第4話:誰にも愛されない夫人として憎まれたかった
目覚めてから三日目は酷い一日になった。
せっかく朝からまた読書をしていたのに、私の夫となったラルフ・ハウゼンが病室に来てしまったのだ。
茶色の髪を短く切りそろえた、ごくごく普通の好青年。
私なんて放っておいて好きに生きればよいのに、こうやっていちいちやって来てしまったのだ。
「ルティシア、君が生きていてくれて、本当に良かった」
「嘘をつかないで。私が生きていて嬉しいわけじゃないでしょう」
「嘘なんかじゃないよ…家の皆も、君を心配していたよ」
「私の心配?まぁそうね、私が死ねば、アイゼンベルク公爵家から責められるかもしれないわね。すると、ハウゼン家の評判に傷がつく。だから困るのでしょ」
「そんなことは…」
「分かっているわ。ハウゼン家の立場くらい」
「……」
申し訳なさそうな目で私を見るこの男のことが、本当に大嫌いだ。
無駄に長い静寂に、余計に神経がすり減らされる思いがした。
「お見舞いごっこは終わり?なら帰って。あなたの相手なんてしたくないわ」
「ルティシア……どうして君はそんな言い方ばかりするんだ。少しはハウゼン家の人間として、自覚を持つべきだよ……」
「自覚?笑わせないで。自覚なんてものが持てればこんな事になりはしないのよ。好きに死なせてよッ!」
私の声に合わせて、ラルフも声を荒らげていった。
「好きに死なせてあげたいさ。でも、それをしたら、この家がどうなるかわからないんだよ。それくらい君も分かるだろ」
「煩いわね、分かっているわよ。だから死のうとしたのよ。それくらい分かってよ」
こんな醜い言い争いになるのが分かっているから来てほしくなかった。
結局家がどうとか、公爵家がどうとか、そんなことばかり。
誰も私を私として見てくれないのだ。
「いい加減にしてくれ、本当に君には迷惑を被っているんだよ」
「私だってこんな田舎に来たくなかったわよ。あなたの幸せなんて奪いたくなかったわよッ」
「だったら大人しくしていてほしい」
「大人しく死のうとしたのに。あなたも本来の人生を、私なんか無視して過ごせるのだから、それでいいじゃない」
「そうしたいさ…」
「あのー、お話の最中にすみません」
突如病室に響いた間延びしたような声。
「私、ハウゼン夫人の主治医のアーベル・リントと申します」
「アーベル先生、この度は妻がお世話になりました」
「いえ、私は医者としての立場を全うしただけですから。そして、今も、医者として少し意見を言わせてもらいたい」
「なんでしょう?」
「患者はまだ十分に回復したとは言えず、主治医としてはこの状況は看過できません。一度お話を止めさせてください」
「これは家の問題です、部外者の先生が…」
「いいえ、ここは病院で、患者の安全が第一の問題です」
先生はラルフを叱るように厳しい目を向けると、ラルフは目を伏せた。
「……申し訳ございません」
「ハウゼン夫人も少し落ち着いて。今日はこの話はおしまいにしましょう」
「わかったわ」
先生は、私とラルフの間に入り、手を合わせて、困った表情をしていた。
「一旦、ハウゼン夫人に関しては、私の方からまた話をさせてください。お二人が直接話をするよりは、私が間に入ったほうがスムーズに話が進むとと思いますので」
「…分かりました」
ラルフも言いかけた言葉を胸にしまったように見えた。
「では、アーベル先生にこちらもお預けしておきます。公爵家のルティシアの母君からの手紙です」
「拝領いたしました」
母からの手紙という言葉に、私の胃がさらにギッと軋む音がしたような気がした。
「それでは、今日は大変失礼いたしました。アーベル先生、改めてルティシアをよろしくお願いいたします」
「はい、落ち着いたら私からご連絡差し上げます」
あれだけ激しく言い争ったのに、あっさりとラルフはこの部屋から去っていった。
「よく頑張りましたね」
部屋から足音が遠のくと、この医者は無神経にも私を褒めようとした。
「頑張ったって何を?貴方、一体何を言っているの?」
「一生懸命憎まれようと頑張っている子がいたら、そう言いたくもなりますよ」
少し重たい瞼から覗く瞳は真面目で、私の目を刺すように見ていた。
「憎まれようと?私が頑張っているって?」
「えぇ、私にはそう見えました。ルティシアさんなりの気遣いに。憎まれて、嫌われることで、ハウゼン家に今までの日常を残そうとしたのでしょ?」
その言葉を嬉しいと感じてしまった。
誰にも見つけてもらえなかった私を、先生に見つけてもらえた、そんな気がしてしまった。
どうしてこの人は、この人だけが、私をこんな風に見つけてくれるのだろうか。
「お母君からの手紙、どうされます?読みますか?」
「いいわ、先生が読んでおいて。どうせ来られない言い訳がいっぱい書き連ねてあって、最後に『ルティシアを愛しているわ』って書いてあるに決まっているもの」
先生は封を開き、ざっと文章を見ると、少しため息をついた。
「君の予想通りだったよ」
「本当になんなのよ……愛しているなら来ればいいじゃない。私が大事なら私をちゃんと見てよ…死のうとしたことを褒めてよ……こんなに頑張ったのに……」
私は我慢できなくなり、涙をボロボロとこぼして泣き出してしまった。
そんな私を先生は優しく頭をずっと撫でてくれた。
「うん。よく頑張りました」
「貴方だけじゃない……ちゃんと私を見ようとしてくれたのは……」
ふと私の口から漏れた言葉。
先生に救われたように感じてしまったその思いに蓋が出来なかったのだろうか。
「見ず知らずの男が、急にやってきて、何なのよ。本当に気持ち悪い……」
「ごめんね。自分でも気持ち悪いとは思うけど、そういう形でしか君に接してあげられないんだ」
とても遠くをぼんやりと見つめる先生は、とても寂しそうで、とても酷い顔をしていた。




