32
「えっ、今なんておっしゃいましたか?」
イリーナは目の前の老婆の言葉に耳を疑った。
「だから、クリスは死んだよ。1週間かそこらか前だったかな、急に持病が悪化してね」
寝耳に水であった。
ルートン伯爵領から帰宅したイリーナは早速王都に行ってクリスの元を尋ねた。お付きはリーガルとユミエルだ。
クリスは雑貨屋の従業員として働いていたらしく、その店先にいた店主に彼のことを尋ねたところ返ってきたのがクリスは死んでいるという情報であった。
「それは、女神のもとでの安寧を願います。なんといえばよいか」
「なんだいあんたクリスとどんな関係だい?」
「ちょっとした知り合いくらいの関係でしょうか。少し聞きたいことがあったので尋ねたのですが」
老婆は「そうかい」と言うと痛ましげに頭を押さえた。
「いい子だったんだけどね。昔から病弱だったとかでよく医者の世話になってた子だったんだよ」
「そうだったのですね……」
そう言いながらイリーナは内心とても焦っていた。
取っ掛りとして調査しようとしていたクリスがもういないのでは話を聞くことはできない。
「クリスさんご家族とかはいらっしゃらないんですか?」
「うんにゃああの子は独り身だったね。父親はカペラだかにいるって聞いた事はあるけど葬儀にも来やしなかったときいたね」
「どなたか仲の良いご友人などは?」
「さて、あの子の交友関係なんてわたしゃ知らないねぇ」
八方塞がりである。イリーナは頭を抱えるしかない。
「急に持病が悪化したとの事でしたが、なんの病気だったのですか?」
ひょっこりとイリーナの後ろから顔を出したユミエルが老婆に質問した。
「心臓が悪かったとは聞いたが、詳しい病状までは分からないねぇ。そういうことは先生に聞いとくれ」
「クリスの担当医に心当たりは……」
「ないねぇ。あの子はあんまり自分のことは話さない質の子だったから」
うーむと悩むイリーナ達の様子に老婆は段々とイラついている様子だった。確かに買い物もしない客など商売の邪魔だろう。イリーナ達は老婆にお礼を言って店を出る。
「残念だったなぁ」
「まさかの事態ですね」
「クリスが亡くなってるなんて。コレで調査はまた振り出し……。なんでこう上手くいかないのかしら」
「こればっかりは仕方がないですよお嬢様……」
がくんと膝を着くイリーナをユミエルとリーガルが可哀想な人を見る目で見つめてくる。
「無いものはない。仕方がないわ。幸い急ぎの調査ではない事だし、ゆっくり解明していきましょう」
イリーナははぁとため息をついて気持ちを切り替えた。
「さぁ久しぶりの王都よ。お買い物でもして帰りましょう」
そう言ってイリーナが向かったのは屋台などの出店が多く出ている通りだった。この通りはイリーナがよく行く場所の1つでお気に入りの店が多くある。リーガル達もよく連れてくるいつもの場所だ。
「何かほしいものはある?」
「僕はいつものところに行きたいです」
「俺はカロッサの店の串焼き食べたい!」
リーガルとユミエルは遠慮なく自身の希望を述べた。
イリーナはリーガルたちへの労いに躊躇いがない。
イリーナは自分一人では成すことも成せないとしっかりと理解している。普段助けられている彼らには相応の報酬を与えたいと思っているが、現状彼らが求める報酬である金銭は充分に与えている。となるとお礼になるような事といえばこういうちょっとした外出の際の希望を叶えることくらいしかないのだ。
「じゃあカロッサの店から回りましょうか。ユミエルはいつもの古本屋ね」
「はい」
「やったー」
イリーナ達は串焼きを食べ、古本屋を回り、王都の辺境伯別邸へ戻るのだった。
―――
「おかえりなさいませイリーナ様」
辺境伯別邸へ戻ると出迎えてくれたのは別邸の管理人であるコーストだった。
「ただいまコースト。変わりはなかった?」
「ええ。問題なく」
「そう、ありがとう。皆は?」
「今はキッチンで何か作っておられるようです」
「なるほど」
コーストは仰々しくお辞儀すると下がっていった。
イリーナはリーガルとユミエルを連れて応接室にはいる。
外していくアクセサリー類をリーガルが回収し、ユミエルが結いあげたイリーナの髪を解いてくれた。
「リーガルも従僕見習いが身に染みてきたわね。あとは口がちょっと悪いのを直せばご令嬢の護衛兼従僕としては満点ね」
「うっ、きをつける、、きをつけます」
「まぁ、私はそんなの気にしないからリーガルの楽な喋り方でいいわ。人前ではしゃんとしてね」
「はぁい」
「リーガルこれもお願いします」
そう言ってユミエルは銀の髪飾りをリーガルに差し出すと、櫛で丁寧にイリーナの髪を梳かす。
「今日の髪型はミーチェですね?彼女編み込みが複雑なのでとるの大変なんですよね」
「正解。ユミエルも昔に比べたら髪を解くの上手くなったわね〜。
よくボサボサにされてたのに」
「へ〜そうだったんだ。ユミエルって手先器用そうに見えるのに」
「いつの話ですか」
ユミエルは昔の話をされて恥ずかしいのかチャキと丸メガネの位置をなおした。
「ユミエルはいつからイリーナ様にお仕えしてるんだ?」
「僕はせいぜい2年くらいでしょうか。リーガルがくるまでは僕が新参物でしたよ」
「あれからもう2年もたってるのね。ユミエルも立派になったわね」
「僕は、まだまだですよ。お嬢様のお役に立てるよう精進します」
イリーナとしてはユミエルの力には大いに助けられているのだが、本人は自分に厳しい質であるので満足していないのだろう。
(もっと労ってあげないとね。ユミエルは自分を追い詰めがちだから……)
そんな事を考えていると応接室のドアが開き賑やかにヒナツ、ミーチェ、パティが入ってくる。
「おじょーさまおかえりなさーい」
「もう帰ってきてしまいましたの?早いですわ」
「おかえりなさい。確かに早かったですよね。収穫はあったんですか?」
帰るのが早かったと言われてイリーナはうっと忘れていた問題を思い出す。
「それがねぇ……」
「詰みですよ詰み」
「壁にぶち当たったってとこだよなぁ」
キョトンとするヒナツ達にイリーナは出先でなんの成果も得られなかった事実を伝えるのであった。
イリーナの目星は壊滅的なので本当に皆が居ないと何も出来ないです。まじで。