終章 返事
模擬戦から一月あまりたった、中秋の初め。秋の「実りの宴」の夜、樹の村の広場には、灯がいくつも揺れていた。
村で最も古い大樹、親木のまわりに村じゅうの者が集まり、それぞれの家から持ち寄った食べ物を並べる。木の実の焼き菓子、茸の汁、燻した猪の肉、山葡萄の酒。子どもたちが吊り橋の上を駆け回り、年寄りたちは親木の根元に腰を下ろして、今年の実りを数えている。雨の少ない年で、木の実はいつもより小さかったが、それでも宴は宴だった。
その広場の入口に、金色の外套の騎士が一人、立っていた。
村じゅうの目が、そちらを向いた。
外の者が広場まで入るのは、王宮の使者か、村の病人を診に来る茶の師団の者か、街道を見回る橙の師団の伝令くらいのものだ。黄の騎士が来たことなど、誰の記憶にもなかった。
「ゼーベック家の名代として、実りの宴に祝いの品をお届けに参りました」
ルドルフは、ミナ副師団長に向かって、深く頭を下げた。後ろでは、麦粉の袋と蜂蜜の壺を担いだ従者たちの前で、家令の老人が、木の上から見下ろす村人たちの視線にすっかり縮み上がっていた。
「ようこそ」
ミナは、手のひらを葉のように広げて応えた。
「ヴェルデ師団長の許しはもらってある。今夜だけ、特別にね」
そう言って、ミナはちらりと横を見た。
ルドルフをここまで案内してきた梢隊の娘が、そこに立っていた。三重の罠の輪を抜けて、迎え木から広場まで。外の者が一人では決してたどり着けない道を、先に立って歩いてきた娘だった。
ノラは、ミナの視線から目を逸らした。懐の中で、手紙が、かさりと鳴った。
◇
模擬戦のあと、軽量鎧の試験はまた開かれるようになった。字の授業も、また始まった。
再開した最初の日、ノラが石板を差し出して最初に頼んだのは、「ごめん」の手本だった。ルドルフは、少し笑って、まっすぐな字で書いてくれた。
「でも、これはもう、言っていただきましたから」
「言ったけど、自分の字で書けないのは嫌なんだ」
ノラはそう言って、四度目で、手本の隣に並べても恥ずかしくない字を書いた。
それから、半月あまり。ノラは、夜ごとに寝床の脇で石板に向かった。何度も書いて、何度も消した。そして、消せない紙に書き写した。ミナ副師団長にもらった、村ではめったに手に入らない紙だった。ルドルフには、一字も見せなかった。教わった字で、自分で書く。それが、この手紙の決まりだった。
◇
宴が盛り上がって、誰もが歌や酒に気を取られはじめたころ、ノラはルドルフを親木の裏手へ連れ出した。
広場の灯の明かりは、ここまではほとんど届かない。見上げると、枝の隙間から、中秋の大きな月がのぞいていた。親木の根元が、月の光で白く照らされていた。
ノラは、懐から手紙を取り出した。二つに折った、一枚の紙。宛名のところに、ノラの字が書いてある。
「……返事だ」
ノラは、それをルドルフの胸に押しつけた。
「一年、遅れたけど」
ルドルフは、両手で手紙を受け取った。宝物でも受け取るような手つきだった。そして、宛名を見て、吹き出した。
『きいろいのへ』
「笑うな」
「いえ、これは、笑わずにはいられません」
ルドルフは、肩を震わせながら、手紙を開いた。
ノラは、その場から逃げ出したかった。枝の上へ駆け上がって、葉の陰に隠れてしまいたかった。でも、今度は逃げないと決めていた。だから、両手を握りしめて、ルドルフの顔を見ていた。
ルドルフが、手紙を読みはじめた。
きいろいのへ
てがみ、ありがとお。
へんじが おそくなって、ごめん。
いちねん、かかった。
ぬまのせいに きかれたら、こたえる。
あなたは きんじゃなくて、てつでした。
わたしわ、てつのほうが すきです。
こんどは、あなたの まちを、あんないしてください。
かんばんの じも、よめるようになったから。
ノラ
短い手紙だった。読むのに、半日はかからない。それでも、ルドルフは、長いあいだ黙っていた。月明かりの下で、ルドルフが手紙を何度も読み返しているのが、ノラにはわかった。目が、行ったり来たりしていた。
やがて、ルドルフが顔を上げた。
「ノラ」
「……なんだ」
「二か所、間違っています」
ノラの顔が、一気に熱くなった。
「う、うるさい! わかってる、どうせ――」
「直しません」
ルドルフは、手紙を胸に当てた。
「一字も、直しません。このまま、いただきます」
ノラは、言いかけた言葉を飲み込んだ。ルドルフが、笑っていた。月の光の中で、その顔が、よく見えた。
「沼の精の昔話では」
ルドルフが、静かに言った。
「正直に鉄だと答えた木こりは、鉄の斧を返してもらって、金の斧も添えてもらえたのでしたね」
「……ああ」
「では、私も、金の斧を添えねばなりません」
ルドルフは、手紙を大事そうに懐にしまった。そして、ノラの前で、手のひらを葉のように広げた。
「街を、案内させてください。パン屋の看板も、鍛冶屋の看板も、一つずつ。ノラが読んだ店に、一軒ずつ入りましょう」
ノラは、その手のひらを見つめた。縄をつかんだ籠手の中にあった手。木から落ちた自分を受け止めた手。泥だらけで伸びてきて、「ありがとう」と握った手。
「金の斧は、いらない」
ノラは、ぶっきらぼうに言った。
「鉄のほうがいいって、書いただろ」
それから、自分の手のひらを、ルドルフの手のひらに、そっと重ねた。葉と葉が、重なるように。
ルドルフの長い指が、ゆっくりと折れて、ノラの手を包んだ。泥もついていない、籠手もはめていない、驚くほど温かい手だった。ノラも、今度は迷わず握り返した。
「……はい」
月明かりの下で、騎士さまが、とてもうれしそうに笑った。
◇
山道を下りる帰り道、ルドルフ・ゼーベックは、何度も懐に手を当てた。そこには、小さな帳面と、一通の手紙が、重ねてしまってあった。
帳面には、一字だけ払いが逆の『きょうは はれ』と、傾いた『もり』と、点の多い『かし』が写してある。手紙には、『ありがとお』と『わたしわ』がある。間違いは、どれも直していない。
いつか、ノラは、間違いのない、まっすぐな字を書くようになるだろう。それは、喜ばしいことだ。今は心から、そう思える。けれど、この最初の返事だけは、ずっとこのままでいい。
ルドルフは、夜の山道で、一人で笑った。前を歩く家令が、怪訝そうに振り返った。
「若さま、何か」
「いや」
ルドルフは、首を振った。
「金の斧はいらないと、言われてしまってな」
家令は、ますます怪訝そうな顔をした。
ルドルフは、もう一度、懐の手紙に手を当てた。二か所、綴りの間違ったその返事は、胸の上で、いつまでも温かかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
noteに解説ページも作成しています。
https://note.com/ten_division/n/n88d08169787e
新しいシリーズも始めました「国王に虐げられた悪役王女が、転生した呪いの力で復讐する〜呪いは二人の共同作業〜」
https://ncode.syosetu.com/n2648my/
これから十師団物語として、他にもいろいろなジャンルを書いていきます。
ノラとルドルフの続きを書くこともあるかもしれませんし、他の作品にノラやルドルフが出ることもあると思います。




