#1 道中
「君にはリアの結婚相手を探して欲しいんだよ」
目を開けるとまだ朝日が昇っていない時間だった。
先週からずっとこの言葉が離れない。
それはきっと私の身分からすれば有り余る光栄というものであり、それなりのプレッシャーが掛かっているということなのだろう。
しかし、この胸をすくような感情は果たして何処から来ているのだろうか。それは全くと言って良いほど検討がつかない。
学園に行く準備で最も頑張った者は私でもリア様でもなく、リンゴォ氏であっただろう。
「ハンカチーフは持ったか? 水筒は? 杖は? リア子爵、君は婦女子をエスコートするのだぞ。わかっているな。マリー嬢の話はきちんと聞くのだぞ」
「#」
聞いているんだか聞いていないんだかわからない相槌を打った。リア様としばらく居て気付いたことは、あんまり人の話は聞いていないということだった。
「マリー嬢」
そう呼んだあと、小さな声で続けた。
「道中リア氏に君が覚えていることを説明しなさい。君が言えば多少は聞くから」
「いえ、流石にそんなことは無いですよ」
言うことなんて聞かないです!
とは喉まででかかったが、流石に言えない。
「まあ、正直聞かなくてもいいから道中リア君に話しておきなさい。人に説明できるということは自分が理解していることなのだから」
確かに一理あるのだが、何だか言いくるめられているという感じが拭えない。
「⋯それはそうですね」
まあ、リア様が理解せずに困るのは回り回って私なので、私が頑張らないといけないのは確かだ。それに根気よく説明すればリア様も難しいことでもわかってくれる。
馬車に乗り込むと手にハンカチを持つリンゴォ氏が見える。リア様を見送りに来てくれたのはリンゴォ氏だけだった。旦那様は送りたがっていたけど、魔獣が出たという知らせを受けて、兵を連れて行ってしまった。イスカ様はあれから喋っていない。あれ以降余り会わないどころか避けられているのを感じる。多分だけど私だけでなく、リア様も避けられている。多分どうすればいいかわからないのだ。そしてそれは私も同じで避けている。
「リア君! マリー嬢の言うことを聞くのだぞ」
リンゴォ氏は今にも泣き出しそうだったが、我慢をしていた。流石に私たちが見えなくなるまでは、涙を堪えるのだろう。
ふふっ
リンゴォ氏のあからさまな態度に思わず笑ってしまう。最初は、こんなにも感情豊かな人とは思わなかった。最初に会った時はリア様にイラついていたし、私が発音を間違えたら怒るし、もっと怖い人だと思っていた。
「それでは行ってきます」
「ノシ#〜」
馬車はゆっくりと進む。馬車に乗って遠出することも、学園に行くことも初めてのことばかりだ。
別れはまだ慣れない。
「ううう」
泣くまいと思っていたから必死に下を見て嗚咽を抑えた。
頭を撫でてくれる感触がする。
私とリア様以外にここには居ないのだからこれはリア様だ。対面に座っていたのにわざわざ此方に来てくれるのだから優しい。
顔を上げてリア様の顔を見ると困った様に笑うのが少し印象的だった。
何故か湿っぽい感じになってしまったから雰囲気を変えようとリンゴォ氏に言われた通りリア様に説明することにした。
「それではリンゴォ氏に言われた通り授業をしますから」
リア様の笑ったのが気になったので、「何ですかニヤニヤして」と咎めた。リア様は真面目に聞きますよとばかりに手を膝に置いて姿勢を正した。
「まず私達がこれからすることは何でしょうか?」
「###€#」
何を言っているかわからないから言ってそうなことだけ、釘を刺す。
「ちなみに学園に行くことは割と最後です」
「......」
図星だったか。
「まずやることは西の国中の学園魔術師を集めて中央国に行くことです。私達みたいに入学する人も今通っている人も全てです。これは当然魔獣の被害を考えてのことです。魔獣も人が大量にいる場合は滅多に襲ってこないですからね。だから馬車に飽きたからって空を飛んだりしないで下さいね」
「#」
わかっているか、わからっていないか怪しいところだが、気にしまい。
「そして中央国に辿りついて終わりではありません。ここからが本番と言っても過言ではないんですから。学園に通うまでの一カ月間お世話になるボイル・クローバー公爵に会いに行くのですから」
当然だが、旦那様ほどの貴族になると親戚は多い。しかも、複雑な事情がある。
「リア様は既に分かっていると思いますが、ボイル公爵は西の国の正統なる後継者で、リア様の叔父に当たります。クローバー王、リア様のお父様の兄に当たり、本来ならクローバー王となるのは、ボイル公爵だったと言われていますが、リア様のお父様に譲っています。リンゴォ氏もどうしてこうなったかは知らないらしいですが、今現在はその権力の殆どを旦那様が握っています。ボイル公爵は特に権力もなく王国でゆったりと暮らしているそうです。とは言っても失礼が無いようにとのことなので挨拶をしっかりとやりましょう」
「#〜」
「実際は私が話すからって油断しないでくださいね」
「…...」
どうやら図星みたいだ。
「リア様が手を抜けば言葉なんて分からなくても態度で分かってしまうのですから」
リア様を脅すつもりで言ってみたものの、実際はどうなのだろうか? リア様が緊張感を持っていることなど滅多にない。そういう人柄といえばそうなのだ。むしろリア様の言葉を代わりに話す私の方が気を付けないといけないことは多い。
少し目が眩んだ気がした。気持ち馬車の中が歪んだ気がする。
なんだろう。これ。
あまり気にせずリア様の授業を進めていたのだが、しばらく我慢していると気持ち悪くなってしまった。
視界がグルグルする。
「ごめんなさい。リア様。どうやら酔ってしまった様です」
「#?」
心配してくださっていることがわかる。
「大丈夫です」
ちょっと頭痛がするが、別に問題はない。
「しばらく休めば回復します」
「%##」
何か言って膝を叩くが、何を言っているかわからない。
「ごめんなさい。ちょっと今何を言っているかわからなくて」
対面に座っていたリア様が横に座った。そのまま私を引っ張ると膝を枕にする様に寝かした。
「ちょっと! リア様!」
そんな身分不相応です!
主人の膝を借りるなんて!
がっしりしていて、お日様みたいな匂いがする⋯何を考えてるんだ、私は!
「そこまでしなくても大丈夫です!」
起き上がろうとするが、額の上に手を置かれた。対して力も入れていないにも関わらず、起き上がれない。
「リア様! 手、退けて下さい」
「#€」
静かにしていろとばかりに今度は手を目隠しの様に置かれた。
「——————」
自分でも何でかわからないが、黙ってしまった。いや、これ見たことがある。暴れるウサギを大人しくする時に使う手法だ。目を隠すと急に大人しくなる。お父さんがやっていた。
「いや、私は野生生物じゃないんですけど!」
目隠しをしている手を外してリア様を見上げると、リア様の表情を見てしまった。
「———%?」
嫌かと聞かれた。それも心配する様に。
ズルいな。本当にもう。
「嫌じゃ、ないですけど、他の人がいる時にやらないで下さいね」
そう言ってリア様の方からそっぽを向く様に目線を外した。
私はただの御付きの人。リア様の本当の結婚相手は他にいる。その人に勘違いされたらどうするんだ。全くリア様はこっちの気も知らないで———。
「——————」
気が付けば、少しだけ気持ちが悪いのが治まっていた。それでもまだ気持ちが悪いので、目を瞑った。膝は筋肉質で硬いけど、大きくて暖かい。リア様を支えようとしているのに支えられてばかりだ。少し目を瞑っていたら気付いたら寝てしまった。
目が覚めると直ぐに起き上がった。
「#%#?」
「はい、大丈夫です」
まだ少し気持ちが悪いけど
突如地響きが鳴った。
「っ、一体何ですか!?」
リア様が馬車のドアを開けると平行する兵士と目があった。
「何が起こったのですか?」
兵士は緊張と恐れが混じった声で答えた。
「それが分かっていません。後ろで地響きの様な音がしましたが、それが何なのか分かっていません」
兵士はまだ実戦経験がないのか、貴族の前で喋るのが慣れていないのか、おどおどとした様子で言った。
「あの、この様な場合は絶対に馬車を停めるなとのことです」
馬車を停めるな。その意図がしっかりとわかる。馬車は列をなして一直線で進む。それは道が馬車1台分の道しかないということである。車輪の大きさ、幅も統一されているこの国では、轍も一直線で綺麗だ。だからこそその轍が崩れてしまうと馬車の進行は著しく遅くなる。パニックになってこの列から抜けてしまうと轍が崩れて後続の馬車が遅くなってしまう。馬車はノロノロと進んでいる様に思えるが、これが恐らく一番早いのだ。だから騎士の対応を信頼して、私たちが動かないのがベストなのだ。
「リア様、騎士様をしっかり信じて待ちましょう」
「#」
わかった。
そう聞こえたのだが、リア様は馬車を飛び降り、何処か飛んでいった。
「リア様、今わかったと言いましたよね」
「騎士様」
「ひ、ひい。はい」
私は声を荒げたわけではないのにどうしてこの方はびっくりされているのかしら。
「私を乗せてこの騎士を率いる人に会わせてくださらないかしら」
「し、しかし」
「今飛んでいったのは、西の国の王子リア子爵よ。彼は精霊語を話すけど貴方にもわかりますか?」
「い、いえ」
「乗せて下さるかしら」
「は、はい」
全くリア様がこの騎士の方を困らせるから。
馬車は停めたくは無かったので、馬車から馬に飛び乗ることを考えていたが、騎士様には断られた。
「私が団長をお呼びするのでどうにか御勘弁を」
逃げる様に走り出されると何もできない。基本的に私は無力なのだ。空も飛べなければ馬も乗れない。この小さな箱の中で主の帰りを待つしかない。
しかし、主の帰りを待つにしてもできることはある。
団長らしき人が見えるとその不機嫌そうな様子が手に取るようにわかった。
「お時間頂きありがとうございます」
「全くだ」
明らかな悪態をつかれた。
「悪いが、今こちらは緊急事態の対応に追われている。貴方がどのような身分であろうとも今この事態を解決する以外には私の兵を使えない。ということで文句は後で言ってもらおう。ご無礼失礼する。それでは」
この人からすればこんな緊急事態に貴族のガキが口出しやがってという感じなのだろう。それにしたってもう少し丁寧でも問題ないのだろうが、問題はそこではない。
「お待ち下さい。リア様が先程飛び立たれたのは聞いていますか?」
「聞いている。まああの方なら魔獣が出たとして別に心配することでもないだろう」
思ったよりもリア様は信頼されている。
「ええ、私もそう思っています。ただ一つだけ懸念があります」
「懸念?」
「誰かこの中でリア様の言葉がわかる人はいますか?」
苛立っていた雰囲気が段々冷静になっていくのがわかる。
「もしくはリア様と同じく空を飛べる方はいますか? リア様が魔獣を倒したとして何処で何を倒したかといった情報を即座に取れますか?」
ギロリとこちらを睨んだ。そんなことは百も承知なのだろう。
「それで誰がわかるのかね?」
「私がわかります」
しばらく騎士団長が考えた後、口を開いた。
「…先程の非礼を詫びよう。リア子爵はここに戻ってくるか?」
「はい。必ず」
その時爆発音がしたのを私と団長は驚くこともなく、聞いていた。
「どうやら終わった様だな。私は周りの兵士を見てくる。こいつを置いていくのでリア殿が帰ってきたら報告をまとめてこいつに知らせてくれ」
こいつとは先程声を掛けた騎士のことだった。
しばらくするとリア様は戻ってきた。
リア様の言葉がわかると言っても例えば別の言語を翻訳するとは違って完璧にわかるわけではない。
「リア様、戻ってきてすぐで申し訳ないですが、報告をお願いします」
更に言えばリア様は文字さえ書くことが出来ない。それは文盲という意味ではなく、リンゴォ氏が言うには文字が上手く認識出来ないそうなのだ。
「#」
「今回の件は魔獣は一体ですか?」
「%」
「違うのですか? 番号を順番に言っていくので止めてください。いち、に、さ…」
「#」
「2ですか?」
「#」
「魔獣の1体目について教えて下さい。方角は北ですか?」
そう言うとリア様は指差した。
「ああ、そうですよね。それくらいは指差せますよね。騎士様、コンパス等はお持ちですか?」
リア様と細かな話をしようとすると特殊な方法が必要になるのだが、どうしてもジェスチャーで伝えられることは忘れてしまう。
「はい!」
騎士様のコンパスを受け取るとリア様に指さして貰った。
「はい、北北東と北西ですね」
「ではどれくらい離れていたかということですが、この北北東は?」
リア様は3本指を立てた。数字などは書けないが十の指が許せる限りの数字は表せる。
「それは30,300ですか?」
「%」
「3キロですか?」
「#」
「ありがとうございます。続いて北西にいた魔物ですが———」
魔物の情報をまとめると振り返って、騎士様に話しかける。
「聞いていましたか?」
「はい、北北東と北西に1体ずつ、それぞれ3キロと500メートル程ですね。隊長に伝えてきます」
「ありがとうございます」
騎士様が去るのを見ると全身の力を抜いて椅子に倒れ込むように座った。
「リア様」
正直言えば何事もなく、終わった様な安堵があって最初のことを流してしまいそうだった。
「リア様、騎士様を信じて待ちましょうと言いましたよね」
「......」
リア様は目を逸らした。
「リア様。無事だったから良いものの何かあったらどうするつもりなのですか」
リア様はにこやかに笑って私の髪を撫でた。誤魔化そうとしている。それはわかっているのだが、こうされると何も言えなくなる。
リア様は絶対に反省していない。
反省していないのだが、上手くリア様に怒れない。
「うっ、次からは気をつけて下さい」
リンゴォ氏には甘すぎる言われたが、どうやって叱ればいいかなんてわからないのだ。
リア様の結婚相手にはきちんと叱れる人間が重要なのかもしれない。




