馬鹿な脅迫王!?」
「その脅迫王だ。要らんことまで思い出さなくてよろしい」
ミルヴァートンは不服そうに鼻を鳴らすと、「まあいい」とため息を吐いた。
「私とて、私をあの結末に描いたアーサーには言いたいことが山ほどあるのだ。
この地獄で自分の描いた新聞を読みふけるのも飽きた。
おい小娘」
「ダリアです……今は……」
「ダリア。私が愚かな貴様の復讐の手伝いをしてやってもいい。
その代わり、私をこの地獄から連れ出せ」
居丈高に私を見下ろしたミルヴァートンはぽん、と手のひらに丸眼鏡を生み出すと顔に掛け、総白髪の髪を軽くかき上げる。
「いや、そう言われましてもですね。私は死んだのであって」
「どうだかな。私のような悪人に神は微笑まないが、貴様のような愚のつく善人には多少の便宜を計らうものだろう。
そら、貴様の国のある書物で、地獄に降りてくる糸をなんと言った?」
「……地獄に降りてくる糸って言ったら、蜘蛛の」
そう口にした矢先、頭上から光が降り注ぎ、長い一本の糸が私たちの間に垂れ下がってきた。
私がぽかんとしている間に、ミルヴァートンがその糸に手と足をかけてしまう。
「あっ、ちょっと待ってください置いて」
行かないで、と言い終わる前にミルヴァートンがこちらに手を伸ばしてきた。
「なにを間抜け面を晒している?
蜘蛛の糸は相手を蹴落とせば共に落ちてしまうものだろう?
ならば相手を救おうとすればいい。さあ、来い」
「……あ、はい」
私はぽかんとしたまま、彼の手を取る。するとそのまま抱き寄せられた。
密着した身体の、たくましい男性の身体に思わずドキッとしてしまう。
だって仕方が無いじゃないか。前世は男性経験がないまま死んじゃったし、今世でも婚約者の王太子殿下とは手を繋ぐ以上のことはなかったんだから。
私たちが掴まると、そのままするすると糸は空に昇っていく。
真っ暗な地面に残されたあの新聞が、光っているような、気がした。
「ダリア!」
大きく自分を呼ぶ声で目を覚ました。
瞼を開けた私に、ベッドの脇に立っていた両親と姉が信じられないように目を瞬いた。
「……あれ、お父様、お母様、お姉様」
むくり、と起き上がった私の寝ぼけ眼を見て、三人は涙を浮かべると力一杯私を抱きしめた。
「ああ、ダリア……! 夢のようだ! お前が生き返るなんて!」
「本当よ! わたしたちが発見した時にはお前は息が止まっていたのよ!」
「ああ、神様! 感謝します!」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられて、ちょっと苦しいけれど温かい家族の身体を感じて私も瞳を潤ませる。
「ほら、ですから私にお任せくださいと言ったでしょう?」
だが不意に響いた男の声に、私の息が一瞬止まった。
両親と姉は声のしたほうを向いて、感極まった表情で「ああ、先生ありがとうございます!」とお礼を言っている。
ベッドから少し離れた場所に座っているのは、あの男、ミルヴァートン。
地獄で会った時と変わらぬ、真っ白な髪、病的なまでに白い肌、金色の瞳に真っ白のスーツに眼鏡という出で立ちだ。
「瀕死の娘を助けてくれるなどと言って急に屋敷に訪問してくるからなにかと思って疑ってしまい申し訳ない!
この通り息の止まっていた娘を助けてくださって、感謝致します!」
「滅相もない。ご息女が助かってなによりです。
それで、異常がないか確認したいので少しの間患者と二人きりにしていただいても?」
「は、はい! 騒いでしまい申し訳ありません!」
うわあ、詐欺師だ。地獄で出会った時の嘲笑顔が嘘のような善人スマイル浮かべてる。面がいいから大概の人間騙されるぞ。そう内心思っている私を余所に両親と姉は部屋を出て行き、室内には私とミルヴァートンのみになる。
「なんていうか、……手慣れてるね。騙すの」
「あの程度の善人、騙せなくてなにが脅迫王か」
率直な感想を口にしたら先ほどの嘘くさいほど美しい作り笑いを取っ払って、冷淡な顔でそう答えてくれた。はいはいそうですね。
「それで、あの、私の復讐を手伝ってくれるって」
「言葉のままだ。お前を悪役に仕立て上げた小娘の嘘を嘘と暴いてやる」
「で、でもみんな信じ切ってたし、証拠があるのかも……」
「あったとして、それは作った嘘の証拠だろう?
ならばどこかに矛盾がある。それを崩すのは容易い。
いいか、人を破滅させるのが我が本懐。我が名は脅迫王チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン。
その名の通りに、お前の敵を破滅させてやろうではないか」
そう不遜に、不敵に笑んだ顔に、そのぞっとするような美しさに心臓を鷲掴みにされた気がした。




