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リーガルが暴れてから、イリーナ達はすぐに鍛錬場の中にある応接室に案内された
「本日は時間を取っていただきありがとうございます。エンディオ・レイトン様」
「ちっ。不本意だがな」
イリーナのことは気に食わないが、リーガルのとこは気になるといったところだろうか。エンディオは不機嫌を隠そうともしなかった。
「御託はいい。要件は」
「リーガルおいで」
イリーナはヒナツとユミエルを外で待機させ、今はリーガルしか連れていなかった。今回の話し合いの場には2人は不要だと考えたからだ。
「この子はリーガル。最近私が拾った孤児の子なのですが、どうやらレイトン公爵家が保有するドラゴンの聖印持ちのようなのです。ともなれば、レイトン公爵家にご報告するのは筋であると考え、エンディオ様にお話させて頂きたかったのですわ」
イリーナがそう言うと、エンディオはやはりかというようにため息をついた。先ほどのやり取りでいくらか想像は着いていたのだろう。
「聖印はどこに出ている?」
エンディオがそう聞くと、イリーナはリーガルの背を叩いた。リーガルは分かっていると言わんばかりにその上着を脱ぎ、エンディオに見せるように背を向けた。
右の肩甲骨の辺りにだろうか、黒い紋様と言えるような痣が浮かんでいた。これが聖印。
また、この模様はドラゴンの聖印と呼ばれるものである。
「……近くで見せてもらっても?」
「どーぞ」
若干嫌々といった風にリーガルが許可すると、エンディオはリーガルに近づいた。
「確かにドラゴンの聖印だ。あの身体能力も、この聖印の影響であると考えて間違いないということか」
もういいとエンディオの言葉を聞きリーガルは改めて上着を着直した。
「その節は失礼しました」
イリーナはすぐに謝罪の言葉を口にした。
「すまないが、先程のことは箝口令をしかせて貰った」
「伺ってます。それも含めて失礼しました。私の教育不足でしたわ」
そう。先ほど、鍛錬場で異常な身体能力を見せたリーガルとそれを促したかのようなイリーナの事は他言無用であるとエンディオが手配したのだ。
世間的に印持ちというのは非常に珍しいものであり、いつの時代も時の権力者達が欲してきたような力なのだ。エンディオのように血脈も権力も武力も持ち合わせた人間なら印を持ち合わせていると公言しても問題ないだろうが、リーガルはぽっと出の少年。ドラゴンの聖印持ちとはいえ謀略に巻き込まれない保証はないのだ。
「この子がエンディオ様に飛びかかった時はどうしようかと思いましたが、ここが騎士団の鍛錬場での事で良かったですわ」
正直イリーナはこの後、新聞の一面にリーガルのことが載るかもくらいの覚悟はしていた。が、箝口令が敷かれたことでその心配はないだろう。少なくともしばらくは。
「王には報告してあるのか?」
「ええ。すでにしてあります」
現アーライル王はイリーナの力の事を知っている数少ない人物だ。実はアーライル王とも、王妃とも、王太子や姫までイリーナは仲が良い方だったりするが、ここでは別に言わなくても良い情報である。
「我がサーシェス辺境伯家が後ろ盾として立たせて頂いておりますが、その上でレイトン公爵家にもご報告は必要かと思っております」
「報告に関しては感謝する。では、彼の身柄をどうするかという話に移るが、構わないか」
「え?」
「当然だろう。ドラゴンの聖印は我がレイトン公爵家が保有してきたものだ。我が家の養子として迎え入れ、教育を施したいというのが私の希望だがね」
エンディオの言葉に、イリーナは焦らなかった。なぜならそう言われるだろう事は容易に想像がついたからである。
その事についても事前にリーガルと交渉した時に話してある。答えは簡単だ。
「私はレイトン公爵家がリーガルの後見になってくださっても構いません。ただ、それは私達が決めていい事ではなくこの子が決めるべきことだと思いますわ」
イリーナはリーガルに視線をやる。
「確かにその意見にも一理ある。どうだ君は」
エンディオもリーガルの方を見た。
―――
「俺が決めていいの?」
はじめにイリーナと交渉した時、イリーナはリーガルの意思の絶対的自由を約束してくれた。だけれど、レイトン公爵家の者が同じようにしてくれるかは分からないと聞いていたからだ。リーガルは強制的にレイトン公爵家に連れていかれるのも覚悟した上でこの場に来ていた。だから、エンディオがリーガルの意思を尊重してくれた事に安心すると同時に意外だと思ったのだ。
(見るからに頭の硬そうなおにーさんだもんなこの人)
数日の間イリーナの後ろで様子を見ていた時に得た感想である。自分にも他人にも厳格そうな眉間にシワのよった男。顔立ちは整っているのかもしれないが、その事がさらに恐ろしさを増しているようにもみえた。
「なにか不安や、気になることがあるのなら聞いてもいいのよ。貴方の未来に関わることだもの。よく考えて決めてちょうだい」
「じゃあ、いくつか質問してもいい?」
「構わないわ」
「問題ない」
2人の保護者候補の許可を得れたので、リーガルは疑問に思っていた事を聞くことにした。
「レイトン公爵家に行ったら俺は養子にするって言ってたけど他の選択肢ってないの?俺硬っ苦しいの嫌なんだよね」
「悪いが養子以外の選択肢はないな。お前にはレイトン公爵家に帰属し、公爵家の名を背負って貰う」
予想はしていた答えに、リーガルはため息をつく。今まで孤児として過ごしてきた自分だ。お貴族様の中に入って堅苦しい事をさせられると聞いて嫌に思わないわけが無い。となるとリーガルの答えはもう決まったも同然だった。
「悪いけど、それなら俺はお嬢様についてくよ。お嬢様は俺にそこまで堅苦しい事は要求してこなかったからな」
ここ1ヶ月あまりの時間をイリーナの元で暮らしていたが、不快に思うことはなかった。
「まぁ!ある程度の礼儀は身につけて貰うとは言ったわよ。言っておくけど、サーシェス辺境伯家の使用人のレベルを舐めないでちょうだいよ」
「でもお坊ちゃまになるよりマシでしょ?」
まぁそうではあるかとイリーナは頷いた。
「では、その身体能力強化の力についてはどうするんだ。俺以上にお前の能力に合わせた鍛錬方を提案してやれる者はいない。サーシェス辺境伯家にはドラゴンの聖印のノウハウは一切ないんだぞ」
「その点に関しては私からご提案があるのですがよろしいでしょうか」
「なんだ、言ってみろ」
「エンディオ様にはこの子の師となっていただき、定期的に会って貰いたいのです。元々私はこのお話もするつもりでした」
そう。イリーナの目的はそう言う話だった。リーガルとしては別に師など必要無いと思っていたが、聖印の先達がいるのだからその人に師事を仰いだ方が能力の向上が見込めるとの事だった。そうでなくてもレイトン公爵家にはこれまでに存在したドラゴンの聖印の先達達の書籍類が残っていると想定しての事だ。
「うちのメリットは」
「ドラゴンの聖印を管理下に置けずとも監視下にはおけますでしょう?」
イリーナはさも自信ありげに続ける。
「貴方は受け入れますわ。だって、自分以外のドラゴンの聖印だなんてとっても魅力的でしょう?」
まるでエンディオが断ることを想定していないといった風な言い方だったが、エンディオはこの発言に対して嫌そうな顔をしていないとリーガルは思った。
「いいだろう」
いいんだ。どうにもエンディオはあっさり条件を呑みすぎているような気がしなくもなかったが、何はともあれ条件は受け入れられた。
イリーナの恋のキューピットになるという任務が今達成されたのである。